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ガラスの向こうのエンドレスワルツ 3


 聞こえたチャイムでヒトミたちが急いで教室へ戻ると、教壇に先生の姿はなかった。怒られる事を覚悟していたふたりだったが、黒板に白いチョークで自習と大きく書かれている事に気付き、ホッと胸をなで下ろす。

 けれど、教諭の代わりに――座席先頭の子たちへプリントを配っていたコヨリが、ヒトミとショウコを認め、言葉を向けた。

「なにしてたのふたりとも?」

 委員長モード。なのだろうか、先ほどとは違い、声に張りがある。けれど、すこし無感情だ。

 そんな声と共にクラスメイトの目が、ヒトミへ集まる。けれど、えへへと頭に手を添えたヒトミは恥ずかしげもなく、冗談を返す。

「戸高さんとお花を摘んでおりました」

 が、クスリともせずコヨリは、息を小さく吐き出すと今度はショウコを黙って見やる。

「遅れて、すいません」

 言ったショウコにコヨリは頷き、静寂の中でプリント配布を再開した。

 それを横目にヒトミたちが自分の席へ戻る。と、ちょうど前から自習用のプリントが回って来るところだった。

 受け取り、後ろへ回す。そして、机の上に残ったプリントに目を落とせば、ヒトミの口が苦悶に歪んだ。

「い、因数分解……」

 数学は嫌いじゃない。けれど、すこぶる苦手だった。手をつけようにも、全くわからない。

 ちらり、隣のショウコを伺う。

 けれど、気付かない。すらすらシャーペンを走らせている。

 ならと、今度は念波を送ってみる。

「ん?」とショウコが気付いた。「どうしたの?」

 小声で問うショウコに、ヒトミはまっさらなプリントを見せつけパクパク口を動かす。

 怪訝に眉を寄せたショウコ。やがて、理解したか「あー」と声に出さず二度頷くと、ふふっと笑い、ぴっと人差し指を立てた。そして立ち上がり、プリントと椅子を手にすると、コヨリの背中へ顎を向ける。

「思いたったらすぐに行動、だよね」

 向き直り、呆けたヒトミにウィンク。それで「あー」と逆にヒトミが悟る。ショウコと同様――プリントと椅子を手に、ガタリ、静寂を割った。

 ふたりしてずんずんと歩く。その気配に気付いて疑問の視線が集まって来る。しかしふたりはそんなものなど気にしない。

 目当てであるコヨリの前に立つと、ふたりは椅子を並べ、座った。

「なに? 授業中なんだけど」

 すっと上がるコヨリの目。それにショウコは肩をすくめて見せた。

「でも、自習なんだよね」

「そう、だけど……?」

「だったら委員長。勉強、ヒトミに教えてくれない? この子、数学全くってほど出来なくてさ、よくこの学校に通ったなってくらい」

「だったら、あなたが教えてあげれば――」

「ダメダメ。ショコたんの説明ってさ、わかってる人にする説明なんだよねぇ。公式を丸暗記しちゃえぇって感じで、さっぱり頭に入って来ないから」

 ヒトミが口を尖らせ言った。それに少しむっとしつつもショウコは言葉を繋ぐ。

「だ、そうなの。わたしは教えるのが苦手みたいでさ。最初の中間考査で赤点取るのが目に見えてるヒトミに、救済措置を早くからしてあげるのも委員長の勤めじゃない?」

 けれど、背中のざわめきに、コヨリの目が揺れる。

「でも……」

「気にしないで」ショウコが見つめる。

「他の人は他の人。あたしたちはさ、御神楽さんに教えてもらいたいの」ヒトミが言い切った。

 そして笑顔を浮かべ、ふたりは口をそろえた。

「一緒に、ね?」

 声が、言葉が、一陣の風のようにコヨリの心を吹き抜ける。ドンと衝撃を受けるほどの風。けれど、ゆるやかで、それでいて温かく穏やかな風は、心の奥で凍えていたつぼみを、優しく取り巻いていく。

 氷付けになった花――いや、氷の障壁で取り囲った自らの想いが、ヒトミたちが生み出す風によって、融かされていく……。

 それがわかる。

 それが――嬉しい……。

 やがてじわりと、融かされた氷が込み上げ――

 コヨリは俯くしかなかった。

 けれど、震える唇がふたりから差し出された手を取ろうと動いた。

「戸高さん、寺沢さん……」

 しかし――


「偽善者」


 ぼそりと誰かがささやく。

 それは小さな声だった。しかし、まるで教室に満ちたざわめきの隙間を縫うようにして響き渡り、空間を凍らせた。いや、それだけでなくコヨリの心も凍らせた。

 たまらずヒトミとショウコは声の主を探す。

 たぶん、陰口をたたいていたグループ。

 そう見当をつけ、見定めれば、あの五人がこちらを睨みつけていた。

 それにショウコは立ち上がり、睨み返す。

「今、なんて言った?」

「偽善者って言ったの。聞こえなかった?」

 グループのひとりが腕組みしながら言った。それに合わせ、もうひとり――

「ホント、委員長に取り入ってなに企んでるのかしら?」

 小馬鹿にするように顎を上げ、見下してくる目。それがとお。全てを壊し、怒鳴りつけてやりたくなる目だ。

 しかし、ショウコは踏みとどまった。できるだけ声を抑え、喉を震わせる。

「なら、あなたたちは卑怯者よね」

「しょ、ショコたん……」

 クイとヒトミがショウコの裾を引いた。それが何を意味しているのかはわかっている。わかっているのだ。けれど、これだけは言っておかなければいけない。

「裏でこそこそ陰口叩いてさ、誰かを陥れようってやり方、それって凄く卑怯な方法だと思わない? 正直、聞かされる方の身にもなってほしいわ。空気が悪くなるのわかんない?」

 ショウコの迫力に負けたのか、それとも反抗されるとは思っていなかったのか、そのどちらにしろグループ五人はたじろぎを見せた。

 けれど、それで退くグループでもなかった。

「はあ? なにそれ? 意味わかんないんですけど?」

「陰口って、わたしたち普通の会話してただけだし、あんたらが勝手に聞いてただけじゃないの?」

「それを勝手に勘違いしてさ、陰口とか、言いがかりにも程があるんですけど?」

「まるでわたしたちが悪者みたいじゃない」

 口々に飛び出してきた言葉。そして、最後に――

「別に、他の誰もイヤがってないみたいだし、迷惑そうにもしてないなら、何も問題ないんじゃないの? あんたの意見って少数派なんだから我慢しなさいよ、偽善者」

 吐き捨てるように言うと、威嚇を込めて机の天版を打ち鳴らす。

 バンと響いた音が、教室内を震わせた。

 竦んだ空間。

 誰も、何も、口にできない。

 でも――

「あたしも、イヤだな……」

 ヒトミがショウコを庇うようにすくりと立ち上がった。

「誰かの悪口とかさ、変な噂とか、あたしは聞きたくない。それがクラスメイトとかだったらもっとイヤ」

 すっと教室内を流し見るヒトミ。そして――

「誰かを笑いものに仕立ててさ、笑いたい気持ちってのもわかるよ。それが自分にならないようにってのもわかる……。けどっ、みんなが自然に笑えるのが一番いいと思うんだ。それって、我儘かな?」

 最後に、グループの中心を射抜いた――正論であり理想論――それを前に対抗し得るのは、状況を鑑みた現実論だけだ。が、口にすれば、人としての底が知れる。

 動けないグループの子らを突き抜けたヒトミの言葉は、まるで穏やかな水面に投げた一石のように、ゆらりと教室に充満した世界へ波紋を広げていく。

 そしてそれは、人にあたり、壁にあたり、反響し、じわりじわりと、誰が心へ浸透していく。

 やがて――

 ガタリ、教室のどこかで椅子が鳴った。

「私も……、聞きたくないかな」

 ひとり、口にし立ち上がる。すると――

「あたしも――」

 ひとり――

「わたしも――」

 またひとりと――

 動きが生まれれば、まるでダムの決壊を見るようだった。

 次々と言葉が飛び出してくる。

 そして最後に――コヨリが、立ち上がった。

「私も、面白くない。イヤだから、やめてくれるかな?」

「御神楽さん」

 ヒトミとショウコが向き直る。と、コヨリがうっすら微笑んだ。その双眸に怯えや迷いはない。霧も晴れ、澄んだ色をしていた。

 そうなればもう、クラスのほとんどがヒトミ――いや、コヨリの味方だった。

 ここまで至れば、結果は見えたものだ。

 が、追いつめられた人は、なりふりを構わなくなる。

「はあ? 一番の偽善者がなに言ってんの? クラセンに色目使ってるビッチが、自業自得だって事、棚にあげんなっ!」

「そうよ。援交してるってあたしらがチクったら、あんた退学だかんね」

 わめくように、跳び出した言葉。けれどコヨリは、ゆっくりと頭を振り、柳のように後ろへ逸らせた。

「誰に聞いたか知らないけれど、そんなの全部デマよ」

「いい加減なこと言って誤魔化されるあたしらじゃない」

「だったら、あなたたちが確かに“見た”根拠を教えて。嘘じゃなければ、それら全てに説明するから」

 聞いて、グループの子らは、互いの顔を見合わせ、ぼそぼそと言い始めた。そしてその声はやがて大きくなり、互いの罵り合いに変わった。

「見たの誰?」

「え? あんたじゃないの?」

「あたしじゃない」

「じゃあ、あんたは誰に聞いたの?」

「え? この中の誰かだった気がするけど、思い出せない」

「あたしも、思い出せない。誰かが言った気はするんだけど」

「バッカじゃない、誰かが言わなきゃ、聞かないし」

「でも、誰も見てないよね?」

「そんなはずない。絶対誰かが言った」

 と、そこでその中のひとりが何かを思い出したのか、コヨリを指差し言った。

「クラセンとふたりっきりで話してた。それも頻繁に。それって動かぬ証拠じゃない?」

 聞いて、コヨリは一息吐いた。そして、掌を上に向け、緩やかに応える。

「倉田先生は、私の従兄いとこなの。だから、色々と気にかけてくれているみたい」

「え? 従兄?」

 声を上げたのはヒトミだった。

「そうよ。今日は風邪で休んでるけど、校内で顔を合わす度、声をかけてくれてた。きっと、それが変な噂を広めたのね……」

「ふーん。そーなんだ」聞いて納得。「だったら――」やっぱり勘違い――ヒトミがグループの子らに目を移せば、六人中五人はうな垂れていた。

 けれどあとひとり、ウェーブのかかった茶色い髪の少女が、怒る事も、哀しむ事もせず、瞳を赤く輝かせ――まるで、この空気を楽しんでいるように、いや、喜んでいるように、口角を上げた。

 茨を孕んだ風がヒトミの中を吹き抜ける――

「え?」

 そう、これは違和感だ。

 それも、ひとつやふたつじゃない。

 ザワ……

 つい先ほどまで、このグループの子らは五人じゃなかっただろうか?

 ザワ……

 ただひとり、こちらを見据えているこの子――

 ザワ……

 赤い目をした子なんて――

 ザワ……

 クラスメイトに居たっけ?

 ぶるっとヒトミの体が震えた。

 瞬間――

 空間が暗転した。



       ☆



 この風景をヒトミは知っていた。いや、正確にいえば、このような暗転を知っていた。

 それは地獄階段での光景であり、展望公園での経験――

 まるで、元の空間から、ここら辺りの一部分だけを剥離したように教室のレイアウトだけを残し、ヒトミの視界からクラスメイトたちが姿を消した。

 ただひとり、赤い目をした学生を残して……。

「空間……、剥離?」

 半信半疑に零れ出た言葉。まさか自分が口にする事などありはしないだろうと思っていた。けれど、この状況はまさに――

「あなた……、なに者?」

 言って身構えたヒトミを、赤い目の学生が、肩を震わせ自嘲気味に笑った。

「あら、気付いてなかったの? 私はてっきり、ふたりしてもう気付いているものだとばかり思っていたのだけれど、あなたたちを買いかぶったのかしら?」

 ふたり? たち?

 誰かと考える前に、背後から制服がギュッと握られる感覚。見れば、そこには不安に顔を染めたショウコが居た。

「ショコたん……」

「ヒトミ。これってなに? 夢? 幻?」

 震えが伝わって来る。もしかしたらショウコは、あの時の事をどこかで思い出しているのかもしれない。

「大丈夫だよ。ショコたんはあたしが守るから」

 ヒトミが赤い目を睨みつけた。けれど、ゆらり頭を揺らした相手はクククと嘲笑う。

「健気ね。あなたたちがどれだけ暗く強大な魔力を持った魔法使いだとしても、“あの”媒介おつれなしじゃ魔法も使えないでしょうに……。それくらい私も知っているのよ」

 言うと、少女の体から禍々しい瘴気が湯気のように立ち上る。

「見て。これが私の魔力。狩りの期間としては少しの間だったけど、ここの人間関係は嫉妬と無関心に溢れて、私にとてつもない魔力を与えてくれた。ホント、人間って簡単よね。適当な嘘を流し、妬みや不安を煽るだけで、勝手に誰かを追い詰めてくれるのだから……」

「それって……」

「そう。全ては私たちが仕組んだこと。例えば御神楽コヨリ――優しい子が悲痛に心を歪めて零した魔力はとても美味しいの。最初はね、このまま彼女だけを甘味スイーツにしようかって思っていたわ。浮気なんてせず、ひっそり我慢しててもよかったのだけれど……」名残惜しげに細くなった赤い目が、カッと見開かれた。「やっぱり、目の前にね、より豪華なご馳走が出てくれば、手を伸ばしたくなるじゃない?」

 ご馳走。魔力。

 こいつ、やっぱりあの面毒犀と同じ――

「災悪……」

「そうね。あなたたちは、そう呼ぶわね」目を細めた災悪。「けれど、他のモノたちと同一視してほしくはないわ。私たちは、知能派なの」

 パチンと災悪が指を鳴らす。と――

 ショウコが悲鳴を上げた。

「きゃ、なにこれ!?」

「ショコたん?」

 見れば、ショウコの足もとに灰色に輝く五芒星の魔法陣があった。そしてその魔法陣に囲われた教室の床が泥沼のように変わり、ずぶずぶとショウコの下半身を呑みこんで行く。

 させないっ!

「掴まって!」

 差し出したヒトミの手を必死に掴むショウコ。けれど、沈み込みは止まらない。止められない。

 もう上半身まで迫る床面。

 両手で掴みあった腕が、痺れてくる。

 と、ずるり汗で手が――

 滑った。

「あっ!?」

 それはまるで、崖から落ちていくように。いや、地獄の亡者たちが一気に引っ張りこもうと待ち構えていたかのように、一瞬の硬直を見せたと思えば、瞬く間も与えず――ヒトミが手を取る前にショウコの姿が魔法陣に消えた。

「ショコたんっ!」

 それでも、この魔法陣の先にショウコの手がきっとある。ヒトミは腕を突っ込もうと腹這いに――

 しかしその眼前で、魔法陣が消えた。

「うそ……、ショコたん……?」

 ジリと、ショウコの手を掴んでいた両掌が痛んだ。僅かに震えている。

 這いつくばるヒトミを見下し、災悪は静かに嘲笑った。

「心配しなくてもいいわよ。あなたの大切な“お友達”は、私たちにとっても大切な栄養源……。殺したりはしないわよ――けれど……」ちろり、舌舐めずりが覗いた。「少し、酷い目にはあってもらわないとね」

 たまらずヒトミは災悪を睨みつけた。その目には、悔しさと怒り――

 それが魔力を構築し、ヒトミの体から立ちのぼる。ゆらり、ゆらりと――ドス黒い赤が漏れだしてきていた。

 それを認め、災悪は歓喜に目を輝かせる。と、思わず身震いした自身を、抱きとめた。

「ああっ! いいわ。その目よ。その魔力よ。狂おしい程、美味しそう……」

 恍惚に浸るような表情で、おもむろにヒトミへ掌をかざす災悪。するとヒトミの体に魔法陣が浮ぶ。

「!?」

 咄嗟に払おうとしても、手が、腕が動かせない。動こうと力んでも、同等の力で押し返され、動けない。いや、それだけでなく、見えない大きな腕で全身すっぽり握られているかのように体が動かなければ、声も出せなかった。

 災悪が魔法陣へかざした手を上げれば、その動きに準じ、身動きの取れないヒトミがぶらりと宙へ浮かされる。

 それを災悪がふっと笑った途端、ヒトミの視界が回った。いや、振り回されているのだ。スカートを翻す災悪を中心にして、反時計回りに――

 そして、教卓をなぎ倒し、黒板へ叩きつけられる。

「――!」

 背中をしたたか打ちつけられ、空気が意味のない声を押しだした。

 それでも意識を保ったヒトミの体は地面へと解放されない。掌を向けたままの災悪の意志通り、黒板へ磔にされる。

 なにもできない……。

 ショコたんを守るって、大丈夫だって言ったのに……。

 パリン――

 ヒトミの中で、またひとつ結界が割れる。

 あたしが守るって言ったのにっ!

 怒りや憎しみそのものをぶつけてくるような目で見返してくるヒトミへ、災悪は緩やかに歩み寄った。そして、中空に立ち上るヒトミの魔力を指先に絡め取ると、舌先に這わせた。

 つうと唾液が糸を引く。

「はぁ……、美味しい。やっぱり味は人間のが一番」

 とろけるような味。今まで食してきたコヨリの魔力よりも自身このみに近いその魔力に、災悪は頬を火照らせる。

「あなたがこれだけ美味しいと、もうひとりの子も気になるわね――約束もあるけど、暗さから言えば、あちらの方が……」

「……!?」

 これ以上――。動けないはずのヒトミが、必死にあがく。なりふり構わず、暴れまわるように――すると、顔すら覆い、全身を締めつけていた呪縛が、青白い手のように具現化され、その縛りが、じりじりと引き剥がされて行くように見えた。

 が、それを災悪は良しとしない。かざした掌に魔力を込めると魔法陣が灰色に輝き、更にきつくヒトミを締め上げる。

「ダメよ」と、直接魔法陣に触れる災悪。そしてヒトミの頬を舐め上げた。「今のあなたがどれだけあがいたって、この呪縛は解けやしないわ」

 生温かい息でヒトミ頬を冷やりとさせた災悪は顔を離すと、自身の足下に“あの”魔法陣を生んだ。

「だから、諦めてこのまま少し待っていてちょうだい。この下じゃ、あなたのお友達から魔力を絞り出している頃だと思うから。少しだけ、つまみ食いに行って来るわね」

「――さない……」

 かすれた声。それがヒトミの口から零れ出ている。まさかと災悪の表情が強張った。

 魔法の使えない人間が、この状態で声を出せるはずが……。

 本来、ありはしないだろう。だが、これは現実に起きている。

 更に魔力を注ぎこもうと、災悪が掌をかざした時、ヒトミを縛る魔法陣の異変を知った。

 灰色に輝いていた術式ルーンの色が、赤黒く浸食されているのだ。

「まさか……」疑念に従い魔力を注ぐ。が、浸食は止まらない――「純粋な魔力だけで、術式を奪い取ってるっていうの? 媒介もなしに――」

 ハッと結論が降って湧く。

 その対処法はと、思考が巡り始めた途端――

 術式が赤黒く輝きを放った。

 ヒトミの呪縛が解ける。そして――ふわり重力に引かれ始めた時――髪を振り乱し、涙を散らしたヒトミから、目一杯のトリガーが引き絞られた。

「おまえは、絶対許さないっ!!」

 魔力が魔法陣に当たり、世界への干渉を果たす。

 先程までヒトミを縛っていたのと同じ――いや、それよりも禍々しく具現化された悪魔の手が災悪の体を握り締めた。

 そして、ぎり、ぎりと万力で締め付けるかのように悪魔の拳が握られて行く。

 それに抗えるはずはない。

 が、これで滅ぼされる訳でもない。

 そう災悪が立てた予測はあながち間違いではないだろう。ヒトミに奪われた術式は緊縛バインド。もともと圧力をあやつり拘束を成すだけの魔法では、精神体の色が濃い災悪に対して、とどめは刺せない。

 だが、それはあくまで、このまま、ならば――。

「我が言葉は、彼の言葉。紡がれし魂の呪い――」

 言いながらヒトミが、バインドの魔法陣へ両掌をかざすと、五芒星へ六芒星が重ね書きされるように魔法陣が描かれて行く。それに合わせ、周囲の魔法言語ルーンが慌ただしく何度も書き直された。

「まさか――並列魔法陣!?」

「届くのならば聞き入れよ。聞けぬのならば消滅を持って――裁きとする」

 見開かれたヒトミの目が、完成した術式を見据えた。いや……。滅ぼすべき対象を、照準に据えた。

 ザワと災悪の体に悪寒が突き抜ける。そこで初めてあがきを見せたが、時既に遅し。

「私を媒介に使うだなんて――アナタ何者よっ!?」

「リジェクションッ!!」

 トリガーによって生まれた赤黒い光の奔流と甲高い絶叫が、教室内を染め上げた。



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