後編
彼女と向き合い話してから、半年が経過した。
「あっ、おかえりなさい」
ぱたぱたと足音を立てて近寄ってくる未羽に頬を緩める。
あの後、結局俺は彼女と交際するばかりか、同棲まですることになった。いろいろお互いに勘違いや行き違いがあり少しもめてしまったが、今ではさほど不便もなく過ごしている。
もっとも、単身で乗り込んできた彼女に押し切られるように始まった関係だったが、自分でも首をかしげたくなる程この関係は良好だ。さほど部屋数がなくとも、書斎である一部屋だけは入らない約束をしているので、プライベート空間も持っている。
まぁ、何も始めから問題などなかったとは言わない。同棲を始めた頃こそ「仕事に行かないでください!」と、可愛らしいことを言われて困ったものだ。
「それじゃあ、君を養っていくこともできないよ?」
「うっ……じゃあ、私がかわりにたくさん稼いできます!」
真剣なまなざしでそう言われた時は、本当にどうすればいいのかと頭を悩ませた。だが、彼女も世間知らずのお嬢様という訳ではない。学生という身分で二人生活していくには無理があると分かっているようだから、うまくそこを利用して説得した。
「稼ぐって言ったって、簡単じゃないのは分かっているでしょう?」
「そ、それならっ。いっそ大学を……」
「ご両親には無理を言って同棲しているんだよ?大学を辞めるなんて言ったら、即同棲を解消させられちゃうね」
ことごとくダメ出しをした所為か、彼女は見る見るうちに肩を落としうつむいてしまう。
「―――でも、翔さん、お仕事が忙しくなると帰って来られないような時もありますよね?」
それが寂しいんですとうつむかれ、慰めるように頭を撫でた。
「うん。じゃあ、今後はなるべく早く帰るようにするし、飲みの誘いも断るよ。それで、一つ提案があるんだけれど」
「なんですか?」
「俺はこの通り仕事で遅くなることも多いし、せっかく一緒に暮らしていてもすれ違いになるかもしれない。それではあまりに寂しいから、今のバイトは辞めて俺の帰りをこの家で待っていてくれないかな?」
思わぬことを聞いたという顔に、本気なのだとうなずいて見せる。
「えっ…でも、そんなことしたら、お金が……」
「それこそ、俺が稼いでくるから問題ないよ」
多少変わった子だとは思うが、俺にとっては負担でもなんでもないし、彼女との今後を真剣に考えているのだ。本当は今すぐにでも籍を入れる覚悟もあるのだが、学生であることを考慮して婚姻届をだしてはいない。
可愛らしく出迎えてくれた未羽に軽く挨拶をしてからは、いつものように二人食事をしてのんびり過ごした。遅くなる時もあるから食事は先にとって構わないと言っているのだが、いつも彼女は俺の帰りを待ち、温かい食事を出してくれる。少し独占欲が強い点には驚かされることもあるが、二人の生活は予想以上に快適だった。今日も先にぐっすり眠ってしまった彼女を一人寝室に残し、書斎の鍵を開ける。
「嗚呼、やっぱり落ち着くな―――」
そこには、大量の写真が飾りつけられ、俺を出迎えてくれる。
もちろん映っているのは、愛しい彼女の写真たちだ。棚には、彼女との思い出の品や記録や報告書が所狭しと並べられている。さすがに仕事中まで彼女を見つめている訳にはいかないので、未羽の行動を逐一探偵に報告させていた。
「この女が、貴方を追いかけまわしていたストーカーです」
「この子が……」
「証拠は充分そろいましたし、もしお望みでしたら一緒に警察にも伺いますが?」
「え?いや、別に大丈夫です。必要ありません」
あまりにあっさりした俺の反応に困惑していた探偵も、今では無駄な事を言わず事務的な作業に徹してくれている。女性を付け回すなど本来許されないことだと途中からは主張していたが、多めに出した報酬で仕事だと割り切ってくれたようで何よりだ。
何故かはじめ探偵は、俺がストーカーへ証拠を突きつけようとしているのだと勘違いしていたようだが、未羽の行為を迷惑だと思ったことなど一度もない。むしろ、写真の中で今か今かと俺を待ち伏せする姿はあまりに可愛らしく、何度直接話しかけようとしたか知れない。彼女の名前を知ったのも、大学での生活風景やバイトの出勤状況を知ったのも、全て専門の人間に調べさせた結果だった。はじめは視線を感じるばかりで、誰がこんなことをしているのか突き止めるつもりだったのに…。その相手がもともと好意をよせていた彼女で、一途に俺を想ってくれているのかと思えばその印象はがらりと変わった。
かねてからの不満も、取り除くことに成功した。アルバイトとはいえ、引継ぎなどの関係でなかなか辞めさせることができなかったが、それも数か月前にようやく解決して気分が良い。
「彼女から、もう珈琲を買うことができないというのも、少し残念だけれどね…」
特に目立った制服があったわけではないが、エプロン姿の彼女を眺めるのは一日のうちで一番の楽しみと言っても過言ではなかった。それも今となっては、もっと私生活の部分まで見ることができるのだが。
秘密裏に手に入れた彼女の私物を見て、触れる。
何てことないペンだというのに、彼女が仕事を覚えようと必死に握っていたそれだと思えば大切に思える。
「ふふっ。ペンが無くなって焦る彼女は、可哀想だったけれどそれ以上に、可愛かった」
しばらくペンを眺めてからそれを置き、他のものへ視線を移す。こうしていると、何故その現場に立ち会えなかったのかという不満が押し寄せてくることも少なくない。だが、日付ごとに整理した大量の写真は、それがどんな状況だったのか教えてくれる。こうしていると、まるで自分自身がその場にいるような気にすらなってくる。付き合うようになってから自分で撮ったものと、探偵に撮らせたもの。それらはデータだけでも膨大な量になるのだが、こまめにバックアップをとることで一枚も消すようなことはしていない。
「そろそろ、ファイルをまとめないと見づらくなってきたな」
一日に撮る写真だけでも膨大な量だから、うまくまとめないと可愛い姿を見逃してしまいそうだ。
現在は、彼女が登録したGPSでお互いの場所がわかるし、この家に設置したカメラで、仕事中でも彼女の様子を窺うことができる。未羽にはこんな事しているなんて秘密だが、たとえ知られても離れている時間が寂しくて堪らなかったのだと言えば理解してくれるだろう。
なにせ彼女と同棲でき、外出を控えるようにお願いしてからというもの、心細くて仕方がなかった。いつも陰ながら見つめてくれていたし、一人の時も傍にいるような気がしていた。ずっと傍にいた彼女がいざ近くにいないとなると、さびしくなってしまうのだ。
その代わり、彼女が事故にあう危険性は減ったし、他の男に目をつけられる心配も少なくなった。バイトをしていた時など、何時どんな男に目をつけられるか心配で気が気じゃなかった。俺が来るころを見計らってシフトを組んでいると知ってからは、健気な様子に責める気も薄れたが。
―――だが、着実に彼女を俺の手の内に収めることができるようになっている。
これまでGPSや探偵からの報告で行動は把握できていたが、今後も何も起こらないとは限らない。
「もしも他の男にちょっかいを掛けられるようなことがあれば、大変だもんな」
ましてや、他の人間に目を向けるようなことがあれば……許せない。彼女を初めて家へ招いたときは、探偵を雇っていることが知られてしまったかと怯えもしたが。考えてみれば、未羽は俺が彼女に興味を持つ前から見つめてくれていたのだ。
少し暴走してしまった俺の気持ちも、ゆくゆくは理解してくれるかもしれない。
俺は彼女ほど真っ直ぐでも純粋でもないから、こんな風に不安を取り除くことしかできないのだ。意外なことに、未羽は俺を盗聴することもなく、ただただ周囲をうろついていただけらしい。それから考えれば、俺の行動の方がよっぽどイカレているだろう。
お守りだと渡したブレスレットには盗聴器が仕込んであるし、他にもいろいろ仕込んである。彼女は嫌がるかもしれないから、友人を買収するようなことはしていないが、同性であろうと俺以外が傍にいるのが許せなくて、遠ざけようとずっと画策している。
その証拠に、付き合う前より格段に出かける回数が減っている。
「ふだん寂しい思いをさせているから」と彼女を納得させ、些細な買い物も共に行くようにしている。これで他の人間が付け入るすきがあった方が驚きだとは思うのだが、心配しだすときりがない。きっと、これからも彼女を自分に縛り付けるため、いろいろ動いてしまうだろう。そんな不自由をさせる罪滅ぼしという訳でもないが、俺だけはずっと彼女のそばにいると神へ誓おう。
「嗚呼、愛しているよ未羽」
檻の中へ、彼女一人を閉じ込めたりなんてしない。
一生、共にこの幸福な檻の中で二人、過ごしていこう。
実は、前編の最初にあった台詞は、翔が言っているものでした。
どちらかというと、ぞわっとする仕上がりになりすみませんでした。また、少し時間が空いたのに、企画に参加させて頂き有難うございます。次話でちょっとは怖いままで終わらないようにあがきましたので、よろしければおつきあいください。
おまけに、本当に二人はほとんど話したことがなかったので、翔が知っていた内容は真っ当な方法で得たものではありません。彼女はバイト先でも苗字で呼ばれているので、名前すら知らないはずでした。意外と、未羽は待ち伏せ行為と発言以外はまともです。それを含めて見返していただけると、違った印象になるかもしれません。