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「うぅふ…おはよう、メイベル…」


 カーテンを開けると、昨日と同じく刺すような陽光が室内に入る。薄暗かった部屋は光で満たされて、ティノの頭の中の闇を無理やりこじ開けてくるようだ。先ほどまでの心地よい闇を、たった一組のカーテンが作り出していたとは思えない。

 昨晩、食事をもらったあと、ティノはすぐに寝床についた。本当は少しメイベルとおしゃべりする予定だったが、ベッドに腰掛けるとすぐに眠気が襲ってきて気を失いそうだったのだ。自分で思っていた以上に疲れていたようである。おかげで朝まで何の障害もなくぐっすりと眠れたわけだが、その代償か、単に疲れが取れていないだけなのか、目覚めは爽やかとは言いがたい。まぶたも、頭も、身体もいろいろと重い気がする。


「ティノ、あなたの神経って細い方だと思っていたけれど、私の思い違いだったようね。生まれた時からあなたを知っているけど、私もまだまだって事ね」


 メイベルのあきれたような声が聞こえて、ティノは手で髪を整えながらそちらを見る。昨日寝る前に傍らの椅子に置いておいたままの彼女がそこにいる。


「ん~、なにメイベル…どういう意味…」

「得体が知れないなんてびくびく怯えてた屋敷で、ぐっすりすやすや眠るんだもの。びっくりする程早い速度で」

「うう…だって僕、疲れてたんだもの…それに、仕事も一応無事に終わったわけだし…昨日の料理もおいしかったし…リベリオさんは良い人だし…なんかこう、ふわふわーっとしちゃって…」

「あらそう。だったら早く顔を洗って着替えてしゃんとなさい。これからまた、その疲れる道を歩いて帰るんですから」

「あー、それ考えると憂鬱…」


 何ならもう一泊ぐらい、この屋敷にいたい、疲れがとれるまでは。と、少し邪な事も考えてしまうくらいには憂鬱だった。何せこの屋敷にいればリベリオが世話をしてくれるし、姉たちにこき使われる事もないのだ。

 しかしそんな甘えは許されるものではないと、ティノはシャツに袖を通して靴を履き、窓を開けて大きく息を吸った。


「はぁー」


 コルネリアが言っていた通り、確かにこの森の空気は心地よかった。それでも彼女の病気が癒える事はなかったのだろうが。


「ねえ、メイベル。あの話って…」


 やっぱり本当の事なんだろうかと問おうとした時、荒々しく扉を叩く音にティノの肩が震えた。


「ティノ様!起きられてますか」


 それはリベリオの声だったが、昨日の優し気な声音と違い、少し険のある荒々しい声だった。何度も叩かれるノックの音もまるで扉を壊しそうな勢いだ。


「あ、はい、起きてます…」


 少し怯えながらも、慌ててティノは扉を開けた。扉の前に立っていたリベリオの目は、やはり昨日のものとは違っていた。荒い息遣いに肩を上下させ、その瞳は悲しんでいるような、怒っているような。ぎゅっと眉間にしわを寄せている。


「あ、あの…なにか…?」

「………」


 リベリオはしばらく何も言わずに、ティノをじっと見ていた。いったいどういう事なのか、ティノにはさっぱりわからない。


「…あ、あの僕なにかしてしまいました…か?」


 恐る恐る聞いてみると、リベリオは軽く瞑目したあと、息を吐いた。


「…朝早くから騒いで申し訳ありません。少しお嬢様の部屋まで、ご同行願えますか?」


 先ほどよりは幾分落ち着いた調子で、それでも低めの声でそう言った。やはりティノには思い当たる事がない。


「…は、はい…行きます」

「では、どうぞ…」


 言いながらリベリオが背を向けて、廊下を歩いて行った。ティノは急いでメイベルだけを抱きかかえて、彼のあとを追った。

 不安と、少しの恐怖がティノの鼓動を早めていく。


「ティノ…」


 ぎゅっと胸に抱き寄せていたメイベルが、優しく名前を呼んでくれる声だけが聞こえた。



 昨日と同じく、コルネリアの部屋の前まで行くと、リベリオは何も言わずに扉を開けた。鍵は既に開いているようだ。リベリオの後に続いて、ティノもおずおずと室内に足を踏み入れた。そして一瞬、呼吸をするのも忘れた。


「…こ、これは…」

「この状況を説明して頂きたく、お呼びしました」


 冷たいリベリオの言葉が突き刺さる。メイベルを抱く手が震えているのがわかった。


「なんてことなの…」


 メイベルの小さなつぶやきが耳を掠める。


「コルネリア様…」


 彼女が昨日座っていた椅子には、誰も座っていなかった。ただ力ない人形の腕がしなだれかかっている。人形は首を前に倒し、右腕を椅子にかけて、左腕は床で力なく、手のひらを開いていた。

昨日あんなにも美しい姿をしていた彼女は、もういない。

 ドレスはところどころ破け、そのドレスの中で上半身は前のめりになっている。妙に伸びたように見える足は裏返り、不気味な歪さがあった。その周辺には彼女の白い肌であったであろう、欠片が飛び散っている。


「こ、こんな…コルネリア様…!」


 人形が、破壊されている。

 ティノは彼女に駆け寄ったが、これ以上触るとさらに壊れそうで触れるのを躊躇った。人形だから、表情が変わるはずがない。それでも、影がそうさせるのか、そのきれいな瞳からは生気が失われているように見えた。


「コルネリア様…!コルネリアさま…?」


 声をかけても、何の声も返ってこない。


「メイベル…!」

「私にも何も聞こえないわ」


 メイベルの細い声が、ティノの胸をつく。では、彼女は。

 コルネリアは死んでしまったのか。


「そんな…」

「これは」


 リベリオの静かな声が響いて、ティノは振り返った。


「これは、あなたがした事ではないのですか」


 冷たくて、そして重い声。静かなのに、頭にじんじんと響く声音。


「そんな…僕は…僕がこんな事するわけないじゃないですか…!」

「そう、私も信じたいです。でも…」


 リベリオはか細く声を振り絞り、痛みに歪むような表情で言った。


「この家で、自由に動けるのは貴方だけです」

「…え…」


 ふわりふわり。まるでまだ眠っているかのような、夢の中にいるような。そんな心地になった。そうだ、そうなんだ。ティノは屋敷についた時の事を思い出す。出迎えてくれた使用人たち、途中すれ違った彼ら、夜に出入り口の前に立つ門番たち。

 彼らはみんな、自分の足で動くことすらできない、等身大の古式人形だったのだ。


「そんな…僕、ぼくは…」


 自動人形であるリベリオ以外は、誰もコルネリアに近づく事すらできない。古式人形は、自らの意思で動く事はできない。だからこそリベリオは、真っ先にティノを疑ったのだ。

 死なない主が死んでしまった。そこは人形たちが住む、人形屋敷。迷い込んだのは、哀れな憐れな人形師。永遠に覚めない夢か、抜け出せない迷路に迷い込んでしまったような、そんな絶望をティノは感じた。夢を見ながら、さまよいながら、自分がやってしまったのだろうか?やってしまった事に恐怖を覚えて、その記憶を書き換えてしまったのだろうか?昨日、コルネリアに近づいていた時の情景がまざまざとよみがえる。あの時、本当は…?思考の波が遠のいていく。ざわりと足元に、何かが這い寄ってくるような感覚に襲われた。


「ティノ、だいじょうぶ。あなたがやったんじゃないわ」

「え…」


 絶望に足を絡めとれらて、思考の闇に落ちそうになったティノを引き留めたのは、メイベルの声だった。


「あなたには私がいる。私は知っているわ。あなたがやったんじゃないって。ずうっと一緒だったじゃない」

「メイベル…」


 そうだ、彼女がいる。ずっとそばにいてくれた彼女が、自分ではないと教えてくれる。真実はわかっていたはずなのに。ティノは一度大きく息を吸い込んで、ゆつくりと吐いた。そして立ち上がり、リベリオと向き合う。その瞳は困惑と猜疑に歪んでいるように見えた。


「…リベリオさん、僕はやってません。信じてください」

「…しかし」


 リベリオはやはり、優しい人だとティノは思った。彼が疑うべきは、ティノしかいないはずなのだ。大事なお嬢様を壊されて、凄まじい怒りをもっているはずなのだ。それなのに、彼はそれをティノにそのままぶつけようとはしない。ぐっと堪えている。ティノを犯人だと決めつけて、お前がやったんだと糾弾しない。それはもしかすると、まだティノを少し信用してくれているからじゃないだろうか。彼はそんな人に対する優しさで出来た、自動人形なのだ。彼が人間であれば、そんなに冷静ではいられなかったかもしれない状況だ。コルネリアも、とても優しそうな声音で話す人形だった。彼女の話が本当なら、前向きに明るく、彼女は生きていたはずなのだ。そんな優しい彼女だからこそ、こんなに優しい使用人が作られたのかもしれない。

 そして彼女は今も、前向きに生きていたはずなのに。

 どうしてこんな事になってしまったのだろう。此処は確かに歪な場所かもしれない。しかしその中でも、彼女たちは幸せに暮らしてはずなのに。どうしてその幸せを壊されなければならなかったんだろうか。

 気が付くとティノの世界は、ぐにゃりと歪んでいた。


「…ティノ様」

「うっ…どうして、どうしてこんな事に…だって、みんな幸せそうだったのに。こんなに皆幸せそうな人形、見たことなかった。ううっ…う…だ、だってコルネリア様は、ちゃんと人間として長生きできなかった…だけど人形になって、幸せだったはずなのに…」


 コルネリアは、自らが人形になった事を微塵も悲観してはいなかった。面白い話でもするかのように、人間だったころの話をティノにしてくれた。それはきっと、それが思い出話といえるような環境だからだ。彼女は人形になっても、幸せだったはずなのだ。


「どうして…その話を…」


 リベリオの目が、驚いたように見開かれた。


「コルネリア様から聞いたんです…。僕は、人形の言葉を聞く事ができるんです」


 信じてもらえるかはわからない。しかしそれは、ティノがコルネリアを破壊したのではないという話も、同じことだ。


「…そんな事が…」

「コルネリア様が言ってました。僕が人形の言葉がわかるだなんて、人間が人形になるくらい不思議な話だけど、現に此処にあるんだって…」

「………お嬢様はなんと?」


ティノは昨晩、コルネリアが語って聞かせてくれた内容をすべてリベリオに話した。話をしている間彼は、ただ静かに聞いてくれていた。


「………なるほど。確かにその話は真実であり、ほとんど誰にも口外していない事です。此処で働いていた使用人ぐらいしか知らないでしょう。かつて使用人はすべて人間でした」

「それって…昔いた?」


 ティノの問いにリベリオは軽くうなづいた。コルネリアが人間だった時に働いていたのは、人間の使用人だったのだろう。それも大昔の事だ。


「だから貴方が誰かからこの話を聞いたなどと疑いはしません。…それに、貴方の様子を見ていて、私もわからなくなりました。本当に貴方がお嬢様を…」

「僕じゃないんです」

「…そう、信じたいものです。しかし、この部屋の鍵を最後にかけたのは貴方なのですよ」

「え…」


 リベリオから鍵を受け取り、最後にこの部屋を出たのはティノだという。そのあとは誰も部屋に入っていない、と。


「で、でも僕じゃないんです!なにか…何かほかに理由があるはずなんです!」

「ほかの理由…とは?」


 問われてもティノにはまったくわからなかった。状況的にティノ以外は疑いようもないのだから仕方ない。自分でも、揺らいでしまう。


「そこの使用人が嘘を言ってるのかもしれないわ」

「え…」


 メイベルの声がして、ティノはそちらを見た。


「ティノ、あなただってなんとなく思っていたはずよ。あなたの仕業でないのなら、動けるのはリベリオだけよ」

「で、でも…」

「どうかしましたか?」


 リベリオに問われて、ティノははっとした。傍から見れば、ティノは突然一人で話し出しているように見えたのだろう。


「あ、あの…この子…メイベル…あ、あくまでメイベルが言ってるんですよ?彼女が言うには、リベリオさんが嘘ついてるんじゃないかって…」

「…私が?」


 随分失礼な事を言ってしまったのではなかろうか。ティノは内心はらはらしていた。リベリオには、コルネリアを壊す理由なんてないのだ。


「…なるほど、その可能性もあります」

「えっ」


 意外なリベリオの返事に、ティノは驚いた。


「私は自動人形です。すべては作られた意思の元に動いています。しかしそれが…なんらかの誤作動を起こした可能性も…見過ごせません」

「どうかしらね」


 メイベルの声がリベリオに聞こえなくて本当によかった、とティノは思った。


「あ、で、でも…リベリオさんのせいじゃ…」

「…もちろん私にはそのような自覚はありませんし、お嬢様を破壊したなどと思いたくもありません。…だからこそ貴方を疑いたい。貴方はその逆です」


 確かに、その通りだ。リベリオの表情から、いつの間にか苦悶が消えていた。


「おあいこですね。一方的に疑って申し訳ありません」

「あ…」


 そして彼の表情に、優し気な笑みが戻ってきたのだった。少し困ったように眉を寄せてはいるけれど。


「ですが、だからといって、貴方への疑いを晴らそうとは思いません。それは自分自身への疑いも。貴方への疑いが晴れるまで、この屋敷から出ていく事を許す事はできません」

「そんな…」


 じゃあ、どうすれば良いのだろうか。どうすれば疑いは晴れるのだろうか。


「ねえ、ティノ。簡単な話だわ」

「え?」

「あなたが真犯人を見つけるの。そうすれば話は簡単だわ」


 簡単、な話だろうか。そんな事がティノにできるだろうか。ただの見習い人形師なのに。


「だいじょぅぶ。あなたは一人ではないわ」

「メイベル…」


 できなくても、多分やるしかないのだろう。ティノを意を決して再びリベリオに向きなおった。


「僕が真実を探してきます」 


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