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「あ…」


 足を踏み入れて、また軽く驚いた。今度は驚きを察知されないように、こっそりと。

 五人の使用人が一様に頭を下げて、ティノの来訪を出迎えてくれたのだ。ようこそ、いらっしゃいませ。そう声を揃えて。そんな風に歓迎されたことは初めてで、治まってきていた鼓動が再び早まる。


「すみません。お客様がいらっしゃることは珍しいので、皆歓迎したいと…」

「こ、こちらこそそんな大したものでもないのにすみません…」


 ティノが思わず恐縮してそう言うと、男性はにこりと微笑んだ。

 男性の歳は長女と同じくらいだろうか、彼は此処の使用人で主の側近、リベリオと名乗った。茶色の短い髪は表情と同じように柔らかい癖毛で、暗い色の衣装の胸ポケットには、白い可憐な花が添えられている。こんな場所にある屋敷でも、彼を見れば誰もがほっと安心するだろう。そんな男性だった。女ばかりの環境で育ったティノは、年上の男性に耐性がないため、少し緊張していたが。

 ティノが案内されたのは、一階の奥にある小さな部屋だった。きれい一人用のベッドがひとつに、何も置いていない机と椅子がそれぞれひとつずつ。


「此処まで来られるのに大変お疲れになられたと思いますので、今日はお休みなさってください。どうぞこの部屋をお好きに作ってください。あとでお食事をお持ちします」

「あ、あの、でも…」


 まだ何もしていないし、できるかもわからないのに。不安になってリベリオの顔を見ると、彼は少し困ったように微笑んだ。


「申し分けないのですが、お客様と食事を共にして頂ける方がいないので、食堂ではなくこちらでお一人で食事を取って頂くことになります」

「あ、ああいえ、とんでもないです、むしろご迷惑おかけします。お気遣い有難うございます」


 ティノが申し訳なさそうに言うと、リベリオは優しく微笑んだ。その微笑みを見るといっきに安堵感が胸を温めたが、そうじゃなかった、とティノは首を振った。


「いや、そうではなくてですね。その…実は、僕タダの見習いなんです。そ、それで…」


 人形師たちが怯えて誰も来たがらないので、代わりに此処に来たはいいが、何ができるかはわかりません、なんて馬鹿正直に言うわけにはいかない。


「…お人形の様子を見てみない事には依頼をお受けできるかどうかわからないのです。ですから、依頼も受けてない段階でこんな風に歓迎して頂くのは申し分けなくて…ええと、だからとりあえずお人形の様子を見せて頂くことはできませんか?」

 ティノが言葉を慎重に選びながら振り絞り、ちらりとリベリオの様子を伺った。

「いいえ、こちらの屋敷に来て頂いた方は皆さま歓迎すべきお客様です。依頼を受けられるかどうかはゆっくりお決めになってくだされば。お疲れではありませんか?」

「え、えと僕は大丈夫ですよ!あ、でもやっぱりご迷惑ですか…?」


 すぐに仕事を始めることがむしろ迷惑なのかもれないと、ティノは慌てた。


「…いいえ。とんでもないです。お気遣いに感謝します。よろしければ、どうぞ、主の部屋へ」


 にこりと優しく微笑んだリベリオは、手で扉を示した。その表情と自分の主張が受け入れられたことにほっとして、すぐに廊下へ出ようとした。


「お荷物は持っていかれますか?」

「あ」


 リベリオに言われて、いまだに大きな道具箱を背負っていることを思い出した。さすがに今すぐこんな大荷物を使うことはない。道具箱を机の上におろすと、肩の痛みがすっと和らいで、ようやく荷物の重みを自覚する。道具箱の引き出しを開けると、中から紙とペンだけを取り出しポケットにつっこんだ。そして道具箱の上に腰かけていたお人形…メイベルを固定していた紐をほどき、慣れた手つきで左腕に抱きかかえた。


「そのお方は…」

「あ、すみません。この子はメイベルって言って…えーと、うちの看板娘で…その、彼女がいると仕事がはかどる、ので」


 不思議そうな瞳のリベリオに、苦し紛れの言葉を返してしまったティノ。それでもリベリオはやはり優しく微笑むのだった。


「素敵なお嬢さんですね」




 屋敷の主人の部屋は二階にあるというので、きれいな石の階段を上った。階段は入り口ホール、ちょうど屋敷の真ん中あたりにあった。その階段を中心に、一階、二階それぞれ左右に廊下が続いている。階段も手すりも汚れひとつなく、とても綺麗に掃除されている。壁や床は老朽化している部分はあるものの、汚れはほとんどなく、普段から丁寧に清掃されていることを覗わせる。やはり此処が化け物屋敷だなんて噂は、ただの噂に過ぎなかったのだろうと、ティノはほんど安心しきっていた。


「あの、お人形はこちらのご主人の…?」

「そう…とも、いえますが、そうではないです」


 何故か歯切れが悪くなったリベリオの横顔をそっと覗くと、少しだけ目を眇めたように見えた。その表情に、落ち着いていた気持ちがまた、ざわりと騒ぎ始める。主人の部屋があるという廊下の奥が、果てのない闇に見えた。


「此処です」


 廊下の中ほどで、リベリオは立ち止まった。廊下の長さの割に扉はずいぶんと少ない。階段を登って左手の廊下には、わずか二カ所しか扉がない。一階左手廊下には、ティノにあてがわれた客室含め六つ程扉があったのに。また隣の扉も随分遠い。広い部屋なのだろうか。金持ちの部屋の使い方は盛大だな、と心の中だけで感心した。


「失礼します、お嬢様」


 数回のノックのあと、リベリオはそう声をかけた。今、お嬢様と言っただろうか。確か主人の部屋だと言っていたはずだが。ぼんやり不思議に思っているうちに、中から返事もしないうちにリベリオが扉を開けた。


「どうぞ」


 そのまま何の反応もないままリベリオが入室し、促されるままにティノも足を踏み入れた。

 まず目に入ったのは、首を巡らせるほどの広い空間だった。暗い色合いの紅い絨毯がその空間一面に広がり、隅には天蓋のカーテンがかかったベッドが置かれている。その横には石製だと思われる、精緻な彫刻が施された化粧台が置いてあった。どちらも、とても大きくて高級そうなものだと気づいたのは少し遅れてからだ。それ以上に部屋の広さ、圧倒的な“何も無さ”に呆気にとられた。そのふたつ以外は、後は小さなクローゼットしかない。

 ティノの家…アトリエなど、そこいら中に人形やその一部、布きれなんかが散乱しているし、姉たちの私物やら本やら、仕舞う場所もない。まるで子供のおもちゃ箱のように、小さな家にはぎゅっといろんなものがあるのに、この大きな宝箱の中には僅かな宝物がきれいに飾られているだけだ。扉反対側は、大きな窓が等間隔で並んでいる。そのほとんどに重厚なカーテンかかっており、ひとつだけ開かれた窓から、赤い光が入っていた。陽はほとんど落ちようとして、部屋の中はかなり薄暗い。そうして、ティノはようやくその窓辺の横に鎮座する人物に気が付いた。


「あ…」

「今、灯をつけますね」


 リベリオが天井の明かりを点けていく。

 鎮座する人物は背に夕日を浴びて黒いシルエットだけを現わしていた。それは優美な曲線と不揃いの波を描く女性もののドレスだった。明かりがすべて灯る頃には、橙色の光が室内を明るく照らし出していた。


「紹介致します。こちらがこの屋敷の主人であるコルネリア様です」


 リベリオが彼女の横に立ち、優しい笑顔でそう言った。


「あ、えーっと…はじめまして。アトリエ・コルティから来ました、人形師見習いの、ティノです」


 ティノはとりあえず挨拶をしながら、それでも目線は彼女から外さなかった。

 コルネリアは目を見張るほどの美しい女性であった。美しい繊細な銀色の髪は、光の揺らめきによって色を変え、瑠璃色の瞳は宝石のように輝いている。真白い滑らかな肌、頬は愛らしい花のような朱がさしていて、可憐な唇はほんのりと赤い。長い睫は顔に影を落とす程だ。着ているドレスも素晴らしかった。髪を纏めている青い薔薇の飾りとそろいの飾りがたくさん使われ、ドレスそれ自体も大輪の青薔薇のようだった。左右非対称なのに、全体を見ると美しい曲線美に感嘆が漏れる。


「この方が…ここのご主人…で」

「お察しの通り、診て頂きたい方です」


 コルネリアは、目を見張るほどの美しい、人形だった。



 “死なない主人”の謎は実に呆気なく解けたとティノは思った。だって主人は人形だったのだから。人形が死なないのは当然である。


「いや、なんで人形を主人としてるのかはわからないんだけど」


 それはそれで不気味な話ではあるのかもしれない。むしろ問題はそこにあるのだろうかと、一人部屋に残されて、お嬢様…コルネリアの人形と対峙させられたティノは思った。リベリオは仕事があるからお嬢様を頼みます、と言って出て行ってしまったのだ。

 暗くて気づかなかったが、奥の方にも数体の、使用人のような恰好をした人形があった。部屋が広すぎるので遠目からしか見えなかったが、そこから見ればどれも生きた人間に見えるほど精緻な人形である。そしてどれもこれも、人間と同等の大きさの人形だったのだ。


「すごい人形部屋だなぁ」


 等身大のドールハウスに、迷い込んだ。そんな不思議な気分にさせる。アトリエでさえ、こんな大きな人形を一度にこんなにたくさん扱うことはない。

 ティノは左腕で抱いていたお人形、メイベルを、化粧台の椅子に座らせた。


「面白い家だね、メイベル」


 広い室内に、ティノの声だけが静かに響く。此処には今、彼しかいないのだ。彼を囲むものは、どれもこれも無機質な人の形をした塊にすぎない。


「ほんとうに。噂通りふつうの場所じゃなかったわね」


 その返事にティノは苦笑いを返した。噂とは違っていたが、確かに普通ではないのかもしれない。人形に慣れたティノで無ければ逃げているかもしれない。


「あの使用人、変わってるわね」


 声はツンとした調子でそう言った。変わってる、だなんてリベリオもティノ達だけには言われたくないだろう。


「たぶん、人形とおしゃべりする方が変わってると思うよ?」


 ティノがそう言うと、声…メイベルはふん、と鼻を鳴らすような声を返した。


「変わってるのはあなただけよ、ティノ。私は由緒正しき、普通のお人形よ。とっても愛らしい、ただのお人形。そうでしょう?」

「はは、そうだね…」


 メイベルはティノたちの先祖、アトリエの創始者が作った傑作と名高い、少女人形だった。彼女は自動人形ではなく、古式人形である。その瞳が閉ざされることも、唇が開かれることも決してないのだ。

 それなのになぜか、ティノはその声を聴くことができたのだ。決して届くことが無いはずの古式人形たちの声、それが何故かティノには届くのだった。

 正確に言うと、この声が本当に人形の声なのかはわからない。何せ人形は自ら口を動かし、喉を震わせて喋ることはできないのだから。

 しかしティノは、その声であろう音を理解することができたのだ。昔から、本人とその傍にある人形ぐらいしか知りえない事を言い当て、とにかく気味悪がられていた。たぶん、生まれた頃から人形の声を聴くことができて、物心着いた頃からずっとメイベルは大切な友達だ。それはお人形とその持ち主という関係以上に、もっと人間同士の関係に近いものだとティノは思っている。

 こんなお伽噺のようなことを信じてくれているのは、ティノの姉たちぐらいなものだった。気味悪がられて疎外されたティノを、姉たちはいつも庇ってくれた。そしてこの人形屋敷の視察に適任だと言ったのも、それが理由なのだろう。ティノには他の人たちにはない、人形という味方がいるのだから。


「とにかくさっさと仕事してしまって、こんな変な屋敷は早く出ていきましょう」

「あら、残念なことだわ」


 突然聞きなれない声が響いて、ティノは声のした…ような気がする方を振り返った。そこには、木製の椅子に優雅に腰かける婦人が一人。コルネリアだ。


「お人形とおしゃべりする人間だなんて、わたくし初めて見ましたわ」

「あ、よかった。お話できたんですね」

「あなたのお耳に届いているということは、そういうことなのでしょう」


 高くて少女らしい声音だった。小鳥のさえずりのような清廉さもあり、楽しそうに言葉の端々が弾んでいて、耳心地が良い。見た目通り、美しい人のようだった。


「あ、僕はティノ…ってさっき自己紹介しましたね。えーと、このお人形はうちの看板娘のメイベルです」


 ティノは座らせていたメイベルを再び持ち上げて、コルネリアに見えるように抱きかかえた。改めて見ると、同じ人形だといっても随分と大きさが違う。人間大の人形はより人間に近く、動かない事が不思議に思えるほどだった。そしてコルネリアはこんなに大きいにも関わらず、精緻で美しい造りで、本当に人間そっくりだった。確かにこれは高級で、貴重な人形なのだろう。


「初めましてコルネリア。私はメイベル。見ての通り、人形よ」

「初めまして、メイベルさん。わたくしはこの屋敷の主で、ご覧の通り人形ですわ、今は」


 気になる一言を付けて、コルネリアは自己紹介をした。


「今は?どういう意味かしら」


 繊細な性格のメイベルは、当然のように気になる一言を追及した。ティノも気になったが、すぐには声に出なかった。お人形同士の会話を聞いているティノは、何もない空間でただ黙って首を巡らせている、滑稽な姿に映るだろう。


「わたくしのお話、信じてくださるでしょうか…?」


 コルネリアは少しだけ声のトーンを落として、どこか悲しげに呟いた。


「それは聞いてみないとわからない事だわ。でも、お人形の声が聞こえるだなんて滑稽な話を貴女は信じるでしょう?」

「まあ…それもそうですわね」


 当の本人のティノは何も言えずに、ただ乾いた笑いだけを漏らした。確かに今から話される内容がどれだけ現実離れしていようと、それが人形の声が聞こえる、なんて言うティノに糾弾できるわけがないのだ。


「では、お話してもよろしいかしら。わたくしの境遇。あなた方も気になさったでしょう?なぜ、人形であるわたくしがこの屋敷の主人なのか」

「はあ、確かに」


 ティノがそう答えると、少しだけ微笑む声が聞こえた。


「わたくし、本当は人間なんですの」


 冗談めかしたように言われたその言葉が、一瞬頭を通り抜けて、ティノは首を傾げた。


「…え?」

「信じてくださらないかしら」

「…えーと」


 実は人間、とはどういう意味だろうか。今はどこからどう見ても、人形だ。確かに人間のような精緻な造りではあるが、土から生まれた陶磁器で作られた人形だ。声は聞こえるものの、唇も喉も、ぴくりとも動きはしないのだ。


「人形が自らを人間だと勘違いしていることは、たまにあることよ」


 メイベルの声に、ティノははっとした、確かに人形の中には、人間世界に慣れすぎて、自らを人間だと勘違いしている人形がたまにいる。


「そうではないんですの。わたくし、今自分が人形である事は理解していますわ。けれど、昔は人間だったのです。…やはり信じて頂けないかしら」


 人形と会話ができることと、人間が人形になること。そのどちからが信じ難いことだろう。


「面白い話だわ。ねぇ、ティノ」

「う、うん…よ、よければ詳しく話を聞かせて頂いてもいいですか…?」


とにかくどうしてそんな事になったのか、詳しく話を聞いてみない事にはわからない。コルネリアはティノの問いかけに、少しだけ微笑みを返してくれた。


「お話を聞いてくださるのね。人間の方にお話しするのは初めてなので、うまく話せるかどうかはわかりませんわ。わたくしはもともとこの屋敷の主で、人間でした。身体の弱い、ただの女でした」


 コルネリアは静かな口調で、語り始めた。

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