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ガラスの向こうのエンドレスワルツ 4


 世界は真っ暗闇だった……。

 地に足が着いているような気はする。

 けれど、目を凝らせば凝らすほど、自分の位置がわからなくなってしまう。

 もしかすると、浮いているのかもしれないし、はたまた、落ちているのかもしれない。

 いや、そのどちらでもなく、そのどちらともなのかもしれない。

 わからない……。

 しかし、今それは関係なかった。

 わかっているのは、自身が大人に至らない少女であること。

 それと――

 思いが巡ると、少女の視界に一筋の光が差し込み、闇を縦に切り裂いた。そこから観音開きのように光が溢れ、闇が後退していく。

 ぐるり三百六十度。

 光が筒状に少女を取り巻くと、スクリーンのように、風景を映し出した。

 最初に見たのは、古ぼけた体育館の裏――使われなくなってからいくつか時の経つ焼却炉が脇に見え、雑草に塗れた薄暗い場所――空を伺えば夕暮れだった。

 そこで――小学生くらいだろうか。半ズボンから覗く膝小僧に絆創膏を貼った少年が、こちらに向けて、一通の封筒をぐしゃぐしゃにして突き出してきている。

 それを自分は受け取ったのだろう。スクリーンでは、必死で封筒の皺を伸ばしているような手の動きの陰で、差出人の名前であろう文字列が見えた。

 しかし、それを読み取ることはできなかった――。

 次に見たのは、小さな教室だった。

 小さなと言っても、いまいちしっくりこない。自分の感覚は、その通りだと言っている。けれど、スクリーンに映し出された教室は、大きく見えた。

 それは、教室を埋める机の大きさや、視線の高さが自分の認識よりも小さいからだろう。

 そんな教室に、小さな人影が――いや、目線の高さに合わせた少年少女の影が二十程。こちらを伺うように赤い目を向けては、逸らし、ひそひそと何かをささやいた。

 耳を澄ませば聞こえるのだろうかと試してみたが、もともとこの世界には音がない。

 ただ――その代わりに映像の角度が変わり、しわしわの封筒が覗く机の引き出しの下で、両膝の上でスカートを握り込むように固められる拳が見えた。

 途端、映像はブラックアウトする。

 そして、古いフィルム映画の冒頭のように、セピア色をした昇降口を映しだした。

 色はわからない。けれど、校庭へと抜ける窓には濃淡のグラデーションが見え、こちら側は影に包まれたように、暗い闇だった。

 そこで――

 区切られた下足箱の中――

 浮き上がるようにスクリーンへ焼きつく泥だらけにされた自身の革靴。

 それがずっと、中央に映し出されたまま、画像は硬直してしまった。

 いや――映像の輪郭が滲み、じくじくと、何もかもが黒い闇に染まって行く。

 そしてその闇は、スクリーンから溢れ出し、少女の足へ纏わりついた。

 まるでその闇が麻酔薬であるかのように、足から、膝から、力が抜けていく。

 立っていられない。

 四つん這いに少女は崩れ落ちた。

 膝への痛みはない。けれど、吐き気が込み上げてくる。

 それでも口元に手を添え、せめて前を向こうと視線を上げた時、スクリーンには、スライドショーのように人物写真が流れていった。

 ひとりは、みつ編みの少女。頬を染め、誰かを見つめている。

 ひとりは、体育館裏で手紙を渡してきた少年。背を向け、ゲラゲラと笑っている。

 ひとりは、みつ編みの少女が、涙ながらにこちらを睨みつけてくる。

 ひとりは、年老いた女性。視線を逸らし、耳を塞いでいた。

 ひとりは、ウェーブのかかった茶色い髪の少女。こちらを見下すように顎を上げていた。

 そして――真っ黒な顔に鮮やかな赤い口を開き、薄気味悪い笑みを見せる人――人、人……。

 そんな写真が、周囲のスクリーンをぐるぐると回っていた。

 聞こえないはずの、声が、聞こえてくる。

「わたしね。溝奥くんの事が好きなんだ」

「馬鹿言うなって、別にあいつのこと好きじゃねーし」

「友情? 同情の間違いでしょ? みじめなわたしを笑いたいんでしょ?」

「それはあなたをからかっているだけなのよ。そんな事言わず、仲良くしなさい」

「今の気分はどう? この、偽善者!」



       ☆



 空間がビリと揺れた。

 感覚的に過る悪寒。

 それにヴィクターは、歪に曲がった階段を登る足をとめ、耳を騒がしく動かした。

 何かが蠢きながら迫る気配――

「なんだこれは?」

 と、零した途端――甲高い音を孕んだ赤黒い魔力の奔流が、眼前を横切った。あと数歩、先を進んでいたなら、巻き込まれていたかもしれない。それほどの距離を周囲の空間を呑みこむように貫く一条の――いや、行く手を阻む壁のような魔法の光が、ヴィクターの顔に陰影を生んだ。

 この輝き。この波動――ヴィクターの内なるページがめくられ、とあるページを開いた――間違いねェ。

「リジェクション……」

 だとするなら、これを放った術者は誰だと言うのだ? まさかヒトミ? もしそうなら、タンゴは無事合流したのだろうか?

 過る憶測。けれどそれは、やはり希望的な観測でしかない。

 フォシオロゴスを介した魔術通信は、案の定、この結界の中では無力だった。もしかすると前任者は既に同様の状況へと陥っていたのではないだろうか……。

 とすれば、全てに納得がいく。

 しかし――

 ヴィクターが目を細め、頭を振ると、やがてリジェクションは光に消えた。

 すると、歪んだ空間にぽっかりと開いた横穴。おそらく、空間の迷宮を貫いた跡だ。空間剥離すらものともしないあの魔法ならば、この結果も頷ける。

 覗き込めば、案の定――真っ暗なトンネルの内壁に学校施設の写真をちりばめたような風景があった。

 目を配り、どこから放たれたのかを探す。理科室か、それとも視聴覚室の――いや、それよりも臭いを辿った方が硬いか――

 鼻からすんと息をする。

 校舎内に充満していた臭いに混じり、ヒトミの発する香りが流れてくる。

 この先か……。

 白い足が闇に、踏み出される。どうやら、この闇は足場として機能するようだ。

 なら――

「ヒトミ……、無事でいろよ」

 臭いを追って、駆けだした。



       ☆



 らせん回廊のようにくねった廊下の窓から覗く景色は、グラウンドの景色であったり、宮殿の庭園にも見える中庭のような景色であったり、真っ青な空であったりと、目を向ける度に変化していた。

 やがて廊下は、丁字路に突き当たる。が、そこへタンゴが差し掛かった途端に、丁字路は遥か向こうへ遠ざかってしまった。

 いったいこれで、何度目か……。

 薄々感じてはいたが、どうやらこの迷宮は、リアルタイムで構成を変化しているようだ。いや、この空間を作り出した災悪が、任意に“させている”と認識した方が理解できる。

 最初の分岐を踏んでから、数えきれないほどの選択をしてきた。三叉路、十字路、五叉路。それらを潜り、奥へ奥へと――その途中で、一本道がいきなり三叉路に変わる事など、頻繁にあったことだ。

 が、しかし。ここに来て勝手が変わってきている。

 選択肢が増える事はあったにしろ、減ること――いや、先延ばしになる事などなかった。丁字路にしても、階段にしても――最初、幾重にも存在していた分岐点が、ここにきて逃げ水の陽炎を見ているように、ずっと先送りになってきている。もしかすると分岐などの選択すら、必要ないとでも言いたいのか。

 それほど道を間違えたとでも言いたいのか――

 いや――違うな……。

 唐突に、歩んでいたタンゴの足が、ピタリと止まった。

 家主が奥へと囲った丁字路――かすかに霞みがかった行く先へタンゴが目を凝らせば、ぴりりと揺れる髭。

 それは感覚的であったのだろう。しかし、野生の勘が――いや、ある種の経験則から、答えを導く。

「やはり、この道で正解やったみたいやな……」

 おもむろに後ろ足で床を叩く。と、タンゴを中心に六芒星の魔法陣が描かれる。

 それを合図に、周囲の空気が渦を巻いた。その風は、次第に色を得て、タンゴの前に立ち塞がると、少女の人型を成し、ウェーブのかかった茶色い髪をかき上げ、赤くらんらんとした瞳を見せた。

 やはり災悪。待ちに待った対面に、タンゴは牙を覗かせる。

「ようやく家主のお出ましか、よくもまあ、面倒な結界張ってくれたもんやで。おかげで温和なワシも怒髪天じゃ!」

 吼えるタンゴ。しかし災悪は、冷笑を浮かべた。

「そう。それはごめんなさい。でも、どれだけあなたが息まいたって、ここが私たちの結界内だって事、忘れていないかしら?」

「はっ、虎穴に入らずんばってコトワザ、知らんのか?」

 災悪の表情が強張る。タンゴを睨み据えた。

「ならあなた、この先で虎児を得られるとでも?」

 ピンと空気が張り詰める。と、災悪の背後にいくつもの歪みが生まれ――天井から、壁から、窓から、床から――至る所の歪みから、全て同じ姿の少女――いや、災悪が姿を現した。

「思いあがりね。子猫ちゃん」災悪のひとりが言う。

 通路を埋め尽くすほど現れた災悪たちを目で追うタンゴの背後から「これだけの数を相手に、できるのかしら?」と、更に声が付け足された。

 横目を向ければ、前方と同様――廊下の幅一杯に列をなす災悪の姿――まるで合わせ鏡の中心に居るような錯覚。いったいどれほどの数が集まってきているのか、皆目見当もつかない。

 もしかすると、この学園に結界を施した災悪全てがここに集ってきているのかのように思える。

 だが、それは――

 願ったり、叶ったりだ。

「アホタレ……。ワシを誰や思てんねや――」

 微笑が浮かぶ。と、タンゴの魔法陣が輝きを増した。

「中世より魔の傍らに立ち、運命を司った一族であるワシ相手に、たかがBランクの出魔でまごときがどれだけ群れようとなぁっ、腹の足しにもならんのじゃあっ!」

 叫び、タンゴが床を蹴る。振り上げた前足には、あの焔のように揺らめく青白い鉤爪。

 だが、災悪こと――出魔たちもまた、魔法陣を展開した。

 窓に、壁に、中空にと、無数に空間へ描かれる五芒星の魔法陣――術式を読み取れば見える効果。直線砲撃系――それら全てがタンゴに狙いを定めた。

「なら……、火線の雨に散ればいいっ!」

 幾重にも反響したように聞こえた出魔のトリガーが、術式を通じ、縦横無尽な弾幕を描きあげる火線をタンゴへ放つ。

 だが、タンゴも無策ではない。射線を見きり、迫る火線のいくつかを掲げた爪で引き裂き弾く。そして、捻った体の足もとに新たな魔法陣を生むと、それを足場に蹴り返し、他の火線をかわした。

 タンゴを見失った火線が、出魔の生け垣を焼く。

 同士打ちだ。

 火線に貫かれた者はもちろん、ちりと表皮をかすっただけでも出魔は炎に包まれ、もだえ、苦しみ、霧になって消えた。

 見た目はか細く遅いが、威力は折り紙つき。

 だとしても――要は、かすらせもしなければいいだけだ。

「なにやってんの、あんたたち!」出魔のひとりが叫ぶ。「よく狙いなさい!」

 問題はそこではないだろう。が、頭に血が上っているのだろう。タンゴを中心に据えたまま、第二射――

 しかしそれも、中空に足場を築き、跳ねまわる黒猫を捉えられない。外れた火線は己が身を焼いた。

 その隙を逃さず、タンゴは爪を振るう。

 出魔をまとめて数人、切り裂いた。

 断末魔が反響する中に向けられる第三射は、タンゴを捉えるどころか、味方を見事に打ち抜く。

 その間にも、五人、十人、十五人と、爪で出魔を切り裂き、中空へ舞うタンゴ。

 火線に狙われれば、天井を蹴り、窓を蹴り、魔法陣を蹴って、全てをかわし、お返しとばかりに、爪を振り下ろす。

「どうしたぁっ!? こんなけ群れて取り囲んでも、ちまちま豆鉄砲バレット撃つだけかっ!?」

 気迫に押された出魔たちをタンゴは金色の目で睨み据え、迫る火線には一瞥もくれず、一足で間合いを縮める。と、魔法陣を展開させ、錐揉みながら通り抜けた。

 瞬間、出魔の群れの中で光の筋が数十回と瞬く。そこにいた出魔は誰も、何が起きたか理解できなかった。が、やがて己が肉体の崩壊を知り、断末魔と共に霧散した。

 その中心に、音もなく降り立つタンゴ。ひらり揺らした尻尾の先には、爪と同じ青白い刃があった。

「魔法の基本は近接戦闘。それすらでけへん逃げ腰で、ワシに勝てると思っとんのかっ!? 肝据えてかかってこいやっ!」

 啖呵を切ったタンゴによって、仲間数十人が消えた頃、ようやく出魔たちは気が付いた。

 ここはスペースの限られた廊下だ。空間一杯に火線を打ち込めば――あの爪で弾かれようと、どれかは当たる。その一撃にキャパ一杯の魔力を込めれば――

「みんなこっちにっ!」

 尻尾の先に生み出した刃を振りあげ、更にひとりを倒したタンゴの視界の先に、残った出魔たちが集まって行く。

 数にしてまだ数十。しかし、これがここに集った全てなのだろう。一瞥を背後へ向ければ、その通り、人影はゼロだ。

「ここでようやく気付くんか……。ボンクラどもが」

 ククと笑うタンゴ。

「なにがおかしいの? こうなってしまえば、自慢の早さでだって、かわせないでしょうに」

 今度は出魔たちが笑った。それと同時に、廊下一杯を隙間なく埋め尽くす数の魔法陣が、壁のように展開される。

「確かに、な。ける事はでけんやろ。ワシのリッパーで弾くんも数が知れとる」

 そこまで言うとタンゴは魔爪を解き、空間に放棄した。が、新たに魔法陣を描く。

「だがなっ! 貴様らのヘタレ弾幕をワシがおとなしゅう喰らうとでも思とんのか、ダボハゼどもがっ!」

「ふん。そう言いながらも、あなたに何ができるのかしら? もしその術式がさっきまで振るっていた爪以上の密度をもつ防御魔法のものだとしても、魔力の総量で勝負するなら結界内の私たちには勝てないわよ。それをわかっているから、あなたは動けずにいる」

 出魔の目が、怪しくきらめいた。

「いいえ。それだけじゃない。この数を相手に戦闘で射撃魔法を一切使わず、近接戦闘がどうとかと口上を述べて、接近戦を誘うやり方って、どこかで見た事があるわ――身分を名乗り、切り合いに美学を求める。そう、そうよ。思い出したわ。どうせあなたも、カビの生えた近接戦闘にこだわる懐古のロマンバカ――もとより撃ち合う事もできないのじゃなくて?」

「だからどうした? 要らん知識ひけらかして、優位に立ったつもりか? そんなもん……、確証でもないやろが」

「そうかしら? ここに居たカササギは、今居る誰より魔力は強かったけれど、あなたと同じように、近接戦闘しか行わなかったわよ」

 ピクリとタンゴの眉が跳ねた。

「カササギ、やと……?」

 ここに居た可能性があるのは、ヒトミの護衛任務にあたっていた前任者しかいないだろう。

 どんなエージェントかと思とったら、よりにもよって――確かに、“あいつ”なら魔力はピカイチ、ロマンバカも納得の文句なしや――極東支部のどっかに出入りしとるっちゅうのは耳にしとったが――あの嬢ちゃん相手に、本部は手段選ばん気やったんか――

 この闇……、存外深いで……。

 初めて見せたタンゴの表情に、出魔はクククと含み笑った。

「あら、もしかして知り合いだった? けど残念。彼女、結界相手に自滅したわ。死んではいないけど、この先ずっと私たちの餌」

 すうと、出魔たちの腕が上がる。

「そしてあなたは、ここで死ぬの。仲間の魔力に撃たれてね」

「そうか……」これでいくつか合点がいった。「貴様らの魔力の源は、あいつの魔力っちゅうことか――。道理であんな術式使(つこ)ぉとるのに連射は利くわ、“火”線なわけやなぁ……」

 ぎりと噛み締めた歯が鳴る。――買い被っとったわ。

「――が、貴様は所詮使い魔レベル。この位置付けは変わらんな。もし、あいつの魔力を使いこなせたとなれば、ワシなんて遠ぉの昔に消し炭やった」

「なにを言って……?」

「わかっとらんなぁ。貴様ら程度では、あいつの魔力のほんの一部分しか扱えてへんちゅうこっちゃ。――つまり、貴様ら全員合わせても、器はちぃーっちゃい。おちょこレベルや」

 顎をすっと上げたタンゴの目が、光彩を細くした。

 明らかな挑発。だが、それに出魔は乗った。

「バカにしてっ! その減らず口、今すぐ利けなくしてやるっ!」

「やれるもんなら、やってみィっ!」

 互いの言葉が弾けた。

 ここからはスピード勝負だ。

 全ての魔法陣は展開済み。ならあとは、どれだけ早く、多くの魔力を魔法陣へ送り込めるか――

「我が言葉は、彼の言葉。紡がれし魂の呪い――」

 タンゴの詠唱が始まった。魔法陣が輝きを増す。

 しかし、出魔の魔法陣はもうすでに、十分な魔力を吸い上げている。

 が、怒りにかまけ、更に魔力を送り込んでいるようだ。

「知るがええ。我が降らせし、破壊の血雨に、防ぐすべなどありはなしっ!」

 タンゴの詠唱が完了と同時、出魔の魔力を一杯に吸った魔法陣の壁が、くらむ様な光を放つ。

 さあ、互いにトリガーを引け!

「吹きとびなさいっ!!」

 出魔が先。一斉に放たれたプラズマ球が、通路全てを埋め尽くすように迫る。隙間を探すが、タンゴどころか、ネズミ一匹通れやしない。

 だが――タンゴは目一杯に凝縮したトリガーを、吼えるように吐き出した。

「ホンマ物の弾幕っちゅうのはな、こういうもんを言うんじゃあっ! 撃ち抜けぇっ! 《ルカ・ブラージッ》!!」

 途端、タンゴの魔法陣が閃光を放ち、魔力で構成した朱槍を幾本も具現化させる。その槍それぞれが、一瞬ブルルと振動したかと思った次の瞬間――

 槍は消え、タンゴと出魔が睨みあう中心で、プラズマ球が次々と破裂していく。

 いや、それだけでない。

 出魔の魔法陣が、次々とガラスのように砕かれて、光の粒子に変わって散った。

 それは、瞬く間の出来事であっただろう。事実を認識するためには、少し、早すぎる。

「そ、そんな……、バカ、な……」

 プラズマ球が消え、魔法陣の壁に穴が開き。黒猫は健在で――

 残った出魔はひとりきり――

 それも、鎖骨から腰骨までをえぐり取るように、右腕がない。

 傷口から血は出ないが、そこから霧へと変わって行く。

「射撃魔法だなんて……、ロマンバカじゃ、なかった、の……?」

 虚ろな目は、もうタンゴを捕えていないのだろう。ぐらりと揺れながら、口をパクパクとさせている。

 それをタンゴは、自嘲気味に笑った。

「訳のわからん相手に手の内明かすんは下の下。それになぁ、ワシ程度の力じゃ、ロマンだけで喰ってけへんねや……」

「くぅ……、最後まで、バカに、し、て……」

 かすれ切った声と共に、出魔は全て霧になった。

 それに一息吐き出したタンゴが、舌打つ。

 ここに集った出魔は全て倒した。が――

 未だ歪みの消えない廊下が、元の姿を取り戻さないと言う事は――

「まだまだフィナーレとはいかんか……」

 そう零せば、ふっと、押し寄せる倦怠感――借り物の魔法、その反動か――瞬間的に大きく消費してしまった魔力によって、グラリとタンゴの体が揺れた。それをぐっと堪え、憎々しく眉間を寄せる。

「クソが……」

 憤りを吐き捨てる。だが、それで魔力が戻って来るわけでもない。

 温存と言う意味でも、あそこはブラージを放つべきではなかったのかもしれない。が、手早く集った出魔を全て砕くならば、仕方がなかった――

 ぴりり、髭が鳴る。

 そうや。これが自分の運命や。認めやなあかん――

 噛み締め、踏みしめ、顔を上げれば、歪んだ空間に亀裂が見えた。

「なんや……? アレは?」

 それは、丁字路の壁に穿たれた赤い斑点から伸びる黒いひび割れ――出魔が滅びたことで綻びが生じたのか、と思ったが、どうやら違う。――先程放ったブラージが突き刺さっているのだ。

 そこへタンゴが歩み寄れば、槍は霧に変わり、跡にはズンと深い闇が覗いた。ぽっかりと口を開け、中には奥へと沈み込んでいくような階段が見える。

 そこから漏れ出してくる魔力は濃厚で暗く、知覚探知として劣るタンゴにも見えるほどだ。が、出魔の物ではないように思えた。

 さて……。

「これは罠か……」

 丁字路の左右を見比べるように視線を流す。

「それとも、当たりか……」

 もう一度階段下を覗き込むと、ぴりり――髭が揺れた。



       ☆



 暗闇のトンネルをヴィクターは駆け抜ける。

 足元に開いた職員室の風景を跳び越え、闇の足場を蹴り、加速する。

 彼女の臭いは明白だ。この先にヒトミが居るはずだ。

 が、背後から迫る重圧に、時折一瞥を向ける。

 嫌な予感はしていた。

 今通っている空間は、ヒトミが無理矢理こじ開けた物だろう。迷宮の横穴などと言う反則紛いの事象を、いつまでも放置しておくほど、結界の主は不抜けていないようだ。

 無音の闇がトンネルの崩落を思わせるように背後から猛然と迫ってきている。

 横目に見てきた視聴覚室も、家庭課室も、先程跳び越えた職員室にしても――もう、その景色は闇に呑まれてしまっていた。

 しかし、とヴィクターが行く先を見据えれば、トンネルの中心に灯が見えた。ヒトミの臭いも強くなってきている。

 ただ……、その臭いは――いや、その魔力は、禍々しい程の瘴気を孕んでいた。

 後ろにも、前にも焦燥がある。それに駆られ、ヴィクターは目一杯に足を繰る。

 と、ヴィクターがある一点を越えた時、不意にヒトミの声がトンネル内に流れ込んできた。

「我が言葉は彼の言葉。紡がれし魂の呪い――」

 一瞬、怖気立つ。まさか、リジェクションをここに!?

 だが、少し感覚が違う。術式の発動を誘発するような魔力の流れが匂ってこない。

 それどころかその先の詠唱もなく、ただただ、悲痛に高まった声に嗚咽が交じり、弱々しく同じセリフを繰り返すだけ――

「我が言葉は彼の言葉。紡がれし魂の呪い――」

 それが何度目の詠唱だっただろうか、いや、そんな事はどうでもいい。ヴィクターがトンネルから跳び出すと、そこはひとつの教室だった。

 横穴の出口から、黒板のある教壇まで、まるでトンネルの延長だったのかと思えるくらい丸く、勉強机や椅子が散乱しながら、退けられていた。その床でヒトミは座りこみ、両手を床にかざして、あの呪文を繰り返している。

「ヒトミ……」

 ただならぬ雰囲気なのはわかる。が、ヒトミは無事だった。

 安堵の息を吐き、ヴィクターが歩み寄る背後で、トンネルが塞がれ、教室の壁が復元される。

「我が言葉は彼の言葉。紡がれし魂の呪い……」

 くっとヒトミの唇が震え、言葉が濁る。両手に残るあの痺れ――闇に落ちていくショウコが脳裏に過る――思わず、両手で床を叩いた。

「なんでっ!? どうしてよっ!? さっきは上手くいったじゃないっ! どうして、どうして……、どうして魔法を使わせてくれないのっ!?」

 そんなヒトミの傍らにまで寄り、力を失った両手が触れる床へ目を落とせば、五芒星の魔法陣が描かれていた――指示座標のルーンが見て取れると言う事は、どうやら、転位魔法の一種だろう。が……。

 ヴィクターは顔を上げ、ヒトミを見た。頬に伝った涙の跡――それに、振り乱された髪。

 そして、うっすら立ち上る魔力。この色は、いただけない……。

「ヒトミ」

 名を呼んだ――が、届かない。

 ならば、もう一度――

「しっかりしろっ! ヒトミっ!」

 はっと、ヒトミの目が見開かれた。そして、恐る恐るゆるやかに、ヒトミの顔がヴィクターに向いた。

「ヴィ、ヴィクター……?」

 半信半疑。なのだろうか。呆けたような顔を見せるヒトミ。

「おう。久しぶりだな。って、なに情けねェ顔してんだ? せっかく俺が助けに来てやったってのに、オメェは……」

 と、言いかけた所で、思いを堪えていたヒトミの顔が涙をあふれさせ、くしゃくしゃに崩壊した。

「ヴィクターぁあっ!」

 がばっとヒトミがヴィクターの首に抱きつく。

「って、オイ。苦しい……。コラ、ちょ、マジで……」

 身をよじり振り払おうとする。が、耳の裏で泣くヒトミの声を聞き、ヴィクターは動くのをやめた。

 心なしかヒトミの背中から漏れていた魔力が薄れていく。

 そして、その魔力が見えなくなったころ、ヒトミはヴィクターを放し、ちょこんと座り直して、涙をぬぐった。

「ゴメン……」

 零すように言ったヒトミにヴィクターは、頭を振る。

「構わねェさ。オメェも大変だったんだろうしな」

「うん……」

「でだ。少しばかり事情を説明してくれねェか? ここまで来たまではいいが、こっちとら、全く状況が呑み込めてねェ……」

「うん。わかった……。それがね――」

 と、ヒトミの口から語られたのは、この学校の生徒に化けて災悪が紛れ込んでいたという事実と、面毒犀の依り代にもなったあの少女――戸高ショウコが巻き込まれていると言う事。それと、この状況に引きずり込んだ災悪をヒトミが単独で倒したという、耳を疑うような結果だった。

「で……」とヴィクターは、災悪が残した魔法陣を見下ろしながら、纏める。「この魔法陣の先に、オメェの友達が捕まってるわけか……」

「うん――だから、魔法を使おうと思ったんだけど、全然使えなくって……」

 ヒトミの顔が、ぐっと涙をこらえた。それを一瞥したヴィクターは、静かに言葉を紡いだ。

「なあ、ヒトミ……」

「なに?」

「オメェの気持は、だいたいわかった。だから、一度しか聞かねェ――」

 言いながらヴィクターが前足で魔法陣に触れれば、術式が輝き、周囲のルーンが――座標部を除いて――めまぐるしい速度で書き換わっていく。

「あん時みてェに、魔法が、使いたいか……?」

「そんなの――」当り前よ。

 言わせる前に、ヴィクターが言葉を重ねた。

「次はもう、普通の生活に戻れなくてもか?」

 聞いて一瞬、言葉に詰まる。そこにヴィクターは続けた。

「魔法ってのはな、“普通”って世界の理を曲げちまう。どこぞの科学より数段たちの悪いもんだ。それを扱う事ができんのは、限られた人間ってのがどの世界でも定番の話だろう? だがそれだけにな――ノブレス・オブリージュ――責任が生まれんだよ」

 魔法言語の動きがとまると、そこからヴィクターはヒトミへ正対し、見上げるように顎を上げた。

「これ以上踏み込めば、オメェは俺たちと同じだ。今ならまだ引き返す道もあるだろうが、ここでオメェが魔法を望むなら、否応なしにマジックインダストリ極東支部の組織人エージェントとして――世界のために、災悪を敵として魔法を使わなくちゃならなくなる。もちろん、命令が下れば今以上の危険に身をさらす事になるだろうさ――」

 それでも……。

「それでも、魔法少女に成りたいか?」

 問うたヴィクターの声が、沈黙を生み、じっと、空気を重くした。

 けれどヒトミは、唇をきゅっと結び、両手を固く握りしめる。

「成りたいよ……。魔法少女に」

 震えた声。それにヴィクターが口を曲げると、ヒトミは溢れた涙をぬぐいながら思いを吐き出す。

「なにもできないより、ずっといい。ショコたんや、友達を助けられないんだったら、普通なんて要らない。あたしはっ、魔法少女に成りたいっ!」

「そうか……」瞑目するヴィクター。そして――

「ならその想い、俺が受け取った」

 宝石のような青い目が輝くと、ヴィクターの足もとに新たな六芒星の魔法陣が広がった。深紅に瞬き、緩やかに回転を見せる魔法陣。その中心で、ヴィクターはヒトミへ頭を垂れる。

「ヴィクター?」

「これは叙任の儀式みてェなもんだ。俺が無二の主として認めたオメェが、例え、何に染まろうとも、騎士である俺はついていく。そして絶対に守りきってやる。その意志表示ってやつさ」

「それって……」

 すうとヴィクターの顔が上がる。

「何度も言わすな。俺も全力で腹ぁ括ってやるって言ってんだよ。ヒトミ」

 ふわりと白い尻尾が揺れた。

「覚えてるか、俺を魔術書にした、あの時の文言――」

「うん」

「なら、魔法少女に変身だ。友達を、助けに行くぜ」

 六芒星が輝き、床にあった五芒星へと上書きされる。

 ぼやりと浮かぶ光の中で、ヒトミはすうと息を吸い込んだ。

 そして――

は赤き虚ろを系譜とし、全てを拒む魔術書。綴りし言葉ルーンは我と共に――なんじ、其の名はヴィクター」

 言うと、ヴィクターの体から光が生まれ、広がり、バッと弾けたかと思えば――ヒトミの前に、赤茶けた革表紙の魔術書へと姿を変えたヴィクターが浮かんでいた。そして、その表紙を飾るヴィクターの青い宝玉が、ギンと見開かれる。

 それを発動条件としたか――ヒトミの頭上に六芒星の魔法陣が現れ、一気に足元までを通り抜けていく。

 するとヒトミの制服が、緋色のワンピースドレスに変わり、その胸元に黄色いリボンが結ばれる。そして、丈の長い純白の上着がヒトミを包み込むと、足元には銀のグリーブが輝いた。

 これは――あの時ヒトミが思い描いた式服だ――ただ少し、以前とは違い、袖口や腰回りには黒を下地にした金糸があしらわれ、スカートの裾には、炎のようなグラデーションが見えるようだが……。

「この格好って……」

「オメェのイメージ待ってたら日が暮れちまう。だからこの前と同じにしといた。だいたいあってんだろ?」

「うん」上着の袖を見ながら頷く。「ショコたんを助けた魔法少女は、こんな感じだった」

「じゃあ、気合い入れろよ」バラバラとヴィクターがページをめくって行く。そして、とあるページを開けば、そこに綴られていた魔法言語ルーンが輝いた。

「ここから先は、戦場だ」

 魔法陣が呼応し、輝きを放つ。と、シャボン玉のような丸い光がヒトミたちを包み込む。そして、ふわり浮かんだシャボン玉が、パチン、弾けると、ヒトミたちの姿は、この教室から消えていた――


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