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屋敷にある動かなくなった自動人形は、全部で四体。老年の庭師に、長髪のメイド、老年のメイドに家庭教師。再び彼らの様子を見ていったが、やはり動くことはなかった。
「そもそもの話なんだけれど、ティノ、あなたには古式人形と自動人形の見分けはつかないの?」
再び部屋に戻っての作戦会議で、メイベルが言った。机の上にはリベリオが作ってくれ料理が再び。太陽の位置がこれだけ高くなっても、自体は何一つ進展していない。
「動いてるか、動いてないかでしかわからないよ。もちろん中身を解体したら違うのかもしれないんだけどさ」
そもそもティノは自動人形の仕組みをしらない。もし古式人形とそんなに大差なかったから、それでもわからないだろう。
「人間とも見分けつかないし…」
リベリオのように精巧なものは、本当に見分けがつかない。そういえば、彼が口にしていた霊水は本物だったのだろうか。
「あれは本物の霊水よ」
ティノの疑問に、メイベルはあっさり答えてみせた。
「そうなの?」
「私は本物の霊水を見た事があるのだけれど、あの水の色はそうだわ」
「じゃあやっぱりリベリオさんは本物の自動人形なんだ」
「わからないわよ。あれぐらいじゃ」
「でも本物の霊水だったんでしょう?霊水って人間が飲んで平気なものなの?」
「…それはわからないわ」
メイベルは少し不機嫌そうにそう言った。ティノはやはりリベリオが嘘を吐いているとは思えなかった。それにやはり、そんなウソを吐く理由が無いように思える。
「あ、でもティノ。あなたあの動かない自動人形たちの声は聞くことができたのでしょう?あなた、自動人形の声もわかるの?」
「うーん…」
メイベルに問われて考えてみたが、そもそも自動人形はしゃべれるものが多い。ティノじゃなくても彼らの声を聞く事は簡単なのだ。
「でも、あの人形たちって、今はもう古式人形と変わらないんでしょ?だから聞こえたんじゃないかなぁ…」
稼働する自動人形と、動かない自動人形の違いは、霊水だとリベリオが言っていた。もしかすると、ティノの人形の言葉を聞く能力は、霊水の有無にもよるのかもしれない。
「コルネリア様も実は、元々自動人形だった…なんてことありえないかなぁ」
それなら霊水がなくなり、あるいは摂取できないようになって古式人形と変わらなくなったという事があり得る。
「面白い発想ね。でも使用人の話を信じるなら、彼女はちゃんと成長していたし、人形の彼女と人間の彼女は材質も違うみたいだったじゃない」
確かにそう言っていた。話を信じるのなら、ね、とメイベルの声がさらに言った。しかし疑ってばかりでは何も話が進まない。
「コルネリア様は…本当に人間だったのかなあ」
「わからないわ…でも、人間を人形に変えるなんて、本当にそんな事ができるとしたら、それは錬金術師だけでしょうね」
「…錬金術師?」
錬金術師…それはもっとも崇高な研究者たちを指す言葉だった。といっても、そう言われているということを、ティノは知っているだけである。つまり何もわからない。
「ティノ、あなたいくらずっと家にこもって人形の世話をしているからって、錬金術師くらいは知っておかないとダメだと思うわよ」
「し、知ってるよ僕だって錬金術師くらい。自動人形を作った人でしょう?」
自動人形を発明したのは“生命の錬金術師”と呼ばれる男だという事は、小さな子供まで知っている事だ。それだけその錬金術師は偉大だ。
「その錬金術師がどんな人なのか、あなたちゃんとわかっているの?」
「う…えーと、とにかくすごい…研究者」
「仕方ないわね」
メイベルがため息交じりの声でそう言った。たかが小さなアトリエの見習い人形師が、錬金術師とかかわるなんて事が無いのだから仕方ない、と心の中だけで言い訳しておいた。
「錬金術師というのはね、概念を超えた者の総称よ」
「概念を超えた…?」
メイベルのざっくりとしたその説明は、そのままティノの耳と頭をすり抜けて行った。どういう意味なのか、まったく想像もつかない。
「たとえば、人はいずれ死ぬ、壊れたものはもとに戻らない、時間は前に進み続け後ろに戻る事はない。そういう、変わる事のない人間の共通概念…常識よりさらに遥か深淵でつながる共通意識があるじゃない?」
「は、はぁ…?」
それはなんとなく理解できた。たとえ国や言葉が違っても同じで、誰に教えてもらうわけでもない、概念。生きていくうちで、あるいは生まれた時から人が抱え、人を閉じ込める檻のようなものだろう。
「錬金術師はそういう概念を超えた存在なのよ」
「話が壮大すぎてわからないよ…」
話だけ聞いていると、それはもう魔法使いではないだろうかとティノは思う。素直にそう言うと、メイベルはため息を吐いた。
「魔法使いみたいなものだと、私も思うけどね。そうね…でも、ほら、そこに石が落ちているでしょう?」
ティノが足元を見ると、確かに石ころがひとつ転がっていた。ティノはそれを拾い上げた。
「この石が金に、あなたには見えるかしら?」
「えっ。見えないよ。ただの石ころだよ」
灰色で、ところどころ黒い、何の変哲もないただの石である。丸くてつるつるした肌触りで、落とせば割れるかもしれない。金の輝きには到底及びつかないだろう。
「そうね、その石と金では、成分も違えば概念だって違うわ。この石は、石ころを形成するモノで成り立っているし、金は金を形成するもので成り立っている。でもね、この石を、この石のまま金に変える事はできると思うかしら?」
「こ、この石を…?そりゃ中から金でも出てきたらなるかもしれないけど…」
「そういう事じゃないの。この石は完全に金とは別の物質でできているとして、これを金に変える事はできるか、そういう事よ」
「そんなの、無理だよ」
石は石だし、金を含まないなら、金には成る事ができない。ティノは素直にそう考えた。
「でもね、考えてもみて。この石だって金と同じところがあるわ、固いところとか、岩窟で見つかるとか、砂の中にあるとか。そういう共通点たくさんあるでしょう?それらをたくさん集めれば、これが金だといってもおかしくなくはならないかしら」
「えっえ…いや、そんなのただの屁理屈っていうか…」
共通点がたくさんあれば、それは同様のもの。そんな事を認めれば、それこそ石と金という概念が無くなってしまう。
「そうね。これはただの理屈にすぎないわ。だけど、それを現実に現す事ができた者を錬金術師と言うのよ」
「…現実にって…それはつまり、この石ころを、この石ころのまま金に変える事ができる人ってこと?」
「そうよ」
メイベルは平然と言ってのけたが、ティノには理解できないくらい、壮大な話だった。
「そんなのどうやって…」
「それがわかれば、貴方も錬金術師になれるんじゃないかしら?」
それも、そうだ。わからないから錬金術師は偉大なのだろう。それが概念を超える者、という意味か。ティノはなんとなく、薄ぼんやりと理解した。しかしこれ以上考えると頭がおかしくなりそうだったので、考えないことにした。
「なるほど…なんとなくわかっ…たような気がしないでもない」
「もうそれでいいわよ。とにかく、この世には偉大な三人の錬金術師がいるわ。それぐらいはあなたも知っているでしょう?」
偉大な三人の錬金術師。それもこの国の人々ならだれもが知っているだろう。よく子供が読むお伽噺なんかにも出てきて、人々にいろんな力を与えてくれる役割を果たしている。子供ならば信じただろうが、まさかそんな神のような人が本当にいるとは、大人ならば思わないだろう。
「えっ。まさかその人たちって実在してたとかって話…?」
「そのまさかだわ。もちろん、お伽噺なんかに出てくる彼らは創作よ。現実はもっと違う人間でしょうね。歴史にあまりに大きな業績を残したけれど、それが壮大すぎて常人には理解できなかったのでしょうね。お蔭で神や魔法使いみたいな、万能の存在として物語では扱われているわ。まさかそれも知らなかったなんて事言わないでしょうね」
「ち、違うよ…!錬金術師が存在してた事くらいは知ってるよ!ただ、そんな魔法みたいな力があったとかは思わなかっただけで…」
しかし人間のような人形を作るだけで、それだけでもう魔法使いのようなものかもしれないとティノは改めて思った。これ以上メイベルに馬鹿にされてはたまらないと、幼い頃読んだ本をティノは必死に思い出した。
「確か…生命の錬金術師と、喪失の錬金術師と、不死の錬金術師…だよね?」
ティノの問いに、メイベルは肯定を返した。その三人の名が、もっとも偉大な錬金術師として知られている。ただこれは呼称であるが、名前はよく知られていないのだと、メイベルは言った。
「錬金術師に関して言える事は、こんなところよ」
メイベルにそういわれて、ティノは当初の話を思い出した。確か、人間を人形に変えるなんて事ができるのは、錬金術師ぐらいなもの…そういう話だったはずだ。
「そうか…確かに、錬金術師だったらそんな事ができちゃうのかな?でも、そしたらわざわざ人形なんかにしなくても、不死とか命とか言うなら、人間のままで死なないようにする事もできたんじゃないのかな?」
「錬金術師にも個人差はあるわ。それに万能ではないの。彼らの力がそこまで大きかったのなら、今頃きっと人間はみんな不老不死よ。それに…」
そこでメイベルは一旦言葉を切った。
「それに、もしそこに病にもかからない、老いもしない、死にもしないモノがいたとして、ティノはそれが本当に同じ人間であると思えるかしら?」
メイベルのその問いには、ティノは何も答える事ができなかった。
「錬金術か…それって調べる事できないのかな?」
「どうかしら?この屋敷にも本くらいはあるでしょうけど。それこそあの使用人に聞いてみればいいんじゃない」
メイベルの言うことももっともだと思って、ティノは昼食を平らげたあと、食器とメイベルを持って部屋を後にした。