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テガミ ──The short tales of LETTERs──   作者: 蒼原悠
Ⅰ 伝われ、この気持ち。
4/25

ひとりぼっち ──孫→祖母──




【letter-04 loneliness】




 持病の脳腫瘍の治療のため、病院生活を始めてからはや1年。

 重要な手術を明日に控え、保谷(ほうや)尚輝(なおき)は緊張と不安を未だ解せずにいます。


 それは、同じ手術を受けた祖母を亡くしているから。

 一緒に頑張ってくれる人が、もういないからでした。


 募る不安を、彼は祖母宛のテガミにしたためます。

 届かないことは分かっている。それでも尚輝は、懸命にペンを握るのです。









田無(たなし) 春子(はるこ)





 ううん、 おばあちゃん。




 尚輝です。

 あなたの孫の、保谷尚輝です。




 この手紙が決してあなたに届かない事は、分かっています。それでも、書かずにはいられないのです。

 僕はあと少ししたら、あなたの元へと往くのかもしれません。そしたらこんな手紙なんかじゃなく、自分の口で伝えたいです。僕の抱えた苦しみを、孤独を、あなたに聞いてほしいんです。


 僕にはもう、理解者と呼べる人は一人もいないから。




 僕の悩み、少しでいいので……、聞いてくれませんか。







 僕がこの西東京玉州会病院に入院してから、早くも一年が経とうとしています。



 そして、今いる西東京という町に引っ越して来てから、もう三年が経ちます。



 あれから、色々な事がありました。


 あなたがいなくなった後、お父さんとお母さんは喧嘩しました。その内容を僕が知ることは出来ません。なぜなら、お母さんは家を出ていってしまったからです。



 僕は、置いていかれました。


 見捨てられるってこういう事なのだと、初めて知りました。




 お父さんは、優しい人です。


 けれど、弱いのです。



 一年前、僕が脳の病気で入院してから、 お父さんは急によそよそしくなりました。 病室に足を運んでくれる事も、なくなりました。


 お父さんは、日に日に窶れていく僕の事を見ていられなくなったのだと思います。



 お父さんは優しい人です。それは今でも、変わらない。昨日まで、僕はそう確信していました。


 昨日の事です。


 伏見(ふしみ)さんという担当の先生から、聞かされました。


 お父さんと連絡が取れない。電話番号が変わっていて、情報が掴めないと。気になって自宅の住所を訪ねたら、家は空き家になっていたと。




 僕はそれでも、お父さんは優しいと思うのです。


 いなくなるという事を、僕には言わずに去っていったのですから。





 僕はこの町で、独り身になりました。



 東京の都心から少し離れた所にある、西東京市。ここは基本的には静かな町です。前は都心のマンションに住んでいた僕の目に、西東京はとても落ち着いた町だと映りました。


 都心から三十分程度の場所なのに、ところどころに畑の残るのんびりした雰囲気の町。あの家に住んでいた頃、近所の人からよくしてもらった記憶は、まだちゃんと消えずに残っています。


 消すことはないでしょう。


 いまの僕は、それだけで辛うじてこの世界と繋がっている。そう思うから。




 だから余計に、寂しさが募るのでしょう か。






 脳腫瘍、なのだそうです。




 小児がんの一種と聞きました。


 時おり、頭が割れるように痛みます。胃の中をぐちゃぐちゃに引っ掻き回されたような吐き気も感じます。目の奥が突然痛くなったり、めまいがすることもあります。病院のベッドに寝転ぶ生活になってからも、症状は全く良くなる気配を見せません。


 まさしく絶望的でした。いっそ死にたいとさえ願ったのも、一度や二度ではありません。大袈裟ではなく。





 実は今日の午後三時、

 とある運命の時がやってきます。


 それが、僕がこの手紙をしたためた一番の理由でもあります。




 伏見先生の判断で、脳腫瘍の摘出手術をすることになったのです。




 覚えていますか。


 あなたも脳腫瘍を患っていたことを。そして摘出手術の失敗で、この世を去ったことを。



 成功の見込みは五分五分だそうです。そして執刀医は、あなたの時と同じ伏見先生。


 それでも、僕は手術を選びました。なぜだかよく思い出せません。ただ、苦しみに 耐えきれなくなったのかもしれません。




 でも、怖いです。


 自分で決めた未来なのに。


 失敗したら、どうしよう。


 僕は誰の庇護も受けないまま、孤独に死んでいかなければならないのでしょうか。



 そう思うとなんだか切なくて、世界が真っ暗になっていくような気がします……。







 最近、

 『孤独』という二文字が、よく頭の中で踊ります。




 孤独と言っても、きっと色んなモノがあるのでしょう。



 この病院の窓の外を、よく飛んでいる鳥がいます。


 名前は、分かりません。大きな鳥です、猛禽類とか言うのでしょうか。



 鳥って、つらそうです。空気の薄く寒い遥かな高みを、エサを求めてたった一羽で 飛び回らなければならない。僕と違って、生まれながらに孤独が与えられているのです。


 どんなに疲れても寂しくても、地上に降りる事は許されない。地上は鳥にとって、危なすぎる。だから独りで闘い続けるしかない。


 それが、彼らなりの生き方なのでしょうか。



 いま、僕の病室には花瓶が一つ置かれています。


 植わっている一輪の花の名前を、僕は知りません。けれど不思議と、親近感を感じます。


 花は、孤独です。ですが、それは平等に与えられた孤独ではありません。


 綺麗に咲いている間は、虫も寄ってくれば人も寄ってきます。それが、花弁に一度茶色の影でもさしてみたらどうでしょう。 場所や種類にも依るでしょうが、大半はもう誰にも、見向きもされない。傘も持たずに雨風に耐えながら、いつかその茶色が全体に回ってしまうのを、黙って待つしかな いのです。


 僕に、そっくりだと感じました。

 家族という名の傘を失って、病気が体を蝕むのを待つこの身に。




 でも、僕はあの鳥や花にはなれません。




 敵いません。




 僕がもし鳥だったら、いけないと分かっていても恐怖や寂しさが勝ってしまって、 きっと地上に降りてしまう。もし花だったら、どんなに素晴らしい素質があったとしても綺麗に咲くのをきっと諦める。自分の意思でどうにかなるのなら、隅でじっとしているかもしれない。


 冷たい風を強いその翼で切り裂く鳥や、どんな場所でも凛として咲き誇る花のような強さを、僕は持てません。


 僕は弱い人間です。


 手術が怖いです。


 誰かとの繋がりを失う事が、怖いです。


 独り眠る夜が、怖いです。







 おばあちゃん。


 どうか、

 どうか、僕に生きてゆく希望を与えてください。


 あなただけは、僕のそばにいてくれている。


 そう信じています。どんな場所にいようと、いくら人込みから離れようと。


 そしてたとえ互いに言葉を交わすことが出来なくても、僕の声はきっと届く。届いている。そう願っています。自分勝手な妄想と言われても、あなたを信じます。


 僕に、孤独を打ち壊す力と勇気をください。チャンスをください。孤独以外の友達をください。



 また、あの西東京の人々の輪の中へ、帰りたいのです。


 それが叶わないのならば、いっそあなたの元へ連れていってください……。









 お願いします。


 僕の、もう会えないあなたへの最後のわがままを。







保谷尚輝










「伏見! 本当にお前が執刀(オペ)するのか!?」


 背中から投げかけられるその声に無言で答えながら、伏見(ふしみ)(ゆたか)は手術室のドアを開けた。既に中には多くの医師や看護師、そして患者が控えている。

「こう言っては何だが、今のお前には脳腫瘍の摘出はまだハード過ぎる! いくら海外で修行して来たからって、そんなに変わるもんじゃないだろう!?」

 尚も背中を突く声の主は、伏見の上司。柳沢(やぎさわ)だ。

「……柳沢先生、今回はどうか、僕に任せてください。きちんとやってのけます」

 立ち止まってそう答えるが、柳沢の目は冷たい。

「お前はすぐにそう言うな。だが以前、お前は失敗して人を死なせているんだぞ!」

「そんなことは知っています」

 伏見は即答した。失敗、の語が飛び出した途端、部屋の空気が一瞬にして硬直したのが、ひしひしと身体中に感じられていた。


 誰に指摘されなくとも、自分が一番、よく分かっていた。

 四年前の事だった。脳腫瘍の症状で苦しむ救急患者が、この西東京玉州会病院に搬送されてきた。田無春子、八十六歳。搬送時は既に重度の危篤だった。

 緊急手術が必要だったが、深夜だったために医師は最低限しか館内にはいない。当直の伏見は苦渋の決断を迫られた。未熟な自分の腕でもいいから、何とかして摘出手術を執刀するか。それとも、今は延命措置にとどめて、翌朝の専門医の到着を待つか。

 刻一刻と事態は深刻さを増した。

 田無春子の命は着実に蝕まれている。もしも適切に延命を行ったとしても、果たしてもつのかは怪しい……。

 全て伏見自身の下した判断だった。彼は独力で手術に挑み、──そして間に合わなかった。


 あの時、伏見には、春子の命は救えなかったのだ。


「いいか」

 柳沢の非難は終わる気配がなかった。

「医療事故による失敗でなかったことは喜ばしいが、お前の判断ミスは明らかだったんだぞ。いったい誰のおかげで、この院内に勤められていると思ってる? 俺が便宜を図ってきたからだ!」

「仰る通りです」

「脳腫瘍の手術は難易度が高いんだ、たかが二年や三年の研鑚ですぐに出来るようになる事じゃない! 本当はそれだって、分かっているんだろう!」

「それも知っています!」

「知ってるなら、なぜ────」


 そこまで口にした、その瞬間。柳沢は不意に口を閉じた。

 まるでそこから先を続けるのが、怖くなったかのようだった。

 言ってはいけない。いや、言う必要なんてない。或いはそう思ったのかもしれなかった。




 眼前には、手術室の扉がぽっかりと開いている。

 この世のすべての生命を浮き彫りにする、真っ白な壁に囲まれた部屋。その真ん中に、ひとりの少年が眠っている。

 伏見は一歩、近づいた。ベッドに眠る少年──保谷尚輝の顔は、無表情だった。

 まるで、その奥に本心を何もかも、押し隠そうとしているみたいに。


「……僕が死なせてしまったのは、いまここにいる彼の祖母でした」


 静寂の中で、ぽつり、伏見は呟いた。伏せられた瞳には、蛍光灯の色をした強い光が宿っていた。

 その光こそ、つい今しがた柳沢を黙らせたものの正体だったのだ。


「……その事を知ったのは、田無春子さんの手術後でした。彼が眠っている間に病室で見つけた手紙の中に、名前が書いてあるのを見て、初めて知ったんです。てっきり苗字も違ったので、まさか入院してきた彼が実の孫だなんて知りませんでした。

あの失敗は、僕にとって初めての、けれど見過ごすには大きすぎる失敗でした。僕は勉強して渡米し、真剣にこの病に取り組むようになった。もう二度と、同じ失敗をしたくなかった。その一心でやって来ましたが、ここに来てあやうく目的を見失うところだったんです。ここで取り返せなければ、僕の今日までの努力は、意味をなさなくなるんです……」


 伏見は振り返り、訴えた。柳沢だけにではない。この手術室に集う、数多の医師に。看護師に。

「お願いします、やらせてください。これは僕のリベンジである前に、贖罪なんです。僕のミスで身内を失った、保谷尚輝くんへの……!」


 その、あまりにも真剣な眼差しに。

 柳沢には今や、頷く以外の選択肢は残されてはいなかった。





 長い長い手術の時間が、始まる。




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letter-04 loneliness

公開日 2014/01/28 07:00

舞台 東京都西東京市




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