表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/18

5

屋敷から出ない、という条件つきで、ティノの主張は認められた。屋敷の出入り口の鍵は閉まっているし、これを開けるには鍵が必要だが、リベリオしかその鍵は持っていない。完全に人形屋敷に閉じ込められてしまったティノだが、屋敷の中でなら自由にしても良いという条件ももらっていた。

 鍵がなくても、ティノは自分の意思で歩ける人間なのだ。いつ、どんな手段で出ていくかもわからないだろうに、実は随分と甘い条件だなとティノは思った。リベリオは普段の執務に戻ってしまった。ティノに朝ごはんを用意してくれるらしい。


「真相を知りたいっていうのは、リベリオさんも同じって事かな…」

「どうかしらね」


 リベリオは自分自身も疑っていると言っていた、彼にはティノにとってのメイベルのような、その無実を証明してくれる人がいない。ならば、彼の無実は自分が証明してあげたい…そう、ティノは思ったが。それは同時に自分の罪を認める事にも繋がりかねる話なのだ。だからこそ、メイベルはリベリオを疑っているのだ。


「と、とにかく!信用してもらっているうちに真相を突き止めるよ!」

「そうね。閉じ込められてるうちに犯人にされたらたまらないわ」


 犯人にされるのは自分だけど、とティノは思った。


「メイベルは人形だからいいよね…」

「あらそう。じゃあ、あなたも人形になる?」

「………」


 遠慮しときます、という言葉を心の中で飲み込んでおいた。



 ティノ達はまず、壊されたコルネリアの状態を観る事から始める事にした。もしかすると、昨晩人形を診た時に、バランスを崩してしまっていた可能性もある。ティノにとっては、正直その可能性が高くて、怖い事だった。ティノは昨日書いた所見書を取り出して、現在の人形と見比べた。


「コルネリア様は球体関節がついた陶磁器人形だったね」


 輝くばかりの白い、彼女の美しい肌の欠片が飛び散っている。腹部のドレスは無残にも破けて、その下から人形の白い肌と、砕けた石の塊のような色が見えた。おそるおそるドレスを避けてみると、腰のあたりは激しく損傷し、完全に下半身と分離している。胸の下から臍の下にあたる部分までは、完全に粉々で原型がなくなっていた。


「…うう…」


 これが人間だったら、見るに堪えない有様だったろう。人形の声が聞こえるティノにとっては、彼女の声が途絶えた今、人間の死を目の当たりにしているのと変わらない気がした。気分は唐突に落ち込んでいく。


「ティノ、しっかりなさい」

「…わかってるよ、メイベル」


 ティノは首を振って立ち上がる。

ティノにとっての人形の死は、彼女らの声が届かなくなることだった。人形工房では修理もしているため、当然壊れた人形を何度も目の当たりにした事がある。製作途中のばらばらの人形だってある。製作途中の人形は完成して初めて声を聞くことができ、修理途中の人形は、修理が終わればまた目覚める事ができた。しかし修復不可能だったり、修復しない人形は、声を聞くことができなかった。いつからかそれを人形の死だとティノは思うようになっていた。


「コルネリア様…もっとお話ししたかったのに」


 彼女のためにも早く原因を見つけなければならない。ティノは改めて意を決した。


「それで、何かわかったのかしら」

「うん、何もわからないって事がわかった」

「怒るわよ」


 メイベルの冷静な声に、ティノは頭を抱える。そんな事を言われても、ティノはこんな事に慣れていない。そう愚痴ると、メイベルのため息を吐く声が聞こえた。


「じゃあ考えてみなさいな。まずはティノが一番恐れてる、バランスが崩れて自壊したという可能性よ」

「倒れるとしたら横か前だよね。椅子は背もたれがあるし」


 そう考えてから改めて見てみる。彼女は椅子に凭れ掛かったまま倒れていて、上半身は椅子に支えられているし、下半身は一目で違和感を感じる向きだ。


「うん、これは変だ。人形が自分から倒れたになら絶対、顔は椅子から離れるはずだし、人間が倒れたのとそう変わらない感じになるはずだもんね。それに腰部分の損傷…ただ倒れただけにしてはひどい破損具合だよ。ヒビが入って割れたなんて具合じゃない」


 コルネリアが自分で動いたのでなければ、こんな倒れ方はしない。しかし彼女は古式人形。自分で動くはずがないのだ。


「そう。なら、完全に誰か動ける者の仕業だということもわかったわね」

「う、うん…そうなるね」


 たとえば窓が開いていて風に押されて倒れただとか、そういう可能性も消えた。コルネリアが人形である以上、彼女は壊されたのちに動かされてこの態勢になったのだと言えるだろう。そしてそれは必ず、人形を動かす事のできるヒトの意思によるものなのだろう。


「なんだかますます僕の立場が危うくなってしまっただけのような…」

「最初から人為的な事であるぐらい、見ればすぐにわかる事よ。そして倒されてうっかり壊されたのではなく、明確な意思をもって破壊された事もね」


 確かにメイベルの言う通り、破損の酷い腰部分は、そこだけ何かを打ち付けたかのように粉々になっている。この人形…コルネリアを破壊しようという明確な意思が見て取れた。


「でもそんな事ってありえないんだよね…僕でも、リベリオさんでも犯人じゃないっていうんだし…この部屋には誰も入れなかったわけだし」

「私はあの使用人を疑っているけれど」


 メイベルの言葉に、ティノはきゅっと眉根を寄せた。そうでなくてはティノの無実は晴らせないという想いと、彼が無実であってほしいというせめぎあいだ。


「ま、まだわからないよ」

「じゃあ、あなたがやったのかしら」

「…次!次いこう。次はえっと…」


 ティノは部屋の周囲を見回した。当然だが、窓はすべて鍵がかかっていて重そうなカーテンがかかっている。確認したが、割れている窓ガラスもない。そして広い部屋の隅に並ぶ人たちを見つけた。


「そ、そうだ。この人たちに聞けばいいんだ。昨日からずっとこの部屋にいたんだから!」


 他の人にとって此処は見張りのいない密室空間でも、ティノにとっては頼もしい目がそこにはあった。

 部屋には四体の人形がいた。男性が二人、女性が二人でそれぞれ使用人の恰好をしている。年老いた男性と、壮年の男性、少女のような使用人に、髪の長い女性の使用人の四体だ。


「あ、あの少しお話しさせてもらってもいいですか?」


 ティノが人形たちに語りかけると、しばらくして低い男性の声が返ってきた。


「なんですかな、お客人」


 どうやら壮年の使用人の声であるらしい。ティノはそちらを向いた。


「あ、あの…コルネリア様が破壊された事はについてお聞きしたいんですが…」

「おお、お嬢様…」


 深い悲しみの声が、方々が聞こえた。皆、悲しがっているようだ。人形とはいえ、こんな状態の人に聞き辛い事ではあるが、やらなければならない。


「そ、それで…みなさんは昨晩からずっと此処にいたんですよね?」

「ええ…私は此処を動いてはおりませんぞ。他はどうかわかりませんが」


 人形たちは横にきれいに並び、コルネリア…部屋の向こう側をまっすぐ見る形で立っていた。自分で首を巡らせる事のない人形たちは、そこから視界を動かす事はできないのだ。だから隣に並んでいる人形たちが、本当にそこにいたかどうかはわからない、という意味だろう。しかし皆一様に、コルネリアの方は見ていたという事だ。


「あの、じゃあもしかしてコルネリア様が破壊されたところは…?」


 はあ、という深いため息を返したのは老年の人形だった。


「見ていませんわ。わたくし共も、今朝陽の明かりが入るのをみて、初めて気が付いたのです。ああ、お嬢様おいたわしい…」


 そう答えたのは年若いメイドだ。


「暗くて何もみえなかったんです」


 か細い声で、少女メイドがそう言った。どうやら、人形たちは犯人の姿を見ていないようである。すぐに犯人がわかるかもしれないというティノの淡い期待は、儚くも崩れ去った。


「そう簡単にはいかないわね」


 メイベルもため息を吐いている。しかしそれだけ真っ暗だったのだから、ティノがこの部屋で自由に動けなかった証明くらいにはなるのかもしれないと思った。だが、それは人形の話が聞けるティノを信用してくれる事前提だと思い直し、ため息を吐いた。


「でも、音は聞きました」

「ほんと?」


 メイド少女が肯定の相槌を打った。


「どんって音がしました。たぶん、お嬢様が倒された音…そのあと、何か割れる音が響いて…わたし、怖くて…」


 メイド少女の声は震えている。だいじょうぶよ、と年若いメイドが声をかけた。


「そ、そっかぁ…ありがとうございます」

「何も参考にならなくてすまないねぇ。わしらも動く事ができたなら、お嬢様を助ける事ができただろうに…」


 老人形が悲痛そうな声で言う。みんなお嬢様を愛していたのだろう。


「いえ、参考になりました。コルネリア様を壊したものが何なのか、絶対見つけ出したいと思います」

「ええ、有難うございます」


 最後に、年若いメイドが丁寧にそう言った。



 部屋の中で収集できそうな事はもうなさそうだと判断して、ティノは一度部屋を出た。そしてもう一度しっかりと鍵をかける。これ以上後腐れなくするためだ。証拠を隠したと思われないためには、現場の状況をそっくり残しておく必要がある…と、ティノは考えた。そんな事程度で完全に信用してもらえるとも思えないが。


「人形たちも何も見てないのかぁ…ちょっと残念だねぇ」

「そうね…でも音は聞いていたわ。人形が倒されて破壊される音。言われてみれば、私もその音聞いたわ」

「ええっ」


 メイベルの唐突な告白にティノは狼狽えた。


「だってコルネリアの部屋って、ティノの部屋の真上でしょう?私聞こえたわよ。どーんって何かがぶつかる音。あれってその音だったのね」

「もう、メイベルったら…」

「ティノこそ聞こえなかったの?」


 問われてティノは昨晩の事を思い出してみようとしたが、何も思い出させなかった。おそらく、心地良い睡眠の世界に深く潜り込んでいた頃だろう。


「僕、昨日は本当にぐっすり寝てたからなぁ…」

「…なら、ますます怪しいわね、使用人」

「えっ。どうして?」


 ティノの疑問に、メイベルはふん、と鼻を鳴らした。


「睡眠薬でも盛られたんじゃないの?」

「ええっ…何のために?」

「もちろん、あなたに起きられちゃ困るからよ。すべての責任をあなたに押しつけるために」

「ええっ…そんな…どうしてそんな事…」

「理由は何だって考えられるわ。たとえば人形を賠償させるため、とか。コルネリアは本当にきれいな人形だったもの。相当、値が張ると思うわよ」


 メイベルはずっとリベリオを疑っているようだ。それはたぶん、ティノのためなのだろう。


「でも、メイベル…使用人の自動人形がそんな事するかな…?主人を壊すなんて」

「それも嘘かもしれないわ」

「嘘って…それはほかの人形たちが…」


 リベリオが長年、この屋敷で働く使用人人形である事は、他の人形たちも証言してくれていた。


「そもそも、本当に自動人形なのかしら」

「え?」


 ティノは思わず、メイベルのきれいな瞳を見返した。そうしたところで人形の表情が変わるわけではないのに、彼女の瞳が冷たく感じられる。


「メイベル…どうしてそんな風にリベリオさんを疑うの?」


 メイベルは元々、毅然とした性格だった。しかしこんな風に何かを疑うような彼女を見るのは初めてだ。メイベルの言うことを真に受けていたら、ティノは何を信じていいのかわからなくなりそうだった。


「だってティノ、あなたが疑わないんですもの」

「…え?」


 右腕に抱いたメイベルのきれいな銀色の髪が、手にさらさらと流れた。


「あなたが疑わないから、私が代わりに疑っているの。ティノ、あなたは人を…リベリオを疑いたくないあまり、可能性を狭めてしまっているわ。それじゃあ深淵にたどり着くことはできないの」

「深淵…」


 真実のその更に奥。メイベルはそれをいつも“深淵”と称していた。それは錬金術における、究極の真理らしい。深淵。ティノが今対峙しているのは、その真理なのだろうか。


「それにね、ティノ。私はあなたをずっと見ていたわ。だからあなたが犯人ではないと、誰よりも知っているの。…だから他の可能性を疑う。あなたがそれを考えたくないというなら、私が代わりに考えるわ。あなたは一人ではない」

「…うん、ありがとうメイベル」


 ティノはメイベルを両手で抱き直して、軽く抱きしめた。

 厳しくて、でも優しい、ティノのお人形。生まれた時からずっとそばにいてくれた、一番の友達。長く存在していた分、とても物知りな彼女。そして、きっと誰よりもティノの事を理解してくれている。

 一人では今こうして立っている事すらできなかったかもしれない。ティノは両腕でメイベルの重みを感じて、深淵に向けて再び歩き始めた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ