第987話 レーベリア会戦・妖精神拳
妖精ルルゥ。
カーラマーラで記憶を失っていた頃に遭遇し、ザナドゥの遺産相続レースでも戦うこととなった相手だ。
妖精の自由奔放さの体現者。あの無法都市なカーラマーラであっても、全方位に喧嘩を売ったお陰で最高額の懸賞金がかけられていた子である。
リリィのように人間の子供と同サイズの体に、その身に宿す固有魔法の力は強力無比。幼い子供にこんな力を持たせたら、そりゃこうもなるだろう。
そんなルルゥは今、まだ変身はしていないのだろう、幼女形態でありながらも、堂々とした仁王立ちで凄まじい魔力の気配を放って、俺の前に現れた。
「いいや、違う。今のルルゥはなぁ――――ヴェーダの『四聖』、妖精神拳のルルゥだっ!!」
遺産相続レースでルルゥを倒した後、彼女がどうなったのかは全く知らない。
少なくともリリィが支配するパンデモニウムで全く騒ぎが起こらなかったことを思えば、上手いことカーラマーラを脱したと想像はつく。だがその先の行方など、俺には知る由もなかったし、わざわざ捜索もしなかったが、
「まさかヴェーダにいたとは」
「そうだ! カーラマーラを出た後は大変だったんだぞ!!」
「そうなのか、苦労したんだな」
「酷い目にあった、苦難の連続とは正にこのこと……けど、それでルルゥは強くなったのだ! ふふん、どうだ、このルルゥ様の強さの秘密、聞きたいだろう?」
物凄く話したそうなキラキラ顔で、俺を見つめてくるルルゥ。
彼女の話に付き合うのはやぶさかではないのだが、如何せん、今は戦争中で敵陣ど真ん中である。そう悠長に話に付き合っているワケにはいかないが……
「クロノ、ヴェーダ傭兵団が出張って来てるぜ」
「ああ、分かっている」
明らかに大遠征軍とは装備の異なる一団が、ルルゥの後ろに続々と現れてきている。カイの言う通り、奴らがかの有名なヴェーダ傭兵団に違いない。
果たしてルルゥがどこれほど強くなったのは分からないが、当時と同じ実力であったとしても十分過ぎるほどの脅威度だ。悠長にお喋りしている場合ではないが、口先だけの説得で彼女を止めることが出来たなら、それは大きなメリットとなる。
ルルゥの性格からして、ヴェーダに忠誠を誓っているということはないはず。『四聖』の称号は、純粋に自分の力だけで勝ち取ったものだろう。
説得を試す価値はありそうだ。
「随分と鍛えなおしてきたようだな、ルルゥ。一体、どんな修行をしてそれほどの力を身に着けたんだ」
「はっはっは! そうだろう、気になるか、気になるよなぁ! ルルゥの強さの秘密!」
「ああ、俺には分かる。以前のお前とは、まるで違うってことが……今は強さの底が、まるで見えない」
正直、前との違いは全然分からんが、とりあえず言うだけ言っておく。
俺のリップサービスにルルゥは「ふふーん!」と大層ご機嫌な様子。グッドコミュニケーションだ。
こうして眺めるだけなら、可愛いだけなんだが。
くせ毛の跳ねたプラチナブロンドのロングヘアに、勝気に輝くエメラルドの瞳。リリィとはまた違った実に愛らしい幼女の姿ではあるが、妖精は機動兵器だからな。
「『クイーンベリル』を奪われたルルゥは、力を失ってしまった。変身することも出来ず、この小さく弱い姿のままになってしまったのだ」
「……」
おっと、いきなり知らん情報が出てきた。
ルルゥは最初に出会った時も、レースの時に戦った時も、少女の姿をしていた。初見の幼女状態でも一瞬でルルゥだと分かったのは、普段からリリィで変化に見慣れているからだ。
しかし、ルルゥも『クイーンベリル』を持っていたからあれだけ自由自在に変身出来ていたのか。出会った当時のリリィと同じくらいの強さ、と考えてもランク5級の実力だ。
「だが! それによってルルゥは、新たな力を手に入れたのだ!」
ビシッ、と鋭く突き出された拳。袖のないタイプのヴェーダ法衣から覗くのはプニプニの幼女の腕だが、その先に握られた柔らかそうな拳に宿る、魔力の密度は結構ヤバい。
「まさか、純粋な魔力強化を突き詰めた……武術!」
「ふっ、流石だなクロノ。その通り、妖精の力を全て自分の強化につぎ込む。それがこのルルゥが編み出した最強の武術――――」
ふんっ、という可愛らしい呼気と共に、拳を構える。
その姿は完全に5歳から通える空手教室のキッズそのものだが、その身から発せられる高度に凝縮された魔力密度のせいで、ネルやサリエルのような達人が構えているかのような威圧感が確かに漂う。
「――――妖精神拳だっ!!」
「よ、妖精神拳……」
あまりに堂々と名乗るものだから、つい気圧されてしまう。指で突かれただけで、体が爆発したりしそうな恐ろしさを感じる。
「ふふっ……怖いか?」
正直、あまり戦いたいとは思わない。
ただの組手ならまだしも、本気で妖精と殺し合うのは勘弁だ。レースの時にルルゥを倒した時も、酷く苦労した覚えがあるし。
それに、妖精神拳とふざけているようで、実質こいつはかなり厄介だ。妖精として、あの幼女ボディ本体は見た目通りに幼児同然の体力である。それを補って余りある絶大な力が、妖精に備わる魔力。そして高度な演算能力。
一般的に魔法が得意と言われるエルフなど有名な種族は色々といるが、普段から光の結界で全身を覆って空を自由に飛び回る妖精は、魔法の行使においては段違いのレベルにある。彼女たちは生まれた瞬間から、恵まれた魔力と上級クラスのコントロールを持っているのだから。
その妖精の中でも特に強力な力を持つのが、リリィやルルゥのように人間サイズで生まれた個体。半人半魔と忌避されることもあるが、それは単なる混血であるという以上に、妖精女王イリスの加護をより色濃く受け継ぐ強い力への恐れもあるのだ。
そんなルルゥが自身への強化にのみ集中すれば、どれだけのパワーとなるのか。あんな幼児の拳であっても、竜鱗を砕くほどになってもおかしくはない。
この小さな体で超スピード超パワーの近接特化格闘スタイル、というのは立派に脅威だ。
「ルルゥ、その妖精神拳で俺を倒そうというのか」
「ふふん、あの時の借りを返させてもらうぞ! そして、お前を倒した後は、あの憎き邪悪な妖精、リリィをぶちのめしてやるんだっ!!」
「ごめん、ちょっと待って」
「うん」
素直に待ってくれたのをいいことに、俺はリリィに連絡を取ることにする。なんだか、俺は重要なことを見落としている気がしたのだ。
「もしもし、リリィ? 今、大丈夫?」
「ちょっと戦闘中だけど、大丈夫だよ。どうしたの?」
この戦場のすぐ空の上にいるお陰で、ネネカを通さなくてもダイレクトでテレパシーが通ってくれた。戦闘中と言う以上、エルドラドから出陣しているようだ。
普通なら戦闘中に気が散る通信は控えるものだが、こっちも厄介な敵と戦うかどうかの瀬戸際でもある。本人が大丈夫と言うなら、今のうちにさっさと確認させてもらおう。
「ヴェーダ傭兵団にルルゥって妖精がいるんだが、遺産相続レースの時に、彼女からクイーンベリル奪ったりしてない?」
「ああー、あの娘がいるの」
ちょっと冷めたリリィの声音で、俺は全てを察した。
どうやらリリィ、俺が倒した後のルルゥを襲い、力の源である妖精の秘宝を奪ったのだ。
「『ヴィーナス』飛ばすのに使ってるから、今更返せないわよ。文句があるなら、この戦いが終わった後にでもチャンスを上げてもいいけれど――――今、クロノの邪魔をするなら、すぐにでも始末してあげる」
「いや、それには及ばない。ありがとな、リリィ」
リリィが上空からの急降下攻撃でルルゥを仕留めるイメージを受け取った俺は、誤解がないようきっちり断っておく。
「ルルゥ、お前の事情はよく分かった」
「ふん、分かったか!」
「俺はお前と殺し合いはしたくない。そしてリリィは、この戦いが終わった後に、クイーンベリルを賭けて決闘しても良い、と言っている――――今この場で、俺達が戦う必要はないんじゃないか?」
「むむっ」
俺の申し出に、ルルゥは腕を組んで唸る。
二つ返事で受けてはくれなかったか。しかし、悩むということは交渉の余地は十分にありそうだ。
「だが、お前はこの戦いに勝てば、ヴェーダを滅ぼすんじゃないのか」
「……ヴェーダはすでに帝国と敵対している。放っておくことはできないな」
妖精相手に、嘘は通じない。
ヴェーダの規模と立地からして、ここで大遠征軍に大勝利できたとしても、勢いのまま攻め込んで占領するというのは無理がある。しかし、だからといって放置というのもありえない。
ダマスクを解放した後、占領軍の主力であったローゲンタリアには、本国へ侵攻こそしていないが、圧力はかけている。下手な動きをすれば、今すぐにでも殴り込んでやる、という姿勢は見せているのだ。
「しかし、妖精のお前がそんなことを気にするとはな。ヴェーダにそれほどの恩義があるということか?」
「そんなモンはない。けど……天子は友達だ」
「ヴェーダの君主、だったか」
十字教で言うところの神の使い走りの天使ではない。天の子と書いて天子。ヴェーダ法国における君主の地位にあるが、その実態は象徴的な存在に留まっているらしい。
要は江戸時代に天皇はいるけど実際に政治をしているのは将軍という。トップではあるが、全権を委ねている、という構図だ。
ルルゥが友達、と言うからには個人的に知り合う機会があったのだろう。基本的にワガママ放題のルルゥが、友達だと庇うならば、相当に絆を深めていると思われる。
どんな出会いと関係があったのかは知らないが、大切に思っているということはよく分かる。
「天子はルルゥが守ってやるんだ……アイツは普通の女の子で、戦争に負けたからと首を斬られていい奴じゃない」
ルルゥの真っ直ぐな思いが、テレパシーとなって漂ってくる。
脳裏に浮かび上がるのは、一人の幼い女の子。今のルルゥと並べば、同じ年ごろのお友達といった風情だ。
そんな彼女との思い出のワンシーンがフラッシュのように瞬いては通り過ぎていく。
「なるほど……だから天子を守るために、魔王である俺と戦うか」
「そうだ! ルルゥはお前を倒して天子を守るし、リリィを倒してクイーンベリルも取り戻す!!」
ルルゥがヴェーダに肩入れし、この戦場で戦う理由はよく分かった。筋は通っている。分かりやすいほどに。
しかし、だからといって俺には彼女と戦わねばならない理由は見つからないな。
「分かった、いいだろう。ならば天子の身の安全を保障しよう。たとえヴェーダを滅ぼすこととなっても、彼女の身柄はお前と共に、一切の危害を加えず、丁重に帝国へと迎え入れる」
「……はぁ?」
「天子を守りたいのだろう? ならば守ってやる」
元よりお飾りの存在だ。彼女自身に権力はない。勿論、ヴェーダが大遠征軍に味方したのも、天子が命令を下したワケではないのだ。
ルルゥのことがなくたって、短絡的に殺すよりも、丁重に迎え入れた方が外交的にもメリットがある。帝国に敵対したのは、天子から執政権を委ねられた奴らの失敗であり、天子の責任ではない。責任は失敗した奴らに取らせて、次の者に任せる。要するに大政奉還させて、親帝国の新体制にすればいいってわけだ。
「ルルゥ、天子と共に帝国に下れ。もし大遠征軍が勝ち、十字教がパンドラを支配するようになれば、お前も天子も無事では済まない」
なぜならルルゥは妖精で、天子もまた純粋な人間ではないからだ。
伝わってきた思い出のイメージでは、天子の姿はあまりハッキリとは捉えられなかったが、耳はエルフのように尖り、頭には角が生えていた。ヴェーダは多種族国家なので、様々な種の特徴が現れた混血かもしれない。
どうであれ、一目で人間ではないと分かる特徴を備えていれば、それだけで十字教にとっては『悪しき魔族』のレッテルを張られる。奴らが生かしておく理由は無い。
「俺達が倒れた後、天子をお前一人で守れるのか。十字教は、人間以外の存在を決して許さないぞ」
「うっ……そう、なのか……?」
「本当に天子を守りたければ、俺の下に来い。帝国はパンドラに住む全ての者を、十字軍の魔の手から救うためにある」
「だ、だが、そう簡単に信じられるか!」
「信じられるさ」
俺はそっと右手を差し出す。
無論、掌に武器は握っていない。そんなものは必要ない。
「妖精のお前なら、俺が嘘を吐いているかどうか、分かるだろう?」
「むぅ……」
この期に及んでは反論も思いつかなかっただろう。ルルゥは眉をひそめながらも、おずおずと手を伸ばす。
差し出した手を、小さな手が握った瞬間、テレパシーで強く通じ合ったのが俺にも分かった。
「――――いいだろう、約束、守れよクロノ」
「ああ、勿論だ」
交渉成立。
彼女は帝国に下ることを選んでくれた。
「ルルゥはヴェーダを辞める! レヴィ、行くぞ!」
「はい、お嬢様」
堂々と離反を宣言すると、レースの時にも一緒にいた侍女みたいな女も呼んだ。
「私、ルルゥお嬢様のお世話をさせていただいております、レヴィと申します。先日は名乗りもせず、大変なご無礼を。どうぞお許しくださいませ、クロノ魔王陛下」
「気にするな。あの時は、大人しく引き下がってくれて助かった」
王城務めのメイドが如き所作だが、レースの時と同様に鎧を纏った完全武装である。褐色肌に長い黒髪の美人だが、その立ち姿には一切隙がない。ダンジョンだろうが戦場だろうが、平然とルルゥについて来ている以上、その実力は確かなのだろう。
「寛大なお言葉、誠にありがとうございます。お嬢様共々、お世話になります」
「レヴィは『五将』だからな、強いぞ!」
「いえいえ、妖精神拳を極められたお嬢様には、とても及びません」
「ふふん、このルルゥ様とレヴィが味方についてやった幸運を、喜ぶがいいクロノ!」
「ああ、頼もしいよ」
とりあえず、これで二人の敵将が戦わずにこちらへ下った。お喋りに時間を割いた甲斐は十分以上にある。
しかし、堂々と裏切ったというのに、後ろに控えるヴェーダ傭兵団の連中は不気味なほどに静観を保っていた。ルルゥとレヴィは新参の外様だから、称号を持つほどの位にはあっても、ハナから信用されていなかったのか。
だとしても、引き留める言葉も罵倒の一つも飛んでこないのは不自然だ。まるで向こうも、お喋りでの時間稼ぎをしたかったというような雰囲気である。
さて、ルルゥの説得が成功したところで、話は終わりだ。こちらも、向こうも、動かざるをえないだろうが、果たして。
「ふぁーっはっはっは! よもや『四聖』と『五将』をこうも容易く口説き落とすとは。今代の暴君は、随分と色男のようじゃのう」
「むぅっ、ジジイ!!」
警戒感を露わにルルゥが構えた相手は、一人の老人だ。
長い白髭に禿頭、深い皺の刻まれた顔は仙人のような風貌ではあるが、その体は引き締まった細身。腰は曲がらず、ピンと背筋が伸びた、正しく達人の出で立ち。
白い法衣に、黒い帯と羽織。腰から一振りの剣を下げているだけで、他に武器は持っていない。
傭兵団員が揃って道を開けた中を、笑いながら歩み出でるその姿に、自ずと正体は知れた。
「お前がヴェーダの首領、『唯天』ゾアか」
「如何にも。魔王クロノ、その首を貰いに来た」