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テガミ ──The short tales of LETTERs──   作者: 蒼原悠
Ⅲ 届いて、この想い。
24/25

あのね、あのね ──娘→母──


【letter-22 I know what】




大好きなお母さん・泉津(いずみつ)麻季(まき)が、会社の長期出張で大阪へ旅立ってから、早くも十日が過ぎました。

まだ六歳の一人娘・香苗(かなえ)は、お母さんのいない日々がなんだか落ち着きません。朝起きても、ご飯を食べても、小学校に向かっても、そわそわ、そわそわ。

そこでお父さん・(あかし)に手伝ってもらい、今の気持ちをつづった手紙を書くことにしました。



 おかあさんへ。






 えっとね。


 おとうさんがね、おてがみをかいてみようっていうからね、かいてみようとおもいます。



 おかあさんがでかけちゃって、もう十日もたったよ。


 あのね、わたしね、さみしい。


 でもね、おてがみをかいてるあいだはさみしくないんだよ。へんだね。


 だからね、できるだけ、ながくながーく、かいていようとおもうの!



 だってわたし、一ねんせいなんだもん。


 ひらがなもかたかなも、かん字もならってるんだもん。





 あのね。わたしとおとうさんはね、げんきだよ。


 おとうさんはまい日はたけにでて、がんばって木をながめたり、はっぱをきったりしてるよ。わたしもたまにおてつだいするの。そしたらおとうさんが、あたまをわしゃわしゃってしてくれるから!


 おかあさんは、いま、大さかっていうところにいるの? おとうさんがそういってたよ。おしごとがんばってるんだよ、っていってた。


 おしごとって、たいへんなのかなぁ。わたし、おてつだいはいっぱいしたいけど、おしごとはしたくない。おとうさんのつくるまっかなお花をね、かざりつけたりならべたりしてね、お花やさんをひらきたいな。


 そしたらおかあさんみたいに、大さかまでいかなくてもいいもん! わたしたちのいる大しまで、ずうっとくらせるんだよ!





 あのね。わたしね、おとななんだよ。


 クラスのみんなであそんでるときはこどもだけど、いえではちゃあんとしたおとななの。だってわたし、せんたくものをたたんだり、ごはんをつくえにならべたりしてるから!


 えらいでしょー?


 あとね、いろんなことをかんがえてるんだよ。わたしはおとなだから、いろんなことをしなきゃいけないなーって。だから、きらいだけどべんきょうもがんばるよ。いつかおおきくなったとき、さんすうができなかったり、かん字がよめなかったらこまるもん。


 おとうさんがね、いってたんだ。かなえはかわいいけど、おとななかなえはもっとかわいいって!


 だからわたし、もっともっとおとなになるんだ。おとうさん、だいすきだもん。


 わからないことは、まだいっぱいあるけど、わたしでもりっぱなおとなになれるかな?




 あのね。わたしね、すっごくいろんなことができるようになったんだよ!


 おかあさんがいないあいだにね、がんばって一りんしゃにのれるようになったんだ!こんどみてほしいなぁ。


 それとね、ちょうむすびができるようになったんだよ。ぎゅってしてくるってまるめて、ぐるってまわしてぎゅって止めるの!


 それからね、このまえがっこうでせをはかったら、3センチもたかくなってた! わたし3センチも大きくなったよ! このままおおきくなったら、いつかおかあさんもおとうさんもこえられるかなぁ。



 あっ、わすれてた。


 あのね。わたしね、このあいだとなりのおじいちゃんにね、大きくなったねっていわれた!


 かなえちゃんはきっと、あのみはら山よりも大きくなれる、だって。そんなに大きくなっちゃうと、おかあさんもおとうさんも小さくみえちゃうなー。


 そしたらおとうさん、おかあさんよりもわたしをすきになっちゃうかも!


 おとうさんはわたしがいただくのです。



 だってだって。わたし、おそうじもおせんたくもできるもん。おとうさんがごはんをつくるのもおてつだいできるし、いつかわたしがつくれるようになるんだもん。


 べんきょうもできるもん。ともだちもいっぱいいっぱいいて、いつもわらってるの。


 いつもぽかぽかしてるこのしまで、ずっとくらすの。ときどき大きなかぜがふいても、あめがふっても、おとなだからこわくないよ!


 そしたら、おとうさんもわたしをすきになってくれるかな? わたしからきくのははずかしいから、おかあさん、きいてよー。



 あのね。だからわたし、もっとかわいくなりたいな。


 リボンをかみにつけてね、かわいいドレスをきるの。あ、リボンのかわりにおとうさんのつくってるお花でもいいかもー。


 わたし、おとうさんがだいすきだもん。おかあさんにまけないくらいおとなになって、おかあさんにまけないくらいかわいくなって、おとうさんをおむこさんにするんだ!


 ねっ、いいでしょ! いいでしょ!










 あのね。


 あのね。



 さみしいよ。


 おかあさんがいないと、おうちがね、なんだかくらくなっちゃうの。


 おとうさんも、そういってたの。



 あったかいおかあさんに、あいたいよ。


 ぎゅ──────ってしてほしい。そしたらね、わたしもぽかぽかになるの。


 おかあさんがいないからね、わたしね、しょんぼりしてるよ。



 これが、かなしい、っていうきもちなのかな。




 あいたい。


 おかあさん、はやくかえってきて。


 あいたいよ。









 あのね、でもね。


 わたしはおとなだからね、おねがいはしないの。


 おかあさんはがんばってるんだもん。わたしもがんばらなきゃ、まけちゃうもん。


 おしごと、がんばってね。おうちにはわたしがいるよ。


 おとうさんもだいすきだけど、わたし、おかあさんもだいすき。だからね、おかあさんがつかれたーっていってかえってきたら、わたしがぎゅってしてあげる!



 やくそくだよ。


 おとなのやくそく。





 あのね。


 そのかわりに、わたしにもぎゅって、してほしいな。






 じゃあね!






 いずみつ かなえ








 まだまだ修練の足りないへにゃっとした、──けれど可愛らしい文字の並ぶ、一枚の手紙。

 机の上に手紙を広げた泉津麻季は、ふう、とため息をその横にそっと置いて、それからスマホを耳に当てた。

 夜の十一時。風呂上がりのぽかぽかとした身体が大好きで抱き着いてくるあの子は、ここにはいない。


「……もしもし」

──『もしもし。元気かい?』

 電話の向こうで夫、証の声がする。

 麻季はほっとした。こんな時間に娘の香苗が電話口に出てきたら、証のことを軽く説教しなければならない。

「うん、元気。ごちゃごちゃした街にも慣れてきたかな」

 証が苦笑した。

──『そりゃ、もう十日も経っただろう。慣れてこなくっちゃ』

「すごいのよ、こっち。東京と比べてもずっと活気があって。昨日は新世界にも足を踏み入れてきちゃった」

──『一緒に行ってる上司さんと?』

「そう。昔あの人、大阪の支部で勤務した経験があったみたいでね。この辺りのことにも詳しいんだって」

 受話器を耳に押し当てながら、麻季は背後の大きな窓を一瞥した。きらきらと目映いきらめきを放つ商店街の向こうに、未だに電気を灯している超高層ビル群がぼうっと浮かんでいた。

 三週間に及ぶ麻季の大阪出張が始まって、今日で十一日目だ。毎晩、仕事終わりにホテルでくつろぎながら留守番の証や香苗とこうして電話で話すのが、今の麻季にとっては最大とも言える癒しの時間だった。大切な家族の声を耳にしただけで、不慣れな街での仕事でたまるストレスも疲れも、部屋の空気に滲むように消えて行ってしまう。

 そりゃいいなぁ、という証の言葉で麻季は我に返った。故郷・伊豆大島で共に育った幼馴染でもある証の声は、こうして聴いていると本土の人間のそれよりずっと長閑(のどか)だ。

──『麻季、上司さんとは別行程で帰って来るんだろ? 迷うなよ?』

「大丈夫だよ。心配しないで」

 麻季も苦笑いを浮かべる。私だって社会人なんだから、という不満もちょっぴり込めてみる。

 同行してくれた麻季の上司は、もう少し滞在して仕事をこなすのだという。麻季は十日後に関西国際空港から飛行機で東京に発つ予定だ。交通費は支給されるから新幹線でもよかったのだが、早く帰りたいという気持ちが麻季に飛行機を選択させた。

 香苗も待ってることだろうし──。夕方に届いていたあの手紙を、麻季は見下ろした。


 小学一年生の子らしく、平仮名ばかりで読みにくい手紙だ。ほとんどの漢字をまだ習っていないのだから仕方ない。

 それでも開封して目を通しながら、つい笑みが口元に広がってしまったものだ。

 香苗が手紙を書くなんて。よっぽど寂しかったのね、あの子。……頑張って鉛筆を握りしめる我が子の姿が瞼に浮かんで、少し嬉しくて、少し可笑しくて、少し……寂しくて。

 もう少し早く電話をしてあげられたら、香苗の声も聴けたのだろうか。だとしても自分はそうしなかっただろうな、と思った。香苗の声を聴いてしまったなら、大阪(こちら)に来て以来ずっと封印してきた気持ちが溢れ出してしまうような気がしたからだ。


「香苗、どうしてる?」

 尋ねると、証はああ、と言った。

──『よく寝てるよ。これがお母さんだよって言って抱き枕を添えてあげたんだけど、もう全力で抱き締めてさ』

「そう……」

 麻季も抱き締めたくなった。何を、だろう。

──『そうそう。手紙、ちゃんと届いた?』

「香苗からのでしょ? もう何回も読んじゃった」

──『そりゃよかった。お母さんは喜んでたぞって、朝になったら香苗に伝えなきゃだ』

 証の声は優しい。そうね、と麻季も思う。

 伝えてあげたい。お母さんも寂しいんだと、あったかな香苗をぎゅーっとしてあげたいんだと。香苗はこうして勇気を出して手紙を書いてくれたのだから、麻季だって何かを返してあげたいのだ。

 しかし今はまだ、その時間も取れない。

「ね、証」

 だから麻季も、受話器に向かって優しく語りかけた。

──『ん?』

「香苗に言ってあげてほしいな。“おとなのやくそく”、確かに結びましたって」

 なんだそりゃ、と証が変な声を上げた。証は手紙の文面にはあまり目を通していないのだろう。

「そう伝えてくれれば、あの子は分かってくれるから」

──『……そうなのか? なら、いいけど』

「うん。よろしくね」

 言い切った麻季は、そっと一息を漏らした。

 おとなのやくそく。おしごとをがんばること。帰宅した時、ぎゅーってしてくれた香苗に、お返しにぎゅーっとしてあげること。

 ほんの些細なことかもしれないけれど、きっとその柔らかな契りが香苗の励みになっている。だったら麻季も応えてあげたい。大の大人が負けているわけには、いかないのだ。




 故郷の島から遠く離れた大阪の地で、麻季の夜は更けてゆく。

 証との電話は、まだ終わらない。




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letter-22 I know what

公開日 2016/10/28 07:00

舞台 東京都大島町


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