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テガミ ──The short tales of LETTERs──   作者: 蒼原悠
Ⅰ 伝われ、この気持ち。
8/25

いつかは晴れる ──父→息子──


【letter-08 without eternal rain】




 都内随一の進学校を卒業し、海外の大学への進学を決めた少年・千駄木(せんだぎ)郁哉(いくや)

 母からは賞賛の電話を貰いましたが、あまり仲の良くなかった父からは何の音沙汰もありません。

 里帰り出来そうにもないし、もういいか。そう考えていた矢先でした。


 こんな手紙が、届いたのは。











千駄木 郁哉様






 まずは、卒業おめでとう。


 そして、私立ハーバー大学への進学、おめでとう。




 立派なもんだ。あの有名な私立閏井(じゅんせい)高校の課程を、全てちゃんと修了できたなんてな。


 俺がお前と同じ歳だったなら、きっと途中で投げ出してただろうよ。やっぱりお前は、俺より頭がいい。この前も母さんと二人で、鳶が鷹を産むってこのことだなって笑いあってたのを覚えてるよ。



 ま、学力なんか俺はどうだっていいと思ってたけどな。


 高校生っつーのは勉強する事よりも、仲間を大切にする事とか、人間関係の構築の練習の場だと思うからな。勉強なんか大人になってからだって出来る。そんな事より、俺はもっと人間らしい事を大切にしてほしかった。


 勘違いするなよ。別に郁哉が出来てなかったなんて言うつもりはねえんだ。出来て当たり前だし、それが出来なきゃ人生楽しくねえもんな。



 しかしまあ…………勉強も大事だけどな。


 うん、大事だな。



 世の中、移り変わるもんだ。


 この前も、俺の知り合いの工場がまた一つ倒産した。ちっこい企業はどんどん脇に追いやられるのが現代だ、時代の流れってやつなのかも知れないがな。


 この不況のせいか、お前んとこの入学希望者も少しずつ減ってるみたいだしな……。


 いいか、綺麗事はいくらでも言える。けどな、世の中結局はカネだ。カネが回ってさえいればみんな気持ちが前向きになる。色んなモノが買われて、色んな笑顔の花が咲くんだ。けどカネが回らなくなってみろ、目も当てられねえ。この消費経済はすぐに疲弊して、悪いニュースばかりが横行するようになっちまう。


 分かるだろ。お前にも、苦しい思いをさせちまったからな。




 安心しろ。


 うちの町工場は、まだ当分は安泰だ。大手のメーカーからの発注を請けてるからな。向こう十五年は安定した需要が見込めるそうだ。


 さすがにお前のハーバー大学の学費までは持てないが…………。









 ……すまなかった。




 ずっとな、言いたかったんだ。


 仕事が忙しいぶん、俺には家庭の父親のような役目はこなせない。だからこそ、せめて金銭面ではお前を安心させてやりたかったのに。


 郁哉が閏井高校に受かったって聞いた時、本当は嬉しかった。東京一の進学校に進む未来が拓けたなんて、俄には信じられないくらい嬉しかったんだ。


 けど、私立校って聞いたとたんにどうしてもカネの事が気になっちまってさ。しかもそれは隠して一方的に、お前に行くな行くなって言っちまった。父親として、最低だった事は分かってる。


 けどな。本当は少し、怖くもあったんだ。あんな頭のいい学校に入れちまったら、せっかくの郁哉の青春時代が勉強で潰れちまわないかって考えると、何だか憐れで仕方なかったんだよ。


 それに、家からあんなに離れた学校じゃ、いざって時に俺たちは何も出来なくなっちまう。下宿でも平気だってお前は言ったし、確かに俺も知っている町ではあったけど、やっぱり心配なんだよな。東京の都心に息子を一人で放り出すのは、どうしても不安なんだ。



 分かってくれ。俺は決して、お前の未来を閉ざしたかった訳じゃないんだ。


 だからこそ、杞憂だって分かって本当に、本当に、嬉しかった。





 なあ、郁哉。


 この世の中には、楽しいことはいくらだってある。


 せっかくアメリカの大学に進学するなら、思いきり向こうの文化を楽しんで来たらいい。たくさんの人に出会って、たくさんの話を聞いてくるといい。たとえ地球の裏側に住んで、知らない言語を話す人間だって、俺たちと同じ地球人なんだ。心を通わせる事は、きっと出来るんだ。そしてそれは間違いなく、お前のかけがえのない人生経験と思い出作りを手助けしてくれる。


 そういうことから、人は成長していけるんだ。お前は、まだ若い。勉強なんかに時間を奪われてる暇があったら、色んな事を学んで来い。


 学ぶことと勉強の違いなんて、分かるだろ?







 近頃、染々思うんだ。


 こうやって、子供ってなぁ親元を離れてくんだな、ってな。


 なんか、寂しいな……。




 うちの工場がまだ文京にあった頃を思い出すよ。


 郁哉が小学校に上がるときに移転するまでずっとお世話になった町だったからな、郁哉が下宿の地に選んだのも頷けるよ。慣れ親しんだ町が学校の近くにあって、ラッキーだった。


 あそこは勉学にはとにかくいいところだからな。最高学府たる東大もありゃ湯島聖堂もある。上野公園には博物館やら美術館やらが山ほどある。心を鎮めたきゃ谷中霊園だってある。なんつってな。


 ハーバー大のあるニューヨークがどんな所か俺は知らねえけど、まあきっと大丈夫だろ。お前は三年間、単独で下宿生活を送る能力が、高校生で立派に身に付いてるんだからな。





 郁哉。


 いいか、肝に命じとけ。


 お前がその気になりさえすれば、何だって出来る。不可能なんてねえんだ。

どんなにつらいことがあっても、心が磨り減って潰れちまいそうになっても、後ろは向くな。後ろはいつだって、俺たちがちゃんと見てる。


 だからお前は胸を張って、前を向いて進め。どんな悪天候だって、いつかは必ず晴れ間が覗くんだ。その時を、ぜったいに見逃すな。


 ……いや。


 お前が「明日は晴れる」って強い気持ちさえ持ってれば、予報が雨だって好天にできるのかもしれないさ。






 何年か後、


 お前が向こうで見つけた“宝物”を手にして帰ってくるのを、


 楽しみにしてるよ。





 元気で、頑張ってこい!










千駄木紀保(のりやす)












「千駄木教授、新型量子コンピュータ開発成功おめでとうございます!」

「完成後のご気分はいかがですか!?」

「今後はどのようにして役に立てていくのかなど、ぜひお聞かせ願いたいです!」──。


 居並ぶ記者たちの間から、次々に質問が飛び出した。

 バシバシとフラッシュが勢いよく焚かれ、マイクとカメラに囲まれた中央で恥ずかしそうに笑う郁哉を浮き彫りにしている。


 米国ニューヨークの私立ハーバー大学に入学してから、のべ八年。

 在学中に量子コンピュータの新たな原理を実験で確かめた郁哉への賞賛の声は、凄まじいものだった。完全なコンピューターの実現へと通じる、貴重な一歩だったからだ。今日も明日も、インタビュー責めの予定がぎっしり詰まっている。

 マイクの一つが、ずいと迫り出してきた。思わずびくりとする郁哉。

「産業建設新聞社の者です、今のお気持ちをお聞かせください! 完成から数日経たれて、やはり実感がよりはっきりと出てきたのではないですか!?」

「あ、はい、えっと……」

「週刊ITです! こちらからも質問させていただいてよろしいでしょうか!」

 だめだ。質問の殺到する勢いが早すぎて、ついていけない。誰かに交通整理を頼みたいくらいだ。

 郁哉はため息を密かに吐いた。

 昔からこうだった。閏井高校でも研究成果の発表の機会が幾つもあって、そのたびにこうしてあたふたしてしまったのを思い出す。

 やっぱり俺、変わってないんだな……。そう思ったら、ため息が苦笑に変わった。



 そう。何も変わってはいない。

 今も昔も、郁哉はこうして──。




 物思いに耽りかけたその時、妙に鮮やかな響きで、郁哉の耳に飛び込んできた質問があった。

 こんなものだった。


「──この報告を真っ先にしたいのは、誰ですか?」


 ああ、それなら決まっている。マイクを手にしてこちらを真っ直ぐに見つめてくる記者を前にして、そんな声が心を揺らした。 なぜだろう、すぐに郁哉の頭には、ある人物の顔が浮かんだ。のだ

 学それは友でも、おはたまた世話になった教授でもない。続柄をたった二語で表現することのできる、その人物を、郁哉はにっこりと笑って簡潔に口にした。


「父です」


 教授の名前を挙げるとでも予想していたに違いない。記者たちの間に、小さな驚きの声が上がった。

 なぜですか、と問われることは分かっている。郁哉は先に口を開いた。

「ここへ来る時、父が大切な助言をくれました。『後ろは向くな。後ろはいつだって、俺たちがちゃんと見てる』。──そう言ってくれたんです。

父が後ろで見てる。そう思えたからこそ、頑張れたんだと思います。父は単なる町工場の社長なのですが、立派な人だと思っています」

「なるほど、よいお父様を持たれたんですね」

 記者もまた、微笑んでいた。そしてその口元に一瞬、茶目っ気を覗かせた。

「お父様を超えることは、できそうですか」

 フラッシュの射撃が一段と厳しさを増している。目映い光に目を細めて、郁哉は呟く。

「……俺には、まだまだ、超えられませんよ」


 そう言うと、郁哉は上へと目を移した。





 なぜだろう。

 そう問われていたら、郁哉はこう答えたかもしれない。


 “ふいに込み上げそうになった何かを、こらえたくて”。



 空の彼方までよく晴れた日の、昼過ぎの事だった。




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letter-08 without eternal rain

公開日 2014/04/01 07:00

舞台 東京都文京区




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