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メイベルはアトリエの建物よりも、古くから其処に居たらしい。アトリエは二百年前からあるという老舗中の老舗である。メイベルはアトリエが出来た当時からいるらしく、アトリエの歴史とメイベルの歴史はほぼ同義だった。メイベルは二百年ものの人形の割には、今でも、誰でもその美しさがわかる傑作少女人形である。愛らしさ、美しさ、そして人間らしさ。それらは色あせることなく、今でも変わらずそこにあった。そしてアトリエの中で、百年を超える人形は彼女のみであった。

 当然、ティノが生まれた時にも、彼女はアトリエにいたのだろう。そしてティノが僅かな言葉を話すようになる頃には、すでにメイベルはそばにいた。

 幼いティノには、人間と人形の声の区別ができなかった。だから幼いティノにとっては、メイベルは多くの姉たちの中の一人と変わらぬ存在であった。

 ティノが幼い頃は、姉たちはティノが人形と会話するのは、ただの人形遊びだと思っていたらしい。たまに人形ぐらいしか知らない事をティノが知っていたのは、不思議に思っていたらしいが。しかしティノにとっては、なぜ人形の声が聞こえないのか、そちらの方が理解できないぐらいだった。


「ねぇ、めいべる。どうしておねえちゃんたちは、めいべると違うことをいうの?」


 姉たちはティノの人形遊びにつきあってくれたが、人形のマネをする姉たちは、人形とはまったく違う事を言っていた。それに対してティノが違う、そうじゃない、とあまりに言うものだから、呆れた姉たちはティノとは人形遊びをしてくれなくなった程だ。


「ティノ。あのね、ティノ。私たちお人形の声は、あなた以外には聞こえていないの」

「どうして?」

「あなたが特別だからよ」

「とくべつ?」

「あなたが特別、お人形が好きだから、お人形もあなたとお喋りがしたいの」


 メイベルはそう、ティノに教えてくれた。ティノはそれがうれしくて、人形とのお喋りが大好きになったのだった。

 しかし、彼の人形好きが、異様なものだと周りが感じ始めたのもすぐだった。ティノが近所の子供たちと遊ぶようになっても、メイベルを手放す事はなかった。最初は男の子が少女人形を持っているというだけで、からかいの対象になった。しかし、彼が人形と会話する素振りを見せると、子供たちは気味悪がってティノを遠ざけるようになった。頭がおかしい子だと、大人たちの間でも噂されるようになっていた。

 姉たちもティノの奇行には困惑しているようだった。姉たちが多感な年齢になる頃には、変な事をするのをやめろと激しく責められる事もあった。しかしティノの耳から、人形たちの声が聞こえなくなる事はなかったのだ。

 気味悪がられて、怒られて、そして悲しませた。だから人形を遠ざけて耳を閉ざして家にこもった。もう、誰の言葉も聞きたくない。

 そんな時でも、メイベルは「だいじょうぶよ、ティノ」と優しく声をかけてくれた。そんな声すらも、聞こえないふりをしていた事もあったのに。

 やがて姉たちはみんな大人になり、少しずつティノの事を理解してくれるようになっていた。ティノが人形しか知らない事実を知っているという事が、嫌という程彼女たちにはわかっていたのだから。ティノに対する接し方も変わり、姉たちはティノを守るようになってくれていた。姉たちが認めてくれるのでティノ自身も人形の声を、その感情を認めるようになった。その時メイベルが嬉しそうに笑ってくれたのが、ティノもうれしかった。

 それでもティノは、姉たち以外の人間を遠ざけて、アトリエに籠っていた。

 自分を遠ざける人間の声を遠ざけて、ずっと殻に籠っていた。姉たちはティノに負い目があるせいか、過保護なまでにティノを守ってくれている。アトリエが潰れないように必死になってくれているのは、ティノのためでもあるのだ。ティノの唯一の居場所である、アトリエが無くならないように。

 今回この屋敷に自分が遣わされたのは、不気味だと遠ざけられたティノと、同じ境遇だったからだろうか。此処ならティノを受け入れてくれると、そう思ったのだろうか。メイベルと一緒に行っても良いと言ってくれたのは、そのためなんだろうか。


 ティノは姉たちの顔を思い出して、また泣いた。

 早く帰りたい。あのアトリエに、姉たちの元に。きっと心配しているだろう。それともティノを追い出せてせいせいしているだろうか。そう言えばきっとメイベルは「そんなことないわ」と言ってくれるだろう。メイベルはずっと、ティノの味方だった。彼女だけはティノを否定せずにいてくれた。そしてティノはそんな彼女を捨てきる事なんてできなかった。

 帰りたい、メイベルと一緒に。

 その想いが胸を占める。何もできない代わりに、リベリオの無念を晴らしてあげたい。だったらやる事は決まっている。ティノは勢いよく立ち上がって、部屋を後にした。




「メイベルごめん!」


 ティノはメイベルを放置していた書庫に急いで戻って、息を切らして彼女の前に躍り出た。机の上に置かれたメイベルは、別れた時のまま静かに座り込んでいる。人形なのだから当然だが。


「め、メイベル…?もしかして怒ってる?」


 恐る恐るメイベルを抱き上げるが、メイベルからは何も返ってこない。当然怒っているのだろうが、怒声すらもない。ティノは不安になってメイベルを揺り動かした。そうしたところで動きだすわけもないのに。


「め、メイベル…?メイベル、どうしたの…?」

「うるさいわね、聞こえているわよ」


 微かに彼女の声がして、ティノは心底ほっとした。言葉にはやはり険があったが、それが逆にティノを安心させた。


「ごめんね、メイベル…こんな場所に放置して」

「ほんとうよ」


 メイベルの声は、少しだけ掠れているように聞こえた。人形でも声が掠れるんだな、とティノなんだかおかしくなった。


「さみしかった?」


 ティノが冗談交じりにそう言うと、メイベルは押し黙ってしまった。


「…さみしかったに決まってるじゃない」

「メイベル?」


 普段とはまた違った様子のメイベルの声音に、ティノは違和感を覚えた。やはりメイベルは、この書庫に来てからどこか様子がおかしい。冷静になってみると、そう感じる事ができた。


「ティノ、あなたは私がどれだけさみしい想いをしたのか、まったく全然わかってないわ」

「だ、だからごめんって…」

「違うの」


 寂しい、と弱音を言うメイベルは初めてで、ティノは戸惑っていた。てっきりそんな事ないわ、と強気に返してくれると思っていたのに。


「私はずっとずっと、あなたを待っていたの」

「メイベル…?」


 そんなに長い間、彼女を待たせていただろうか。ティノがメイベルを無視していた期間に比べれば、ほんの僅かな時間なのに。あの時だって、メイベルはこんな事は言わなかった。


「メイベル、いったいどうしての…?何があったの?」


 何も言わないメイベルに、ティノは不安を覚えた。この書庫にきて、彼女を置いてけぼりにしていた間、どんな心境の変化があったのだろう。


「…生命の錬金術師」

「え?」


 突然メイベルの口から出た単語に、ティノは狼狽えた。


「全部あいつのせいよ。あいつが悪いのよ」

「ど、どうしちゃったの?メイベル。あいつって…」

「あいつよ。生命の錬金術師…アルセニー」

「アルセニー…?そ、それは…人の名前?生命の錬金術師の?」

「そうよ」


 伝承にも載っていない彼の名前を、どうしてメイベルが知っているのだろうか。


「どういう事なの…?」

「簡単なことよ。さっき伝承に載っていたでしょう」


 ティノは先ほど読んだ伝承を思い出す。本はまだ机の上に置きっぱなしだったので、急いで貢をめくった。


「ここに出てくる登場人物…生命の錬金術師、名前はアルセニー。友人の名前はジラルド。そしてこの、錬金術師が恋した人形の名は…メイベル」

「メイベル…?それって…君?」

「そうよ」


 はるか昔の伝承。半分お伽噺の世界。ティノはそう思っていたのに。あまりの話で頭の回転が追いつかない。何を考えていいのかもわからない。


「ジラルド…生命の錬金術師の友人、ジラルドは、本名をジラルド・コルティというの。ティノ、あなたの先祖で、アトリエ・コルティの創始者よ」

「ご先祖様…?」


 思いもよらない展開に、ティノの頭の中は熱で沸騰しそうになっていた。伝説の錬金術師と知り合いで、その伝承に出てくる人が、自分の先祖。そしてその人形が、今目の前にいるメイベル。


「じゃ、じゃあ…生命の錬金術師が求めてた人形って…」

「そうよ、私よ…たぶんね」

「たぶん?」

「いつか、これはあなたに話さなくてはならないと思っていたの。…長い昔話だけど、聞いてくれるかしら?」


 ティノは素直にうなずき、倒れていた椅子を起こして座った。メイベルを机の上に戻すと、彼女は静かにに語り始めた。


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