表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
テガミ ──The short tales of LETTERs──   作者: 蒼原悠
Ⅱ ぶつけたい、この感情。
17/25

君は知らない ──彼氏→彼女──

【letter-16 confidencial feeling】




 夏も終わりの、その日。

 東京地方裁判所では、とある刑事事件の審判が行われていました。


 被告である蔵前(くらまえ)瑛二(えいじ)はこの法廷で、数か月前に浅草の被害者宅マンション内で、かつて恋人だった被害者・千束(せんぞく)立夏(りっか)を包丁で刺し、全治数か月の重傷を負わせた殺人未遂の罪を問われています。

 この日、検察側が証拠資料として用意してきたのは、事件が起こる数日前に瑛二が立夏に送りつけていた手紙でした。検察はこの手紙で、瑛二の凶暴性を強調しようとしたのです。

 ところが。











 千束 立夏様





 瑛二です。



 メールでは、この気持ちを到底伝えきれる気がしないので、手紙に書いて送るよ。


 どうか最後まで、読んでほしい。




 これを書いている今もまだ、俺は混乱から抜け出せずにいる。


 信じられない。いや、信じたくなかったよ。


 半年前に付き合い始めた時からずっと、俺は立夏の事だけを見てきたのに。いつもどんな時も、立夏を想い続けてきたのに。


 こんな裏切られ方をするなんて、思わなかったから。




 立夏。


 君には、彼氏がいたんだな。


 俺には知られない所に、もう既に彼氏がいたんだな。



 なんで知ってるんだって思っただろ。この前な、上野の駅前で偶然見ちゃったんだよ。


 君と、俺の知らない誰かが、抱き締めあってるのをさ。


 俺と立夏の二人じゃ、まだ一度もしたことがない──キスをしてる所も。





 何から書いていいのか、まるで分からない。


 ただ、一つだけ言えることがあるとすれば。俺はまだ、信じられない。


 俺はただの遊び相手だったんだ、って事を。


 立夏の気まぐれだったんだ、って事を。






 なあ、立夏。


 知ってたんだろ。俺が、バツイチだって。


 「最近つまんなくなった」の一言で前の妻に結婚を解消されて、路頭に迷っていたんだって。そう話したよな、立夏には。


 妻に逃げられたショックから立ち直れなくて、世の中の全ての女性に抵抗を持ってしまった俺の事を、優しく励ましてくれたのは、立夏だったよな。


 無理矢理友人に合コンに連れてこられて、隅っこで小さくなってた情けない俺に声を掛けてくれたのも。二次会に行こうとしてるみんなから置いてかれた俺に、ずっと寄り添っていてくれたのも。全部全部、立夏だったよな……。


 あの姿は、初めから嘘だったのか? 出来のいい作り笑顔だったのか? 立夏が意識して作った、キャラクターだったのかよ!?


 なあ、答えてくれよ! 俺、このままじゃ、納得できねぇよ!




 俺のこの気持ちを、返せよ。


 何もかもを捧げる覚悟で買った色んなもの全部、返せよ。


 答えてくれよ、立夏。







 ……実は薄々、感づいてはいたんだよ。


 初めて立夏の家に寄らせてもらった日、机の上に放り出されてた日記に挟まってた写真見て、聞いたよな。ここに写ってる男、誰だって。


 立夏は誤魔化すみたいに笑いながら、友達だよって言って慌てて写真を隠したよな。あれは俺が立夏と知らない男を見かける、一週間前の事だったか。




 全てが、無駄になったんだな。


 知らずに何日も何週間も何ヵ月も君を想い続けてた俺が、馬鹿みたいだよ。なあ、立夏。









 君は、知らないだろ。



 捨てられる人の気持ちなんて。





 本気で、君に惚れてたんだ。


 恥ずかしそうに笑う君も、仕事の話を熱心に聞いてくれる君も、繋いだ手を振りながら鼻唄を奏でる君も。君の一挙手一投足の全てが、こんなに好きだったんだ。


 手を繋ぎたい。そばでずっと、体温を感じたい。前の妻にさえ抱かなかった感情が、こんなに溢れてるんだ。



 知ってるか。片方が振る形で離婚するときはな、大抵の場合、振る側は大して傷ついてないんだよ。その分、もう一方が泣かされるんだよ。


 なあ、君もそうなのか。立夏。




 一度振られて、心に傷を負った俺を捕まえて傷を癒して、そこにまた刃を突き立てるのか。


 また、傷を作るのか。


 そうなのか?




 ……こんなことするなら、初めから何もしてくれなくてよかったんだよ。あの時、声を掛けてくれなくたってよかったんだよ。


 そしたら俺も、希望の先に絶望を視ることなんてなかったのに。どんなに仲良くなっても精々友達のままで、それ以上の関係なんて望まなかったのに。


 こんな想いを抱く事なんて、なかったのに。









 何もかも、忘れてしまいたい。


 なのに、消えないんだ。


 立夏と一緒に見た景色。──今こうして思い出せる限りでも、浅草や、御徒町や、秋葉原も、どこもかしこも。普段、気にも止めなかった街の光景が、君が写っているだけでこんなに強く残るなんて。



 俺はどうしたらいいんだ? どうすべきなんだ?


 責任持って答えろよ、立夏。




 君の知らない、見えない俺の暴走を、止めるためにも。




 このままだと俺、マジで暴走しそうだよ。立夏のことも俺自身のことも、刺し殺してしまいそうだ。



 時々、そんな衝動に駆られるんだ。







 助けてくれ。




 立夏。








蔵前瑛二












 ……「以上が、本文であります」

 読み終えると、検察官は瑛二に尋ねた。

「あなたが書いたもので間違いありませんね?」

「はい……」

 もうすっかり諦めたように、瑛二は項垂れながら頷いた。台東区の御徒町に住む瑛二が、深夜に隣町の上野にあった千束立夏のマンションへと向かっていったことは、すでにこの法廷で再生された防犯カメラの映像が証明した後だった。

「みなさんもこれで、お分かりいただけたと思います。被告は事件を起こす前から犯行声明文にも等しい文書を送りつけており、その文面からは非情に凶暴な性格を垣間見ることができます。事件時、被告は被害者の身体を数か所にわたって刺突し、まさに殺害せんとばかりの勢いであったことは、先日提出した資料から既に明らかであります。かかる残虐さを見せておきながら、調書作成時には警察側の取り調べに全く応じないなど、反省の色はまるで伺えません。判事の皆様にはその点、十分考慮しての判決をお願いしたいと思います」

 うんうんと後ろで頷く、千束家の家族や聴衆たち。

 ただ一人、ぽつんと証言台に立たされ俯く瑛二。


 異様に静かな法廷を、判事は見回した。

 その顔がふと、瑛二を向いた。


「──被告人。先の手紙に関して、言いたいことがあれば何でも述べなさい」


 判事の言葉に顔を上げた瑛二は、叩き付けるように叫んでいた。

「おっ、俺は……っ!」

 どんな悪魔のセリフが飛び出すか。反射的に身構えた記者たちが目にしたのは、限界の体力を振り絞るように叫ぶ瑛二の、涙だった。

「俺は、好きだったんです! 立夏のことが、本気で……! 手紙にすれば、ちょっとは自制できるかって思ったんです。実際、耐えられると思ってました。でも、でもあいつの家に行ったら、どうしても抑えきれなくなって……!」

そこで一瞬、瑛二が言い淀みかけたのを、判事は見逃してはいなかった。彼は重ねて尋ねた。

「そこで、何かがあったんですか」

「はい」

 涙に濡れた顔を、瑛二は上げた。見上げた判事の顔が、眩しかった。

「あいつ、言ったんですよ……。殺せるもんなら殺してみろ、この意気地なしって……!!」


 ざわり。

 その時、法廷が確かに、揺れた。


 これまでのこの法廷は、ただ瑛二の罪業を明らかにすることだけを主眼に置いたもののようだったのだ。実際、駆け付けたメディアも瑛二の行いの残虐性のみを繰り返し報道し、世論は圧倒的に千束立夏の側に傾いていた。

 誰も気付かなかったのである。行いだけを咎められ、動機を予測だけで決め付けられ、正直な思いを語る機会を瑛二は与えられていなかったということに。

 そんなのは初耳だ。どうせ思いつきのお涙頂戴だろう。背後から漏れ聞こえてくるひそひそ声にじっと耐えながら、瑛二は真正面だけを見据え続けていた。

 発作的とはいえ、殺意があったのは事実だった。罪は認める、潔く刑罰を受けたっていい。──ただ、持て余しているうちに醜く歪んでしまったこの想いだけは、どうしても誰かの耳に届けたかった。今はもう、瑛二が望んでよいのは、それだけなのだ。


「……被害者からも、よく話を聞いてみる必要がありますね」


 判事の声が、何度も壁で跳ね返って反響した。




--------------------




letter-16 confidencial feeling

公開日 2014/08/31 07:00

舞台 東京都台東区




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ