一、星の町
この町は、星の町だ。
それを知ったのは私が大学生になってこの町に来てから、数か月たってからだった。毎日を何に追いかけられているわけでもないのに忙しく生きていた私は駅のところどころに飾られているポスターすら目に入らなかった。どうにか大学生活にも慣れてきて余裕が出てきたころ、ようやく町の風景に目が行くようになった。駅の柱に描かれている、黒に点々と黄色いマークが付けられ、線で結ばれたそれはさそり座と呼ばれていた。大学帰り、後ろから来る大勢の人々に追い抜かされながら、首をかしげる。あれはどう見てもサソリの形なんてしていなかったのに、誰がそんな名前を付けたのだろう。それとも実際のサソリは星座と同じ形をしているのだろうか。よく見てみれば、駅の柱はみんな何らかの星座が描かれているようだった。私自身はせいぜいオリオン座や北斗七星を見つけるのが精いっぱいで、ほかの星座なんて一度も見つけたことがなかったから、余計に駅に踊る星座たちに興味をひかれた。駅の階段を上がれば、外は真っ暗だった。もしかしたら今度は見つけられるかもしれないと、早速わくわくしながら空を見上げてみると、少しかけた月が煌々と光るだけで、星は一つも見えなかった。
「…見えないじゃん」
ぷうっと頬を膨らませ、墨で塗られた様な空に悪態を吐く。私の故郷は空を見上げれば必ず星があった。それこそ月すら脇役にしてしまうような明るく多くの星が散らばっていた。ありきたりだけれど、さびしいときは空を見上げた。腹が立つくらい、気持ち悪いくらい星が光っていて、なんだかどうでもよくなった。見えないけれどそこに星はあるんだよ、なんて言っても見えなければ何の意味もない。夜にしか光れず、ただひっそりと生きているだけなのにそれすら都会の明かりに射されて埋もれてしまう。まるで私みたい、なんて少しだけ酔ってみる。もうすぐ春になる今は、本当はどんな星が見えていたのだろう。本当は、私は何に成っていたのだろう。そう思うと、いてもたってもいられず、いつの間にか私の脚は本屋へ向かっていた。その間もひたすら星を探したけれど、一つも見つからなかった。見れば見るほど月が一人で踊っているみたいで悲しくなる。一人ぼっちで寒そうに、寂しそうに輝いている。顎を引いて、マフラーに顔を埋める。一人ぼっちは悲しいのに、寂しいのに、他の星は黙ったまま、誰も出てきてくれない。ピカピカ点滅する地球にすら月からはあまりにも遠い。ずずっと鼻水をすすって、自動ドアを潜る。暖かい暖房が頬を撫でた。店内は外の喧騒がうその様に静まり返っている。なるべく音をたてないように本棚をいくつか通り過ぎ、突き当りの本棚の前で顔を上げた。一番上に飾られている『趣味』のポップを確認して、目当ての本を探し出す。一番右下、天体関係の本は僅かに数冊しか置いていなかった。そのうち二冊は写真集で、星座に関してまだ疎い私は星座の解説が主に扱われている二冊手に取った。しかし、裏返して見てみればどちらも1000円を越しており、さすがに両方買うのは戸惑われた。ぱらぱらと何回かめくってみるが、違いがさっぱり分からず、あきらめて一冊を置きレジに向かう。星の町、なんて言ってもやはり人々には浸透していないらしい。むしろ一冊でも手に入ったことを喜ぶべきなのだろう。ビニールに入った本を持ち上げ、ため息を吐きながら再び自動ドアを潜れば、今度は冷たい風が頬を撫で、せっかく暖かくなった体がまた冷えていく。目に入った月は相変わらず一人ぼっちだった。
財布と鍵しか入ってないバッグから家の鍵を取り出し、扉を開ける。頭の中でただいまを言ってから電気をつけ、鍵を閉めた。一年たってもやはり誰も迎え入れてくれない家にはどうにも慣れなかった。誰もいない家はご飯の香りも焚き立てのお風呂の匂いもしない。全部一人でご飯を炊いて、おかずを作って、お湯を湯船に張って、洗濯をしなければいけない。都会にいる大半の人がこんな風な生活をして、さみしくないのだろうか。それとも、さみしいから、忙しいふりをしているのだろうか。スケジュール表を遊びで埋め尽くさなければさみしさに殺されてしまうから、誰かを求めて必死なのだろうか。薄い壁一枚隣から聞こえる、私を悩ませる暴音たちもまた、さみしさから目を背けているのかもしれない。
朝ごはんを食べてそのままの食器と、炊飯器の窯を洗って、無洗米を炊く。炊飯ボタンを押したことを確認して、ベランダに出る窓を開けた。テレビの音が遠ざかった代わりに、暴音がさらに大きくなる。網戸を開け、埃でザラザラするサンダルを履き、空を見上げる。
やはり星は見えなかった。