13
アルセニーがアトリエに通うようになり、それからまた一年の時が過ぎた頃。それだけ時が過ぎても、彼がどこから来て、何をやっている人物なのかも知らなかったし、ジラルドは聞かなかった。ただ、毎日アトリエを訪れて、メイベルやジラルドに一方的に話しかけている。彼がいない間に、おかしな奴だと苦笑いをしたジラルドの顔を、メイベルは深く覚えていた。
そんな時に、街で事件が起こった。高級古物店が窃盗にあったのだという。その店ではいくつかの人形も扱っていたために、ジラルドは人形が破壊されていないかの確認に寄越されたのだった。世話になっている富豪の頼みということもあり、乗り気はしなかったが断り切れずに、ジラルドはその店へ向かった。店主は紳士然とした身なりの良い、壮年の男性で、ジラルドが自己紹介すると、すぐに店内へ案内された。
大層な宝石箱や、宝飾台はもぬけの殻で、そこにはあったであろうもの達がきれいさっぱり無くなっていた。
「君、荷物は?」
「いや、特に」
荷物を預かる、と店主に言われたが、ジラルドはほぼ手ぶらで此処までやって来た。人形の確認に道具は大して必要ないし、本人たちに話を聞けば早いからだ。店内を見回すと、店の入り口脇に三体の少女人形が飾られていた。どれも高級そうで、彼女らの衣服も貴重な布が扱われている。ジラルドはさっそく彼女らに話しかけた。
「なあ、お前さんたち」
「なにかしら」
「なにかしら」
人形たちは楽しそうにさざめきあった。それでも落ち着いた調子の声は、如何にも、箱入りお嬢様といった感じだ。ジラルドが人形の声が聞こえるとわかると、こちらの話は聞かずに興奮気味に口々に話し始めた。三人もいると話が止まらなくなるのは、人間の女でも人形でも同じらしい。ジラルドは仕方なしに頭を掻きながら、話が落ち着くのを待とうと思った。
「あなた、私たちの声が聞こえるよしみで教えてあげるわ。気を付けた方がよくてよ、ほら」
人形の一体がくすくすと笑いながら、気になることを言って、ジラルドは思わず背後を振り返った。
「人形たちの様子はどうだね?」
「…問題ないみたいです」
背後にはいつの間にか店主が立っていた。ジラルドの仕事を観察していたのだろうか。それより“気を付けた方が良い”とはどういうことだろうか。
「おい…」
「こら待て!勝手に入るな!」
突然入口から響いた怒号に、ジラルドの会話は強制的に中断させられた。声のした方を振り返ると、入り口に見慣れた奇怪な姿があった。
「やあ、ジル。こんな辺鄙なところにいたのかい!」
「…お前何してんだ」
そこにいたのは満面の笑みのアルセニーだった。胸にはしっかりとメイベルを抱いている。どうしてジラルドが此処にいるとわかったのだろうか。
「何してるって今日もメイベルに会いにきたのにキミがいないからわざわざ探しにきたんだ!」
「勝手にアトリエ入ってメイベル持ち出しといて何言ってんだ…」
「だってメイベルを勝手に持ち出されたら不安だろう?」
アルセニーは彼独自の思考を持っていて、それを理解するのは常人には難しい、とこの一年で学んでいた。
「それで街を歩いてたらキミが見えたから入って来たんだよ」
言われて外を見てみると、開かれた扉の前にはいつの間にか野次馬らしき、街の人々の人だかりができていた。先ほど聞いたのは、事件真っ最中の店に、勝手に入ろうとしたアルセニーを従業員が止めようとした怒号だったようだ。
「ジラルド君、その人は…?」
「ああ、すんません。俺の…知人ですが、すぐに追い出しますんで」
「うん、こんなところ長居はしたくないね」
勝手に入ってきておいてなんて言い草だと思いつつ、ジラルドはアルセニーの背中を押した。アルセニーもそれに逆らうことなく店から出て行こうとした瞬間だった。
「待て!」
突然の店主の大声に、ジラルドは少し驚いた。店主は突然機敏な動作でアルセニーに歩み寄り、首元に手をかけた。
「お…」
「なんだこれは⁉これはシス鉱石じゃないか!」
店主はアルセニーが首からかけていた大きな紅い宝石のついた首飾りを引っ張り、そう言った。そして今度は腕にかけていた飾りを引く。
「これはアデス石…こんな大きな…お前これを何処から手に入れた!」
鬼気迫る店主の怒号に、アルセニーは煩わしそうに眉間にしわ寄せた。そして服を引っ掴む店主の手を引き離した。
「やめてくれないか。メイベルが怖がるだろう。この宝石はボクが作ったんだ」
「作った…?」
呟いたのはジラルドだった。宝石を作った、とは加工したということだろうか。アルセニーは宝石職人だったのか、と関係ないことを考えてしまった。
「この宝石をお前が加工しただと?」
「加工したんじゃない、創ったんだ。錬金術で」
「つくった…?何をわけのわからない事を…」
ジラルドもわからなかったが、アルセニーは意味の無い事は言わない。そこには彼の理屈が存在するのだ。錬金術…聞きなれない言葉だった。
「この国では錬金術はまだ知られてないんだったね」
「戯言を言うな!そのシス鉱石もアデス石も、そんな大きなものは滅多とない…それが昨日ちょうど私の店から盗まれたものと同じである事を何と説明する!」
表情は変わらなかったが、店主の台詞にジラルドは少し動揺していた。外の野次馬達も、ざわめき始めた。
「だから説明している。ボクが創ったものだって。盗まれた?何のことだか」
「嘘をつけ!この大きさの石はお前のような庶民に手が届くようなものではない!鉱石の原産地も遠い異国…それが偶然昨日盗まれ、偶然この場に同じものを持つなどあるか!」
「何を言っているのか、わかるように言ってくれ」
アルセニーはひどい叱責を受けているのにも関わらず、冷めた口調で妙に上から目線で言った。その態度が腹に据えかねたのか、店主は表情をひくつかせて傍にあった杖を手に取った。
「この…盗人め!」
激昂した店主が大きく杖を振り上げ、勢いのままそれを振り下ろした。
「…!」
見物人の悲鳴、息をのむ声、鈍い激突音。一瞬のうちに濃密な時間が流れた気がした。
「…ジル…?」
「…っ」
ジラルドは自らの頭に触れた。ぬるりとした感触と、赤い血。興奮がまだ痛覚を抑えてくれていた。しかし痛いものは痛い。店主が杖に手をかけた瞬間、ジラルドは咄嗟にアルセニーと店主の間に割って入ったのだ。結果アルセニーを叩きつけるはずだった杖は、ジラルドの右側頭部に直撃した。
朦朧としそうになる意識を気合いで振るい起こし、ジラルドは店主に向きなおる。
「やめてやってください。こいつは犯人じゃない」
「な、なにを根拠に…」
店主はジラルドの行動に、狼狽しているようだった。メイベルが不安そうにジラルドに声をかけたが、ちらりと目線を向けただけで何も言わなかった。
「此処」
言いながらジラルドは、人形たちが座っている人形台を示した。店主がさらに狼狽えているうちにジラルドは人形たちを丁寧に退かし、かかっていたクロスを取り払った。人形たちが座っていた部分にはへこみがあり、そこに手をかけて引っ張ると、薄い蓋が軽い音と共に開いた。
「やめろ…!」
「あるじゃねぇか」
台の中には、大小様々な宝石が無造作にいれられていた。先ほどが店主が言っていた、大きな宝石もある。宝石は盗まれてなどいなかったのだ。
「あんたこうして、盗まれたといっては俺みたいなやつをひっかけて、盗人に仕立て上げてたんだってな」
ジラルドは鞄を持っていなかったが、持っていれば僅かな隙に鞄に盗まれたとされる宝石類をいれていたらしい。そして、交渉をもちかける。ばらしてほしくなければ、金を出せ、と。金がないものは奴隷になる。それは三体の少女人形たちが、ジラルドに教えてくれたことだった。
「ど、どうしてわか…」
「あんた、人形にも信用されてなかったんだよ」
店主は言い訳を繰り返していたが、見ていた町の人々が次々に店主を非難した。結局ジラルドの仕事は徒労に終わった。目をむけてみれば、珍しくアルセニーは驚いたような顔をしていた。しかしどうやら、彼もメイベルもまったくの無傷のようだった。
「まったく…おまえ…は…」
「ジル…?」
一瞬、アルセニーの顔が歪んだ。まったく、お前は本当に面倒くさいやつだ。そう思った後からの記憶は、ジラルドにはなかった。
次にジラルドが見たのは、見慣れたアトリエの天井だった。
「…?」
けだるさはあったが、よく眠れたと身体が言っている。妙な夢を見たと、ジラルドは目をこすった。
「おはよう」
「………」
起き上がろうと、横に首を向けると、そこには満面の笑みのアルセニーがいた。
「…なんでお前が」
「ジルはそれっばっかりだね~」
と、可笑しそうに笑う。まったく本当に何がそんなに可笑しいのか。アルセニーの話によると、ジラルドは丸一日意識を失っていたらしい。アトリエまで連れて帰ってきてくれたのはアルセニーだという。そういえば頭を殴られたんだった、と思って殴られた部分を触ってみたが、何の痕跡もなかった。
「…無傷?血流してたような…」
「流してたよ。あのままほっとくとでっかいタンコブもできてたかもね。ちょっと見たかったかも」
惜しいことしっゃちたかなぁ、と鼻歌交じりにアルセニーは言った。
「…なんかしたのか?」
「したよ。ちゃんとした救急処置。運が良いよジル!ボクの手にかかれば、あんな打撲、なかったも同然だよ」
「………」
少しだけうすら寒いような気がするのは気のせいだろうか。何せ丸一日眠っていたとはいえ、意識を失うような怪我をしながら、その痕跡はまったく残ってないのだ。
「…錬金術…とか言ったか。それと何か関係あるのか」
「あるといえば、あるかな」
「お前、何者なんだ」
ジラルドの問いには何も答えず、アルセニーは断りもなしにジラルドのベッドの端に腰かけた。
「それはボクの台詞さ!ジル、なんで昨日、あの店主がやってたことがわかったんだい?キミは天才か」
「違ぇよ…」
「じゃあなんで?」
こう、聞かれるのがジラルドは一番面倒くさかった。まして相手はアルセニーだ。何を言われるかわかったものではない。しかし嘘や誤魔化しが通用しないのがこの男だ。
「人形に聞いただけだ」
「…人形に?」
「俺は人形の言葉がわかるんだ。というか、聞こえる」
ジラルドが面倒くさそうにそういうと、アルセニーは何も言わなかった。訝って彼の顔を見てみると、なんと言っていいかわからない微妙な表情のまま固まっていた。
「おい、死んだか?」
「…ずるい」
「は?」
「ずるいよ!」
突然、大声と共に顔をぐいっと近づけられ、思わずジラルドは後ずさった。
「ずるいずるい狡いひどい羨ましい!だったらメイベルともお喋りできるんだ!そんなの!羨ましい!ひどい」
感情のまま喚きたてるアルセニーに、ジラルドは狼狽えた。ずるい、羨ましい、と言いながらアトリエ中を駆け回っていた。
「ずるいって…お前信じるのか?」
「なんで?信じるに決まってるだろう。嘘かどうかぐらいボクにはわかる」
不思議そうにそう返すアルセニー。ジラルドとしては、そちらの方が凄い。
「あぁ、ずるい。ボクだってメイベルとお喋りしたいのに…そんな事ができるなんて狡い。ボクにはできない。ねえどうやったらそんな事できるの?」
「知るか。俺は最初からこうだ。むしろなんでお前さん達にゃ聞こえねぇのか、そっちの方が不思議だ」
ジラルドの自棄理論に、それもそうかと、アルセニーは納得した。それにしてもこの能力をこんなに羨ましがられたのは初めてだ。大体気持ち悪がられるので、あまり口外していなかった。
「そうだ」
突然アルセニーが動きを止めて、妙案を思いついたような顔をした。
「聞こえないなら、聞こえるようにすればいいんだ。そのためには、人形の口を動かして、喉を震わせて喋ってもらえればいい…そのためには…そう、命。命を作ればいいんだ!」
「…は?」
何を突飛なこと言い出すのだ、やっぱりこいつは頭がおかしかったのかと、この時のジラルドは思った。
しかし決してアルセニーの頭がおかしくなったわけではなかったのだと、メイベルは後々痛感することになった。いや、もしかすると彼はこの時から、それとも出会った時から、もしくは初めから、壊れていっていたのかもしれない。