お前が嫌いだ ──友→友──
【letter-23 dislike, hate, detest】
卒業式を数日後に控えた、三月初旬のある日。
いつものように高校に登校した三年生の青年・唐木田謙は、下駄箱の中に不審な便箋が入っているのを発見します。
何のつもりだろう。そんな何気ない気持ちで便箋を開封した謙が目にしたのは。
同級生・永山大智の筆跡で書かれた、長い、長い、手紙でした。
よお、謙。
こんな手紙が下駄箱に入ってて、びっくりしただろ。
ラブレターだと思ったか? 残念だったな。つーか、お前みたいな真面目くさった奴に彼女なんてできねーから。ざまぁみろ。
もしくは果たし状だと思ったか? うん、そっちが正解かもな。
俺だよ。永山大智だ。
お前がつい五ヶ月前に引退した聖ヶ丘高校の陸上競技部で、部長だった俺だ。
つっても、お前なら筆跡だけで俺だと見抜いたかも知れねーけどな。だとしたら腹立つよな。何でもかんでも見通しやがって、くそ。
お前はいつだって、そうだったもんな。
いいか。
唐突だけど言う。俺は、お前が嫌いだ。
それを伝えるために、この手紙を書いたんだ。肝に命じやがれ、この秀才ヒョロメガネが。
お前には初耳だろうな。だったら直接言ってよ、って口を尖らせるお前がまぶたに浮かびそうだよ。言えるんだったら言ってるっつーの、バーカ。
そういう一言多いところも、嫌いだ。
こっから下に、お前の嫌いな点を挙げてくからな。
俺たちがこの高校を卒業するまで、あと一週間だ。それまでに、ひとつでも直ってない部分があってみろ。叩きのめしてやる。
理不尽なんて知るか。だいたい何もかも理不尽だったんだぞ。
まず、俺とお前が幼馴染ってのがむかつく。
この東京には一千万の人間がいるんだぞ。それがなんだ、その中の五十分の一も住んでない多摩市の、さらにその中の数十分の一しか住んでない団地の、さらにその五分の一しか住んでないA棟に、なんでお前が住んでんだよ。しかもよりによって、隣かよ。
いいか。俺はガキの頃からチビで喧嘩早くて、センセーから悪の代表格みたいな扱いを受けてたような奴だぞ。ひるがえってお前は何なんだ。背が高くて勉強ができて、エリートって言葉を人間に置き換えたような奴じゃねーかよ。しかも『優しい』『紳士な』性格してやがるから、仲のいい奴も多いしさ。
そんな正反対の奴が二人、隣り合って住んでるのが、そもそもおかしいんだよ。なぁ、お前もそう思うだろ。比較対象がお前のせいで、俺はいつもダメ人間扱いだ。
そんなお前が、俺にわざわざ近寄ってこようとばかりするのは、さらにむかつく。
お前、頭良いだろーが。その気になればどんな高校にだって入れただろ。都心のお洒落な高校にでも入って、青春を謳歌できただろ。
なのになんで、こんな緑と山だらけの自然豊かな多摩市内の普通の高校を受けてんだよ。そこ、俺が投げ遣りな勉強でやっと受かろうとしてた場所だぞ。お前が受かったせいで俺が落ちてたら、どう責任取ってくれたんだよ。あぁ?
そんでもって志望理由が『永山がいるから』かよ。笑わせんなよ、ぶっ殺して挽き肉にするぞ。
近寄ってこようとすると言えば、部活選びだってそうだよな。
知っての通り俺はただの体力バカだからさ、そもそも運動部しか選択肢がないんだよ。けど、お前にはもうまとわりつかれたくなかった。だから陸上部を選んだんだ。
俺たちの住む多摩市はもともと、高度経済成長の時に何もない山地を無理矢理切り開いて、団地を造成してできた町だ。道路ばっかり広いくせに、団地は高齢化でスカスカしてやがるから、交通量は少ない。陸上部が練習に使うにはもってこいってわけだ。ここの陸上部が鬼畜な練習を課してることは知ってたし、お前はきっとすぐに音を上げて辞めてくだろうと思ってたんだよ。
そしたらお前、ついてきやがったな。どんな厳しくて長い坂も、足を止めずに乗り越えてきた。雨で泥濘んだ道でのシャトルランでも、俺が走ってる限りは絶対に諦めなかった。
挙げ句の果てには、俺よりも好タイムを出すようになりやがって。しかも部長職に手一杯になって練習が滞ってる俺を見て、横から無言で仕事を奪っていきやがるし。
はっきり言って気持ち悪いよ、お前。なんでそこまで俺を目の敵にするんだよ。なんでそこまでして、俺に食い付いて来ようとするんだよ。
おまけに、そう俺が聞いた時の返事はいつも『何となく、かな』だったよな。
女かよ。馴れ合いなんて俺は大ッ嫌いだ。はっきり言えばいいだろ! 『お前が嫌いだからだ』『お前を負かしたいからだ』ってさぁ!
お前のせいで、俺がどれだけ惨めな思いをしてきたか、お前にはわかんねーだろうな。
苦しいんだぞ。
悔しいんだぞ。
なんでお前はよりによって、俺を選んだんだよ。俺よりももっと、もっとましな奴を見つけて、そいつを追いかけていけよ。
お前は大事な青春を、こんな寂れた団地だらけの町で過ごさなきゃならなかったんだぞ。俺なんかに、固執するから。
俺に責任はないはずなのに、なんでかな、感じちまうんだよ。俺がいけなかったのか、って。
俺がもっと頭良ければ、もっとエリートなら、お前の未来は広がったのか?
お前っていう大事な芽を、俺は摘んだのか?
なぁ、そうなんだろ。そう答えてくれよ。
そしたら俺、堂々と自分を恨めるんだよ。お前は胸を張って、これから生きていけるんだよ。
それがいいんだ。
それでいいんだよ。
聞いたぜ、謙。
お前、京都の国立大学に受かったんだってな。
誰から聞いたんだって? 俺の親にお前の親が話したのさ。隣人、舐めんなよ。
そんで、お前の親はこうも言ってたんだってな。せっかく受かったのにお前は、大智がいないから、なんてほざいて躊躇ってると。
ふざけんなよ。どこまでバカなら気が済むんだ。
京都の国立大学っつったら、学のない俺でも知ってるぞ。日本でも指折りの天才大学だろ。そこに受かって通わないなんて選択、有り得ないね。
知らないかもしれねーけどさ。俺だってそれなりに勉強して、隣の八王子にある西京大学に受かったんだよ。お前が絶対に受けないような学校だけどな。だから、俺とお前が同じ大学に進学するっていう未来は、もうどこにも存在しねーんだよ。
京都へでもどこへでも行きやがれ。俺は今までと同じように多摩に住んで、親とか友達とか近所のじいさんたちの相手をしながら、のんびり暮らすさ。
お前がいなくなるって聞いて、むしろせいせいしたくらいだ。
もう俺はお前の比較対象にも、足手まといにもならないで済むんだからな。
俺は泣かない。泣いたらそれが、嘘になるから。
お前がいくら泣いても、俺は絶対に、泣かない。
そう決めたんだ。畜生。
……心配すんな。
お前ならきっと、大丈夫だ。
俺たちみたいな二人が、これまでずっと一緒の道を歩んできたのが、そもそもおかしかったんだ。向こうにはお前に見合う相手がきっといるさ。俺の代わりなんか、そいつにならすぐに務まるよ。
俺なんて、多摩中央公園で日が暮れるまで走り回ったり、いっぱしの高校生のふりして多摩センター駅前の四越で買い物したり、そのくらいの存在でしかなかったんだからさ。
そういうちまちました思い出で、十分なんだよ。
その代わり、覚えとけよ。お前が京都で頑張る間、俺も多摩で頑張るからな。そんでもって、お前が追い付けないくらい先を行く人間になってやる。
本来、ここいら一帯は人間に住みよいように作られた場所なんだぞ。魅力さえあれば、住みたがる人はきっといる。多摩市の団地はどれも古びてるけど、最近は内部改装で近代化した綺麗な団地も増えてるらしいぜ。
俺だって同じなんだからな。いつまでも外見にばっかり囚われてると、リノベーションした俺に追い抜かれるぞ。
そんでもって魅力を増やして、彼女だって作ってやる。当然、お前のより可愛いのをな。お前が多摩に帰ってきた時、全力で自慢してやるから。拒否権なんてあるわけねーだろ。
お前なんか不細工な彼女と一緒に、ちっちゃなガキだらけのサンリオエアロランドにでもデートに行くんだな。ま、くそ真面目なお前には、その程度がお似合いだよ。
あ、言い忘れてたけど、返信は要らないからな。
つーか、すんな。しても読まずに、お前の眼前で木っ端微塵に破くぞ。
俺への同情なんて、しなくていいから。もう、いいんだ。お前から受け取れるもの、俺は何もかも受け取ったから。
いつかはこうなるって、分かってたんだ。だから俺は、大丈夫だ。お前への怒りと、憎しみと、悔しさをエネルギーにして、俺は生きていけるから。
じゃあな、謙。
ここでお別れだ。
俺は俺の道を行く。お前はお前の道を行く。
お互いの姿は見えないけど、きっと、大丈夫だから。
頑張れよ。
永山大智
一週間後。
卒業式が、終わった。
いつもと同じ帰り道を、いつもと同じ制服で帰る夕方。今日はその制服の胸元に、一輪の真っ赤なバラが飾られている。卒業式だからと後輩たちが用意してくれたものだった。
「じゃーなー!」
「向こうでも俺たちのこと忘れんなよ、唐木田!」
曲がり角を左折してゆきながら、ここまで一緒に帰ってきた友達が手を振っている。唐木田謙は、うん、と笑って手を振り返した。
「夏休み、また帰ってくるから!」
自転車の背中が遠くなる。いつも通りの光景が、今日を境にあんな風に背中を向けて、いつも通りではなくなっていく。
けれど、卒業証書の入ったケースをいくら固く握っても、その感覚を掴むことはできなくて。
独りぼっちになった謙はため息をついた。それから、自分の向かう方向を目を細めて眺めた。
西向きに開けた崖線沿いの遊歩道には、夕方の光が燦々と満ちていた。多摩センター駅前のビル群が、家々の屋根の向こうにぼうと陽炎のように浮かんでいる。この三年間、何度目にしたか分からないこの景色も、いつか忘却の彼方へ滲んで消えて行ってしまうのだろうか。そう考えるといつも謙は、たまらなく寂しくなる。
「……また、帰ってくるから」
今しがた口にしたばかりのセリフを、繰り返した。
風が耳元でそよいだ気がした。笑っているみたいだった。
独りぼっちの家路を、謙は自転車を押しながら歩いた。
ゆっくり、ゆっくり、いつもより遥かに時間をかけて歩いた。
来週、いよいよ謙は東京を離れ、大学のある京都に移り住むことになっていた。
もちろん独り暮らしだ。両親も、兄弟も、そして大半の友人たちも、この街に残していくことになる。頻繁に帰ってくることのできる距離ではないだけに、謙の寂しさもひとしおだ。
(明日も明後日も、お別れ会だもんなぁ)
謙は苦笑した。つい数日前、部活のお別れ会も終わったばかりだというのに、これから数日間は東京に残る友人たちの企画してくれたイベントに追われている。売れっ子アイドルじゃあるまいし、と可笑しくなった。
何も永久の別れと決まったわけではないのだし、謙たちには連絡の手段だってある。寂しい気持ちがあったとは言え、そんなにしなくてもいいのにな、とは思わないでもなかった。
(そんなこと言ったら、大智は怒るかな。『周りから愛されてるんだから文句言うな!』とか叫んでさ)
それらしい声が記憶の耳を撫でるように通り過ぎて、くすぐったくなった謙は肩を縮めた。
あの手紙をくれた日から、大智は今までよりもいっそう、謙に関わらないように日々を過ごしているようだった。
今日ですら、そうだった。式の最中も、式が終わって教室に戻る時も、大智は謙のことを一瞥すらしてくれなかった。ついでに式で一番に泣いていた大智は、教室に帰ってきてもずっと鼻をすすってばかりで、周囲の女子までもが大智のことをフォローしようとしていた。
大智がどんな想いで涙を流していたのかを、謙は知らない。きっと大智だって教えてくれようとはしないだろう。
あんな手紙を寄越すくらいなのだから。
ぽかぽかと温まった身体は、なんだかひどく軽い。ゆっくり帰りたいときに限って軽くなり、そうでない時は重くなる。身体はまるで天邪鬼だ。
その天邪鬼を持て余しながら、謙は街を眺めた。
なだらかに続く丘陵地帯の中に、無数の高層団地や住宅街が埋まっている。古い団地と新しいマンションが隣り合って並んでいる。未だに開発計画が存在し、リニューアルやリノベーション工事も続々と行われている。この街はいったい、どこまで広がる気なのだろう。
(僕は、この街が好きだった。不釣り合いだからこそ好きで、惹かれてさ)
胸に尋ねて返ってきた答えを、呟く。大智だって同じだ、と思う。
確かに大智と謙では、得意分野も性格もまるで食い違うばかりだった。しかしそれはつまり、大智が謙にはないものをたくさん持っているということでもある。趣味然り、好み然り、考え方然り。大智と友達付き合いをしていると、新鮮な経験や感情に出会えることが本当に多かった。
(だからなんだよ、大智。大智のせいで人生の幅が狭まったなんて、一度だって考えたことはないよ)
そうして、一週間前に受け取ったあの手紙を、広げてみた。
口の悪さはこれで普段通りだ。むしろ、後半に行くにつれてその勢いが失われてゆく様が手に取るように分かってしまって、その方がずっと謙にはつらかったものだ。
つらかったのと同時に、悲しかった。
謙はただ、いつでもいつものように大智と仲良くやっていきたかっただけなのだ。だから同じ進路を志したし、同じ部活に入った。大智が何となく自分を避けようとしていたのには気づいていたけれど、あえて無視することをいつも心がけていた。
それでも、こうしてはっきりと不快感を示されてしまうと、やっぱり悲しい。本当に大智が自分のせいだと感じているのならば、もっと悲しい。
そんなことはないよ、むしろ僕こそごめん──面と向かってそう言うチャンスを伺い続けて、今日になってしまった。
(大智…………)
謙は自転車のハンドルを強めに握りしめた。
(いきなり約束を破っても、いいよね?)
いつも通りの通学鞄の中に、謙は一通の手紙を仕込んできていた。
どうせ今日も避けられると思っていたのだ。あんな手紙を書いた手前の恥じらいか、それとも大智なりの覚悟の決め方なのか、とにかくゆっくり話せる時間を大智が与えてくれないであろうことは予想がついていた。
だから先手を打ったのだ。伝えたい気持ちや言葉を、あらかじめ文章に書き直しておいたのである。
教室で解散した直後、大智は何人かの友達と一緒に真っ先に教室を出て行った。今、大智は家に戻ってきているだろうか。どちらにせよ専業主婦の母親は在宅のはずだ。隣家の幼馴染の家族のことくらい、十八年もこの場所で暮らしていれば把握できる。
(でもどうせなら、直接がいいな。大智が本気で破こうとするなんて思えないし)
謙はくすっと笑った。ああ見えて大智が意外と小心者であることも、幼馴染の謙はちゃんと知っている。
そうと決まれば、あとで永山家に電話をしてみよう。もしも不在だったら団地の階段のところで待ち伏せでもしていよう。急に目覚めたいたずら心をそっと胸の奥に押し込んで、謙はもう一度、西の空へと目をやった。
決して忘れることのないように、見えた景色を懸命に記憶に刻み付けた。
未来はいつだって、謙や大智を嫌でも飲み込んでいく。
その勢いをせき止めることができないなら、せめて過ぎ去っていく『今』のことを、想いを、大切にしてやりたい。いつまでもそれを続けることができたなら、きっと人生の行く末に後悔なんてものは存在しないはずだから。
大智があの手紙に込めたかったのは、多分、怒りでも嫉妬でもない。今を忘れんなよと念を押すだけ押して、それから謙の背中をぐいっと外の世界へ押し出してくれようとしたのだ。
……謙が友と見込んだ大智は、そういうことができる優しさのある人間なのだ。
だから、ちゃんと笑って、ちゃんと目を見て、感謝と別れの言葉を届けてあげたい。
「──さ、行こう!」
誰にも見えないように目元を拭った謙は、自転車に飛び乗って走り出した。
勢いよく蹴った地面には、謙の靴跡がいつまでもいつまでも、夕陽を浴びて煌めいていた。
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letter-23 dislike, hate, detest
公開日 2016/11/14 07:00
舞台 東京都多摩市




