第989話 レーベリア会戦・戦闘形態(2)
古代末期。
ついに龍災の脅威がパンドラ大陸に現れ、帝国に非常事態が宣言された頃のこと。帝国軍の兵器生産の多くを担う、エルロード帝国工廠。その先端技術研究室、通称『技研』から一人の男が呼ばれた。
「……で、お偉いさんが雁首揃えて、僕に何の用っすか?」
よれた白衣にボサボサの髪。輝かしい経歴を示す階級章は外れかけているくせに、腰にはしっかりとツールベルトが装着されている。
背は高いが、やけに細身で猫背気味。くすんだアッシュグレーの前髪の向こうには、色濃い隈に縁どられた緑の瞳がギロリと輝く。どこか不気味で幽鬼のような男である。
本来、開発現場になど視察の他に来るはずもない帝国軍の高官を前にしても、男はいつもの恰好、いつもの態度で、彼らの前に不遜に立っていた。
「まぁ、かけたまえよ、バルディエル君」
「うす」
バルディエルと呼ばれた一研究者でしかない男の舐めた態度に、揃った高官達は不快感を露わにしているが、彼らのトップであり、この場に呼びつけた張本人たる帝国陸軍大将その人は、にこやかに席を進めた。
軍の派閥争いになど興味の無い彼であっても、顔と名前と階級は知っているような連中が、陸将閣下を筆頭に何人か揃っている。海軍と空軍の者もいれば、現役の大臣までいた。
なんでこんな面子が揃って来ているんだか、と疑問に思うものの、相当に厄介なことを頼みに来ただろうという予感はあった。
「君の経歴は、我々もよく知っている。アヴァロン工科大学を飛び級で主席卒業し、陸海空に関わらず、数々の新技術と新兵器を完成させ、帝国軍に多大な貢献を果たした、天才研究者。特に我ら陸軍は、君の新型機甲鎧には、大変な世話になっている」
「あー、どうも」
極稀に誘われるパーティ会場で挨拶代わりに聞かされる定番の内容に、覇気の欠片もなく答える。こうして相手を持ち上げるのは、これからお前に無理難題を吹っ掛けますよと言う予備動作でしかない。
「龍災の危機については今更、説明するまでもないことだろう」
「だから忙しいっすねー」
今や帝国軍は龍という、この星で史上最大最強の存在を敵に回してしまったせいで、上から下まで蜂の巣をつついたような大騒ぎだ。無論、この帝国工廠には龍と戦うための兵器増産の指令は下り、龍に有効な兵器を一秒でも早く完成させろと、具体的なプランも予算もないのに命令だけはひっきりなしに飛んでくる始末。
せめて敵である龍の詳しい情報を寄こしてから言え、と毎回返している。
「戦竜機計画、について聞いたことはあるかな」
「まぁ……噂程度には」
龍には同じ、龍をぶつける。単純な思いつきのような話である。
龍を作るというのなら、それは生物兵器となるだろう。エーテル機械工学の牙城である、帝国工廠の仕事ではない。
「『魔女工房』は龍災が表面化するより前に、すでに戦竜機計画を進めている」
「ちっ、やっぱり、イカれてますよ魔女共は」
帝国工廠と対をなすように、もう一つの兵器開発大手が『魔女工房』である。
こちらは古い時代から連綿と受け継がれる魔法・魔術に特化しており、強化魔法のドーピングから精霊武装、そして召喚獣を代表としたモンスター生物兵器が主な商品だ。
銃器と機械兵器が中心の帝国工廠とは、全く系統が異なる組織であった。
「ああ、その通りだ。ソレイユの魔女が直々に計画を主導している」
「どういう感じなんすか」
「魔王の加護に至る者をパイロットとし、ドラゴンを操縦する、というものだ」
「やっぱ頭おかしいわアイツ」
この期に及んで、魔王の加護などという伝説に縋るとは。伝説は、存在しないからこそ伝説なのである。
魔王ミア・エルロードなど、所詮は過去の偉人というだけ。かつてエーテル濃度の濃さが最高に達していた時代で活躍したことを考えれば、人智を超越した、正しく神の如き力を振るったことだろう。後の時代でその力と偉業が神格化されるのも無理はない。
「加護なんてモノは、もう神話の時代の話でしょ。今は無い。そんなに神様に縋りたければ、教会でお祈りだけしてりゃいいんすよ」
「私もそう思っていたのだがね――――ソレイユは、『加護らしきモノ』の発現に成功しているのだ」
「はぁっ!?」
これまでずっと気だるげな態度だったバルディエルも、陸将の一言に驚愕する。
「ありえない、どうやって!」
「秘密裡に行われた、非合法の人体実験の成果、と言ったところか」
「あの魔女、本当にやりやがった……」
これも龍災という滅びを前にしたからこそ。これに抗うためには最早、手段など選んではいられない。
そんなことはバルディエルとて承知の上で、これまでも軍のためにグレーゾーンな試験や行動は散々してきたが……そんなものを軽々と超えた非道を、魔女の長は平然とやってのけたようだ。
「このご時世だ、後ろ暗いことをしてでも、という事情はよく分かっている。だがしかしバルディエル君、私はね、大いに不安なのだよ。作られた加護持ちなどという不安定な存在を載せて、よりによって龍を操るなどということは――――兵器とは、人が制御しきれなければならない」
「万が一暴走すれば、帝国を滅ぼす龍種がまた一匹、増えるだけになる」
「そうだ! 龍は、ドラゴンとは、人が御せるような存在ではない! そんな当たり前のことさえ分からないから、同じ龍を作るなどというバカげた計画がまかり通ってしまうのだ!!」
ドン、と卓を叩いて力説する陸将の態度を、とても馬鹿にできる気分ではない。
バルディエルとて、主義としては陸将と同じ。兵器は完璧に人の手によって制御されるものでなければならない。生物兵器などという不安定なモノは、兵器としてはナンセンスであると。
「すまない、少々熱くなってしまったな。しかし、今ここに揃っている者達は皆、同じ不安を共有している」
「そっすね」
無論、ただの感情だけで集まっているワケではないだろう。各々、所属する派閥があり、利益があり、敵がいる。結果的に陸将を中心として、こうした派閥が形成されただけであろうが、それでも少なからずソレイユの魔女工房が進める戦竜機計画に反対しているのは間違いないだろう。
「そこで、君には戦竜機計画に対抗する、新兵器の開発を頼みたい」
「ですよねー」
「ところで、いつだったか君は、自分の夢を語っていたね。最強の機甲鎧を作る、と」
「……」
そんなガキの頃の話を、一体どこで聞いてきたんだか。少しばかりの気恥ずかしさと恨みの籠った目で陸将を睨んでしまう。
「その夢を是非、今こそ叶えて欲しい。最強の機甲鎧を作り上げ、戦竜機計画を潰す。帝国を、否、我々人類を救うのは、同じ人類の手によるものでなければならないのだから」
「最強を目指すなら、金も時間も……人の命も、かかりますよ」
これまで幾度か新型の開発をしたことはある。そのどれもが大成功を収め、バルディエルの評価に繋がったが、それはあくまで求められた機能を実現したからに過ぎない。
自分が思い描く最強の機体、これを完成させるにはほど遠い。予算、時間、人手、何もかも足りないし、それが足りることなどあるはずもないと割り切っていた。
「我々の総力をもって、出来る限り君の求めに応じよう。差し当たって――――まずは君に、『加護持ち』の実験体を提供しよう」
「はっ?」
陸将の思わぬ申し出に、つい間抜けな声が漏れた。
覚悟を問うたつもりが、逆に問い返されたような気分である。
「魔女工房から一体、くすねてきたものだ。おい、入れ」
「……失礼、します」
入室してきたのは、小さな子供だ。
帝国軍の黒い軍装こそ着ているが、入隊年齢を満たしていないことは一見して明らか。単なる子供の仮装にしか見えないはずだが、バルディエルは一目で分かってしまった。
この黒髪に赤い目を持つ子供が、尋常ではない魔力の気配を放っていることに。
「実験体96号。見た目は子供だが、機甲鎧の適正は現時点でウチのエースを遥かに上回る。流石はモドキとはいえ加護持ち、と言ったところだな」
「で、この子を僕に、どうしろってんですか……?」
「最強の機体には、最強のパイロットが乗る。当たり前の話だろう」
期待しているよ、という言葉を最後に、陸将達は去って行った。96号という子供だけを、彼の下に残して。
こうして、戦竜機計画と対を成す、帝国工廠の新型機甲鎧開発計画は始まった。
「――――っざけんな! ここは幼稚園じゃあねぇんだよぉ!!」
あまりの理不尽に怒りの声を上げて、ガツーンと八つ当たりにそこらのクレートを蹴とばせば、小指を打ってバルディエルは涙目で悶絶した。
軍属であっても所詮は引き籠り研究者。背が高いだけのヒョロガリが、慣れないキックなどすれば自爆も止む無し――――という間抜けな大人の姿を、押し付けられた加護持ちの子、実験体96号は感情が全く浮かばない人形じみた眼差しで見つめていた。
「ぐぅうう……くっそぉ、分かったよ、とりあえずお前の適正は見てやる。使えなかったらソレイユんとこに速攻返品してやるからな」
様々な思惑がありながらも、技研に帝国軍から新型機甲鎧の開発が正式に依頼された。
陸将直々にご指名を受けたバルディエルをリーダーとして、少数精鋭で固めた秘密開発チームが結成。そして、その中には専属テストパイロットとして、実験体96号も含まれていた。
「ぎゃははは! まさかお前が子持ちになるとはなぁ!」
「うるせぇ、そんなんじゃねぇ」
「ええぇー、意外と似合っていい感じですよ」
「冗談じゃねぇっての。誰がパパの真似事なんざ」
「……パパ?」
「96号が喋った!?」
「パパ呼びしてるぅ!」
「やっぱりパパじゃねぇか!」
「黙れ、散れ、さっさと仕事しろぉーっ!!」
気心の知れた同僚に茶化されて憤慨しながらも、バルディエルに96号を外す選択肢はなかった。
適性検査に戦闘試験、そして正体を偽っての正規部隊との演習。どれをとっても、今まで見たことのない数値と戦果。
天才、という一言では済まされない。96号は明らかにパイロットとしての格が違う。
これが加護持ちか、と戦慄すると同時に、彼は思ってしまった。コイツなら、コイツとなら、本当に最強の機甲鎧を作れるかもしれない。夢が、叶うかもしれないと。
「おい、クロ」
「?」
「お前の名前だ。いつまでも実験体96号じゃあ呼びづらいからな」
「クロ……」
「俺が、お前に相応しい最強の機甲鎧を作ってやる。そんで、お前が龍を倒せ」
「はい、パパ」
「パパじゃねぇ」
かくして、最強の新型開発が始まった。
陸将の言葉はどうやらただのリップサービスではなく、本当に潤沢な予算を回してくれた。今までの開発環境はなんだったのか、というほどに恵まれた支援。
お陰で、驚くほどの短期間で試作機が完成した。
「『RX―666』。現行機を遥かに上回るスペックはあるが……こんなモンじゃあ、龍は倒せねぇ」
そして、クロの力に相応しくない。
現世代では圧倒的な性能を誇るものの、これでは足りない。まだまだ足りない。
「上を目指すためには、やっぱ『加護』の力がいる」
こんな小さな子供に、鍛え上げた精鋭パイロットを凌ぐ力をもたらす、驚異の存在。バルディエルはここに至って、加護の研究も始めた。
陸将の協力によって、『魔女工房』が行い続けている非人道的な実験結果の秘密データも横流しされている。バルディエルの元には、この時代で最先端の加護研究の情報が集まったが、
「『加護』とは別次元から魔力を引き出す現象……クソッ、結局こんなことしか分かんねぇのかよ」
体内に魔力が湧きだすことで、本来、人間が持ちうる魔力量を遥かに超えた力を発揮する。それが加護持ちの強さだ。
しかし、その湧きだした魔力がどのような力となって現出するかは、あまりに大きな個人差と――――魔力の源泉と思われる『神』の存在によって異なる。
果たして、このクロは魔王の神に繋がっているのか。神とは名ばかりの、もっとおぞましい存在と通じているのではないか。
加護研究の結果、そんな謎と疑念ばかりが膨れが上がっていく。
「おう、クロ。今日はもう遅い、さっさとシャワー浴びて寝るぞ」
「はい、パパ」
この子は怪物かもしれない。そんな懸念を軽く払拭するほど、バルディエルはクロとの生活に慣れてしまった。
人間嫌い、偏屈な天才、と多くのを人を遠ざけてきた陰気な研究者だったが、何のことはない、彼もまた一人の男として、それなりの父性というものは持ち合わせていたらしい。
いつしか最強の機甲鎧を作るという夢は、この子を最強にしてやりたいと、強く思うようになっていた。
そうして、研究と実戦試験の日々は続き、
「理論上、コレが最強だ……と、思う……」
らしくない、やけに歯切れが悪い言い方だが、それも致し方ない。バルディエルを筆頭に、この開発チームの誰一人として賛成できる方法ではなかった。けれど、これ以上の力を、さらなる力を求めるならば、もうそれしか方法は残されていない。
「すまん、クロ……結局、俺は、俺達はお前の強さに頼ったモンしか作れなかった」
つまりは、加護頼み。
人間の限界。機体の限界。今の彼らには、人間が操縦する機甲鎧という兵器の到達点がここなのだ。
不安定極まる謎の力、加護。こんなモノに頼らなければ、もう人間の限界を超える方法は残されていない。
たとえ、これを肯定することが、更なる加護実験の犠牲者を増やすことに繋がろうとも。
「このナノマシン型ブーストシステム、『マクシミリアン』はパイロットの安全を考慮しない、危険な代物だ。なにせリミッターを搭載してねぇからな。だから、調整はこれから慎重に――――」
ビィイイイイイイイイイイイイイイイイイイッ!!
その時、けたたましく鳴り響く警報。
室内を照らす非常灯の赤色に包まれた瞬間、誰かが叫んだ。
「龍だっ!!」
龍災の発生だった。
バルディエルがクロと共に過ごしたかけがえのない日々は、同時に龍による帝国侵略が進んでいた。
そして恐ろしい龍の脅威は今、彼らのいる秘密実験施設にまで及んだのだ。
「何が出た! パターンは!」
「……大群型です」
「間もなく、施設は完全に包囲される……」
「クソォ!!」
強力な一個体だけである単独型であれば、囮を使ってまだ逃げ伸びる目があった。
だがしかし、帝国を脅かす最大の脅威たる、大群型が目の前に迫り来ていた。規模からして、本隊からのはぐれ部隊といったところ。
だがしかし、最低限の防衛戦力しかない秘密施設には、これを迎撃できる力はない。
「……パパは、クロが守る」
けれど、今ここに誕生した、最強の機甲鎧がある。
「クロっ!? 待て、お前――――」
あっ、と思った時には遅かった。
すでにクロの小さな体は、アイドリング状態にあった鎧の中へ消えている。
「『RX―666・マクシミリアン』――――戦闘形態起動」
この時の戦闘記録が、後に狂気の特攻兵器RXシリーズ量産計画を推し進める根拠となる。
推定討伐数、一万。大隊長級・群体龍の撃破。
この華々しい戦果を成し遂げたのが、たった一機の機甲鎧となれば、龍災の恐怖に震える上層部は飛びつくに決まっている。
しかしその圧倒的な力の影に隠れて、誰も気にしない小さな犠牲があった。
戦場となった帝国工廠地下施設、そこの生存者は技研所長バルディエル、一名のみ。開発チームの人員並びに施設職員、警備兵は全滅。
「クロ、嘘だろ……どこに行ったんだよ、クロ……」
並み居る大群を蹴散らし、ボスを屠り、そして施設に戻って最後の一体まで殺し尽くして、バルディエルただ一人を守り切った後――――開かれた鎧の中には、誰も入ってはいなかった。
「――――『暴君の鎧』、戦闘形態起動」
『王権認証。戦闘形態承認――――臨界点300秒』
「3分で十分だ」
なんてカッコつけて言うものの、実際のとこ3分動かすのが限界である。
起動した瞬間から、途轍もない魔力量が吸収されているのが分かる。まるで『天獄悪食』を直接ぶっ刺されたかのような勢い。常人なら出血で死ぬより前に魔力がゼロになって死ぬ。
けれど、こういう時のために俺の頑丈な体はある。
そして、死ぬほど魔力ドカ喰いするだけの恩恵もあるのだ。
「ぐっ、おおぉ……この体が引き裂かれるような感触、堪んねぇな……」
吸い上げた魔力に反応して、鎧に浮かぶ真紅のエーテルラインが激しく明滅し、脈動する。血管のように全身に走るラインを通して、体の隅々まで俺の圧縮された黒色魔力が届いてゆく。
すると、変化が始まる。
メキメキと音を立てて、体が、いや、鎧が膨れ上がる。純正暗黒物質の重装甲だ、伸び縮みなどするはずがない。超硬質な金属塊である鎧を大きくするのは、漆黒の装甲の下で急激に増殖を開始した人工筋肉だ。
正確には、超密度エーテル体、という半分魔力の半分物質という状態らしい。それを繊維状に束ねた筋肉と同じ構造に組み上げ、可動性とパワー強化を両立させている。
この超密度エーテル体の人工筋肉を瞬時に作り上げているのが、古代技術の結晶たるナノマシンらしい。魔力というエネルギーを受け、一瞬で自己増殖して超密度エーテル体と化し、この鎧に備わる最大限の力を発揮する。
普段の巡航形態だと、ナノマシンは鎧内部にあるゲル状の物質に含まれているそうだ。ただパイロットの体型に合わせて、ピッタリと装着するための機能だと思っていたが、コレそのものが魔力を吸う原因だったというワケだ。
道理で、赤黒い血肉みたいな不気味な見た目をしていると思ったよ。
そして、このナノマシンによる強化システムが『マクシミリアン』と名づけられた。
最初はただの試作機『RX―666』だったが、更なる力を求めた結果、このナノマシンシステムが搭載され、『RX―666・マクシミリアン』となったのだ。
当然、真の力を発揮するために、あまりにも大量の魔力を一人の人間から奪うのだから、乗り手は限られる。呪いの鎧だから、魔力を喰らうのではない。コイツは最初から、そういう設計の機体だったのだ。
まったく以て、コレを作ったヤツはイカれている。頭がおかしいとしか思えない。
ベルやヴィンセントに聞く限り、当時の人間は現代よりも保有魔力量が随分と低かったらしい。何でも、世界に満ちる魔力そのものが薄い環境だったから、人に限らず生物そのものが自然とそうなる傾向だったらしいが……改造人間である、俺でも結構キツいのだ。当時の人間にこんなモン、耐えられるワケがない。
この『RX―666・マクシミリアン』を動かすために、一体どれだけの人間が犠牲になったのかは分からない。ただ、夥しい数の犠牲の果てに、ようやく危険であるとして闇に葬られたという結果だけが残っている。
結局、龍災に対抗できうる力として、未練がましく密かに残されていたワケだが――――どれほど悲惨な過去があったとしても、俺には関係ない。
だから鎧を作った奴がどんな非人道的な大罪人であったとしても、この力を使って殺戮の限りをミリアが尽くしていたとしても、それでも俺に力を与えてくれるならば、喜んで感謝しよう。
ありがとう、俺に最強の機甲鎧を残してくれて。
「おおぉ、その姿……正しく、五百年前のあの日と同じ……」
「『唯天』ゾア、俺の準備もいいぞ――――」
すでに戦闘形態は発動している。
デカくなったゾアに対抗するように、同じほどに体格を人工筋肉でパンプアップした姿と化している。ドクドクと脈動するエーテルが、凄まじい膂力を与えてくれる。きっと今の俺は、ラースプンと同等の筋力を得ているだろう。正しくモンスターパワー。
体がデカくなった分、開いた装甲の隙間は、これもまたナノマシンによって補われる。各部の装甲板には赤い縁取りが増設され、一回り大きなサイズと化す。
漆黒の鎧兜に、怒りで燃え盛る炎のような真紅で彩られた、この姿こそが『暴君の鎧』の真の戦闘形態だ。
「――――さぁ、行くぞ」
「来ぉい! 我が宿怨よっ!!」
メインブースターを吹かし、強化された脚力で地を蹴って突撃。
速い。『嵐の魔王』を使ってないのに、この加速とトップスピード。気を抜けば自分でも制御しきれずすっ飛んでしまいそうだ。
ヴィンセントの制止を振り切って、練習した甲斐があったな。
そんな思いさえ置き去りにして、すでに俺は間合いへと踏み込んでいる。振り上げた右手に握るのは『首断』、ではなく――――
「『朱凪』」
「『砕牙』」
ぶつかり合うのは、共に血色の刃。
俺の『朱凪』が敵を切り裂く一陣の疾風とするならば、ゾアの『砕牙』は激しく吹き荒れる竜巻だ。
「ぬうっ、よもや貴様も悪食の刃を持つとはな」
なんだよ、お前も同じこと思ってたのか。
俺が振るったのは『天獄悪食』だ。相手も悪食を使っているならば、『首断』だと魔力を喰われる。喰われたところで押し負けるほどヤワではないが、相性が優れているとは言い難いからな。
ここは同じ悪食で打ち合う方がいい。それにコイツも、同族相手にいきり立っているようだしな。
「どっちの牙が鋭いか、勝負しようぜ」
「上等っ! 我が武仙宝具の力、とくと見よ!!」
いいね、お互い武器自慢だ。俺も戦闘形態という手札を一枚切ってるんだ、そうでなくちゃ張り合いがない。
「ぉおおおおおおおおおおおっ!!」
「ハァアアアアアアアアアアッ!!」
お互いに真正面からの斬り合いだ。瞬きする間もない、一瞬の内に幾重もの斬撃が重なり合う。
牙の刀と戟。鋭い刃で斬り結ぶ、というよりも、喰らいあっている。
『吸収』を『吸収』したらどうなるか。試したことはあった。
第一突撃大隊と演習した折に、ウルスラを相手に『天獄悪食』を振るったら……『白夜叉姫』の方が斬れた、というか喰われた。ウルスラは泣いた。正直、スマンかったと思っている。
ともかく、ドレイン同士のぶつかり合いの答えは単純明快。より強い方が喰う、というだけのこと。
悪食同士の喰らい合いは、今のところ拮抗状態にある。呪いの武器から、奇跡の解呪を経て『大嚙太刀「天獄悪食」』へと進化したコイツと同等ということは、ゾアの『天獄牙戟』も長い戦歴の中で磨き抜かれてきたのだろう。
どちらも退かずに牙を剥くと言うのなら、勝負を決めるのは使い手の技量。
正直に言って、腕前はゾアの方が上だ。所詮、俺など我流で数年やってきただけの男。歴戦と胸を張って言えるほどの戦いは経験したつもりだが……何せ相手は五百年前の暗黒時代から戦い続けている最古参。
困ったことに、全くボケちゃいない頭と、衰え知らずの逞しく生命力と魔力に漲る強靭な肉体を以て、五百年の果てに辿り着いた技が振るわれる。
派手な武技を使わずとも、分かる。この一振り一振りに、どれほど積み重ねてきた経験があるか。重い。そして鋭い。その恐るべき技量には、一朝一夕で追いつける気はしない。
「だが、パワーとスピードは俺の方が上だぁっ!!」
戦いは総合力だ。たとえ個人技が劣っていても、より強い武具でその差を埋めるなんて、実戦じゃ当たり前のこと。
そうさ、俺はリリィと出会ったあの日からずっと、呪いの武器のお世話になってる。だから今だって、全力で『暴君の鎧』の力を借りる。
どうだ、見てるか鎧を作ったイカれ野郎。この『RX―666・マクシミリアン』は、五百年戦い続けた達人を相手にだって、負けはしない!!
「はっ! ならば素直に力押しだけしておれば良いものを、小手先の技も使うか小僧めが!」
「悪いが俺の本職は、黒魔法使いなんでね――――魔手『大蛇』」
鎧の各部、そして黒く染まった草原からジャラジャラと漆黒の鎖が飛び出す。
俺は剣士でも侍でもないんだ、刀一本だけで戦わなきゃならん義理はない。
無論、ゾアほどの達人相手に、この程度の拘束魔法で捕まえられるとは思っちゃいない。それでも確実に上回られている技量差をカバーするには、上手く黒魔法を使わなければ。
ひとまずは、前面から押し寄せてくる鎖から逃れるために一足飛びに退いた。
「そこはまだ、俺の領域だ」
戦闘開始から仕込みは始めていた。遠く四方へと飛ばしておいた魔剣を起点に、『黒土沈降』を発動させている。飛びのいた先の足元からも、瞬時に鎖を出せる。
「ならば、ひっくり返すまでよ――――『噴火崩脚』っ!!」
ドォン! と正に噴火したかのような爆音と共に、強烈な踏み込みによってゾアは地を割った。
ただの衝撃だけじゃない、地面に浸透した俺の黒色魔力ごと引き剥がすように自分の魔力を解き放っている。脚部からあの緑のオーラが衝撃波のように迸り、周囲一帯の黒化が吹っ飛ばされてしまった。
マジかよこのジジイ。こんな風に返されたのは初めてだ。これは地面を利用した攻撃をするにも、一苦労だぞ。
とりあえず、このまま広げっ放しじゃあ、吹き飛ばされて魔力の無駄になる。さっさと使っておくことにしよう。
「コイツも蹴っ飛ばしてみろよ――――『蛇王禁縛』」
もう少し追い込んでから使いたかったが、地面ごと返されてしまうなら仕方がない。
急いで編み込んだ九首の大蛇をゾアへとけしかける。
「武仙宝具解放――――『龍髭鞭・黒河』」
ゾアが左手に握ったのは、新たな武器。それは黒い鞭だ。
一見すれば、鞣した革製でこれといって装飾もない、ただ使い込まれただけの鞭に思える。だが静かに迸る青い魔力が、尋常な魔法武器ではないことを示していた。
「大河の怒涛に、飲まれて消えよ」
一振り。ただの鞭の一振りで、九つの巨大な水流が生まれた。
そのサイズは『蛇王禁縛』を超えるほど。その巨大水流は一本一本がそれぞれ狙い済ましたように大蛇の九首に向かい、真っ向からぶつかり合う。
激しい水飛沫を上げてぶつかり合い、もつれ合う。この水量と勢い、流石に『蛇王禁縛』も制御が効かない。抑え込まれてしまう。
「どうした、蛇使いはもう終いか――――『破爪』っ!」
「ちいっ!」
俺の拘束魔法が完全に抑えられたと同時に、ゾアは再び距離を詰め来る。
鞭を振るうと一本の水流がうねり、その上に乗ってサーフィンみたいに滑って移動してきた。どうやってんだソレ?
謎の水流移動法を披露しながら、ゾアは右手の戟を振るって赤い斬撃を飛ばしてくる。やっぱこの手の技は持ってるよな。
どうする、俺も『朱凪』でひとまず応戦するか……迷った直後に、俺は悪食を手放すことにした。
「試してみるか――――『蒼穹双雷』」
影から抜刀するのは、ワイスが残した呪いの双剣。蒼き雷を宿す『蒼穹双雷』だ。
コイツは二本一組で使わなければ、力を発揮しない。だから一旦、悪食を仕舞ってから握る。
そして握った瞬間からありったけの黒雷を流し込めば、引き抜いた時点で充電完了。派手に蒼い雷光がバリバリと輝いている。
「ぶっ放せ、雷鳴剣!!」
強力な雷魔法を宿す魔剣である雷鳴剣を、ゾアが乗る水流へと突き立てる。ついでに雷光剣も刺しておく。別にこっちも雷撃が撃てないワケではないからな。
莫大な電力が水流の中へと解放される。
実は水魔法で作り出した水は、純水ではない。作る水の成分には個人差がある。フィオナ曰く、海辺の水魔術師が海水を作るというのは有名な話らしい。
魔法とはイメージだ。魔法で水を生み出すならば、よく知っている水が一番効率がいい。純水という性質を知り、よく馴染みがなければ、純水での水魔法は成立しない。
そしてゾアの『龍髭鞭・黒河』が作り出す膨大な水量の水質は、恐らくはトリシエラの大河。つまり川の水がベースになっているはず。
ならば不純物交じりの自然の水、ちゃんと電気は通るというワケだ。
「むうっ!」
しかしゾアも、そのまま電撃を喰らうような間抜けではない。俺が『蒼穹双雷』を抜いた瞬間に、もう跳躍を決めて水流から逃れていた。
「俺の雷撃はこっちが本命だ――――『荷電粒子竜砲』発射」
すでに俺は『ザ・グリード』へと持ち替えている。
空中に飛び上がったところを、狙い撃つ!
「誘っておったか、小癪な! 武仙宝具解放――――『羅生宝鏡』」
鞭を手放し、手にしたのは鏡。
あっ、ヤバい、これ絶対マズいやつ、
ズドォオオオオオオオオ――――
発射した瞬間、俺は全力で飛ぶ。
『荷電粒子竜砲』の眩い光の中でも、優秀な兜のバイザーがその光景を捉える。
雷撃の奔流がゾアに当たった瞬間、盾のように構えた鏡によって逸らされた。そして次の瞬間には急角度で反射してゆき、雷撃の矛先は俺へと向けられていた。
「うぉおおおっ!?」
けたたましい音を立てて、『荷電粒子竜砲』が草原に着弾し、薙ぎ払ってゆく。ちくしょうめ、グリードゴアに撃たれて以来だな。
「どうした魔王、自慢の黒魔法はこれで打ち止めかぁっ!」
草原を撃ち抜き濛々と上がる黒煙を割って、ついにゾアが飛び込んできた。
再び剣の間合いとなる。
「ああ、もう十分だ」
戦闘形態を発動させて、どれだけ経っただろうか。自ら定めたリミットである3分、まだその半分も経過してはいない。
けれど、十分な時間は稼げた。
「ようやく一つになったからな」
一回り大きくなる形態変化。普通、人体はそんなサイズ変化などしない。俺はリリィのように変身することもないし。『妖精合体』は例外だが。
武術は技も去ることながら、如何に自分の体を最適化して動かすか、ということも重要だ。どれだけ理屈で技を理解していようとも、体がついていかないのでは意味がない。
自分自身のパワー、スピード、リーチ。基本的な性能から、その時のコンディションまで。把握すべき情報は我が事ながら多岐に渡る。
自分のスペックを理解しなければ、最高のパフォーマンスは発揮されない――――ならば、戦闘中にいきなり自分のサイズが変わったらどうなる。パワーとスピード、魔力の巡りさえも。
その変化は、単純に味方のバフや敵のデバフを受けるのとは、ワケが違う。
慣れなければならない。その変化した体に。
そして今、俺はようやく戦闘形態に慣れた。真に鎧と自分が一体化する感覚。いいや、事実。俺の体は鎧へ溶け始めている。
ミリアが戦い続けた果てに、その身の全てが『暴君の鎧』へと消え去ったように。
「――――『黒凪』」
「ぬぅうううっ!?」
放つ一閃は、最も慣れた、一番の相棒によるもの。
右手に握った『首断』の放つ『黒凪』は、飛び込んできた勢いのまま戟を振るったゾアを弾き返した。
「なんという力……まだ強くなるというのか……」
「いいや、違うな。俺がようやく追いついたんだ、五百年前の暴君にな」
技量も経験も相手の方が上。
だが、俺は『暴君の鎧』の真の力を以て、力で押し切らせてもらう!