第986話 レーベリア会戦・中央突破(2)
重厚な漆黒の鎧兜が、フワリと木の葉が落ちるように着地する。その軽やかさはセリスの重力結界による軽減も大きいが、繊細なスラスターコントロールを身に着けた努力の賜物でもある。
古代鎧『ケルベロス』を装着した暗黒騎士プリムは、そうして敵陣へと降り立った。
「あんまり敵がいない……」
湯気と熱気が漂う地面の上に、五体満足で立っている敵兵はほとんどいない。
先んじて突っ込んだ炎龍が大暴れしたせいで、手近な歩兵部隊は壊滅状態。ただの歩兵装備で相手できるような怪物ではないと一目瞭然だ。密集陣形であっても、無理を押して逃げ出したといったところ。
見れば、草原に黒々とした焦げ跡を残した先で、ようやく魔力を失い動きを止めて消えゆく炎龍の姿がある。ドロドロと溶岩の体が崩れながら、赤く輝く火属性魔力が粒子と化して散ってゆく。
それでもいまだに炎の龍が恐ろしいか、歩兵達は呆然と遠巻きに消えゆく姿を眺めるだけで、こちらに踏み込んで来る素振りは見せなかった。
たった一人で歩兵の大軍を蹴散らし、突撃地点を容易く確保してみせた魔女を、プリムはチラリと見る。ペガサスの背で優雅に座す姿は、とても戦場のど真ん中にいるとは思えないほど余裕に満ちている。これほどの仕事ぶりも、彼女にとってはほんの片手間で済ますものに過ぎないのだろう。
やっと戦える場所まで出張って来れたというのに、いきなり力の差を見せつけられたような思いである。本物の婚約者とただの奴隷人形、その差はあまりにも大きい。
「まずは歩兵を減らす。各員、射撃開始」
副官アインの命により、暗黒騎士はそれぞれ降り立った先から攻撃を開始する。
付近の部隊こそ一掃されているものの、遠巻きにはまだまだ大軍が残っている。続々と乗り込んでくる帝国軍騎士の姿に、彼らも即座に押し寄せてくるだろう。
機先を制するように、手にしたEAシリーズの銃器が火を噴く。まだ間合いが開いている内から、射撃によって数に任せた歩兵突撃を牽制するのだ。
プリムもまずは『ヴォルテックス・マシンガン』を撃ち込む。背景は全て敵の大軍。弾などどこに飛んで行っても、誰かしらに当たる。密集した敵がいる状態で乱射することほど楽な戦いはない。
暗黒騎士による猛烈な射撃が始まる最中で、静かに魔力を研ぎ澄ませているのは団長サリエル。
暗黒騎士団にあって唯一の軽装である黒コート姿のサリエルは、馬上ではなく地に降り立っていた。手綱はフィオナに任せているようで、シロは若干イヤそうな顔をしている気がした。
そんな愛馬のご機嫌など意にも介さず、サリエルはいつものようにその手に槍を構える。『反逆十字槍』。神に背く漆黒の槍は今、突きではなく、投げの構えを取っていた。
「――――『烈光槍』」
空へ向かって放たれた黒き十字槍は、その先に黒雷の魔法陣を開かせる。そこから降り注ぐのは、無論、雷鳴轟く黒い稲妻。
古代の武器を使っても、あれほど苛烈な範囲攻撃をすることはプリムに出来ない。だがサリエルにとっては、所詮これも片手間の攻撃に過ぎないのだ。
フィオナもサリエルも、まだ本気を出すにはほど遠い。『アンチクロス』に名を連ねる二人のエースの活躍に、配下は続く。
壁を超えて着地する暗黒騎士が増える度に、より強固な火線が形成される。草原たるここに遮蔽物などなく、兵士の他に弾を遮るものは何もない。勿論、射撃戦を見越した塹壕なんて備えも、旧態然とした大遠征軍にあるはずもないのだ。
壁を超えて侵入してくる帝国軍を前にしても、すでに乱れた隊列と統制の大遠征軍歩兵に、まとまった反撃を行うのは不可能である。射撃に押されている内に、『テンペスト』の重騎兵も続々と降り立って行った。
そうして『暗黒騎士団』と『テンペスト』が揃えば、もうただの歩兵部隊では止められない。弓と槍では歯が立たず、魔術師部隊であっても半端な間合いでは撃ち負ける。銃弾と雷撃の嵐に晒されれば、防御魔法を張っても容易く削り取られ、叩き潰される。
「あああ、もうダメだ……」
「くそっ、止められるかよあんな奴ら!」
「退くな! ここはすでに我らが本陣ぞ!」
ジリジリと、ほとんど一方的に蹂躙しながら敵陣を突き進んで行く。
歩兵部隊を率いる将はどうにかこうにか防衛線を再構築しようと声を張り上げているが、この火力と射程を誇る突撃軍団がすでに目の前で暴れている状況では、どうしようもない。
故に、この戦況を打破しうるのは、歩兵ではなかった。
「――――退け、俺達がやる」
程なくすると、あれほど死守を叫んでいた連中が我先にと逃げ出し、崩れかけの歩兵包囲網に穴が開く。正面と左右に、道を開けるように。
無論、それは帝国軍を先へ通すための道ではない。
「聖なる鎧を纏いし騎士達よ、いざ行かん。『機甲騎士団』、出るぞっ!!」
ネロが率いるネオ・アヴァロン軍の中核戦力。『機甲騎士団』の登場だ。
これほどの数の機甲鎧が揃っているのを、プリムは帝国軍以外で始めて見た。単純な数だけならば、こちらを超えている。
しかし、恐れることはない。その純白の装甲と青いエーテル光の機甲鎧、その性能をすでに知っている。ファーレンでのコナハト奪還戦で見たのと、全く同じ機体だ。
同じ機甲鎧。よく似ているが、動力の質からして異なる兵器だ。
帝国軍の機甲鎧はエーテルバッテリーによって動くが、十字軍のは司祭が祈って動くらしい。正確には、十字教司祭が動力用エーテルである白色魔力を供給しているというだけのことだが……ただの兵器に、大仰に神への祈りなどという儀式を取り入れている十字軍の体制に、プリムは本気でバカじゃないかと思ったものだ。兵器とは、動いて敵を殺せれば、ただそれだけでいい。
「敵の機甲騎士団を確認。本命です」
立ち止まったサリエルが、そう呟く。
プリム含め、この場にいる者達はすでに全員が理解している。自分達の目的は、敵地上戦力の主力たる機甲騎士団を討つこと。ただの騎兵だけで、奴らの相手をするには荷が重い。倒すには、こちらも同じ機甲鎧を持ち出さなくては不利を強いられる。
ネロご自慢の、ネオ・アヴァロン機甲騎士団。これの壊滅がサリエル達に下された作戦司令である。
早々に出てきてくれて助かった、とサリエルは内心で思う。延々と歩兵の相手だけさせられて、本命の機甲騎士団が別な場所へ攻撃に向かったり、あるいはネロの司令部ごと逃げ出したりされれば、作戦の方針を転換しなくてはならなかった。
幸いにも、向こうも機甲鎧には同じ機甲鎧をぶつける、という判断を下してくれたようだ。
舞台は整った。後は真っ向勝負。
機体性能と操縦者の技量が試される。機甲騎士団VS機甲騎士団。次世代の戦場の主役達が、エーテルの咆哮を上げて今こそぶつかり合う。
「――――突撃」
「――――突撃ッ!!」
「おおー、向こうも派手にやってるな」
「そりゃそうだろ、あっちが本命なんだしよ」
サフィールの屍軍団を下して、いよいよ第一突撃大隊も敵陣への攻撃を開始した。
元々、敵左翼を構成していた十字軍増援部隊が丸ごと抜けて出来た穴へ突っ込んできたのだ。それを即座に埋めたサフィールの軍団が消えれば、元通り穴の開いた戦線へと逆戻り。
いまだに体勢を立て直すことが出来ずに、半端な陣形で右往左往しているところへ、俺達は襲来したのだ。
「敵の機甲騎士団は中央が引き付けてくれている。こちらにはそう多くは割けないだろう。一気に敵陣を破るチャンスだ」
作戦通りといえばそうなのだが、正直ここまで上手く事が運ぶとは思わなかった。敵の抵抗次第では、どちらか片方しか突撃できないという状況もありえたワケだし。
ともかく、現状では攻めに転じたこちらが優勢だ。中央にサリエル達が突撃をかましたお陰で、大遠征軍全体に動揺も広がっている。少なからず注目がそちらへ向いたタイミングで、突撃を仕掛けられるのはツイている。
このまま勢いに乗って防衛線を食い破れば、ネロがふんぞり返っている本陣まで乗り込めるかもしれない。
「この機を逃す手はない。さぁ、一気に行くぞ――――」
敵陣に突っ込む時は、最大火力をぶっ放すに限る。
俺はメリーの上でフルチャージ済みの『ザ・グリード』を構える。
シャルロットも再び加護を発動させ、ラインハルトの赤い雷を短杖に宿らせる。
魔法を使える者は、それぞれ自慢の攻撃魔法の準備を行い、ライラの四脚戦車部隊も砲口を真っすぐ敵陣へ向けた。さらに矢を番えたパルティア戦士達がこれに続く。
こちらが迫る姿を、向こうもとっくに認識している。だが前述の通り、十字軍部隊の逃亡とサフィールの敗北に対応しきれていない。
サリエル達と相対した中央部隊のように、しっかりとまとまった防御魔法を展開することもままならないようだ。
それでも目の前の敵を食い止めようと、射手部隊や魔術師部隊がそれぞれ攻撃を開始し牽制しようとしている。もっとも、そんな散発的な攻撃では足止めにもなりはしないし、本格的な迎撃に晒されても、ここにいる突撃バカは止められない。
俺は『ザ・グリード』を構えながら、ギリギリまで敵の動きを見定める。どんどん距離が縮まるにつれて、敵の攻撃密度も上がれば、防御魔法も展開されてゆく。
狙うべきは、全く防御魔法の壁がないような場所よりも、ほどよく守りが薄いところがいいだろう。一枚でも壁が立っていれば、安心するものだ。
だがこっちには、石壁など一息で突き崩せるだけの破壊力がある。視界の端に、長く伸びた石壁が突き立ってゆくのが映った。
厚さよりも、発動速度と範囲を優先したのだろう。それなりの長さと高さはあるものの、明らかに壁が薄い。ただの騎兵突撃ならば、これだけも十分な障害物となり得るが……ちょうどいい、ここが狙い目だな。
「――――『荷電粒子竜砲』発射」
突撃地点を定めるように、まずは俺が一発ぶっ放す。
その一撃で頼りない石壁は消し飛び、直後に多種多様な追撃が飛ぶ。
ウォオオオオオオオオオオオオオオ――――
派手な魔法攻撃で敵部隊を吹き飛ばしながら、いよいよ俺達は雄たけびを上げて敵陣へと斬り込んで行く。
「おらおらぁ、雑魚は退きやがれ! 俺はネロに用があるんだよぉ!!」
道を切り開く先頭は、カイに任せた。
俺は『ザ・グリード』と『魔剣』で援護射撃に徹する。
「ま、魔王だ……」
「不死馬に跨る魔王!」
「魔王クロノが出たぞぉーっ!!」
まだそんなに前に出てはいないつもりなのだが、やはり俺の姿は目立つようで、敵から早々にそんな声が上がり始めた。沢山の声援ありがとう、『烈刃』をくれてやろう。
「魔王はどこだっ!」
「うぉおおお、魔王の首は俺様のモンだぁ!!」
こちらが敵を押す一方だったが、流石に大将首がこんな最前線に転がっていると聞きつけ、気合の入った奴らが出始めた。
「へっ、ただの下っ端騎士が、クロノの相手になるかよぉ!」
「こんなのレキ達だけで十分デーッス」
「身の程を弁えるの」
だがカイ達を突破して俺のところまで肉薄するような奴は、今のところいない。いないので援護射撃継続中だ。
楽をさせもらって悪い気もするが、流石にネロが控えているからな。使徒の相手をする以上、出来る限り力は温存しておかなければならない。
そうして、第一突撃大隊の力に任せて、立ち塞がる敵を真正面から切り伏せてジリジリと進み続けている中、その歩みがついに止められた。
「――――『妖精結界』ぉ、全開ぃい!!」
その時、誰よりも馴染みのある魔力の気配と、虹色に輝く神々しい光の結界が大きなドーム状となって広がるのが見えた。
妖精族の固有魔法『妖精結界』。これほど大規模な展開ができるだけの実力者にはリリィくらいしか心当たりはないが……この場にリリィがいるはずもない。
そして何より、その妖精結界が守るのは俺達ではなく、相手側。俺達の行く手を阻むように展開された結界は、見事に俺の黒魔法も四脚戦車ティガの砲撃も防ぎきる。
「うおおっ、なんだぁ……?」
「ワッツ!?」
「強力な妖精結界。でもリリィ様じゃあないの……」
流石に先頭を行くカイ達も、突如として出現した妖精結界を前に足を止めてしまった。これはちょっと突く程度では破れないからな。
だが驚くべきは、大遠征軍にこれほどの使い手がいるということ。すなわち、敵に回った妖精がいるのだ。
「ん、待てよ、もしかして……」
リリィの他に、妖精と戦った経験があることを、俺はようやく思い出す。
いやしかし、まさか――――そう思いつつも、俺は確認するべく前へと出ることとした。
「おいクロノ、何か敵に妖精いるっぽいけどよぉ、このままやっちまっていいのか?」
「いや、少し待ってくれ」
敵に妖精がいるという状況に困惑していたカイは、一応確認待ちをしてくれたようだ。とりあえず、そのまま待たせて俺はこの妖精結界の主を確かめることとした。
「俺は魔王クロノ。そこに妖精がいるならば、出てきて顔を見せてはくれないか」
こんなんでのこのこ出て来るか、との思いは杞憂に終わる。
ザワついている大遠征軍の歩兵達が慌てて左右に割れてゆき、道が出来る。すると、そこを歩いてくるのは光り輝く小さな人型。
白い法衣に黒帯を巻いた独特の衣装は、十字教司祭ではなくヴェーダ法国の所属を示す。
妖精の証である二対の羽を光らせて、小さな彼女は腰にを手を当てて、堂々と叫んだ。
「はぁーっはっはっは! 久しぶりだな、クロノ」
「『超新星』のルルゥ」
「いいや、違う。今のルルゥはなぁ――――ヴェーダの『四聖』、妖精神拳のルルゥだっ!!」