表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/18

最終話

どれぐらいの時間が過ぎたのか、ティノにはもうわからなかった。ただ待っている間、恐怖と不安に飲み込まれそうで、ずっとメイベルを抱きしめていた事は覚えている。メイベルを失うと思った瞬間の恐怖と、リベリオが苦しむ顔。こんな恐ろしい事が起こるなんて。

 リベリオが医者の手当てを受けて目を覚ましたと聞いた時、ようやく朝が訪れたような心地になった。

 彼の部屋へ向かうと、ベッドの上に横たわるリベリオと、沈んだ顔のアンナが立っていた。


「私…リベリオを殺さずに済んだようね…」

「アンナさん…」

「霊水のおかげかもしれないと、医師は言っていたわ」


 霊水、自動人形の動く源。命の源。それが彼の受けた傷を和らげたのではないかと、医者は言っていたそうだ。


「霊水…そういえば、リベリオさんは霊水を飲んでましたね。僕、書庫でここの旦那様だと思われる人の手記を見たんです。そこに霊水がどうの、とか、記憶がどうのとかって書いてあったんですけど、もしかして…」


 霊水が抜ければ、記憶も抜ける。それはもしかして、霊水に記憶を留めていたのではないかと、ティノは推測した。


「…私はもう、自分の記憶を信じる事ができません…でも、確かに昔から霊水を飲んでいた記憶はあります。私の心に深く根付く、お嬢様の記憶…それは私の記憶ではなく、霊水の記憶だったのか…」


 リベリオは天井を見つめながら、そうつぶやいた。


「私は覚えているわ…。お前は自動人形なんだと言い続けていた先代の事。霊水の事まではわからなかったけど、あなたが記憶していたのは、たぶん、その使用人かそれより前の使用人か…そういう記憶だと思うわ。もう随分前に死んでしまったのだけど、あの老人はリベリオを自分の代わりにしようとしていた」


 記憶の霊水を飲ませ続け、その記憶を自分のものだと思わせて、自分を自動人形だと思うように仕向けていた。人形から抜けた記憶はそのまま消えるが、人間だとそうはいかない。一度記憶した事は簡単には忘れられず、それを続けてずっと飲んでいれば、いずれ自分の記憶だと勘違いしてもおかしくはない。


「私は怖かったわ…リベリオを違う人間にさせようとしている、人形みたいに扱うあの男が。まさかそんな記憶を操作されていたなんて…だからリベリオは壊れてしまったんだわ…。だってマトモな使用人はみんな辞めていったわ。動かない人形に勉強を教えさせられる家庭教師、誰も着ないドレスを整備させられるメイド…だけどリベリオは自分が長年屋敷に仕える使用人だと思い込んでいたから…私は彼の傍を離れなかった。けれど…リベリオはある時から人形を集め出した。お嬢様がさみしくないようにって、辞めていった使用人たちにそっくりの人形を…。そしてついに私の事を自動人形だと思い込むようになって…限界だった…」


 涙を流しながら、アンナはそう語った。それが彼女の言う、呪いの正体なのだろう。傍にいた人が壊れていく様子を間近で見ていたなら、そう思っても仕方ないのだと思う。そして彼を助けるために、あんなことを。


「…アンナさん、貴方の事を忘れていたのは私の罪です。その傷はその代償だと思っています。それに私の記憶は確かに戻りました。貴方のおかげで」

「リベリオ…」

「けれど…私はお嬢様の傍を離れるつもりはありません」


 まっすぐと、澄んだ声音でリベリオははっきりとそう言った。


「私は…今ではもう、自分の本当の記憶がどれだかもわかりません。私の記憶の中には、人間だったお嬢様と触れ合った時の感覚までしっかりと残っているのです。そしてこの記憶に基づく私の想いは…それは偽りではないと信じたいのです」


 記憶は偽物であっても、そこから芽生える想いは自分だけのものだと、リベリオは言った。


「私の記憶でないにしても、人間であるお嬢様を覚えているのはやはり私だけなのです。そして、そんなお嬢様を愛していられるのも、きっと私だけなのです…」


 他の使用人たちは皆、辞めてしまった。壊れていたにせよ、純粋な想いを抱き続けて彼女の傍にいれたのはリベリオだけだった。リベリオは決して彼を裏切らない、コルネリアの傍を離れない人形達を集め始めた。そしていつしか此処は、大きな大きなドールハウスになっていたのだ。壊れた人形が集まった、飯事遊びのドールハウス。深い闇を孕んだ、些細な迷宮。けれどそれは、コルネリアを想うリベリオの純粋な想いが作り出したものなのだ。


「だから私は、これからもずっとお嬢様の傍に居ようと思います。お嬢様がさみしい想いをしないように。この命が尽きるまで」


 リベリオの気持ちは、ティノには痛いほどわかった。人形達は孤独な時を生きている。ほんの些細な時間でも、彼女らの寂しさを埋めるために…いや、自らの寂しさと分かち合うために、傍に居続けられたなら、と。


「…私、馬鹿みたい…だってリベリオ、その台詞って、あなたが此処に来た時とまったくおんなじよ…あなたって本当に馬鹿なのね。ずっとずっとお嬢様一筋で…あなたは、そういう人間だったわね…」


 アンナの目から一筋の涙が滑り落ちる。


「ごめんなさい…私、ごめんなさい…!」


 ぽろぽろと流れおちる涙は、人形にはないものだ。自動人形にだってない。彼女は苦しも、涙する人間なのだと、ティノは改めて思った。彼女も、抱えきれない想いを抱いて、少し壊れていたのかもしれない。しかしそれが人間らしいのだと、ティノは思い、メイベルをぎゅっと抱きしめた。 

 二度と屋敷には近寄らないと約束し、アンナは屋敷を去って行った。それでもリベリオはたまに彼女に会いに行こうと思うと、笑って言った。

 まだ自由に身体を動かせない彼の看病を、ティノは買って出る事にした。何せリベリオはティノ達を庇って傷を負ったのだ。


「お客様にこんな事させてしまって、申し訳ありません」

「とんでもないですよ。それにお客様だっていうなら一緒ですよ。そもそもリベリオさんは僕のお客さまなんですから」


 ティノがそういうと、リベリオはくすくすと笑った。


「確かに、そうでした。しかし早くアトリエに帰りたいのではありませんか…?」

「姉さんたちには手紙を出したので大丈夫だと思いますし、それに…今はもう、自分の意思で歩いて帰る事ができます。だから心配ないんです。今は、リベリオさんの看病をしたいんです」

「ティノ様…」


 ティノは自分の台詞になんとなく痒くなって、身を縮こまらせた。


「あ、あの…そのティノ様っていうのは、慣れないんで変えてくれませんか…?その、さっきも言いましたけど、お客さんなのはお互い様ですし」


 それにその言い方は、なんとなく距離を感じてしまう。その僅かな距離は、ティノにはなんとなく寂しいような気がしたのだ。リベリオがティノと似たような想いを持っているからとわかったから。リベリオはティノが、自分の事をわかってくれる人だと言っていたが、それはティノも同じ事だった。そしてそれは、とても嬉しい事だったのだ。


「…では、ティノ君」

「は、はい!リベリオさん」

「これからも、屋敷に来ていただけますか?人形師として…それから友人として」

「…よろこんで!」


 人形師としても、ただの人としても、ティノにとっては大きな収穫がある仕事だった。なんども転びそうになったが、ここまで歩いてくる事ができた。その喜びは、メイベルと共にわかちあいたいと、ティノはそう思った。

 


 そして幸せな結末にはもうひとつ、欠かせないものがある。ティノはメイベルを連れてコルネリアの部屋に戻っていた。


「…コルネリア様」


 ティノが声をかける。コルネリアはティノが応急処置を施した時のままだ。


「…ティノ君、メイベルさん」


 静かな声が耳に届いて、ティノはまた涙を零しそうになる。彼女は、ちゃんと生きていた。


「よかった、目覚められたんですね…!」

「…ずっと、長い夢を見ていたような気分です…おかしいですわね、人形なのに」


 アンナに破壊されたコルネリアは確かに死んだように見えた。その時、彼女は本当に人形として死を迎えていたのかもしれない。リベリオもそう思っていたのだろう。しかし、ティノが修復し、人形として彼女を復活させた時、彼女に命を思わせた。


「わたくし、夢の中でリベリオの声を聞きましたの。わたくしを想う彼の声が聞こえた気がしましたの。わたくし…とても嬉しかった。嬉しくして、泣きそうだった。涙を流す事もできないのに」


 そういうコルネリアの声は、涙に濡れているように聞こえた。表情は何一つ変わらないのに。


「夢じゃないですよ。リベリオさんは、ずっとあなたの傍にいると言ってました」

「…ほんとうに?うれしいわ」


 今度は花のように笑う声が、聞こえた気がした。


「ティノさん、どうか伝えてくれないかしら。わたくしがリベリオに感謝している事、わたくしもリベリオを想っていること」

「ええ、必ず伝えます」


 ティノがそう言うと、コルネリアは満面の笑みを見せてくれたかのように見えた。


「コルネリア…あなたにはこれから、耐えられない程の孤独が待っているかもしれないわ」


 メイベルはかつての自分を思い出しているのか、そう言った。


「けれどリベリオや、あなたの傍にいてくれた人…そのあたたかな記憶が、あなたを救ってくれるはずよ」


 メイベルがジラルドやアルセニーと共にいた記憶を、持っていたように。それは時に寂しさを思い出さるが、時に傷癒してくれる。


「…そうね。わたくしは幸せ者だわ…本当に。ありがとう、メイベルさん。ティノ君」


 言いながら幸せそうに微笑むコルネリア。

幸せな人形を見ると、自分も幸せになるのだな、とティノも笑った。



「明日か明後日か、一度アトリエに帰ろうかと思うんだ。荷物とかも取りに行きたいし、姉さんにも報告しないといけないし、コルネリア様の修復もちゃんとやってもらわないとね」


 部屋に戻る道すがら、ティノは今後の算段をメイベルに話した。相変わらず屋敷内は静かに人形達が働いている。実際はそこに立っているだけなのだが。


「コルネリアは本

当に、元人間だったのかしら」

「え?」


 メイベルの唐突な問いかけにティノは足を止めた。


「え…でも、手記にもそう書いてあったじゃない」

「そうだとしても、それは彼女が元人間…コルネリアであった証拠にはならないわ。だって彼女は、コルネリアの記憶を定着させられたただの人形かもしれないじゃない」


 確かに手記には、そんな研究をしていたと書いてあった。


「けれど、研究は失敗したって…」

「あの手記はあそこで終わっていたけど、そのあと成功したのかもしれないわよ」

「うーん…でも、そうしたらリベリオさんはどうなるの?実験が失敗して人形を作れなかったから、人間に記憶を定着させようとしたんでしょ?」

「自動人形にはね。でも古式人形だとどうかしら」


 言われてみればその可能性はあるのかもしれない。ただしそれはひとつの可能性にすぎない。考えれば考える程、ティノの頭はぐちゃぐちゃとこんがらがっていく。そもそもティノにとってみれば、誰かの記憶をそのまま何かに移すのも、人間が人形に成る事も、どちらも不可思議で理解できない事であるのには変わりないのだ。

 考えているうちに、ティノはここ数日の体験が、本当に起こったのかわからないような、夢の世界の出来事だったのではないかという気になってきた。


「うう…頭が痛い。本当にこれって僕の記憶なのかなあ…いや、そもそも僕って本当に人間なのかな…」


 人形の声が聞こえるなんてふつうの人間ではありえない事だ。そう思うと、急に不安が押し寄せる。


「あらあら。別にいいじゃないどちらでも」

「う、…でも…」

「人間も人形も、自分ひとりでは動けないのは同じことじゃない」


 メイベルの声はどこか面白そうに響いた。


「外からの何かしらの刺激によって動かされてるのに変わりないわ。だから、見たもの聞いたものでしか判断できないし、そこから導かれた結論を真実とするしかないのだわ。ティノがコルネリアやリベリオを使用人とお嬢様というなら、それでいいし、あなたは人形の声が聞こえる人形師見習い。それでいいじゃない」

「…そっか、メイベルがそういうなら、そうなのかもね」


 ティノが何よりも信頼できるメイベルがそう言うのなら、それでいいのだとティノは思った。


「メイベルは人形だけど、僕にとっての一番、だもん」

「そうね。あなたは人間だけど、誰よりも私たちの事わかってくれるわ」


 メイベルがそういう限り、自分は自分でいられる。そうティノは思った。心強い味方がいつもそばにいてくれる。それだけで揺るぎない自分でいられる気がする。


「人は自分という殻からは抜け出せないものですもの。それは人形も同じだけれどね」

「でも…錬金術師はそういうのを超えちゃった人たちなんだよね…」


 メイベルに命を作ろうとした生命の錬金術師、記憶を残そうとした記憶の錬金術師。それは到底、ティノの理解が及びそうもない領域だった。


「あ、でも。そういう概念を超えたっていう意味では、僕も錬金術師かも!」

「どういう意味?」

「だって僕は、人形の声が聞こえるんだもん」


 他者から見れば、そんな事はありえないと言うだろう。人形は意思を持たぬモノ。そんな概念をティノは軽々と飛び越えられる。


「だったらあなたはさしずめ、人形の錬金術師ね。人形師だし…見習いだけど」

「人形の錬金術師か…ちょっとかっこいいかも」


 ティノがそういうと、メイベルの呆れたようなため息が聞こえた気がした。


「ねえ、メイベルはもしかして、今でも生命の錬金術師を待っているの?」


 ティノは古の錬金術師に想いを馳せた。彼は、メイベルを愛して、ある種の命を作りだすまでに至った。そしてメイベルの前から姿を消して、彼はどこに消えたのか。長い間メイベルを孤独にさせた彼を、メイベルはもしかして今でも待っているのではないだろうかと、ティノは思った。


「さあ、どうかしらね」


 なんとなく胸がもやっとするのは、嫉妬心だろうか。メイベルが自分より想う人間がいる事が、少し悔しい気がした。


「メイベルはアトリエに戻りたがってたよね。でも僕がいないと意味がないって言ってた。それって、メイベルの言葉を伝える人がいないから?」

「余計な勘繰りよ」


 メイベルはティノの邪推をぴしゃりと跳ね除けた。ただし、否定はしていない。もしかして本当にそうなのだろうかと、ティノの胸が少しざわつく。


「言ったでしょう」


 メイベルの高い声が耳に届いて、ティノはメイベルを抱き直して、その青い瞳を覗き込んだ。そこには、ティノの顔が映り込む。


「私はあなたがいなくちゃ、寂しくて仕方ないんだって」

「…うん、そうだね」


 メイベルの目に映る自分の顔は、頬が緩んで少し間抜けだった。

 けれどもそれだけ嬉しかったのだから仕方ない。ティノもメイベルと同じで、彼女がいないと寂しくて仕方ないと思っていたのだから。

 ティノはメイベルを両手で抱えて、軽快に階段を降りて行った。










評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ