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テガミ ──The short tales of LETTERs──   作者: 蒼原悠
Ⅱ ぶつけたい、この感情。
14/25

君が笑えば ──弟→姉──

【letter-13 laughter for luck】




 イギリス留学を明日に控え、神田橋大学に通う大学生の矢川(やがわ)亜姫(あき)は浮き足立っていました。

 彼女は怖いのでした。住み慣れたこの国を離れ、独りぼっちになってしまうのが、今になってもどうしようもなく怖いのです。

 そんな姉の背中を見ていた弟・(りょう)は、あることを思いつきました。


 それは、テガミを書くこと。

 いつでもどこでも読めるように、紙に書いて渡すことでした。





 矢川 亜姫様




 いや、


 姉ちゃん。



 筆跡でバレるとは思うけど、凌です。姉ちゃんの弟です。


 この手紙は、深夜にこっそり書いています。明日の朝、この町──国立(くにたち)を出発する姉ちゃんに渡さなきゃいけないから、急いで書いてるんだ。だからちょっとくらい字が汚くても、勘弁してくれよな。


 くそ、手紙ってなんか恥ずかしいな……。口で言うよりマシだと思ったから、紙にしたためてるってのに。





 姉ちゃん。


 明日からいよいよ、イギリス留学だな。



 一昨日から取りかかってた荷造り、さすがにもう終わったよな?


 半年も向こうにいるんだっけ。姉ちゃんも大変だね、大学の制度上必ず行かなきゃいけないんだろ? しかも姉ちゃんくらいに成績優秀ときたら、なぁ。


 俺は外国の事とか留学の事は何も知らないけど、楽しんでくればいいんじゃないかなーって思うよ。ほら、俺の通ってる立国高校って中高一貫校じゃん? 先輩のクラスに来た留学生の話とかよく聞くけど、意外とみんな遊んでばっかで授業聞いてないみたいだもん。姉ちゃんも、そのくらいの気持ちでいたらいいと思うんだ。そりゃ、高校と大学じゃ違うだろうけどさ。


 それにきっと、楽しもうと思わないでも楽しめるんじゃないかと思うけど。生活の全てが変わるわけだろ? ここ国立のせかせかした日本人ライフから、いっぺんに何もかもがイギリス風に変わっちゃうんだぜ?


 きっと、楽しいと思うけどなぁ。飽々するような混雑電車からも道路からも解放されて、のんびりした日々を満喫出来るんだから。




 なー、姉ちゃん。


 そのくらいポジティブに考えなきゃ、やってけないよ?




 だいたいさ、姉ちゃんは心配しすぎなんだよ。


 あれを忘れたらどうしよう、ここで迷ったらどうしよう、誰かに乱暴されたらどうしようってさ。今心配したってしょうがない事だってあるじゃんか。姉ちゃんは頭がいいし、英検一級の二次面接で満点取れるくらいの会話力もきちんと身に付いてる。特別コミュニケーションが苦手ってわけでもないんだろ?


 天下の神田橋大学の首席様がそんな有り様でどうするんだよ。もっと自分に自信を持ってさ、前向きに考えなよ。ポジティブシンキングさえ忘れなきゃ、人間どうにかなるもんじゃん?


 俺も、姉ちゃんのためなら何だってするよ。メール送ってくれれば、日本(こっち)で出来ることはしてやるからさぁ。



 ……そりゃ、寂しさだけは、俺にだってどうしようもないけど。





 姉ちゃんって、昔からすごく怖がりだったよな。


 怖がりっていうか、弱腰だったっていうか。新しい環境にも弱いし、知らない人ともあんまり話せないよな。


 俺は姉ちゃんとは五歳差もあるから、物心がついたときには既に姉ちゃんは小学校に通っていたけど。小、中、高と、この町の学校に通い続けてる間、ついぞその性格、直らなかったもんな。


 別に直す必要はないって俺は思うけどね。ただ、こういう時不便だろうなあってさ。めちゃくちゃ混んでる通学電車とか、姉ちゃんだったら乗れなさそうな気がするよ(笑)


 そういう意味では、この町で暮らせたのはラッキーだったよな。国立は学園都市を自称する街だ。その通り名の通り、国立なら市内から一歩も出ずに幼稚園から大学まで行けるもん。





 なあ、姉ちゃん。


 そろそろ自信出てきたか?




 大丈夫だよ。


 あの大学で首席なんだぞ? 姉ちゃんなら、やれば何だって出来んだよ。てか、そう信じるんだよ。それが出来るのは、姉ちゃんしかいないんだぞ。



 知らないと思うけど、姉ちゃんって俺の友達連中の中じゃかなりの美人で通ってるんだぞ。顔立ちもいいしスタイルもいいし、笑ってる時なんてものすごく可愛い、って具合に。


 俺もそう思うよ。姉ちゃんの笑顔は、弟の俺から見たってすごく可愛いもん。きっとそれ、武器になるよ。相手の心証も良くなるしさ。


 困ったり戸惑ったりしたら、とりあえず笑えばいいんだよ。そうすればきっと、時間と周囲が解決してくれる。


 俺たちの得意な“とりあえず笑顔”作戦ってやつだよ。姉ちゃんが使わない手は、ないだろ?



 大丈夫。


 姉ちゃんが笑ってる。それだけで、俺は幸せなんだよ。


 俺だけじゃない。父さんも母さんも、みんな絶対にそう思ってる。


 不安そうな顔なんて見たくない。いつでも前を向いて、元気でいてほしい。間違いなく、そう思ってるはずだよ。


 俺たちを信じてよ、姉ちゃん。








 寂しくなったら、帰りたくなったら、いつでもこの手紙を広げてみて。




 半年間、頑張って来いよ!







矢川 凌








「よっ、と……」


 亜姫の寝室のドアを、凌はこっそりと開いた。

 時刻は午前三時。書いては消し、書いては消しを繰り返した結果、ずいぶん時間がかかってしまった。

 もっとも時間が遅いことに構いはしなかった。むしろ、亜姫が起きている間に渡しに行く方が恥ずかしいではないか。

 ふふ、と笑うと凌は忍び足でベッドに歩み寄った。いつもと違うことをしている自分が、ちょっぴり可笑しくて、ちょっぴり不思議な気持ちだった。


 だが。

 寝室に、亜姫の姿がない。


「あれ……?」

 どこだろう。ぐるりと部屋を見回したが、どこにも姿はない。

 さては、トイレにでも入っているのだろうか。凌は振り返ってトイレのドアを見たが、中の電機が点いている様子は見られない。

 変だな。不審げに眉をひそめつつ、ともかく亜姫の部屋から出た凌は、その時になってようやく気が付いた。

 一階へと続く階段の向こうに、光が見えることに。


 この時間帯に起きている人がいるとしたら、あの人物しかいない。


「──姉ちゃん? 起きてんの?」


 そう声をかけながら、凌は一階まで下りてきた。

 ……案の定、であった。リビングに置かれた机の上で、探していた亜姫の背中は見つかった。いったい何をしていたのか分からないが、ぐっすり眠っているようだ。上下する肩に、思わず凌は苦笑した。

 しょうがない姉ちゃんだな。そう思って揺り起こそうとすると、眠る亜姫の手元に紙があるのが見えた。


『お父さんへ』

『お母さんへ』

『凌へ』


 そこにあったのは、そう題された三枚の手紙だった。

 凌は少しだけ覗いてみた。そこにはこれまでの日々への感謝が、別れの言葉が、亜姫の柔らかい字でぎっしりと書かれていた。

 まるで遺書のようなその文面を、普段ならきっと笑ってしまったことだろう。

 ……しかし今日の凌には、それが出来なかった。


 ごめんね。

 ありがとう。

 楽しかったよ。


 そんな精一杯の言葉に彩られたその手紙を、どうして笑うことができただろう。


「姉ちゃん…………」


 これは、見なかったことにしよう。

 そう心に決めると、凌は静かにその場を後にした。

 この手紙は、亜姫の鞄の上にでも置いておけばいい。それできっと気づいてもらえるはずだ。そう思った。




 「矢川 亜姫様」と鉛筆で書かれた宛名の文字が、涙で少し滲んでいた。




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letter-13 laughter for luck

公開日 2014/08/13 17:00

舞台 東京都国立市




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