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テガミ ──The short tales of LETTERs──   作者: 蒼原悠
Ⅱ ぶつけたい、この感情。
15/25

はじめて分かること ──息子→父──

【letter-14 knowing at last】




 楽しかった大学生活も、もうあと半年。

 卒業を少し先の未来に見据え、氷川(ひかわ)歩夢(あゆむ)が思い返すのは。

 もう何年も前に亡くなってしまった、父・(たかし)のことでした。


 (わだかま)りを解消する前に、逝ってしまった父。

 いま、歩夢は見えないその存在へと、手紙を使って語りかけようとします。

 伝えたい、ぶつけたい思いが、たくさんあるから。








氷川 孝様





 父さん。


 手紙を書くのは、初めてだね。歩夢です。


 もう長いこと顔を見てないけど、元気でやってる? まさか向こうでもガリガリ仕事してたりしないよな?


 会えるものなら会ってみたいもんだよ。生き生きとしてる父さんの姿を最後に見たのはもう、四年近くも前のことになってしまったから。




 三年前、だったよな。


 父さんが死んだの。




 最後に交わした会話、何だったかな。


 もう、思い出せないよ。


 思い出したくても、記憶の彼方に遠ざかるばかりだよ。


 前は、意識して忘れようとしていたのに……。






 もっと、語り合いたかった。


 父さんの好きだった日本酒でも煽りながら、色んな話をしたかった。


 大人同士の扱い、受けてみたかった。


 したかったことはこんなにあるのに、肝心の父さんだけがいないなんて。酷いよ、こんなの。



 なぁ。


 父さん、なんで死んだんだよ。


 どうしてもっと早く教えてくれなかったんだよ。死ぬことが分かっていたなら、僕だって考えたのに。危篤の報せを受けても、意地張ってこっちに留まったりしなかったのに。


 だいたい、心不全って何だよ。そんなの原因不明ですって言ってるようなもんじゃないか。急死した人はみんなそうだ。分からないなら分からないで、構わないのに。直に父さんに聞いてやるのに。



 なぁ、父さん。


 分かってんだろ。


 分かってたんだろ。


 働きすぎだったって事ぐらい。


 自分が疲れてたんだ、って事ぐらいはさ……。





 僕が物心ついた時からずっと、父さんはダムの管理の仕事を続けていたよな。


 大きな建物の少ない僕らの町──奥多摩町にあって、奥多摩湖を抱えるあの小河内ダムだけはすごく立派で、誇らしかったんだ。あそこで父さんが働いてるんだって友達に自慢するのが、好きだったな。


 けど、中学になって僕と父さんは急に仲が悪くなって、口も利かなくなって。……気がついたら、大嫌いになってる自分がいたんだ。


 父さんって何かと、適当だったじゃん。何事も成り行きが一番だ、何も考えずにのんびりやっていければいいって、口癖みたいに言ってたよな。


 そういうところが、嫌いだったんだ。今のご時世、そんな甘い考えで動いてたら生活も何もかも破綻しちゃうに決まってる。ルールはどんどん複雑に、厳格に変えられて、情報も知らない世界がどんどん広がっているんだ。ちゃんと考えて前に進むことを、時代が望んでるんだよ。




 そんなんだから、早死にしちゃうんだよ。


 異常気象でダムの水が枯れて、その対策で仕事が増える事ぐらいは予想がついてたはずなのに。


 全部引き受けて、真面目に向き合って。事務所で倒れてるのが発見された時にはもう、遅かったなんて……。


 だから馬鹿なんだよ、父さんは…………。







 ごめん。


 今ごろそんな悪態ついても、何も変わらないんだよね。


 父さんは絶対に、戻っては来ないんだ。







 僕は今、稲城に住んでます。


 大学まではちょっと電車が不便だけど、この町はすごく気に入ってるんだ。多摩川を挟んで東京の都会と向き合ってる分、こっちの空気は気持ちよくてさ。父さんがよく連れていってくれたにっさんランドって遊園地が、丘の上に見えるんだよ。シンボリックなあの観覧車を眺めるたび、ああ、懐かしいなって思うんだ。


 大学で建築学部に通っているのは知ってると思う。実は、卒論のテーマには河川のことを選んだ。全国の河川への小水力発電設備の設置について、っていうテーマをね。


 教授も興味を示してくれて、今度うちの近くの多摩川の河川敷を使って実験もすることになった。


 もしもこのアイデアが成功すれば、大規模なダムの必要性はぐっと小さくなる。小河内ダムは水力発電と貯水、それに水害対策の役割を担っているぶん、管理が大変だろう。だけど、これからは水力発電の機能を分散させることも出来るようになるかもしれないんだ。小規模なぶん自動化もしやすいから、中央のコンピューターで一括管理することも可能になるだろう。


 父さんみたいに仕事で倒れる人が出ることも、なくなるんだよ。




 科学技術は死んだ人を生き返らせる事は出来ないし、人が死ぬのも止められない。それはきっと、人間に科せられた宿命なんだ。


 でも、悲劇を繰り返さないようにする事は出来る。必ず、ね。


 僕が父さんから教わった、一番大切な事は、それだと思うんだ。


 そう思うようになったのは、つい最近なんだけどね。父さんを喪って初めて、知ったんだ……。







 ありがとう、父さん。


 僕を生んでくれて。


 僕を育ててくれて。


 そして、ごめんなさい。


 あんなに反抗して。


 意味なく喧嘩して。


 あの頃の僕を許してほしい。そして出来たら、今の僕を応援してほしいんだ。



 この気持ち、届いてるといいな。







 喪ったものも、全部燃料にして。


 僕は前に進んでいくよ。



 だから、大丈夫。



 安心して、僕がいつか逝くのを待っていてください。






氷川歩夢










「──久しぶりね、歩夢がこの家に帰るのは」


 洗濯物をぱんぱんと叩きながら、母・氷川聖恵(きよえ)は懐かしそうに目を細めた。

「まあね」

 ぽつりとそれだけ返した歩夢は、窓の外に目を向ける。大きく開いたその窓からは、途方もなく巨大なあの小河内ダム全体を望むことができる。

 そこは生前、父・孝が使っていた部屋だった。今でも心なしか、孝の好きだった日本酒の香りが漂っているように感じる。もう、三年も前になるのに。

「時々、お父さんの好きだったお酒を供えてるのよ」

 奥から聖恵が付け足して、歩夢は自分の嗅覚が間違っていなかったことを悟った。

「どうしても、忘れられなくてね。夜、その窓からダムを眺めながら一人で晩酌してる、お父さんの背中が」

「そっか……」

 ごうごうと轟音を立てるダムから視線を外すと、歩夢は孝の遺影に向き直った。


 孝が生まれたのと時を同じくして、あのダムは完成を迎えた。

 孝と全く同じだけの時間を、同い年の小河内ダムはこの場所で経験してきていることになる。それなのに、どうしてだろう。父という存在をその間に重ねた時、ダムと自分は等価な存在のようにはどうしても思えなくなってしまう。

「そんなに、あのダムが好きだったのかな……」

 ふとこぼれた、素朴な疑問。──けれど、大事な疑問。

「お父さん、死ぬ前の日に行ってたの。俺にとってあのダムは相棒だ、兄弟だって。渇水でダムが苦しんでるのなら、俺が行ってやらなきゃいけないんだって」

 聖恵の説明が、歩夢の耳元を掠めて流れていった。

「お父さんは……あの人は、何にでも感情とか痛みを感じ取れる人だった」



 だからって。

 何も命を捨てないでも、よかったじゃないか。


 残される僕たちのことは、何も考えてないじゃないか。



「……どうしたの?」

 目元に腕をあてがった歩夢を見てか、聖恵が心配そうな声を上げた。

 歩夢は手を振った。

「平気。僕、ちょっとその(ダム)まで歩いてくるよ」

「え、ああ。気をつけなさいよ」

 頷くと、歩夢は靴を履いて表へ出る。気をつけるも何も、ここからダムまでの道なんて目をつぶっても歩けるほど慣れた道だ。




 いつか大切な誰かが、懸命な思いを抱えて走ったであろうその道を。

 今はこうして、たった一人で。


 歩夢の肩をすり抜けた穏やかな風が、水の満ち満ちた奥多摩湖の湖面を、優しく撫でていた。




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letter-14 knowing at last

公開日 2014/08/16 07:00

舞台 東京都奥多摩町




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