愛してるから ――少女→みんな――
【letter-20 that is why】
遠い想い人に会えない気持ちをぶつける先を求めて、高校では演劇部を選択した悲恋の少女、青山莉那。
一見、順風満帆に見えた彼女の青春でしたが、またもそれを引き裂く存在が現れます。
それはかつて、莉那と赤坂颯太を離れ離れにした、あの出来事でした……。
大好きだった、部活のみんなへ。
彼女は手紙を書くことを決めます。
それは最後を飾る、儚くて、けれど気持ちだけはぎっしり詰まった……別れの手紙です。
慶興義塾高等部三年、演劇部のみんなへ。
青山莉那です。
最近部活にも顔出してなかったし、クラス違う人には「久しぶり」かな?
そしてみんなにとって、「さよなら」でもあるの。
文字通り、これが最初で最後の、みんなへの手紙です。
今さらこんなところに書くまでもないと思うけど、私は引っ越すことになりました。
この街──港区を発つのは、あさっての朝の予定。
行く先は仙台だそうです。東京の港区から仙台市っていうと、何だか都会から都会へ行くみたいだね。そんなに違和感もなく、向こうに馴染めたらいいな。
一月前はまだ、あんなに間があると思っていたのに。
もう、あさってです。
みんなに話したのは、一ヶ月前だったよね。
あの時は私も泣いてばっかりで、話なんてぜんぜん出来なかった。実はその前の日、お父さんが会社から辞令を貰って帰ってきていたの。人員不足を起こしてる東北支社に行ってくれっていうのだったみたいなんだ。
お父さんはすごく仕事が出来る人だったから、会社からも信用してもらえてるんだろうなって思ってた。まさか、こんなオチがつくなんてね(苦笑)
笑っちゃうよね、ほんと。
私たち家族の話し合いは、ほとんど出来レースみたいだった。
みんなも知ってると思うけど、私は東北の大学か九州の大学に進学しようって決めてたんだ。国立大学に行ってお金の楽をさせてあげたいけど、私の頭じゃ一番上の方の大学には手が届かない……。そうやって希望の学部も兼ね合わせて選択肢を絞っていったら、その二つしか残らなかった。
仙台ならお膝元だから、ちょうどいいの。それに、お母さんも最近ちょっと身体がよくなくって、ごみごみしすぎてない空気の中で過ごしたいなって言ってた。あんまり呆気なく話が決まっていくものだから、反対しようにも出来なくて。
本当は、嫌だった。もうちょっとだけ、あとほんの数日だけでいいから、みんなと一緒にいたかったんだけど……。
今日から数えて、ちょうど一週間後だね。
私たち慶興高等部演劇部が毎年開いてる、創作劇発表会。
私たちの……最後の舞台。
ううん、私にとっては最後になるはずだった、舞台。
ごめんね。
みんな。
私がこんなことになっちゃって、みんな慌てたよね。
練習計画も配役もぜんぶ狂っちゃった。当の私は引っ越しの準備が忙しくて、ぜんぜん部活に顔出せなかったし。
莉那のせいじゃないって言ってくれるのは、嬉しいよ。でも私、今も後悔してるんだ。引っ越しの話が出たあの時、拒否していれば。せめて数日だけでもいいから、都内に残らせてもらう方に交渉できていればって……。
今ごろそんなこと言ったってもう、全部ぜんぶ後の祭なのは……分かってるけどさ。
そもそも、あんなに引っ越しが嫌いだった私が、どうして素直に話を受けちゃったんだろう。
みんなには前に話したかな。私、初恋の相手も引っ越しで失ってるんだ。いつも暗い顔してばっかりで、気持ちもいつだって塞ぎこんだままだったあの日々が、私はあんなに嫌いだったのに。
その子は今、鹿児島県。……九州大学が選択肢に入ってた理由、もう気付いてもらえたかな。
電話は出来るようになったけど、それ以上の進展なくてまるでなくて。気持ちのやり場を失っていた私を救ってくれたのが、高校で巡りあったこの演劇部だったよ。
役を演じるってことは、台本上のそのキャラクターになりきること。心も身体も、何もかも。そうやって自分を忘れる訓練をしてるうち、気づいたら自分の心を制御する術が身についていた。悲しみは忘れるわけじゃない、受け流すんだ。そんな風に考えながら暮らせるようになった。部活で増えた仲間とも仲良くなれてきたし、なんだか頑張っていける気がしたんだ。
だけど、先輩たちへのお返しも後輩の子への引き継ぎも、最後の舞台を踏むことさえも許されないまま、同じ引っ越しで離ればなれになっちゃうなんて。これって一体、どんな因果応報なんだろう……。
毎日毎晩、そんなことばかりを考えては暗くなってく私が、ここにいるの。
この三年間、本当に楽しかった。
私たち、けっこう無茶もしたしケンカもしたよね。
それでも、みんなといる時間はすごく楽しくて、幸せだったよ。遅くまで残って練習した夜、疲れたねって笑い合いながら窓から見上げた愛宕山の東京タワーは、本当に綺麗だった。OBが入団してる関係で、汐留の劇団春秋の専用劇場を使わせてもらった時、緊張でみんな何もかもが強張っててそれが何だか無性に可笑しくて。今年一年頑張れますようにって、増上寺に初詣にも行ったよね。
みんなに出会えて、幸せだった。
離れたくないよ。たとえ数ヵ月後には大学受験で離ればなれになるとしても、この関係の最後を見届けたかった。
叶わないと分かってるから、余計にそう思うのかな……。
それでも。
この運命はもう、変えられないから。
受け入れるしかないから。
この前、卒業アルバム作るけど送りますかって先生に聞かれた。
実は、お断りさせてもらったんだ。
そんなものに頼らなくても、私はちゃんとみんなのことを覚えてる。演劇部だけじゃなくて、クラスのみんな。知り合った人たち。先生方も。
網膜に焼き付けられた鮮やかな記憶が、いつでもみんなのことを私に思い出させてくれる。奏でた音楽が、歌声が、しゃべる声が、耳の奥でいつも反響してる。それで、十分なの。
強がりじゃ、ないからね。それにアルバムなんか見たら、きっとまたみんなに会いたくなっちゃう。ああ、あの時こうだったな。懐かしいな。そう思い始めてしまったらもう、ダメなの。
形になった思い出なんて、私にはいらない。必要なのは、そうしないと思い出せなくなるような時だけ。
私は今のみんなが、大好きだから。この学校を、この東京を、愛してるから。
それ以上は、望まない。昔のこととかどうでもいいもん。大切なのは、今なんだ。
アルバムなんかに頼らなくたって、
私たち、いつまでだって覚えてる。
ねえ。そうだよね、みんな。
この絆は、本物だよね。
大丈夫。
多少つらくたって悲しくたって、新しい世界でも、私はちゃんと頑張ります。
どんな町に行ったって、本質はなにも変わらない。夢見る気持ちと目標があれば、人はどこでだって頑張れるんだと思うの。
この前、お父さんが言ってた。
今でこそ一千万の人々が住む東京だけど、昔は何もない野原でしかなかった。この大きな大きな町は、地元を離れて移り住んできたたくさんの人達に生み出されて、支えられてきたんだって。東京は今も昔も、大きな大きな「多民族都市」なんだって。
そうだよね。この街では毎日何度も、引っ越しが行われてる。私と同じように引っ越しでこの街を離れる運命を辿る人だって、決して少なくなんてない。そう考えたら、少し気が楽になったんだ。
もっともっと書きたいことはあるのに。伝えたいこと、まだ全部言えてないのに。
もう、紙があんまり残ってないよ……。
前にもあったな、こういうこと。懐かしいな。でも、思い出したくなんてなかった。
何気ないことでも相談できて、いつも私の話を聞いてくれた演技担当の琉海ちゃん。演技が上手くいかないとき、何度も練習に付き合ってくれたよね。ありがとう。
普段は頭のいい優等生なのに、舞台に立つと信じられないくらい演技も上手かった会計担当の怜良ちゃん。台本の出来もすっごく良かったよね。演じていて、楽しかったよ。
手先が器用で力持ちだった、小道具担当の緑弥くん。どんな無茶な注文でも疲れを顔にも出さないで頑張ってる姿は、かっこよかったよ。後輩からの支持も、人一倍厚かったよね。
いつもみんなの気持ちをを引っ張り上げるムードメーカーだった、部長の来人くん。ちょっと強引な所とか、無茶するところとか、ひやひやした場面も少なくなかったけど。でも、いつか私と二人で恋人役をやった時、本物の気持ちじゃないって分かっていてもドキッてしてる私がいたの。そういうタイプの人に憧れるのかなって思ったら、なんだか余計に胸が痛かったよ。
この部でお世話になった、先輩方。先生方。本当に、ありがとうございました。私が演劇の楽しさを知ることが出来たのは、高校生活を前向きなものに出来たのは、皆さんのおかげです。
この部にこれからも残り続ける、後輩のみんな。これまで私の背中を追いかけてきてくれて、ありがとう。出来の悪い副部長で、ごめんね。私のことは反面教師だと思って、未来の演劇部を守り立ててください。みんななら、きっと出来るから。
大丈夫。
私たち、きっと強い絆で結ばれてる。
幾千万の人で溢れてるこの街の中で、こうして同じ場所で出逢えたんだから。きっと、偶然なんかじゃないよ。
だから、約束なんていらない。そんなものなくたって、いつかまたきっと会える。絆って、そういうものなんじゃないかな。
私は信じるよ。今の自分を、今のみんなを。
また、このメンバーで演劇が出来たらいいのにな。
じゃあ……ね。
少しの間、お別れです。
やっぱり、耐えられなかったよ。涙が出るの。
染みを見つけたら、それはきっと私のだと思う。そっと……しておいてね。
ああ、もうだめ……。
ごめん。
この辺で、筆を置くね。
いつかまた会うその時まで、私はぜったい諦めない。
いつまでもいつまでも、夢を追いかけてみせるよ。
ありがとう。
さようなら。
みんなのこと、大好きだよ。
青山莉那
「……みんなに、渡さなきゃ」
放課後、夕陽がわずかに差し込むばかりの廊下に立って、莉那は深呼吸した。
目の前に立ちはだかるドアには、「演劇部」の文字がある。ここは、莉那がかつて足繁く通った演劇部の部室である。時間が時間だから、みんな中にいるはずだ。さっきから妙に静かではあるのだが。
ごくり、息を呑む音が冷たい床で跳ね返った。
「……行こう」
覚悟は決まっている。莉那はそっと、部室の戸を開けた。
……と思ったのに、誰もいないではないか。
「あれ」
拍子の外れた声が出てしまった。いけない。もしかしたら隠れて待っているのかもしれないのだから。
だが、広い部室の中ほどまで来た時点で、莉那は確信した。隠れているわけではない。本当に、いないのだ。
「どこに行っちゃったんだろう……。小道具作るのに工作室にでも行ってるのかな」
そんな馬鹿な、全員で行くはずがない。しかし莉那が思いつく答えは、そのくらいのものであった。
いないとなれば、仕方ない。明日、莉那はホームルームで正式に引越しを告げることになっている。最悪その日の休み時間にでも渡せればいいのだから。
後ろ髪を引きずられるような諦観を胸に、莉那が部室はドアを振り返った。
そこに張り紙がしてあった。
【副部長へ。
これを読んだらすぐに、体育館まで来てください】
そう書いてあった。
「着いた……」
莉那は体育館の建物を見上げた。
訳が分からなかったが、指名されている以上は来なければなるまい。荒くなった息を整えると、莉那は入口に入る。中は真っ暗で、部活なんてやっているようには見えない。
「誰か、いないの……?」
返事は返ってこない。莉那は急に、不安になってきた。
暗闇の中を、一歩、一歩と進む。どのあたりまで来たのかも分からない。
自分が立っているのかどうかさえ……分からない。
バッ!!
その時だった。
突然、大きな音とともに正面のステージが光で浮かび上がったのだ。
四方八方、様々な位置から照射されるスポットライト。その光源に見慣れた後輩部員の顔があるのに莉那は気づいたが、声をかけることはできなかった。
「リナ!」
舞台袖から声が上がったかと思うと、ステージが一瞬暗くなった。再度照らされたそこには、見知った顔がずらりと並んでいたのだ。
「みん……な?」
サプライズに呆然とする莉那。
今、視界に映るその光景が、莉那は俄かには信じられなかった。
「引っ越し、もう明後日なんだよな!」
集団の先頭で叫んでいるのは、部長の長坂来人である。
「お前が全然部活に来てくれないから、俺たちも言いたいこと言えてない! だから今日は、この場所を借りて莉那に伝えようと思う!」
そんな。聞いてない。受け止める準備が出来てないよ。胸いっぱいで言葉が出なかったが、莉那はそう心の中で叫んだ。
そんな莉那の葛藤など知らないかのように、来人は叫ぶ。
「というわけで即興劇を披露します!」
「……えっ?」
本当に、“即興”劇だったようだ。
台本はきちんと読み込んでいるのか、セリフの間違いはほとんどなかった。しかし、演技はばらつきまくり、照明も音響も演技より遅い、しかも顔や声に感情が籠っていなかったりする。本番でこれだったらさぞかし呆れられたに違いない。
けれど、喜劇としか言いようのないその内容に、莉那は時に笑い、時に幸せな気持ちになった。劇を見る側の立場に立って眺めるのは、久しぶりかもしれない。そう思った。
三〇分足らずで劇は終わった。数十人の部員全員が出演し、その全ての顔を莉那は目に焼き付けることが出来た。
「どうだったー?」
舞台上から声をかけてくれたのは、演技担当の麻布硫海だ。
「……正直に言ってもいいの?」
「当たり前でしょー、評価を聞いてるんだからぁ」
「ものすごかった」
途端、あちらこちらからくすくすと笑う声が聞こえてくる。当の流海までもが、「だよねー、やっぱぶっつけ本番は厳しいわ」と苦笑いする始末だ。
台本らしき紙の束を抱えながら、隣ではシナリオ担当の高輪怜良が別の笑みを浮かべている。
「ま、私の台本がしっかりしてたからよね。読み込んでくれたみんなも偉いけど」
「あんたの台本は難しい言葉多すぎなのよー」
「ルミはもっと短期記憶を強化したらどうなの?」
「何を!?」
二人の応酬に、またステージがどっと沸く。いつもの部室の賑やかな空気が、今はそのままこの体育館に流れ込んでいるような気がする。
温かかった。
みんなといる時間って、こんなに楽しかったんだ。莉那の心の中にまた、一つの記憶が刻まれた。それは、部活のみんなで騒ぐというだけの、下らない──されど貴重な、青春の一ページ。
そして、今日で最後の一枚となる、ページだった。
「────まあ、この劇は冗談だから」
みんなが笑いやむと、背の高い男子がそう言った。小道具担当の芝浦緑弥だった。
「そもそも即興だったの、時間がなかったからだしね。今度の発表会のために時間を割いてたら、こうなっちゃったんだよ。ごめんな」
ううん、と莉那は首を振る。
その反応は予想済みだったのだろう。みんなは一斉に、舞台を降りてこちらへやって来た。
「まあ、本気を出せば練習なしでも俺たちはこれくらいやれるってことさ」
前に出てきた来人は、笑って莉那の肩を叩いた。
「だから心配するな。発表会、きっと成功させてみせる」
「うん……」
頷くことしか出来なかった。喉が詰まって、声を上げられないのだ。
割り込むように流海が言った。
「リナは安心して、引っ越していってね。私たちも頑張るからさ……」
その声は既に、鼻声だった。
やがて、少しずつ……吐息やすすり上げの声が漏れ聞こえ始める。
みんな、耐えていたのだ。喜劇を成功させて、莉那に笑ってもらうために。安心してもらうために。その配慮に、今頃になって莉那は気づいたのだった。
「リナ」
同級生4人の声は、わずかに揺らいではいたが、ぴったり重なった。
「副部長として頑張ってくれて、ありがとう」
今、この瞬間に、自分は演劇部ではなくなったのだと莉那は思った。
それは誰あろう、自分が望んだことだった。いつかまた再会した時、いつまでもかつての関係を引きずらないで済むように、あえて選んだ別れの道。
そして目の前の4人、ひいては部活のみんなも、それは同じだったのだ。
さよならを言うのは、今しかない。
それは分かっていたつもりだった。
けれど今は……今はどうしても、言えなかった……。
そこから先、自分が何をしたのか、莉那はよく覚えていない。
その場に泣き崩れ、誰かに何度も何度も抱き締められたこと。みんな泣いていたこと。そのくらいの断片的な記憶しか、残っていなかった。
ただ一つ、言えること。
手紙が手元にない。
という事は、あれだけは渡すことが出来たはずだ。
それなら構わない、と莉那は思う。自分の思いを伝えることも、みんなの思いを受け止めることも出来たのだ。これ以上に、何も望むことなどない。
手紙の本来の役割とは、そういうものだ。
さよなら。
帰り道、見上げた東京の空に莉那は静かに告げた。
摩天楼の遥か上を越えてゆく大きな雲が、莉那の行き先を示してくれているような気がした。
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letter-20 that is why
公開日 2014/10/26 07:00
舞台 東京都港区




