悪魔と男
男は機嫌が悪かった。嫌な仕事場から帰ってきて、持ち帰ったコンビニ弁当と発泡酒を机に投げるように置いた。仕事があるだけでもありがたいとは思うが、それでも不機嫌だった。日課のように買っているナンバーくじも外れてばかりで、売り場を変えようかなどと頭の片隅で考えていた。
ふと部屋の片隅を見ると古風な燕尾服を身にまとった薄気味悪い男が立っているのに気がついた。
「おまえ、誰だ!いつからそんなところにいる、ここは俺の家だぞ!」唾を飛ばしながら発泡酒を片手に男は怒鳴った。
「これは失礼。我が輩は貴君の理解を超えた存在。あえて言うなら悪魔と呼ぶものに近い。先に言うが幻覚などではない。貴君もまだ酔っていないであろうが」
確かに発泡酒はまだプルタブを引いていない。とは言え単なる泥棒にしては異様な雰囲気だ。居直り強盗でもなさそうだ。
「悪魔などといい加減なことを!そもそも人の部屋に土足で・・・あれ?」悪魔を名乗る男の足下に目をやると、床から幾分浮かんでゆらりゆらりとゆれている。人間じゃない、男は確信し、恐怖に足がすくんだ。
「我が輩がここに来たのは貴君の願いを叶えるため。貴君が選ばれたのは単なる偶然で特別扱いしているわけではない」悪魔は澱みなく優雅なリズムで話す。
男は悪魔が実在していることに驚きながらも、願いが叶うという美点で恐怖心を克服した。
「魂を奪うとかないんですか?呪いがかかるとか大丈夫なんですか?」いつの間にか丁寧な口調で悪魔に問いかける。
「魂などに興味はない。呪いというのは呪詛のことか、それもない。ただ単に願いを叶えてやるだけだ。ただし条件がある」条件の所だけ間延びしたような感じで悪魔は語る。男は黙って続きを待った。
「願い事は3つだけ。禁断の願いは無効とされ回数も1回減る。回数を増やせ、不老不死などが代表的だ」悪魔は一度目を閉じ、男を射貫くような目線を向けた。
「最初の願いを言うが良い。よく考えることだ」
男はパニックと戦いながら疲れた頭をフル回転させた。不老不死が駄目、たぶん金持ちにしろとか、黄金を、とかも禁断の願いかも知れない。そうだナンバーくじだ。当たり番号がわかれば大金持ちだ。でも聞き方を考えないと。どうしよう。
悪魔は男の心を読んだかのように「未来を見たいなどという願いもよくあった。これは禁断ではない」とつぶやくように言う。
「そ、そ、それ、それです!2日後の新聞のナンバーくじの当たり発表欄を見せてください!」
「うむ、よく見るが良い」男の視野が一瞬暗くなったあと、見慣れた発表欄が現れた。一番高額な当選金の番号を全力で頭に刻み込む。十分な時間が過ぎた後、視野は見慣れた風景に戻る。
「1つめの願いは叶えた。わが輩はまた来る。それまでに次の願いを考えておくことだ」
悪魔はふらりと揺らぐと姿を消した。
男は自分に訪れた幸運に有頂天になりながらも記憶した当選番号を家にある白紙のくじに記入した。これで大金持ちだ、嫌な仕事ともおさらばできる。次の日の一番にそのくじを買うと、そのまま仕事を無断欠勤した。仕事などやる気になれなかったのだ。興奮やまないままその日を過ぎ、次の日の新聞の当たり発表欄を見た男は硬直した。
「番号が、違う」
体中の力が抜けたような様子で座り込んでいると、悪魔の声が部屋に響いた。
「次の願いを聞きに来た。よく考えたか」
男は首だけ回して、惚けたように言った。「未来、違うじゃねぇか、番号、違うじゃねぇか」
「それはそうだろうな、未来は変わるものだからな」
「どう、どう、どういう事だよ、教えてくれ」男は悪魔に向き直り、かろうじて言った。
「それが知りたいのか、貴君はシュレーディンガーの猫という言葉を聞いたことはあるか、ないか。量子論という言葉も知らないのだろうな。簡単に言おう。貴君が未来を見たせいで、貴君は未来を見る前には行わなかったことをしただろう。そのせいで未来のある時点に至るまでの様々な確率が変化した。
我が輩は確かに未来を見せた。だが貴君は自らの手で未来を変えた。わかっただろうか」
「俺は未来を変えちまったのか。なんてこった。なんてこった・・」男はあまりのことに呆然となり、意識を失いそうになった。
「・・・わかったようだな、さぁ願い事を言うが良い」悪魔が何か言っている。消えかけた意識が戻る。そうだ、まだ願い事は2つ残っている。まだチャンスはあるんだ。男は気を持ち直した。
「おれは、まだ願い事が出来るんだ。試しに聞くけど禁断の願いってのはどれぐらいあるんだ」
「貴君はそれが知りたいのか、それは禁断の願いではないので叶えることが出来る」
「そうなのか!じゃぁ全部教えてくれ!全部だ!」
その瞬間、頭に膨大な量の情報が流れ込んできた。死者を蘇生する、不老不死、無限の知識、何の関連もない情報だが、頭の中に刻み込まれていく。
男は情報に酔いそうになりながらも辛うじてこらえ、踏みとどまった。「さぁ、最後の願いを言うぞ、10億円を俺の目の前に出せ!」
「それはできない」悪魔は冷淡に言った。
「どうしてだ、禁断ではないぞ!3つめの願いが何故聞けないんだ!」
「すでに願いを3つ叶えているからだ。先の禁断の願いを知るというのが3つめだ」
「2つ目が抜けてるじゃないか!どういう事だよ」
「2つ目。ああ、ちゃんと叶えた、どうして未来が変わったか教えてくれという願いだな」
「あれは願い事なんかじゃない!」
「貴君は確かにどういう事なのか教えてくれといった。これは願い事だ。そして、確かに叶えた。我が輩の役目は終わった。もはやここにいることもない、さらばだ」
悪魔が消えていくとき、男は含み笑いのようなかすかな音を聞いたような気がした。
オリジナルなんですが、すでに似たような作品があればごめんなさい。僕は見たことがないので・・・