16
得た話を整理するために、ティノはリベリオを呼んで共にコルネリアの部屋へ向かった。鍵を開けてもらうとそのまま少しの間、リベリオを部屋の外で待たせた。
「もう、いいですよ」
「なんですか?」
少しの時間の後、リベリオを中に招き入れた。リベリオは不思議そうな顔をしていたが、室内に足を踏み入れた瞬間、はっと瞠目した。
「お嬢様…!」
リベリオはコルネリアの人形に駆け寄った。今の彼女は、壊された時の無残な姿ではない。ティノとメイベルが出会った時のまま、ドレスを身にまとった美しい貴婦人が椅子に腰かけている姿だった。
「どうして…治す事ができたのですか?」
「正確にはまだ…。えーと、実は、今のコルネリア様は胴体がないんです」
コルネリアは、五体全て同素材でできた球体関節人形だった。しかしその胴体部分が破損したため、上半身と下半身は別れ、座る事もできず、まるで人間の遺体のようになってしまっていた。
「コルネリア様の壊れた胴部分を取って、代わりのものをおきました。それは持ってきたものだったり、布だったりするんで救急措置に過ぎないんですけど…けれどなんとかそれで上半身と下半身をつなぎ合わせたんです。服も…勝手にで申しわけないんですが、シーツやらを使ったり軽く縫い合わせました」
「…なるほど」
普段は人形より服の修復の方がティノは多かったので、ドレスの手直しはそれほど難しくはなかった。もちろん元の高級そうな美しいドレスほどは無理だが、それなりに見栄えは良いものは作れる。
「お人形って、人間みたいに必ずしも五体揃ってるわけでも、同じ素材でできているわけじゃないんです。人形によっては、頭しかないものもありますし、身体だけ綿でできてる、なんてものもあります。けれどもそれでも、立派な人形だと僕は思うんです…持ち主が人形として大切にすれば…それじゃあダメですか?」
元通りの姿は無理だとしても、人形としてなら、彼女を直す事ができる。ティノはそう考えた。人間と違い、一度ばらばらにして継ぎ接ぎして作る事もできる人形だ。胴体が壊されただけで死ぬはずがない。ただ、元の美しい胴体を再現する事はできないのだろうが。それは間違いなく、コルネリアの一部が死んだ事になるのだ。しかし人間だって、何処かしら欠損して、新しく生まれ変わり続けているのだ。
「いえ、確かに、お嬢様はよみがえりました。私の目にもそう見えますし、そう心から実感できました。有難うございます」
リベリオは優しく微笑んで、しばらく目を閉じていた。かつてのコルネリアの姿を、思い浮かべているのだろうか。その台詞はとても些細な声音だったが、ティノの胸にじんわりと響き渡った。人形師として、人形を蘇らせる事ができた。それがうれしくもあり、そして力の足りなさが悲しくもあった。何せコルネリアは再び椅子に腰かける事ができたが、何度呼びかけても声が聞こえないのである。昨日聞いた清廉な声は二度と聞けないのだろうか。それはティノが力不足なせいなのか、人形として死してしまったからなのか。声が聞こえないからと言って、人形が死んだわけではないとティノは自分に言い聞かせた。
彼女の声は聞こえない、だからやはり犯人は自分で探すしかないのだ。
「それから、聞きたい事もあるんです」
「なんですか?」
本題はここからだ。先ほど書庫で見た日誌に関して気になる事、そして気づいた事がいくつかあった。それを確認しなければならない。
「あの、壊れたって言ってた自動人形たちなんですけど…あれってもしかして、最近まで…ここ数年以内まで稼働してたものじゃないですか?」
「そうです」
リベリオは軽く頷いた。やはりそうかと、ティノの胸がざわりと泡立つ。
「その自動人形たちと…昔…コルネリア様が生きていた時代に働いてた使用人というのは、もしかして別人ですか?」
「その通りです。昔働いていたのは、間違いなく人間の方々です」
ああ、やっぱり。ティノは確信を得た気分になった。そして同時にまた、違和感を感じた。それはこのせいだったのだろう、と。ティノはずっと、昔働いていた使用人、という言葉を、コルネリアが生きていた時代に働いていた使用人と同じだと思っていた。しかし、それが間違っていたのだ。人間は、最近までこの屋敷にいたのだ。
「実は僕、書庫でこの屋敷の使用人さんが書いてたと思われる日誌を見つけたんです。その中には、壊れた自動人形と言われてた方々の名前もありました…けれど、その人たちはちゃんと、生きた人間であったようなんです」
「…日誌?なんのことです…?」
「リベリオさんのサインもありました」
「私の…?」
リベリオはティノの言葉に動揺したのか、眉根を寄せて、何処か別の場所を見ているかのように視線を彷徨わせた。
「だから、僕は考えたんです。もしかしてその中に犯人がいるんじゃないかって」
「………そんな、どうして私が…そんなウソを?
「それはわかりません…」」
リベリオは何も言わず、訝しげに目を眇めたままだった。ティノの言っている事が、理解できていないようである。その態度には、ティノも少し動揺していた。ティノが指摘したのは、リベリオが嘘を吐いていた可能性である。本当に嘘であるなら冷静に反論してくるか、直に嘘を認めてくれると思っていた。しかし彼は、狼狽えている。自分でも信じられない事実を突き付けられたかのようだ。ずっと感じていた違和感が、膨れ上がる。
「だから、僕は思ったんです。もしかしてこの人たちの中に犯人がいるんじゃないかって…」
「お嬢様を壊した…?」
リベリオの問いに、ティノは頷く。
「だって、もし僕の言うことが当たっていたなら、説明をつける事ができるんです。僕とリベリオさん以外の犯人で、屋敷中の人形たちに見つかっていないわけを」
「…私は屋敷の使用人たちも疑いたくはありません。そもそも彼らは人形です…ですが、わけは聞きましょう」
リベリオは一度長いため息を吐き、自分を落ち着かせたようだった。ティノも合わせて、鼓動を落ち着かせる。
「もし自動人形たちのどれかが犯人なら、人形に紛れる事ができるんです。この屋敷にある人形はどれも精巧にできていて、人形たちの視界に入る一瞬程度なら見分けがつかないでしょう。そして、それらはあなたが自動人形だと言っていたから、動いていても人形たちは不思議に思わないのですけど…」
ティノは人形たちの証言を思い出していた。ティノはもし他に犯人がいるなら、昨晩のうちに侵入があったと考えていた。しかしもし、それが間違っていたら。
「もしかすると、犯人は僕が此処に来た時、すでに部屋の中にいたのかもしれないって思ったんです」
それならば、無為に移動する必要はないのだ。
「もし、僕が来た時にすでに此処にいて、僕が部屋の鍵をかけた時にこの部屋に閉じ込められたのなら…誰にも邪魔をされる事なくコルネリア様を破壊できます。だから確かめたいんです。この部屋を開けっ放しにしていた時間はありますか?」
「………」
リベリオは俯いている。考えているのか、ティノを拒否しているのか。彼にとっては、ティノは筋の通らない事を言っているように聞こえているのだろう。どうしてそんな事になっているのか、ティノにはわからない。しかしこれなら答えがあうかもしれないのだ。
「無人で開け放した時間は無いでしょう。開いている間は、あなたか私がずっといたはずです」
「此処の人形たちを動かした時も?」
確か昼前くらいに、裏庭から二階の窓辺に人形たちが見えた。その時に人形を動かした、とリベリオは言っていた。
しかしリベリオは、一瞬訝るように目を眇めた。
「…私はここの人形は、お嬢様以外は動かしていません」
「えっ…」
「私は今、ティノ様がこの人形たちを動かしたのだと思っていました」
「僕が来た時はすでにこうなってて、それにお昼に見た時にはすでに…」
ティノは必死に頭を動かした。コルネリアが壊された時と同じだ。ティノでもない、リベリオでもない。誰か、もう一人いる。それは誰で、何処に行ったのか。此処に鍵がかけられていた以上、犯人はこの場所にいた。そしてそれは、人形達に見られても違和感のない、自動人形と言われている人形であったはずだ。この部屋に、その人形は一体しかない。そして部屋にずっと鍵がかけられていた以上、犯人はまだ。
「わ、わかったかもしれない…!」
ぱっと脳内が明るく照らし出された気がした。鼓動が早まるままに、ティノは人形の方を振り向いた。そして確信する。
「メイベル、僕わかったよ」
「そう」
メイベルは優しくそうつぶやいた。ティノはメイベルを椅子の上に置いた。もう、だいじょうぶ。そんな気持ちをこめて。そして一体の人形の前まで進み出た。
「君だ…」
ティノが一体の人形に近づく。それは、髪の長いメイドの人形だった。
「君がそうなんだ」
「私…?」
人形は困惑したような声を返した。ティノはわずかにうなずく。
「どうしてわかったのかしら」
同じ声なのに、唐突に調子の違う声色が響く。目の前の人形ではない。ティノは声のした方を振り返った。
「あ、あなたは…!」
軋む音と共に、クローゼットの扉が開く。そこからゆっくりとあらわれたのは、髪の長い若いメイドとまったく同じ姿の、人間だった。
「あなたは…」
リベリオも驚いているようだった。今ここにいる人形と、彼女はまったく同じ姿をしているのだ。
「このまま終わらせてくれればよかったのに…そうすればリベリオは救われたはずなのに…!」
女性は苦しみに顔を歪めているようだった。人形とは違って、表情だけで感情が読み取れる。
「アンナ…さん…?」
リベリオが呟いた。女性の名前だろうか。同時にメイド人形の名前でもあった。
「あなたがコルネリア様を…?」
「そうよ」
アンナと呼ばれた女性は力なく笑った。
「私はどうしてもリベリオを解放したかった…この呪われた屋敷から…呪われたお嬢様から。だってこんなのおかしいわ。人形だらけで、人形しかいない、人形が主の屋敷なんて…!」
何かを恐れるように震えるアンナの肩。ティノにとっては大した事がなくても、他者にはそんなにも異様な光景に映るのか。
「それに驚いたわ、あなた。ほんとに人形と会話している風なんですもの。あなたも人形に呪われているのかしら」
ティノはアンナのその声に、ぞくりと背筋が震えた。ティノは呪われてなんていない。呪われているのは彼女の方だと、ティノには思えた。
「あなたのせいで、私は人形達の目に怯えなくてはならなくなったわ。だから急いで人形達を移動させて、目線をそらせようとしたの…でも、逃げる機会がなくて、逆効果になっちゃったみたいだけど」
だからここの使用人人形達は動かされていたのか。この部屋にずっといたなら、ティノが人形と会話しているのも見ていたのだろう。
「アンナさん…あなたは…どうして…」
リベリオが呟いた。その言葉の続きはなんだろう。どうして、人間なのか。どうして此処にいるのか。どうしてコルネリアを壊したのか。
「人形の呪いを解くには…人形を壊すしかないの…」
アンナは呟いた。先ほどから言っている、呪いを解く、リベリオを解放するとは、どういう意味なのか。
「あなたは記憶の中の私を、自動人形に変えてしまったようね、自分だけでなく」
「自分だけではなく…?」
その言葉に、ティノははっとした。
「そう。リベリオ、あなたは自動人形なんかじゃない。人間よ」
その言葉に、ティノの心に一瞬凍りが走ったような気がした。
「違います、私は…私はどこか壊れたいたようです。貴方たちを人形だと思っていただなんて…」
リベリオは苦しそうに、そう言った。
「そうね。貴方は壊れているわ。でも、それは人形だからじゃない。人間として壊れているのよ」
「何…を…」
「あなたはもう、覚えていないのでしょうね。幼いころ一緒だった事。この屋敷に働きにくる事になった時」
「私は…」
「私という人間はあなたの記憶から消えてしまった」
アンナのその言葉に、ティノはぐっと胸を押しつぶされそうになった。それは、ひとりぼっちであったメイベルの想いに似ているような気がして。
ティノはいまだにどちらが本当なのかわからないでいた。リベリオが何故か勘違いをして、偽りの記憶を持っていたのは事実だろう。だけど壊れているのは本当に彼だけだろうか。
「あなたは人間なの。それを思い知らせないと、思い出させないといけなかった。だから…だから人形を壊したのよ。そうすれば、諦めてくれると思ったのに…」
アンナの言葉は苦々しく響きわたる。
「そんな…ひどい…」
ティノは思わず呟いた。
「ひどいのはこの屋敷の連中よ…リベリオに呪いをかけてこの屋敷に縛り付けて…。あの子の言う通り、私はずっとこの部屋にいたわ。まさかそんな子供を呼んでるとは思わなかったけど。夜中、暗闇の中でも、この部屋の中だけなら人形の在処はすぐにわかったわ。だから壊したの」
言いながら、アンナは右手すっと上にあげた。その手には、銀色に鈍く光る何かを持って。それは、小柄な鉈のようだった。
「それでコルネリア様を壊したの…?」
「ええ、そうよ」
その凶器で、あの美しい人形の肢体を叩き割ったのだ。どうしてそんなひどい事ができるのか。どうして、人形の声は、気持ちは伝わらないのか。ティノは悔しくて泣きだしそうだった。
「ひどい…そんなのひどい。人形が可哀想だ」
「人形が可哀想?」
アンナの目が、ぐるりとティノの方を向いた。
「貴方も相当、人形に憑かれるているようね」
「え?」
「貴方も、解放してあげるわ」
人形?憑かれる?解放?何を言っているのだろう。アンナが振り上げた右手、銀色に鈍く輝く鉈。さっとティノの心に影がさす。彼女が向かう先には…メイベルがいた。
「やめて…!」
ティノは喚きながら、メイベルの元へ駆け寄った。
メイベルだけは、どうしても失いたくない。誰になんと思われても、人形に呪われているのだとしても。
ティノはメイベルを胸の中で、抱きしめた。
「………!」
その瞬間、ティノの頭の中は真っ白のもので埋め尽くされた。天地もわからないぐらいだ。どくどくと心臓が鼓動を打ち付ける。頭はあつくてたまらない。荒い息を必死に整えた頃に、ようやくティノは顔をあけだ。
「…え?」
「…だいじょうぶ、ですか…?」
目の前にあったのは、リベリオが弱々しく微笑む顔だった。ティノは無の中のメイベルを確認した。
「メイベル…いったい何が…大丈夫だった?」
「わ、私は平気よ…でも…でも、リベリオが…あなたと私を庇って…」
言われてティノはさっと顔あげた、リベリオの顔は苦痛に歪んでいるように見えた。
「リベリオさん!」
焦って確認すると、背後には右手を抑えて立ち竦むアンナがいた。放心しているようだ。
リベリオをみると、背中の広い範囲に、深い傷口が見えた。服が破け、そこから赤い血がどくどくと沁み出している。彼の足もとには、黒い血だまりができていた。
「リベリオさん…どうして…」
「ティノ様と、メイベル様は…お客様です…傷つけられたなんて知れると、お嬢様が悲しまれます…それに、貴方は私の事を理解してくれる、大切な方。悲しむ顔など見たくはありません」
弱々しくも、彼らしい優しい笑み浮かべるリベリオ。その笑顔はが、ティノの心に深く突き刺さるようで。
「リベリオさん…」
「…私は、間違っていました…やはり、私は人間…だったのですね…自動人形は、血を流さないですから。アンナさんの言う通り…あなたのおかげで、思い出せました」
アンナの方を首だけで振り返り、やはり弱々しくリベリオは笑った。
「り、リベリオ…わたし、私…」
「私を助けに来てくださったのですね。あなたは昔からそうでした。気の弱い私を、あなたはいつも助けてくれました。ちゃんと覚えていますよ」
「ああ…!」
アンナは泣き出して、膝から崩れた。
「は、はやく、なんとかしないと…!そうだ、お医者さんを呼びに行かないと!ああ、でも街まですごく遠いんだった…」
ティノが叫ぶと、アンナがはっと顔をあげた。
「いいえ、街と森の間に、お嬢様の主治医をしていた医者の家があるの。私たち使用人もそこの医者に診てもらっていたわ。近道を知っているの。私が呼んでくるわ…!」
言うが早いが、アンナはすぐに部屋を立ち去った。リベリオの事想っていたというのは、本当の事らしい。
「ティノ様、お怪我は…」
「ぼ、僕はなんともないです!リベリオさん、お願いだから死なないで…!」
ティノは興奮と恐怖のせいか、頭の中がめちゃくちゃにこんがらがっていた。何が起きて、どうしてこうなってしまったのか。それよりも今は、リベリオを助けたい。涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔をぬぐいながら、ティノは必死にシーツで傷口を抑えていた。