12
「お前さん、なかなかの美人だよ。生まれてきてくれてありがとうな」
彼女が目覚めて初めて聞いたのは、そんな言葉だった。低くて、何処か不器用そうで、でも優しい愛情が感じられるこの声が、彼女は好きだった。
彼女が生まれたのは、出来て間もない、まだ店とも呼べないような粗雑で汚い小屋だった。作り途中の人形だったり、デザイン画だったり、衣服の切れ端だったり。いたるところにいろんなものが落ちていた。
自称店主であるジラルドは、一人で此処に住んでいた。二十歳になり家を出て、一人で街までやって来たのだ。目的は人形アトリエを作る事。ジラルドの両親は普通の農民だったが、少し前の農業改革によって途端に国が潤いはじめ、物があふれ始めたのだ。ジラルドはその頃に生まれた。子が親の株や土地を受け継ぐ時代は過ぎ、才能ある者は潤沢な資金を持つ富豪に見初められ、開花していく。そんな時代だった。ジラルドに初めて人形を作らせたのも、そんな富豪の一人だった。富豪は子供たちを集めて、絵を描かせたり、勉強させり、服を作らせたりして、才能のある子供を援助し育てていっていた。そうして子供が活躍するようになると、富豪に見返りがくるという算段だ。ジラルドもそのような子たちの一人で、彼は人形造りの才能を開花させたのだった。
富豪に援助してもらい、繁華街から少し離れた場所に、小屋とある程度の資金を与えられたジラルドは、一心に人形造りをした。彼の人形はとても精緻で、美しく、そして愛らしかった。無口で、愛想が無く、どこか無骨なジラルドの性格からは想像もつかないほど、可憐な人形を作るのだった。
性格のせいで人付き合いが苦手だったジラルドの店には、当然客なんて来なかった。彼自身も営業より、ただ人形を作っていたかったというのもある。ただジラルドの人形は、彼を育てた富豪に特に愛されていた為に、富豪が作るたびに買い上げては、また別の富豪の手に渡ったりしていた。ジラルドは富豪が気に入ってくれるならそれでよかったし、自分も人形造りをしていられればそれだけ良いと考えていた。
しかし彼女だけは違った。彼女は、ジラルド自身が気に入った人形だったのだ。そのあまりにも美しい出来栄えに、富豪も彼女を求めたが、ジラルドは誰にも彼女を譲らなかった。
「早く名前考えてやらないとな。しかしお前にふさわしい名前がなかなか思いつかん…」
ジラルドはそう言いながら、よく笑っていた。ジラルドがほかの人形師と違っていたのは、彼が人形の声を聞くことができるという事だった。
「名前なんて別にどうでもいいわ」
「そうもいかんだろ。俺は作った人形には、みんな名前をつけてやりたいんだ」
「みんなすぐに出て行ってしまうのに?」
彼女以外の人形は、出来上がれば一か月と経たずにアトリエを去ってしまう。その一体一体にもジラルドは名前をつけていたし、何体かは彼女も仲良くなったけど、結局すぐに出て行ってしまうのだ。そして今は、彼女一体のみしかアトリエにはいない。
「さみしいのか」
「別にさみしくなんかないわよ。あなたがいるもの」
「そうか」
ジラルドの言葉はいつもぶっきらぼうで、短かった。それでも彼女は、ジラルドが彼女を気遣ってくれている事がわかっていた。何より特に自分を愛して、傍に置いてくれている事がうれしかったのだ。彼女はずっと彼だけのアトリエにいた為に、人間とはふつう会話できないという事を知るのに、時間がかかってしまったけれど。
そんなアトリエに、その少年がやってきたのは、彼女が生まれて一年程経ったぐらいだったろうか。彼女はいまだ無名の、少女人形だった。
「やあ、邪魔するよ。此処がアトリエ・コルティかい」
少年は大声でそう言いながら、ずかずかと遠慮なくアトリエに入って来たのだ。アトリエに人が来た事にも驚いたが、不作法で遠慮のないその態度に、特に驚いた。
少年の目は驚くほどに透き通った青で、肌は妙に青白く、指先もひょろっと細くて儚げな印象を抱かせた。それなのに態度も声も妙に大きくて、そのちぐはぐさが奇妙な男だった。色素の薄い髪は地につく程長く、見たことのない類の衣装は、何処かの民族の伝統衣装だろうか。手首や胸元には大きな宝石のような石をじゃらじゃらつけていた。“アルセニー”というその少年の名前にも聞き馴染みがなく、遠い異国を思わせた。少年といっても、ジラルドとそんなに歳が離れているにも見えなかったが、まだ顔には幼さが残っている。
「なんだ、お前は」
ジラルドは面倒くさそうに、接客した。まったく客に対する態度ではないし、アルセニーが客なのかどうかもわからなかったが、一応接客だろうと彼女は思った。
「なんだお前は、だって!ねえねえ、それってボクに言ってるのかい?」
「お前以外に誰がいる」
「誰かいるかもしれないじゃない!一応聞いてみただけだよ」
噛み合っているいるようで、まったくちぐはぐな会話。アルセニーはおかしそうに笑ったが、何がそんなに面白いのか。その態度に、ジラルドの眉間のしわがぐぐぐっと刻まれていくのが見えた。
「此処がアトリエ・コルティなら、キミがジラルド・コルティかい」
「そうだ」
「そうか、やっぱりね」
なぜだか得意げにアルセニーは言ったが、誰でもわかりそうな事だ。アルセニーは楽しそうに鼻歌を歌いながら、勝手にアトリエ内をうろつき始めた。
「おい、何をしている」
「探してるんだよ」
「何を」
ジラルドがそう言った瞬間、アルセニーの目線が彼女へと向けられた。
「…見つけた」
「おい」
ジラルドの制止も聞かず、アルセニーはまっすぐと、彼女から目を離さないで近づいた。
「ようやく出会えたね、ボクのメイベル」
言いながら彼女を持ち上げて、愛しそうに抱きしめた。
「何を言っている。メイベル?そいつは…」
「そいつは?」
アルセニーの問いに、ジラルドは何も答えられなかった。何せ彼女が生まれて一年、ジラルドは一向に名前を付けられずにいたのだ。
「…なんでメイベルなんだ」
「僕の母方の国の言葉でね、かわいい子って意味なんだ。ボクはね、ボクの運命の子はきっとメイベルというんだって昔から思ってたんだよ」
「は?」
言いながら彼女を高々と持ち上げて、アルセニーは店内をくるくるとまわった。嬉しそうに細められる青い目。それを映し返す彼女の、青い目。
「運命の子ってなんだ」
「言葉通り、ボクが一生、永遠に愛する女の子の事だよ!」
「そいつは人形だ」
「見ればわかるよ!」
おかしそうに笑うアルセニーに、ジラルドの眉がぴくりと動く。
「街でね、キミがこの子を抱いているのを見かけたんだ。そしてボクは唐突に知った。この子が、ボクの運命の子だってね」
「だが、そいつは人形だぞ」
「だから見ればわかるよ!どうして何度もそういうんだい?」
ジラルドはアルセニーの言動がまったく理解できなかった。それは彼女も同じだった。ならせこの男は、人形に一目惚れをして、一生愛し続けるんだと言っているのだ。
「人形遊びなら他所でやってくれ。そいつは誰にも譲る気はない」
「譲ってほしいんじゃない。ただ彼女に会いたかっただけさ。だって好きな子をもらうとか、自分のものにするとか、そんなのおかしいだろう?」
本当に不思議そうにそういうアルセニーに、ジラルドは頭を抱えた。
「そいつは人形。そいつはモノだ」
「モノでもなんでもいい。ボクは彼女を愛してる。だから会いに来た。ねえ、何か変かな?」
変だ、何もかも。アルセニーには常識というものがないのだろうか。いや、彼の中の常識が他と違うのだろうか。
「おまえ、馬鹿か?」
「さあ、どうかな。でもね、キミがボクの事を馬鹿っていうのは、特別に許してあげる!」
「許すって…」
「あのね、ボクは大抵の人間は見下して生きてるんだけど、ジラルド、キミの事は尊敬してるし、感謝してるんだ!だから許してあげる」
「尊敬…?」
まったくそんな風には見えない、とジラルドは目を眇めた。
「ホントだよ。だってキミはボクの運命の…メイベルを作った人だもの!これは凄いよ。こんなのボクには作れない!」
アルセニーは再び楽しそうに歌いながら、くるくると彼女を抱いたままアトリエを回った。まるで踊っているようだ。
「彼女を見ていると、世界のどんな事でも些細な事だと思えるんだ。胸が暖かさで満たされるんだ!これは凄いことだよ。だって人の心をこんなにも動かすなんて、そうそう簡単にはできないし作れないことなんだよ。ああ、でもそんな事も彼女の前ではどうでもいいことだね。愛してるよ、メイベル」
愛しそうに彼女の頬を撫で、再び胸の中に抱くアルセニー。彼女はただただ、困惑していた。こんな人間は初めて見る。それはジラルドも同じようだった。
「……とりあえずメイベルを離してやれ」
「ん?この子の名前はやっぱりメイベルなのかい?」
「そうだ。いや、そうだったみたいだっていう方が良いか」
ジラルドは頭をかきながらため息を吐いた。そしてようやく、アルセニーの手から彼女取り戻してくれた。
「しかしこいつはお前の運命の子とやらではない。俺の人形だ」
「そんなことないよ。キミがどう思おうが、この子はボクの運命の人さ。安心してよ、彼女を譲ってほしいとか、奪おうだなんて思ってないから。だけどね、毎日会いにくるよ!だって大好きだもの」
ニコニコと元気よくそういったアルセニーに対して、ジラルドはこめかみあたりを指で押さえて、頭痛を緩和させようとしているようだった。
「…勝手にしろ」
それが後の生命の錬金術師であるアルセニーと、彼らの出会いだった。そして彼女はその日から、メイベルになったのだった。