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第1話 静寂ノ獣

とある平日の昼下がり。


空を仰げば、雲はなく透き通る様な青空と容赦なく照り付ける太陽の光。


頭上から容赦なく降り注ぐ陽光と熱せられたアスファルトから立ち上る熱気が体力を奪っていく。

重ねて昨夜降った雨の影響で湿度も高く。さながらコンビニの冬の定番。

レジ横の蒸し器に入った肉まんになったようだ。

そんなホットスナックの心地が味わえる道の上を幽鬼の如く歩く人影が一つ。


近くの高等学校の夏服を着用した少年。

中途半端な長さの黒髪。右目の上だけ目元を隠すように少し長く伸びていて目元を隠すようになっている。

眼は特徴的で左に空の様な青色と右には東洋人特有の黒色。

左右で異なる瞳をもった少年。その表情からはやる気のなさが窺える。


「・・・あづぃ」


誰にでもなくそんな言葉を口にする少年。

名は静寂 彼方<シジマ カナタ> 17歳。男性。絶賛寝坊し遅刻中である。

ヨタヨタと母鳥の後ろに続くアヒルの仔の様な足取りで坂の上へ向かって通学路を歩く。


「地球温暖化とかアホでしょ。全然クールじゃない」


陽炎が立ち上る地面を睨みながら、1人で愚痴る。

次から次へと浮かぶ玉の様な汗を制服の袖で拭い、坂の上へと視線を戻す。

陽炎で少し輪郭がぼやけているが自身の通う学舎が目に映った。

K県のとある公立校「桜木坂高等学校」の真っ白な校舎。


「遠い。坂長い。勉強めんどい。」


自分の目的地に向かって呪詛の如く悪態を口の中で繰り返し呟きながら、

のたのたと歩いて校門を抜けて下駄箱へ足を向ける。

人の疎らな下駄箱へと足を踏み入れると太陽の光が途切れ、少しだけ涼しくなったような気がする。


「日陰・・・サイッコー」


下らない事を呟きながら昇降口で下履きへ履き替え、そのまま廊下に出る。

直後、偶然通りかかったジャージ姿の大男に出くわす。


「あぁん?おまえは・・・」

「げっ」


一番見つかりたくなかった相手に見つかってカナタの表情が引き攣る。

相手はこの桜木坂高等学校2年の体育教諭で生徒指導担当の竹下。

なんでも学生時代に空手で全国大会7位に入賞した事が自慢らしいこの男。

校則に厳しく口やかましいと生徒からは不評であり。

あだ名は「黒帯ゴリラ三段(実際は空手五段)」

カナタを見つけ膨張した胸筋をより膨らませ、竹下教諭が鼻息も荒くカナタへと歩み寄る。


「シィイイイジマァ。今頃登校とはい~いご身分だなぁ」


嫌味という名のくどくて濃厚なソースをギトギトに脂ぎった皮肉に乗せて言葉を吐き出す竹下教諭。

ねっとりと粘つくような竹下の嫌味にカナタは一目でわかる愛想笑いを返す。


「すみませんね竹下センセ。どーも時差ボケがキツくって」

「転校してからもう3ヵ月だろうが、いい加減慣れろ!」

「3ヵ月の内1ヵ月は学校来てませんけど・・・?」

「揚げ足を取るんじゃないっ!!」


カナタのふざけた返しに、竹下教諭の怒声が上がる。

大声が廊下の奥まで響いて、歩いていた他の生徒達が声の大きさに身を竦める。

カナタはというとやりすぎた事に苦笑いを浮かべ、そのまま竹下教諭の説教に捉われる。

2人して廊下に突っ立ったまま昼休み終了の予鈴が鳴るまで延々と竹下教諭に説教されるカナタ。


本来であれば生徒指導室に呼ばれて説教フルコースだったのだが、

海外生活が長かった事と少し入り組んだ家庭の事情を持つ為、今回だけは口頭注意に留められる。

30分近く一方的に話続け、一頻り言いたいことを吐き出し終えた竹下教諭。


「はぁっ、もういい。午後はちゃんと授業を受けろよ!」

「ハイデス。失礼シマスデス」


最後に強い口調で注意を促し、竹下教諭が背を向けて職員室へと歩き去る。

学期末の校長の話より長い説教からようやく解放されたカナタは、死んだ魚の目をして、その大きな背中を見る。


「話が長いんだよゴリラ」


決して相手に聞こえない小声で、怨念の篭った捨て台詞を残しカナタもその場を後にする。



階段を上り、2階の東側廊下一番奥の「2-F」の札のついた教室へ足を踏み入れる。

教室の中に入るなり、カナタの姿に気付いた数人の生徒が視線を向ける。


「おはよー」

「どもです~」

「おいーっす」


口々に挨拶をしてくるクラスメイトにカナタは適当に目礼を返し自分の席へそそくさと移動。

手に持っていた紺色の学生カバンを机横のフックに掛け、椅子に腰かける。


着席と同時にダラリと目の前の机の上に体を投げ出すカナタ。

上半身の筋肉を伸ばす様に、大きく伸びをするカナタの下に二人の男子生徒が歩み寄る。

カナタの隣に立った体格のいい坊主頭の男子生徒が彼の肩を叩く。


「よ~うカナタァ!今日も重役出勤か~」


机に体を預けていたカナタがゆっくりと顔を上げると、人懐っこい笑みを浮かべるガタイの良い生徒。

名前は近藤貴久<コンドウ タカヒサ>という。

野球部で一番のパワーヒッターで、聞いた話では県の選抜選手で校内では割と有名な男だ。

ケラケラと笑い声を上げるその背に隠れているもう一人の生徒が彼を諭す。


「違うよタカヒサ君。カナタ君はまだ日本の生活に慣れてないんだよ」


体格のいいタカヒサの陰に隠れる程の小柄なおかっぱ頭の男子生徒。

物知り顔で前に出た小柄な少年。

彼の名は高野 計<タカノ ケイ>。

学力は中の上、漫画、アニメ、ゲーム、歴史、ミリタリー好きの世間一般的な所謂オタク系男子。

この2人はクラス内では特にカナタと親しい間柄で、いつもこうしてカナタに話しかけてくる。

一目見た印象で毛色の違う二人だが、これでも結構馬は合うらしくよく一緒にいる。

目の前で餌をもらうのを待つ犬の様にカナタの言葉を待つ2人に、カナタも適当に言葉を返す。


「ソウソウ。ワタシマダ二ホンノセイカツムズカシデースヨ」

「嘘コケ。さっきまでの流暢な日本語はどこいったよオイ。ケイもこのアホを甘やかすなよ」

「そだね。でほんとのところは?」


片言で放った言葉はあっさりと脇へと追い遣られ、遅刻の理由を問いかけてくる2人。

別に特別な理由などなく単純に寝坊なのだが、彼らは何か理由があると思い込んでいるようだ。

仕方がないので何か適当に思い当たった理由を述べておくことにする。


「あ゛~。昨日もバイトでな」

「ああ~。例の警備会社だっけ」

「あれ?清掃業者じゃなかったっけ?」

「ん~?まあ、大体そんな感じだ~」

『どっちだよっ!』


二人の息の合ったツッコミを受けてカナタが少しだけ可笑しそうに笑う。

カナタの反応に満足したのかタカヒサとケイも顔を見合わせて笑いあう。


転校して三ヵ月という短い間に出来たクラス内の親しい友人。

二人の顔を交互に見たカナタは3ヵ月前の転校初日の出来事を思い出す。


一身上の都合で長く国外にいたカナタは10年ぶりに日本の地を踏んだ。

諸々の事情により自身の保護者に無理やりこの学校へ放り込まれたカナタ。

保護者曰く。


「一々世話焼くのが面倒臭いし丁度いい機会だから少しは世の中を学んで来い」

「日本には義務教育という素敵な制度があるから活用しよう」


との事。


「シット!アノハゲイツカブッコロスッ!」


数年ぶりに話す日本語が若干片言気味になったのはきっと怒りのせいだったんだと今でも思っている。

転校初日、着慣れない学生服に仏頂面を浮かべ、不満を漏らしながら通学路を歩くカナタ。


都会という程でもないがこの辺りは首都近郊で駅が近いだけあって民家や商店が多い。

駅に向かうサラリーマン達を横目に見ながら駅とは逆方向へ向かう学生達に混じって道を歩く。

とはいっても登校には少し時間が早いせいか通りを歩く生徒の数は多くない。


「ガクセーさんは真面目ダネー。ん?違うか?だね~カ?」


暇つぶしに自分の独り言でイントネーションを確認しながら歩いていると、

通り1つを挟んで向かい側のビルの陰に数人の人影を見つける。

日本人に似合わないカラフルな頭髪と見るからに頭の悪そうな人相の5人組。

色だけで見れば赤、青、黄、緑、ピンクと戦隊ヒーローの様だが、顔つきはどうみても真逆に見える。

平成の不良氷河期を免れたらしい古典的不良生徒達の中に1人、貧相すぎて逆に目立つ小柄な男子生徒の姿。


「お~い。タカノォ~今月の上納金が足りねえぞ~」

「勘弁してください。昨日ので全部なんです」

「俺たちの懐事情のが大事なんです~。おめ~の都合は知りませんです~」

『ギャハハハハハハッ』


聞いただけで頭が悪くなりそうな高笑いを周囲にまき散らすカラフルな頭の男達。

その馬鹿笑いに遠目で見ていた通勤、通学中の人々が不快気に顔を顰める。

だが誰もまともに彼らに視線を向けない。誰もが見て見ぬふりで通り過ぎている。

当然である。あれは触れれば怪我をする類の厄介事の種だ。

カナタだってデトロイトの裏路地で同じ光景を見かけたら華麗にスルーするだろう。


「国は違えどやる事は一緒とか。お寒い話だ」


誰に言うでもなくそう呟きながら、内心で道の真ん中に放置された犬の糞を目にしたような不快な気分になる。


(まあ、日本の治安なら海外の様に誘拐され身代金要求後、バラバラにされて臓器売られる事もないだろう)


そんな物騒な事を考えながら通り過ぎようとしていると、不良の一団に向かって歩く大柄な坊主頭の男が目に留まる。

同じ学校の制服を着た坊主頭の男は脇目も振らずに彼らの下へ近づき、タカノと呼ばれた生徒と不良生徒の間に割って入る。


「あぁん?んだテメェ?」


リーダー格らしい赤髪の不良が割り込んできた生徒を睨み付ける。

威圧された坊主頭の生徒は、表情が強張りやや体を震わせながら口を開く。


「せっ先輩方やめましょうよ。こういうの格好悪いっすよ」

「うっせぇぞタカヒサ。てめぇ」


赤髪の不良がタカヒサと呼ばれた生徒の胸倉を掴んでにじり寄る。

キスでもするんじゃないかというぐらい顔を近づけるが、向けるのは敵意の篭った視線の為、到底仲良しには見えない。

赤髪の男に続いて仲間の不良達も鋭い視線でタカヒサを睨みつけ威圧する。

今すぐにても殴りかかりそうな剣幕である。


「なんだよ優等生かてめぇ?」

「てめぇちょっとガタイいいからって調子乗ってんのか?オイ」

「そんな事ないですって、ただこういうのはちょっとやめたほうがいいと思っただけで・・・」

「んな事は聞いてねぇんだよぉ!」


赤髪の男が上げた怒鳴り声にタカヒサが身を竦ませる。

頬は引きつり、腰が引けているが、それでも彼に引き下がる様子はない。


事の一部始終を眺めていた生徒達からは同情と応援するような視線がタカヒサへと注がれる。

周囲の視線を察した不良達は面白くなさそうに周囲を睨んで威嚇する。


「何見てんだコラァッ!」

「見世物じゃねぞ!サッサと散れや!」


全方位に向かって敵意を剥き出しにする不良達に、足を止めていた者達はすぐに目を逸らして急いでその場を離れる。

とばっちりを食って怪我をするなどバカバカしいし、誰だって嫌だ。

周囲から人が減った事で再びタカヒサへと不良達の目が集まる。

その時、何かを思いついた青頭の不良生徒がニヤリと厭らしい笑みを浮かべる。


「おまえ確かもうすぐ夏の大会だったよなぁ~」

「そっそうっすけど」


男の言葉にぎくりとなってタカヒサの顔から血の気が引く。

どうやら嫌な所に目を付けられてしまったようだ。


「いいのか~?問題になって試合に出られなくなってもよ~」

「っ!?なっ何言ってるんすか」


案の定最低な考えに至ったらしい青頭の一言に、タカヒサの表情に明らかな動揺の色が浮かぶ。

すぐさま取り繕おうとするが、動揺を悟られた後では手遅れである。

こうなってはもう相手の手の平の上だ。

こういう時の小悪党というのは非常に厄介で、1人の意思があっという間に伝播し、全員がその意図を理解する。


「暴力事件とかまずいよなぁ」

「問題になるぜ~。野球部の連帯責任って事にならねぇといいな~」


青頭に同調し、不良生徒達から次々と掛けられる言葉が徐々にタカヒサを追い詰めていく。

俯き、反論する声も小さくなっていく。

相手が何もできなくなった事を確認すると、今度は緑髪の男がタカヒサの背中を蹴り飛ばす。


「野球とサッカーってどっちが強ぇかんだっけ?確かめてやろーぜ」

「いいねぇ。じゃあ俺サッカーな」

「んじゃ俺もサッカーだな」

「俺のハットトリックに欧州リーグからスカウトが来るぜぇ」


背後からの一撃で地面に倒れたタカヒサを不良達が狂気に満ちた笑みを浮かべ蹴りつける。

体を丸くして為す術なく蹴られ続けるタカヒサ。

タカノと呼ばれた生徒は声を発する事も出来ず。目の前の狂気じみた光景を前に動く事が出来ない。


やりとりを見守っていた数人の生徒や通行人の間にも諦めが広がり、恐怖から足を速めてその場を通り過ぎていく。

彼らと同じように見過ごして通り過ぎようと思っていたカナタだったが、


「ヒーロー気取りが調子こいてんじゃねぇぞっ!」

「よえーやつは大人しく死ね!」


不良達から上がった言葉にカナタ中で何かのスイッチが切り替わる。

それは正義感なんて素敵な感情ではない。

彼が子供の頃から経験し続けてきた特殊な環境が作りあげた特殊な思考。

暴虐をより強力な暴虐で塗りつぶしたいという嗜虐的で真っ黒な感情。


「丁度昨日見たDVDの技試したかったし。実用性はやっぱ実戦で確かめないとなぁ」


誰に説明する訳でもなく1人でそう呟いた後、カナタは動き出す。


「あっ君。これよろしく」

「えっ!あっ?えっ?」


近くで同じように様子を見守っていた男子生徒に、持っていたカバンを押し付ける。

驚き呆気にとられる生徒を余所にカナタは体の向きを変える。

覇気のなかった目に猛禽の様な獰猛さを宿すと、不良生徒の一団に向かって勢いよく駆けだす。

急発進したカナタはガードレールを軽々と飛び越えて道路を渡り、

10m程の距離を瞬く間に詰めると、一番近いところに立っていた黄色い頭の不良生徒に向かって飛び掛かる。


「グゥウウウウテンッ モォルゲェエエンッ!」


ドイツ語の元気な朝の挨拶と共に相手の背中に向かって思いっきり両足を突き出す。

加速と跳躍の威力が乗り切った両足が伸びて、固い靴底が相手の背中にめり込む。


「うぁっ!ぶへぇええ」


完全に予想外の不意打ちを食らった黄色頭は物凄い勢いで真横へ吹っ飛ぶ。

そのまま数度地面を跳ね転がった後、ピクピクと痙攣し気絶する。


突然の出来事に全員が気絶した不良生徒へ視線を向けたまま硬直する。

その間に、まるで新体操選手の様な身のこなしで華麗に着地を決めるカナタ。


「なっなんだぁ!」

「大丈夫か田中ぁっ!」


狼狽えている不良連中を余所に、カナタは次の狙いを定めると体を横に捻りながら飛び上がる。

アイススケート選手の様に体を横回転させながら右足を後ろへと振り抜く。

青頭の不良生徒の顔面に真正面からローリングソバットが突き刺さる。


「ぶふっ」


鼻の骨の砕けた音と感触がカナタの足を伝い、仰け反る青頭の口から折れた上下の前歯が飛び出して空中を舞う。

空を仰ぎながら後ろへ倒れこむ相手から視線を外し、流れるように次の獲物へ狙いをつける。

対して二人の仲間をやられた状況になってようやく不良生徒達が事態を飲み込む。


「んだっ!こりゃぁあああ!」

「何しやがるチクショー!」


右拳を振り上げて殴りかかってくるピンクのモヒカン男。

カナタはその動きに合わせて右手を伸ばす。

向かってきた拳の手首部分を狙って右腕を振って払いのけ拳の軌道を逸らす。

そのまま前進しながら相手の拳を払った右拳を握りこみ、腕で相手の顔を巻き込むように腕を振りぬく。

ラリアットをモロに食らった相手は派手に背中からアスファルトに叩きつけられて悶絶する。


「ぐぅえぇええ」

「くそったれがぁ!」


ピンクモヒカンを叩き伏せたカナタの背後から緑頭が掴みかかろうと近づくが、


「残~念っ!それ知ってる」


笑いながら振り返り正面から相手に向かい合うと、相手の手が届くより前に背を後ろに逸らしながら飛び上がる。

直後、緑頭の顎をカナタの靴のつま先が鋭く蹴り上げる。


「ぐじゅぶっ」


空中で円を描く様に一回転して繰り出されたサマーソルトキックを喰らい、

鈍い呻き声をあげ緑頭の体が2秒ほど宙に浮かび、着地と同時に後ろへ向かって倒れこむ。


瞬く間に仲間をやられて最後の1人になり、

リーダー格の赤髪が周囲に倒れた仲間を見回し表情を強張らせる。

その瞳から狂気と戦意という熱が急速に失われ、代わりに怯えの色が色濃く浮かび上がる。


「なんなんだテメェはっ!」


悲鳴に近い声で叫ぶ赤髪。犬の様に吠える相手をカナタは見ていない。

頭の中では既に最後への流れをシュミレーションし終え、状況を締め括るべく動き出す。


「チックショオォオオオ!」


雄たけびを上げながら自身を奮い立たせた赤髪が拳を振り上げてカナタへと走り出す。

だが、恐れからか腰が引けている為まるで脅威を感じない。

腰の入っていない右拳を首を振って容易く躱し、姿勢を低くし相手の右脇を抜けて背後へと回り込む。

完全に相手の背後を取った状態で両腕を相手の腰に回し、両手をフックのように重ねて逃げられないようにガッシリとロックする。


「頭抑えた方がいいですよセ・ン・パ・イ」


背中越しにイタズラっぽい悪魔の笑みを浮かべるカナタ。

言葉の意味を赤髪が理解するのを待たずにその足の裏が地面から離れる。

腰を落として両腕と両足に力を籠めると、二人の体が真後ろに向かって反り返る。

勢いよく引っこ抜かれる根菜の様に赤髪の男が後方へと引っ張られ、浮遊感と共に目の前の景色が足元へ向かって流れていく。


カナタが昨夜見たDVD『新録・プロレス列伝』でヒール役のマスクマンが放った技が高い完成度で赤髪の身に炸裂する。


「ぎゅうっ」


短い悲鳴を上げて後頭部からアスファルトへ叩きつけられた赤髪の生徒。

かろうじて両腕で頭を守れた様で大怪我はなんとか免れる事が出来た。

だが、その衝撃を受けきれなかったらしく白目を剥いて気を失う。


どうやらテンカウントは必要ないらしい。

カナタは相手が完全に沈黙した事を確認すると両腕のロックを外してブリッジを解く。


「決まり手はジャーマンスープレックス。完璧だったな!」


何が完璧なのかは不明だが、目の前に倒れた5人の不良生徒を見回し満足そうに呟く。

眼前で起こった出来事に呆気にとられるタカヒサ。

タカノや周りで見ていた生徒、通行人すらその事態を前に呆然と立ち尽くしている。

呆気にとられる周りの反応等気にも留めず。

軽やかな足取りでカナタはカバンを預けていた生徒の下へと戻る。

カナタの接近に気付いた生徒が慌てた様子でカバンを差し出す。


「どっどーぞ!」

「あんがとさんっ」


差し出された自分のカバンを受け取ると、何事もなかったかのようにカナタは学校へ向かって再び歩き出す。


「なんだあれ・・・。」

「すっげぇ」


事態を傍観していた周囲の人間が口々に感嘆の声を漏らす。

彼らの中には朝から嫌な光景を見せられた嫌な気分等既に霧散している。


ほんの数分の間に起こった大立ち回り。

カナタは知らなかった事だが、気を失っている不良生徒達は学校の内外でも有名な悪党で、

学校や地元警察すら手を焼いていた不良グループだった。

そんな彼らをまるで寄せ付けずに一方的に倒した謎の生徒の活躍は、

観衆の目から見ると、さながらヒーローショーの様に映った。


暴行を受けて痛む体を起こしながら立ち上がるタカヒサにタカノが肩を貸す。


「ごめんね。タカヒサ君」

「痛てっ。いいって結局なんもできなかったし」


立ち上がったタカヒサは学校へ向かうカナタの背中を目で追う。

パッと見た外見だけなら自分よりも細身の男の活躍に胸が熱くなる。


「すげぇ奴がいたもんだ」

「ほんとあんなのゲームでしか見たことないよ」


2人は羨望の眼差しでもって坂の上に向かうその背中を見送った。




この朝の通学路で起きた事件は後に「桜木坂ハリケーンスープレックス事件」と呼ばれ各所に知れ渡る。

結果として当然、目撃した生徒や保護者の口から学校へ伝わり、

カナタは登校直後に生徒指導室に呼ばれた挙句。

教師達から長時間にわたる説教を受ける羽目になった。

ちなみに相手の不良グループは揃って病院送りレベルの重傷を負っていたそうだ。

正規のリングの上ならともかくコンクリートの上でプロレス技をまともに喰らえば当然と言える。

その後、転校初日に生徒同士で揉め事を起こした上ケガまでさせたカナタには一カ月の停学処分が下された。

初登校にも関わらずカナタは何もしないまま家に帰され、それから1か月後の停学明けにようやく教室に顔を出したカナタにクラスメイトの大半が引き気味だった。

彼の起こした事件を考えれば、恐れて近づいてこないのも頷ける話だ。

ただ、彼に助けられたと思っているタカヒサとケイだけは、周囲とは対象に積極的に近づいた。

学校というものに不慣れなカナタに、二人が協力を申し出た事で今では共につるむ間柄になった。




夕刻、ホームルームが終わった教室。

他の生徒が次々と教室を出ていく中、カナタ達3人も帰り支度を済ませ揃って教室を出る。


「せめてもうちょっと女子ウケを良くしたかった」

『何を言ってんだか』


カナタのボヤキにタカヒサとケイの二人が声を揃えてツッコミを入れる。

まるでモテない童貞3人は不毛な会話で盛り上がる。

思春期の若者、異性への悩みは勉学以上に重要なのだ。


バカ話を繰り広げながら廊下に出る3人。

身長、体重、趣味も好みも違う彼らだが、短い付き合いでも妙に馬が合う。


「なんで俺の周りにはムサい野郎とヒョロイオタクしかいねぇんだ」

「言うなよ悲しくなるだろうが・・・あっ、ちょっと涙出た」

「僕は2次元に嫁がたくさんいるから・・・。さっ三次元になんて興味ないよ」

『・・・・・・』


三人が暗い顔で下を向きながら口を閉ざす。

自分たちで始めた話でダメージを受けている辺り三人揃ってアホな様である。


重苦しい空気と沈黙に耐えられなくなったケイが話題を変えるべく言葉を発する。


「そんな事よりさ。新しいゲーム手に入ったから今日ウチ来ない?」

「ん?俺はいいけどタカヒサは?」

「あ~俺はパス。県大会近いから部活漬けだ」


申し訳なさそうに丸めた頭を掻くタカヒサ。

タカヒサの言葉にケイは少し残念そうにするがすぐに笑顔で返す。


「流石ウチの学校の期待の星だねぇ」

「打ち込むものがあるのはいい事じゃん」


ケイの言葉にカナタが頷きながら続く。

実質2カ月程度の付き合いだが、そんじょそこらの友達同士より気心は知れている。


その時、廊下の奥からタカヒサを迎えに来たらしき数人の生徒が見えた。

タカヒサと同じ様な見事な坊主頭の生徒に混じって女生徒が笑顔で手を振っている。


 「タカヒサー早くいかないとセンパイにどやされっぞ~」

 「タカヒサく~ん。はやくいこ~」


呼びかけられたタカヒサが軽く手を上げて彼らに応じる。


 「悪い!今行く!んじゃ二人ともこの埋め合わせはそのうち・・・な・・?」


野球部の仲間の下へ駆けだそうとするタカヒサだったが、その肩が力強く掴まれる。

驚いて振り返るタカヒサの前には血走った眼で覗き込むカナタ。


 「タカヒサァアアア。お前程のアホならばないと思うが・・・モテたら分かってるんだろうなぁ」

 「スポーツやってるだけでモテてりゃ苦労しないって」


カナタの鬼気迫る表情に気圧され、顔を引き攣らせながらタカヒサが答える。

助けを求めるようにケイの方へと視線を向けると、彼はにこやかにスマホをいじりながら答える。


 「タカヒサ君の分の藁人形と五寸釘買っとくよ!」

 「おいっ!」


カナタの後ろで検索サイトに「藁人形 五寸釘」と打ち込むケイの手からスマートフォンを取り上げる。

バカなやりとりを繰り広げる3人を遠目に見て野球部の仲間が苦笑する。

一通り喚いた後、部活へと向かうタカヒサを見送って2人で校舎を後にする。




沈みかけた日の光を背に浴びて駅へと続く商店街のアーケードを歩くカナタ。

登校時程の熱気はないが体に纏わりつく空気の熱が夏の到来を感じさせる。


日本に戻ってまだ2カ月の短い間だが、ここ数年の間では久しくなかった充実した日々を送っている気がする。

カナタはそんな風に感じ始めていた。だがそんな日々も終わりの時はやってくる。


相も変わらず下らない話をしながらケイの家へ向かって歩いていた時、

不意にカナタのポケットに収められている携帯電話ガラパゴスが鳴る。

気合の入ったラッパ音と三味線がアンマッチしたメロディーにケイは苦笑する。


「言っちゃなんだけど相変わらずダッサイ着メロだね」

「うるせー。ほっとけよ」


B級のドマイナーヤクザ映画の主題歌を16音で奏でる携帯電話を取り出し、

表示された画面を素早く確認する。

表示された相手の名前に一瞬指の動きが僅かに止まるが、すぐに気持ちを切り替え通話ボタンを押す。


「カナタです。・・・はい・・・・はい了解です。それでは今から向かいます」

「どうかした?」


先程までと少し様子の違うカナタに向かってケイが尋ねると、カナタは少し考えるそぶりを見せた後、肩を竦めながら答える。


「悪いなケイ。急なバイトで行かなきゃいけなくなった」

「そっかぁ~。じゃ仕方ないね。ゲームはまた今度誘うよ」

「そうしてくれ」


ケイに詫びを言ってから、カナタは短い溜息と共に歩いてきた道を戻るように足を踏み出す。


「んじゃ。ちょっと急ぐ。・・・じゃあな」

「また明日」


ケイの言葉を背に受けながらカナタは来た道を走り出す。

カナタの背中が見えなくなるのを見送ってからケイもまたその場を離れた。



  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  



時刻:20:00



桜木坂高校のある町のはずれに4階建てのコンクリート製ビルが一棟立っている。


築20年を越えた灰色のビルの壁面にはびっしりとコケが生え、陰気な雰囲気から誰も近寄らない。

おかげで付近の住人すら誰もここに営業している会社が入っている事を知らない。


そんなボロビルの中、外からは見えない地下の一室に一件の事務所がある。

窓一つなく防音処理のされた事務所の一室にカナタはいた。

室内にはカナタの他に8人の見るからに屈強そうな体格の男達。

男達は皆室内に用意されたパイプ椅子に思い思いに腰かけている。


彼らの容姿はまちまちで肌の色も髪の色も瞳の色も違う。

皆、人種も国籍も趣味趣向の違う男達だがこの場では唯一統一されたものがある。

カナタを含めて男達は揃って、黒色の戦闘服に黒の防弾ベストを身に着けている。

その姿を見ればどんな素人目に見ても彼らが堅気の人間でないことが分かる。


彼らは"傭兵"。それも1人1人が並み以上の戦闘経験を持つ歴戦の猛者。

そのプロ達と同じ環境に身を置くカナタもまた少年期より戦場を駆ける1人の戦士だった。

彼らは民間軍事会社(PMC)『GALAXY BEAST』に所属する社員である。


この場に集められたかれこれ1時間近く経つが、

誰1人口を開くこともない静かな空間で、壁に掛けられた時計の針の音だけが響いている。


その時、部屋の奥の扉がゆっくりと開かれる。

中からもっさりとした口髭を蓄え、キラリと光りを反射する禿頭が特徴的な大男が姿を見せる。

大男の登場に併せて全員が一斉に椅子から立ち上がり、一部のズレもなく敬礼をする。

男たちの敬礼を一身に受けて、禿頭の大男が右手を挙げて彼らを制する。


この大男は「GALAXY BEAST」副社長であるダスク・グラスマン。

屈強な外見通り社内でも指折りの猛者であり、カナタの身元引受人兼保護者である。



ダスクはゆっくりと部屋にあるスクリーンの前に移動し、一同を見渡すと全員に着席を促す。

全員が素早く着席したのを確認したところでゆっくりと口を開く。


「待たせたな諸君。これよりブリーフィングを始める」


ダスクがそこまで話すと、部屋の中央に鎮座しているプロジェクターが起動し、

ダスクの背後にある白いスクリーンに一枚の航空写真を映し出す。

映し出されたのはここから車で3時間程の場所に建てられた白い工場のような建物。

その建物をポインターで示しながらダスクが話を続ける。


「以前より調査していたテロリスト『明星の狼』の拠点が判明した」


その言葉にその場にいる男達の放つ空気が変わる。


『明星の狼』は1年前に突如現れ、日本を恐怖に陥れたテロリストグループ。

起こした事件は60件以上、被害者は1000人を越えたと聞く。

彼らの起こした事件のせいで日本はその防衛力の低さを露呈し、世界でも数少ない安全国としての信用は地に落ちた。

日本政府も当初は躍起になって彼らを追っていた様だが、まるで尻尾を掴めず。

常に後手後手に回って被害は拡大し続けていると話に聞いている。


ダスクの話によると日本という国の性質上、犯人達を殺す命令を出す事は難しく。

自国の警察や自衛隊に死者を出せば国政批判の対象になる。

だからといって他国の軍隊等の介入をさせると内政干渉を招きかねない。


そこで今回彼らが頼ったのが海外の対テロリスト部隊のある軍事企業。

彼らを極秘裏に雇い入れてテロリストグループを壊滅させ、手柄を自国の組織のものとする事が狙いらしい。

仕事に見合う金さえ支払えば彼らの様な軍事企業が大っぴらに情報を漏らすことはない事が最大の理由なんだろう。


「今後、日本国という大口のお得意様を作る為の大事な作戦だ。失敗は許されない」


ダスクの言葉に全員の目がギラリと獰猛な獣のような輝きを放つ。

彼らの目の光にダスクは満足そうに頷くとニヤリと邪悪な笑みを浮かべる。


「日本のテロリストがどれ程のものか知らないが、本職の人間敵に回したらどうなるか教えてやれ野郎共!」

「サーッ!イエッサー!」


ダスクの声に合わせて全員が声を上げて敬礼を返す。

間もなく始まる血の宴に戦士達のボルテージが高まっていく。

仲間達のやる気に満ちた様子に1人冷めた目を向けながら、カナタもまた戦場へ思いを馳せる。




だが、カナタは知らない。この夜の戦いが変える事になる己の運命を・・・。



各話のナンバリングと表現を大幅に修正、加筆を行いました。

初投稿とはいえもうちょい見直しとくべきだったと反省。

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