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テガミ ──The short tales of LETTERs──   作者: 蒼原悠
Ⅰ 伝われ、この気持ち。
5/25

それでもいつか ──彼女→彼氏──




【letter-05 and yet】




 ……同居していた愛しの人が、無実の自動車事故で捕まってしまってから、もう二ヶ月。

 公判も始まり、彼がいわれのない罪を着せられていくのが、一人ぼっちでの生活が、彼女──高砂(たかさご)笙子(しょうこ)には耐えきれません。

 彼の留置されている東京拘置所と、二人の住んでいたマンションは、同じ町の中。こんなに近いのに、顔を見ることが出来ないなんて。


 早く、帰ってきて。

 そんな願いを込めた拘置所行きのテガミが、紡がれてゆきます。

 








金町(かなまち) 瑞季(みずき)





 君に、この手紙は届くのかな。


 いや、手続き上は届くのよ? ただ、私の伝えたい事は届くのかなって思っただけなの。


 私は、いつだって君の味方なんだよ、って……。




 私だよ。笙子だよ。

 

 心配しないで。私は元気だからね。


 拘置所内に手紙を届けることが出来ると弁護士さんに教わったので、書いてみることにしました。


 思ったことを片端から書き連ねただけだけど、読んでほしいな。






 君が裁判のために拘置され始めてから、もう二ヶ月だね。


 びっくりだよ。月日の経つのって本当に早いんだね。この二ヶ月間、色んな事がありすぎて時間の存在が薄れてたみたい。


 もうさ、大変だったんだからね? 証拠資料出せって検察からも弁護士さんからも言われて、自分で家宅捜索してるみたいな気分だったよ。


 開廷されてる間は大した話もしないのに。裁判って、大変なんだね。私、もっともっと簡単に済ませられるものなんだと思ってた。


 でも一番大変なのは、日比谷の東京地裁に行くために、逐一職場に休みの連絡入れる事かなぁ。バカ正直にそんなこと言えないもん。




 最近ね、すごく売れ行きが悪いみたいなの。うちの会社。


 消費税が値上げになって値段が釣り上がったのが原因じゃないかってみんなは言ってるけど、私には正直、よく分かんない。


 景気がよくなったとか悪くなったとかの実感がないのと同じなんだ。みんな口を揃えて悪くなったって言うけど、だからって別に柴又の商店街とか、亀有のスーパーを訪れる人の数が減ったようには見えないし。でも確かに営業利益は減ってたりするんだもん、変だよね。


 私の生活に瑞季の姿はいなくなったのに、どこかに隠れているような気がしてならないのと、同じかな。




 あれ。


 何の話してたんだっけ。







 違う。違うよ。


 私が言いたいのは、こんなことじゃない。


 こんなことじゃなくて、






 …………さみしいな、って。




 ねえ、もう二ヶ月だよ?


 裁判、まだほとんど開かれてないじゃん! いったいいつ終わるの? まだまだかかるの? もし禁固とか懲役になっちゃったら、またさらに向こう数年間も帰ってこられないの?


 イヤだよ。こんな広々したマンション、私一人で過ごすには大きすぎるよ。こんな開放的な窓とバルコニー、私一人が立つには横長すぎるよ。あんなに広い空、私一人で見るには綺麗すぎるよ。暗すぎるよ。寒すぎるよ。


 早く、帰ってきてよ。


 お願いだから…………。





 知ってる?


 知らないかな。



 うちのベランダから、小菅の街が見えるんだよ。


 東京拘置所だって、ばっちり見えるんだよ。


 すごいでしょ。拘置所のある場所と、このマンションのある青砥って、意外と離れてないんだね。たかだかマンションの十五階だって、東京中が見渡せるみたいな気がする。柴又も亀有も矢切渡も、葛飾区のぜんぶが視界に入るんだ。



 なのに、瑞季の姿は見えなくて。


 ねえ、瑞季はあの建物のどの辺りにいるの? あんな大きなシルエットだけじゃどこが何だか分かんないけど、調べればきっと大まかな場所の見当くらいはつくと思うんだ。


 ああ、あそこにいま瑞季がいるんだ、って思えるだけで私は満足するよ。それしか出来ないよ。私の力じゃ、裁判を早く進めたりなんて出来るわけもない。ここでこうやって、祈ってるしかないから。



 忘れないで。



 私はいつでも、瑞季の味方だよ。


 面会の時、瑞季が話してくれたのが事故の全てだったって、信じてるよ。


 瑞季には捕まる理由なんかない、冤罪だったって、信じてるよ。


 瑞季がやったんじゃない。そう裁判所の人たちにも信じてもらえるなら、何だってする。苦しいけど、悲しいけど、部屋の荷物まるごとひっくり返してでも証拠を見つけるよ。





 だから、瑞季も諦めないでよ。


 もう仕方ない、とか言わないでよ。







 ……て言うか、


 どうして、こんなことになったんだっけ。





 あの日だよね。


 東京に雪が降った、あのクリスマスの日。


 私が会社で調子崩して、いいって言ったのに瑞季は自分の会社を早引きして迎えに来てくれようとして。


 路面は凍ってたし、雪で前は見えないし。コンディション最悪でも、瑞季は私を労ってくれた。その嬉しさが悲しみに変わった瞬間が、忘れられないんだ。


 前のクルマが事故を起こしたんだよね。撥ねられちゃった人が目の前に倒れてきて、瑞季はクルマを停めて。前のクルマは逃げちゃって。


 なんであれで捕まっちゃったんだろう。警察の人は、うちのクルマの前の部分に撥ねられた人の血痕があったって言ってた。意味わかんないよ。でも中古車だったし、今思えば事故って売られてたクルマだったのかな。


 あんまりないお金で、やっと買った最初のクルマだったのに。前の古いアパートの頃から、大事に大事に使ってきたのに。どうして、裏切られたのかな…………。




 訳が分かんないまま、瑞季は自動車運転過失致死の現行犯って言われて捕まって。私の耳に全てが伝わったのは、我慢して帰った後だった。


 知らないよね。私あの夜、眠れなかったんだよ。瑞季がいない寂しさに、心の苦しさに、理由の分からない怒りに、胸がいっぱいでとても寝られなかった。失うって事の怖さが、ようやく分かった気がしたんだ。



 共働きで、ふだん会うこともあんまりなかったよね。


 それでも瑞季は、デートの時に言ってくれた。


 「離ればなれでも、心はいつだって繋がってる。だから、安心してよ」


 って。



 私たち、まだ繋がってるのかな。


 繋がれてるのかな。





 ねえ。


 どんなに手を伸ばしても、君には届かないの?


 あの面会室のアクリルボードの向こうは、私の入れる世界じゃないの?



 夜の闇を手で探るみたいにして、君の姿を探して安心するなんて。


 もうやだよ。


 寂しいよ。


 泣きたいよ。


 泣きたくないよ。








 ……わかってる。






 瑞季に訴えたって、どうにもならない事くらい。





 ごめん、どうしても言いたかったの。



 ダメだ、私。


 ぼろぼろだよ。


 あっちこっちが。






 瑞季、頑張ろう。


 頑張って、冤罪だって事を証明しよう。


 私は私の出来ることをするから。だから瑞季も、信じて。私たちの日々は、こんなくらいじゃ潰されない。いつかは必ず、笑える日がくるって。


 運命なんてモノがほんとにあるなら、壊しちゃおう。壊してでも、前を向いていようよ。



 きっと、大丈夫。


 正しい人は、救われるんだよ。神様はきっとどこかで、見守ってくれてるんだよ。


 朝が来ない夜は、ないんだよ。





 ……結局何が言いたいのか、分かんない手紙だね……。



 離ればなれの、私たち。


 それでも、心は離れてなんかいない。そう言ってくれたのは、瑞季だから。


 だから私は、信じ続けるよ。


 早く出てきたら、お祝いしようよ。私たちの心が、まだ離れてなかった事を。





 だから、だから、

















 ……また、明日の面会で会おうね。







 高砂 笙子










「手紙が、届いている」


 明け方、看守にそう言われ、呼び出された瑞季に差し出されたのは、一枚の茶封筒だった。

 表にはでかでかと、風情のかけらもない検印が押されている。違和感だらけの非日常にも、もう慣れたつもりだった。それでもこの出来事には、瑞季も驚かされた。

 身に覚えがない。何か手紙を送られるような事をしただろうか。被害者遺族への謝罪文一枚すらも、まだ送っていないのに。

 ともかく受け取らなければならない。早くしろ、と看守が目で急かしている。

「はぁ……」

 瑞季は手を差し出した。そうして、手紙を手にした。


 受け取った手は、ひどく汚れていた。

 ここに収監されて、もう何日が経っただろうか。手も足も何もかもすっかり、自分は穢れてしまったような気がした。

 はは……。出来ることなら、そんな風に卑屈に笑っていたい。

 こんなになって、いったい笙子のもとにどんな顔をして帰ればいいというのか。検印よりも何倍も何倍も大きな烙印が、瑞季の背中には押されているのだ。

 自嘲気味になりながらも、瑞季は封筒に手を掛ける。そのまま、丁寧に封を切ろうとした。


 気づいたのは、封を切る寸前だった。

 それが他でもなく、笙子の書いたものであった事に。


 見覚えのある、ちょっと崩れた丸い文字たち。瑞季は勢いよく封を切り、むさぼるように文字たちを追った。看守の前であることは分かっていたが、今やなりふり構ってはいられなかった。

 読み進めるたび、笙子が押し込めようとしたのであろう想いが、炎に炙られたかのようにして紙面へと滲み始めた。

──寂しいよ。

──悲しいよ。

──帰ってきてよ。

 笙子は確かに泣き叫んでいた。無機質な紙の表面からでも、それは十二分に伝わった。

 あいつ、と瑞季は項垂れながら呟いた。手紙の端がぐしゃりと潰れ、看守が少し眉を上げた。


 自分がここに入っている時間が、長くなれば長くなるだけ、笙子の心は痛みを増していく。

 そんな当たり前の事実に気がついた途端、どっと押し寄せてきたのは何だっただろう。きっと罪悪感だ、と瑞季は考えた。そして同時に、俺って最低だ、と思った。ただひたすら、そう思った。


「知り合いなのか」

 瑞季の不自然な挙動に、気になって来たらしい。看守が低い声で尋ねてきて、瑞季は無言で頷いて答えた。

 声なんて出せそうになかった。出したら、もののコンマ一秒でバレてしまうだろう。肩が小刻みに震えているのが。

 いや、もうバレているかもしれないが。それならそれで、構わない。


 ごめんな、笙子。

 瑞季は呻くように、心の中で言った。

 俺、諦めないから。必ず、あの家に戻ってやるからな……!





 看守は事情を知らない。

 手紙を渡すという任務は終わった。俯く瑞季の背中を押して、そっと房の中へと戻す。そうして鍵をかけた。ガチャンと響いた大きな音は、今の瑞季のステータスを示すには余りあるものだった。

 そのまま、看守はそこを去りかけた。

 ……けれど足を止めて、静かに涙を流す瑞季に、優しく笑いかけた。



 窓の外の空が、白み始めていた。

 夜明けの訪れは、もうすぐそこだ。




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letter-05 and yet

公開日 2014/02/03 07:00

舞台 東京都葛飾区青砥




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