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ガラスの向こうのエンドレスワルツ 1


 校庭へと抜ける窓に映り込む光は、オレンジから赤色にグラデーションの色を濃くしていく。

 その影に包まれた昇降口は、凍えるほどに静まり返り、まるで外の世界とは別の空間なのではないかと思ってしまう。いや、それは今、この場所だけではないのかもしれない――

 今日を振りかえっても、昨日を振りかえっても、その前も、その前も……。

 まるで自分はこの暗闇の中で、輝かしい周囲の笑い声から隔絶させられてしまったように思えてしまう。

 それでも――と、耐えてきた。しかし――

 誰もいない昇降口でひとり立ちつくしていた少女は、自分の名前が記された下足箱へ手を伸ばさず、持っていた鞄を、すのこの上へ落とした。

 割れてしまいそうな静寂に、乾いた音が、痛い程に響く。

 ――なんで……?

 頬から血の気が引いて行くのがわかる。

 それほど信じられなかった――いや、悲しいかな少女は悟ってしまったのだ。

 もう、この行為はとまらないのだと……。

 少女の見た物は、泥だらけに“された”ローファー。

 それでもなんとか、傷だらけの心で受け止めようとした。堪えようとした。けれど、事実を捻じ曲げようとした理性とは裏腹に、見据えた視界を滲ませた輝きは頬を伝い――少女の膝と共に地面へ落ちた。



       ☆



 明るい日差しの下。木漏れ日に混じり、遅咲きのサクラが風に花弁を乗せた。

 ふわりと舞った一枚が、赤レンガの門柱へもたれかかったヒトミの前を、まるで春の踊り子のように桃色のドレスを翻していく。

 ひらり、ヒトミの鼻先でターンすると――リボンが覗くブラウスの襟元を通り、ブレザーのワンポイント――鈴蘭をあしらった胸の校章エンブレムの前でステップ。そして、チェックのスカートを撫でるように踊ると、仲間の待つ桃色の絨毯へと吸い込まれて行った。

 思わずヒトミの頬が緩む。

 平和な学園生活を望んだあの日から、一週間と少し――私立鈴蘭女学園へ入学を果たしたヒトミは、願った通り、平穏な学園生活を送っていた。時折、ふと、あの事件を思い出し――ヴィクターたちに会いたいと思う事はある。けれど、ショウコと通学し、ショウコと笑い、ショウコと妄想を語り合えるだけで、心は満たされていた。

 もちろん学校だけでなく、一緒に帰って、ショウコの部屋でマンガを描くまでが、ヒトミの生活サイクルなのだけれど――。

 今朝だけは、そのショウコから「先に行ってて」とメールがあった。

 不思議に思いながらも、ひとり先に登校してきたヒトミは、この校門で、他の生徒たちに横目を向けながら、目当てのショウコを待っているわけなのだ。

 が――

 わざわざここで待たなくてもいいだろうに。

 はあ、と聞きなれた溜め息が、ヒトミの耳に届く。

 こ、この溜め息は!? と、敏感に反応したヒトミが目を向ければ、視界から逃げるように黒く長い髪が揺れ、すっと校門をくぐるショウコの姿が見えた。

「あれ?」なして避けるのかなぁ?「ショコたーん」

 慌てて門柱から背を離したヒトミは、ゆるやかに歩くショウコへ駆け寄った。

「おっはよーショコたん。きょうも綺麗だね」

 歩調を合わせ隣に来たヒトミへ、普段の黒ぶちとは違うリムレスのレンズ越しに目を向けたショウコは、本日二度目の溜め息をついた。

「先行っててってメールしたでしょ?」

「うん。だから校門で待ってた」

「まったく……、同じクラスなのに、わざわざ校門で待つ?」

「あたしは待つよ。少しでも一緒に居たいじゃない」

 えへへと笑うヒトミとは対照的に、ショウコの口がへの字に曲がった。

「あのさ。周りに変な誤解を生むから、そういった言動を少しは控えようって気にならない?」

「え? どうして? 思った事を口にして、なにか間違いでもあるの?」

「だ、か、ら」と声を荒げそうになるのを抑え、緩やかに吐き出す。「わたしに百合そのっ気があるとか、そういったもの」

「その気って?」

「あんたさ、それ素で言ってんの?」

 怪訝に表情を曇らせたショウコ。けれどヒトミは満面の笑顔を返した。

「もちろん。わかって言ってるに決まってるじゃない」

 また溜め息が漏れた。

「アホタレ。だったら少しは自重しろ」

「えーっ、そんなの気にする事じゃないじゃん。言いたい子には言わせておけばいいって」

 ヒトミの言葉を聞いて、ショウコの視線がすっと外れた。

「言われるだけならね」

 言ってショウコは内ポケットから一通の封筒を取り出し、ひらり翻した。見れば、ハートマークの封印が外れている。

「え? それってもしかして」

「こんなの、作り話の中だけかと思ってたんだけど……」

「ま、まさかショコたん。告白されたとか?」

「昨日、隣のクラスの子にね……」封筒を見つめながら言った。

「うっはー! 詳細詳細っ!」

「バ、バカ、なに興奮してんのよ。それに、内容を言えるわけないじゃない」隠すように内ポケットへ差し入れる。

「まぁ、そうだよね。けど、それを今持ってるって事は、まだ返答してないって事?」

 聞かれショウコは、校舎を仰いだ。

「うん……。まだしてない。通学の電車でも顔合わす子だからさ、会っちゃうとバツ悪いじゃない? それできょうは時間をずらした訳なんだけど」

「あー、それで先に行ってメールがあったわけだ」

「そゆこと」

「けどショコたん。返事、どうするの?」

「どうするって言ったって、もともと三次元には興味ないし、まして女の子だなんて」

 …………。

「さらっと問題発言だよね、それ」

「だから、まあ、好きな人がいるとか適当に誤魔化すつもり」

「ふーん」と、ヒトミは唇を尖らせつつショウコへ擦り寄る。「でもそうやって言いながらもさ、そこにあたしの入る余地が?」

「欠片もないわよ」

 すいと元の間合いを保つようヒトミを避けたショウコの視界に、昇降口の前で登校してくる生徒たちへ目を配るひとりの男性が写りこんだ。この学園で教鞭を揮う者のみがつける校章の腕章を巻いたその男性は、スマートな好青年のイメージをイモ版で捺したような倉田教諭だった。

 正直、若くてカッコイイ。この学校においては希少な先生で――温和な雰囲気と、のほほんスマイルは、鬼畜攻めの裏返しだとか、健気受けの表れだとか、腐った女子の間では昼夜の討議が繰り返されていたり、いなかったり……。

 もちろん。本人にその気があるとかないとかは別にして、誰に対しても気さくな倉田教諭は、“普通”の生徒たちにも人気がある。

 そんな倉田教諭へショウコは、“ナニも”なかったように頬笑みを作り、会釈した。

「おはようございます」

 慌ててヒトミも頭を下げた。「お、おはようございます」

「はい。おはよう」

 微笑を湛えた返礼にもう一度軽く頭を垂れると、そそくさふたりは自分たちのクラスの下足箱前に――そこでヒトミは外の教諭を一瞥するとショウコへ耳打つ。

「ねぇ、どうしたんだろう?」

 聞いてショウコも「そう思うよね?」と瞬いて見せた。「今まであそこに先生なんて立った事あったっけ?」

「ないない。もしかして今日、生徒指導の抜き打ち検査とかあったりするのかな? 倉田先生って生徒指導もやってたもんね」言いながらヒトミは上履きに変える。「イヤだなぁ、こっそり持ってきてるマンガ見つかっちゃうよ」

 まさかそのマンガがR-18の規制レーティングにかかるかどうかは別にして――

「ご愁傷様ぁ」と笑いながら、ショウコも上履きに履き替え、下足箱へローファーを入れようと目線を上げていく。と、その目が止まった。表情もどこか、訝っている。

「そんな事言わないでさぁ、ショコたんだってあの手紙が見つかっちゃうかもだよ」

 言いながら先に行こうとしたヒトミ。けれど、言葉を返してこないショウコに「どうしたの?」と振り返った。

「ん」とショウコの顔がヒトミに。「ううん……。なんでもない」

 微笑を作り、首を振った。

 けれど、そんな事でヒトミが退くはずもない。ふふふと笑い、背後からショウコへ抱きつくように下足箱を覗き込む――

 と、ニヤケたヒトミの表情が、すっと真顔に――

「なに? これ?」

 そこにあったのは、内側に土を纏わりつかせた下足箱。いや、よく見ればそこに収められているローファーが、土に塗れていた。こんな写真をどこかで見た事がある――それは確か、ハワイにある火山から吹きだしたマグマが、冷えて固まった写真――それを再現するように、靴を汚していた。

 刹那に過る悪寒。ざわりと、ヒトミの感覚を何かが撫ぜる。

 誰の靴?

 名前が書かれているはずの部分を見ても、土がこびりついて確かめる事ができなかった。でもとりあえず、ここはショウコのものではない。

 しかし――この場所に悪意が向けられていることは確かだ。

「ショコたん。これってさ……」

 向けられる視線に、ショウコは目を逸らした。

「うん……。イジメ。だと思う」

「イジメって……、この下駄箱って、うちのクラスだよね? クラスの誰かがイジメられてるって事?」

「そうなる、よね……」

「そうなるって、ショコたん――。そんなサラッと流そうとする事じゃないよ。現にこうやって、靴を無茶苦茶にされてるんだよ?」

 食い下がるヒトミにショウコは一度顔を強張らせ、ぽつり、口を開いた。

「気付いてなかったんだね……」

「え? なにそれ?」

「ほら、クラス委員長をやってくれてる御神楽みかぐらさん――」

 聞いてヒトミの脳裏に、ひとりの少女の姿が思い浮かんだ。ボーイッシュなショートカットの似合う中性的な顔立ちをした御神楽コヨリは、すらりと背が高く、入学式当日から目立つ存在だった。誰もなりたがらない委員長に立候補したり、委員長になってからもテキパキと指示を飛ばす姿は、密かな憧れだった。

 そんな、委員長が――

「――ここ、彼女の場所だよ。今までに何度か一緒になった事あるから、たぶん。それに……」

「それに?」

「彼女、三日くらい前からかな、クラスメイトに無視されてる」

 思わず息を呑んだ。確かに、委員長との会話など、一度もなかったけれど……。

「知らなかった……」呟くように声を漏らしつつ、ヒトミの視線が下がった。

 今までクラスの中でイジメがあるなんて気付かなかった。いや、そんな事が自分のクラスで起こっているなど露にも思わなかった。教室は明るくて、いつも笑いの花が咲いていると思っていたのに……、春の陽気に包まれていると思っていたのに……。

 心がざわつく。

 どうして?

 彼女が――? 

 ううん。違う。

 クラスのみんなが、彼女を?

 そこでヒトミは唇を噛んだ。

 否定しようと頭を振ろうとした。

 けれど、それを心が否定した。

 見開き、声に出す。

「けどショコたん。こんなの絶対おかしいよ。先生に言わないと」

「ちょ、待ちなさいヒトミ」

 ショウコの制止を振り切りヒトミは、上履きのまま昇降口を跳び出した。

 けれど――

「いない……?」

 つい先ほどまでここに立っていたはずなのに、倉田教諭の姿はなかった。狐につままれたような顔をするヒトミの所へ、ショウコが慌ててやって来る。

「ちょっと、なにしようとしてんのよ」

 ぐいとショウコに手を引かれ、我に帰ると、次の目的地が弾き出された。

「職員室」

 言葉を置き去りにしてショウコの脇をかけぬけようとする。が、ショウコは手を放さなかった。

「やめなって」

「なんで? イジメだよ。先生に言わないと」

「バカ。余計なことしたら、イジメが酷くなるだけだってわからない?」

「酷くなるだけって、やってみなくちゃわかんないじゃない」

「あんたホントバカ。おせっかいが、御神楽さんをもっと苦しめるっていうの。火に油を注ぐようなことして、彼女が喜ぶと思う?」

「そんなの……」

 絶対間違ってる。心ではそう思っているのに、声にできない。何が正しくて。何が間違っているのかが、わからない……。

 横目で下足箱を見やる。

 つい先程まで、光が差し込む活気溢れた空間だった校舎内が、どんよりとした闇の漂う魔窟に見えた。



       ☆



「さて」と、老紳士は溜め息を零すように言った。

 オールバックにした髪も、眉も、蓄えた髭も――輝くほど真っ白に色が抜け落ちてもなお漆黒の双眸は輝きを増したオブシダン。その眼光が、重厚なウッドデスク越しに整列した三匹の動物をそれぞれ射抜いて行く。

 黒猫のタンゴ。

 虎のリマ。

 そして――

 白犬のヴィクター。

 と、そこで老紳士は彼らに背を向け、背中越しに語る。

「君たちの報告は私も聞いている。他の戦闘により連絡の取れない魔法少女。そう言った状況の中、悪化していく現状をみかね、独自の判断として緊急避難的に新たな魔法少女の力を借り、面毒犀を退けた……」

 途切れた言葉が、二十畳ほどあるだろう床へカーペットを敷き詰めた部屋に緊張を走らせた。窓枠で切り取られた青空をバックに立つ紳士の背中を見つめつつ三匹は、表情を一層に強張らせる。

 そしてその沈黙を、老紳士は一際強い語調で震わせた。

「が、よりにもよって、あの寺沢ヒトミに魔法を触れさせるなど――それがどれほどの事かわかっているのか? 抑圧されていた内包魔力は加速度的にその容量を増し、溢れ出す。やがて必ず、特異な余剰魔力に惹かれ災悪は数を増すだろう。世界一平和と呼ばれるこのエリアが、危機にさらされるのだ。――まったく、何のための魔力制御プロテクトだったと思ってる?」

 問われても、答えられるわけがない。三匹は口を結ぶだけ。

 再び生まれた沈黙に老紳士は振り返ると、頭を振った。

「知らなかったとはいえ……、必要に迫られたとはいえ――きっかけを与えたことにより彼女に施した上位複合魔力制御は崩壊を見せ始めている。その結果は先の通り明白だ。しかもそれだけでなく、このままではいずれ面毒犀だつりょく以上の災悪を呼ぶ事になるだろう。本部もその結論へと至り、ここに正式な文章として指令書が下った」

 老紳士がデスクの上へ視線を落とせば、そこには六芒星の魔法陣が描かれた羊皮紙。

「これにより特異魔力所有者寺沢ヒトミへの指針は《プリベンション》から《カウンターベイル》へと変更された」老紳士の目が上がる。「災悪の依り代となる前に、エリア25の新たな魔法少女として寺沢ヒトミを迎える。以下命令――後達時刻を持って、リマ、タンゴ、ヴィクターの三名は前任のエージェントと現地にて任務を交代、対象者の護衛任務にあたれ」

「了解」



       ☆



 私立鈴蘭女学園――某県栄市南部に位置する女子高――は、ミッション系でないにもかかわらず、私立共学化の波を押しのけて、今年ようやく創立十数年を数えた新しい学校だった――生徒数数百ほどを悠々と迎え入れてもまだ有り余る白い校舎を中心に据えて、西洋の庭園を模したかのような中庭、それに、室内温水プールまで兼ね備えた三階建ての体育館と、裏山を切り開いて段々畑のようにのり面を飾るソフトボール場と陸上トラック、さらにはラクロス場に弓道部専用の射場を持つなど、なかなかのものだ。

 そのため、運動部ばかりが充実しているイメージをもたれる事もあったりするのだが、実際はそうではない。やはり、女子高ならではなのか、いや、時代錯誤的だからなのかもしれないが、華道や茶道、日本舞踊や琴をはじめとする、“おしとやか”で、それでいて“お嬢様”的な文化部にもまた、力が入れられていた。

 もちろん。私立だからと言って一芸を愛でるような学校方針ではなく、文武両道――大学への進学率、それに就職率まで良いのだから、子供を任せる環境として非の打ちどころが見当たらない。

 と、ここまでが寺沢ヒトミの通う学校の一般的な資料に目を通した見解。これより詳しく聞くとなると、前任者からの引き継ぎを受けるしかないだろう。

「せやから一応ここで待っとるわけやけど……」とタンゴが、鈴蘭女学園の校門前でぐーっと伸びをしながら大あくびをした。「どないしたんや前任者は? 全く出て来ーへんやないかい」

 前足で顔を洗うタンゴを横目に、リマがポンと地面を前足で叩く。すると、リマの眼前に小さな魔法陣が浮かび上がり、数回瞬くと、六芒星の中心に文字を浮かべる。

 引き継ぎ場所に指定された校門前でかれこれ数十分。いい加減、闇雲に待つのはくたびれたと、数分前に同様の魔法陣を展開し、支店へ現状の報告を入れてはみたものの、未だ魔法陣に浮ぶ文字は変わらなかった。

――“No Call”“No Message”――

「やっぱり……、まだ、支店からも連絡はないみたい」

 言いながらリマが再度地面を叩くと、口から零れた溜め息と共に魔法陣が霧となって消えた。

 そこで今度はヴィクターが、苦虫を噛み潰したような表情で口を挟んだ。

「前任者は来ねェ。その事を問いあわせても統括魔術通信網フォシオロゴスに回答が書きこまれる気配もねェ……。ったく、いったいぜんたい、どうなってやがんだ?」

 語尾に合わせ、ヴィクターがリマを流し見る。しかし、リマとて回答を持ち合わせてはいない。ただ単に、肩をすくめるだけ。

「ボクに聞かれても、わからないよ。情報も命令もないんだから、とりあえずボクたちは待つだけじゃないかな?」

「ま、そうなるわな」と今度はタンゴが口を挟んだ。「しかしやで……、なんちゅうか、ほんちゅうか、収まりのつかんこの違和感はなんや?」

 聞いてリマが首を傾げる。

「違和感?」

「せや……」キッとタンゴの表情が鋭くなった。「違和感や」

 けれど、いまいちタンゴの言っている事がわからない。

「ボクはなにも感じないけど……」とリマがヴィクターを見やる。「ヴィクターはどう?」

「さあ、どうだろうな……。タンゴが言う違和感ってのが、どれに対する違和感なのかがわかんねェ」

「え? そんなに違和感ってあるの? もしかしてここに災悪が?」

 慌ててリマは、学園内を見やる。彼らの言う違和感が災悪や魔法に関する事ならば、リマの目には見えるはずだ。が、ふたりの言うような違和感は見えてこない。

「ヴィクターには臭うの?」

「おいおい。逆に聞くぜ、オメェには見えたのかよ?」

「見えない、けど……」

「だったら、そう言う事だ。俺の鼻にもオメェが思うような臭いは漂ってこねェさ。なら、探知に長けた俺らより先に、タンゴがそれに気付くはずもねェよ」

「じゃあさ、違和感ってなに?」

 タンゴに問うと、少し呆れたように首が振られた。

「ここまで言うても気付かんか?」

「わかんない……」

 眉尻を下げながら漏れた声に、タンゴは改めて溜め息を零すと、ポンと地面を叩き、リマが先程展開していた魔法陣を開いた。中心に浮かんだメッセージは変わっていない。そこから、さらにタンゴは前足で六芒星の一角へ触れる。と、中心の表示が切り替わった。

「これ見てみぃ」

 言われ、リマがぐいと首をもたげ覗き込む。と、そこには“List of agents participating in Operation”と題された文字列の下に、リマをはじめとする三人の名と、もうひとり――けれど、名前は伏せられ、“AAAノーネーム”とだけ描かれている――それをタンゴは選択し、六芒星の中に展開した。

「これって、前任者のデータ、だよね?」

「せや……。名前も経歴もシークレット。明かされとるんは、最近本部付きになったエージェントってだけや――そのせぇで、この前任者に直接通信がでけんわけやが――これにいったい何の意味があると思う?」

「さあ?」

 即座に傾げられたリマの頭を見て、タンゴは嘆息し肩を落とした。

「ええかリマ。一から十まで説明したるで、耳の穴かっぽじってよー聞ぃとれよ」

「うん……」

「ここにある違和感は、みっつ。ひとつは、このエージェントの名前が伏せられとること。ひとつは、ワシらに対して途中経過が全く告げられやんちゅうこと。そんで最後に、このエージェントがワシらの前に現れやんちゅう事や」

「それで?」とリマが相槌を打つ。

「簡単な推測やけどな……。これには裏があるんちゃうか? って事や」

「裏?」

「せや。裏や。これだけの事を、必然的に誰かが仕組んどると考えれば、納得がいく」

「え? じゃあ、ボクたちはその誰かに、ここで待たされてるって事?」

 喰ってかかりそうなリマの反応に、タンゴはすっと視線を外した。

「ん? まあ、ニュアンス的にはそれで合うてる。けどや、それが、誰かっちゅうのが、肝やろ?」

「うん、そう、なるよね」

「でな……、ワシはこれを、新手のイジメっちゃうかと思う訳や」

 そこでヴィクターの眉が跳ねた。

「ん?」オイ、ちょっと待てタンゴ、話しが違わねェか?

 しかし、タンゴの説明は続く。

「リマは優等生やで体験したことあらへんやろうけどな、これって廊下に立たされんのと同じ感覚や。動きとーて、動きとーてしゃーないワシらに、待て、ステイ――これって間違いなく、支店長の嫌がらせやで。きっとな、命令にあった後達時刻ってのを嘘言うたんやさ。それを悟らせやん為に通信も遮断して、ワシらをエコノミー症候群にするつもりなんや」

 聞いてリマが飛び跳ねそうな勢いで顔を上げる。

「えー!? それじゃあ、ボクたち罰ゲームを受けてるって事?」

「オイ」と、ヴィクターが口を挟もうとする声を遮って、タンゴがしたり顔で付け足した。

「その通りや」

「って、なにが『その通りや』だ、この野郎っ! 思わせぶりにどんな陰謀説を唱えんのかって聞いてりゃ、なにが罰ゲームだコラ! スケールがちっちェーんだよ! リマもリマだ! なんでもかんでも鵜呑みにしてんじゃねェ!」

「え? 違うの?」

「違うも何も、全部タンゴの卑屈で皮肉なデタラメだ。乗せられんじゃねェ」

 ビシッとヴィクターがタンゴを示せば、思わせぶりに空を仰ぐ黒猫の背。そして――その顔からリマへ流し眼が贈られる。

「ふっ、バレたか……」

「ほら見ろ」

 ヴィクターが口元を歪めながら言い――

「えー……」

 リマの耳が力なく垂れた。

 それをククッと笑ったタンゴは、スンと空を見上げ直す。

「けどや、こんな暇な時間、アホな事言うとらなやってられへんで……」

 澄み切った青空と緩やかに流れる雲。それに温かい風。緊張感を保てと言う方が難しい。

「こんなええ天気に、ボーっとしとれちゅうのは酷でしゃーない。寝てまうっちゅうんじゃ」

 そう言ってタンゴが大あくびを披露する横で、リマが「それじゃあ――」とヴィクターを見た。

「ヴィクターの思う違和感って?」

「あ? 俺のか?」

 と、片眉を上げたヴィクター。その鼻先で、タンゴの尻尾がゆらゆら揺れた。

「おお、そう言えば、わかった風な口ぶりで違和感あるとか言うとったな。口裏合そうとしてたんちゃーったら、いったいなんの事やったんや?」

 ニヤッと笑いながら、ヴィクターを流し見たタンゴ。それに小さく息を吐き出したヴィクターは、おもむろに瞑目した。

「タンゴの言葉を真似する訳じゃねェが、今回の任務には、裏がある気がすんだよ」

「ほう……」タンゴは目を細めた。「それはアレか? 本部の命令にちゅう事か?」

「いや……、なにもかも含めての話さ」

 ヴィクターが言うと、リマが小首を傾げる。

「どういう事?」

「オメェらは疑問に思わねェのか? あの支店長のジジイ……、ヒトミを極東支部ここの魔法少女にすると言い切ったんだぜ」

「ん?」とタンゴの眉間が寄った。「それのどこに引っかかるトコがある? 魔力の強い嬢ちゃんが、災悪に狙われ易いんは統計上の事実や。せやったら、魔法少女になった方が、なにかと防衛策はとれるやろ?」

「そこだよタンゴ」

「あん? どこの事や?」

魔力抑制目的プリベンションのプロテクトが崩壊し始めたからって、どうしてヒトミを魔法少女にしなくちゃいけねェ? 確かに、魔力が漏れ出したままでほっときゃ、災悪を呼び寄せるきっかけになんだろうが――」

 そこまで聞いてタンゴの眼光が鋭くなった。

「……確かに、な」

「え? え? どゆこと?」

 理解できないリマに、ヴィクターは続けた。

「上位だろうが複合だろうが、プロテクトなんてもんは、何度でもかけ直せんだろ?」

「あー」

 理解した。そう跳び出た声にヴィクターは頷く。

「つまりそう言う事だ」

「けど」とリマが返す。ヒトミにプロテクトをかけたのがウチの会社なら。「なんでそれをしなんだろう?」

「同等のプロテクトが使えるような魔法使いを手配でけんか……」

 タンゴが零した憶測に――

「それをしない理由があるって事なんだろうが……」ヴィクターは繋ぐと、そこでひとつ頭を振った。「釈然としねェ」

 すいと顎を上げ、空を仰いだヴィクターの青い目に白い雲が陰りを生む。

 相も変わらず首を捻ったままのリマに一瞥をくれ、タンゴはひとつ息を吐き出した。

「ま、お前の気持はわからんでもないで――あの嬢ちゃんを、下手に巻き込みとーないんやろ?」

 問いにヴィクターは瞳を向けたが、答えを口にしない。

 それに一度頭を振ったタンゴは、後ろ足で首元を掻きながら言った。

「確かになぁ……。魔法少女になってしまえば、ワシらと同じ……。マジックインダストリのエージェントや。危険な目にも遭うし、プライベートでもいろいろ制約が出てくるやろ――せやけど、魔法少女に成って、ワシらのようなストラップと一緒におるんが、嬢ちゃんにとって一番安全なんとちゃうか?」

「だとしても、本人が望まねェ事を強いるってのは、気が進まねェさ……」

 巡る思いがヴィクターの表情に影を落とした。それを見て、タンゴはおもむろに腰を上げた。

「お前は、ワシより頭が回る。せやから……、こうなってしもた事に、必要以上の責任、感じとるんとちゃうか? もしそうなら、気にすることあらへん。これは運命や――」

 あの日、あの時――ヒトミに出会い。力を借りた……。

「もしかして……」とリマが口を開いた。「あの子を巻きこんだのを後悔してるの?」

 こういう時ばかりリマは察しが良い。ヴィクターの口がくっと歪む。

「なあヴィクター。ワシが言う運命っちゅうのは、存外、大きな集まりや。ワシらひとつひとつがどうこう悩もうと、この世界の嬢ちゃんが魔法に触れたんは必然やった。正味な話、面毒犀の被害があの程度で済んだってだけこの世界は幸せなんやぞ――ワシが言うとる意味……、わかるな?」

 どんな大魔法使いでも、過去は変えられなかった。いや、正しくは、過去の世界を変えた所で、今の世界はなにも変わらないと言う事――運命とは――タンゴが言いたいのは、そう言う事だろう。

「わかってる。わかっているさ……」

「なら、前を向けよヴィクター」

「タンゴ……?」

 目を向ければ、金色の双眸で真っ直ぐ校舎を見据えたタンゴの凛々しい横顔があった。

「前さえ見とれば、ワシらには選択肢がある。もちろん、あの嬢ちゃんにだってな――なら、あとはあの嬢ちゃん次第やろ? 魔法少女に成りとーないなら、お前が魔力を封印すればええ――逆に、成りたい言うなら、お前が運命さだめを受け止めたればええだけや――火蓋を切らな、火縄は落ちんで」

 そう振り返るタンゴ。そこへリマが細々口を挟む。

「でも、それだと本部の命令に背くことになるんじゃ……」

「アホ言うなリマ。“本部”の命令を思い返してみぃ……。ワシらが受けた命令は、“嬢ちゃんの護衛にあたる”事――なんの齟齬そごがある?」

「けど……」

 と、言葉を濁したリマの横で、ヴィクターはふっと息を抜くように笑うと、尻尾についた土を払いながら、立ち上がる。

 そして……。

 一歩踏み出し、校舎を仰いだ。

「悪りぃなリマ。俺はもうここで引き継ぎは待てねェ。ヒトミんとこ、行って来る」

 凍てつく雪のように白く研ぎ澄まされた顔と、青く澄んだ瞳――その一瞥を「でも……」と口ごもるリマにくれ、校舎へ向かい歩を進めるヴィクター――そんな姿を声なく笑ったタンゴは、跳ねるように後を追いかけ、ヴィクターの横で髭を揺らした。

「なら、ワシも付き合うたる」

「オメェは単に動きてェだけだろ?」

 微笑を湛えたヴィクターに、タンゴはニヤリ、牙を覗かせた。

「そうや。それ以外にワシの動く理由があるかよ」

「え、ちょっと。ふたりとも待ってよ」

 持ち場を離れていくふたりに置いてかれまいと、リマは慌てて立ち上がろうとする。けれどそれをわかっていたかのようなタイミングで、ヴィクターとタンゴの顔が向き直り、計らずとも口をそろえた。

「リマは留守番――」

 語尾は「だ」と「や」で違えども、ぴしゃりとユニゾンした言葉にリマは思わずペタンと座りこんでしまった。そして、見つめる先ではヴィクターが流し眼だけを残し、噛み締めるように言葉を足した。

「オメェは危ない橋を渡らなくてもいいさ。それに、もしかすっと前任者が来るかも知んねェから、そん時ゃ、よろしく頼むぜ」


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