第985話 レーベリア会戦・中央突破(1)
「なぁ、戦況は今どうなってんだよ」
「そんなの知るかよ。あのデカブツ同士の喧嘩にケリがつかない限り、俺らの出番なんかねぇって」
「もうあのゴーレムにだけ戦わせればいいじゃねぇか」
大遠征軍の中央最前列に配置された部隊の間では、そのような会話が密かに交わされていた。
魔王軍が黒竜を繰り出したことで、こちらも虎の子の巨大ゴーレムこと機甲巨兵『グリゴール』にて迎撃。従来の盾と槍を携えた歩兵軍団である彼らには、とても入り込める余地のない戦いが始まった。
両翼はそれぞれ中央部の戦いを迂回するように、すぐに後退していった魔王軍を追うように攻めており、そちらでは激しい戦いが始まっているらしいことが伝わっている。そのまま魔王軍本陣まで迫るほどで、両翼の方では慌ただしく増援が動いたりしているのが確認できた。
このまま優勢に攻め立てることが出来るならば、その内に中央の守りを固める自分達にも移動の指示でも出るかと予想していたが、今のところは現状維持。
つまるところ、遠くに上がる噴煙の彼方でグリゴール部隊が黒竜の群れを倒してくれることを祈っているだけの状況が続いている。勝つのが一番だが、せめて相打ちにはして欲しい。たとえ一体だけでも、あの巨大な黒竜が襲って来れば、この手に握った槍など如何ほどの役に立つだろうか。戦うなら、せめて同じ兵士であって欲しいものだ。
しかしながら、竜と巨人の戦いはまだまだ激しく続いており、いまだ終わりは見えない。
恐ろしい咆哮と、ブレスの閃光と思しき輝きが瞬く度に、大きな爆音と黒煙が吹き上がり戦場を覆い隠してゆく。
詳しい戦況は、最前列に立つ彼らでもよく把握できなかった――――故に、気づくのが普通よりも遅れてしまう。
「ん、おい……何か、近づいて来てないか?」
「何かってなんだよ」
「煙が濃くて、よく見えねぇよ」
目端の利く者が、最初に違和感に気づく。次いで、『鷹目』などの視力強化によって注視することで、確信する。
「て、敵だぁっ!?」
「敵騎兵が来るぞぉーっ!!」
激しい噴煙の内より出でるのは、黒き装甲を纏った軍団。
重厚な鎧兜に身を包みながらも、騎兵並みの速度で疾走して来る。輝く赤い燐光を発して迫り来るのは、魔王軍の誇る機甲鎧だ。大遠征軍の兵士達に、機甲騎士の強さはすでに広く知れ渡っている。
その機甲騎士団に続くのは、戦場の花形である重騎兵の軍団。
高い機動力と打撃力を併せ持つ、機甲騎士と重騎兵の混成部隊である。果たしてその突破力は如何ほどか、嫌でも想像させられてしまう。
「どうしてこんな所に出て来るんだよ!?」
「まさか、あのど真ん中を突っ切ってきたのか……」
「落ち着け! あんな激戦区を無理に通ってきたのだ、それだけで相応の損害を受けているに違いない!」
全く予想外のタイミングと場所から現れた敵に、俄かに動揺が走るが、将校達が声を張り上げて命令を発する。
発見こそやや遅れたものの、ブレスが飛んでこないよう大きく距離を開いた位置に陣取っているため、次の瞬間に突撃されるワケではない。迎撃態勢を整えるには、十分な猶予は残されていた。
「射手部隊、構え!」
「魔術師部隊は速やかに防御魔法を展開! 何としても敵の足を止めろ!」
「歩兵部隊、投槍、用意!!」
黒竜のような怪物には敵わないが、従来通りの戦力としては充実した数が揃っている。歩兵の数は言わずもがな、矢玉も大量にある。そしてこれだけの大部隊を十分にカバーできるだけの魔術師部隊も揃っている。
敵騎兵軍団は、その装備と数からして魔王軍でも精鋭中の精鋭。主力となるべき部隊であるに違いない。
だが兵の動揺を抑え、十分な数を活かして冷静に対処すれば、決して防げない相手ではない――――そう信じて、それぞれの部隊長達は固唾をのんで攻撃を開始する瞬間を待った。
「ちっ、聖女様の聖堂結界はナシか……致し方あるまい、防御魔法展開! 騎兵を食い止める壁を築け!!」
すでに敵騎兵急接近、の報告は伝わっているはずだが、最初に黒竜のブレスを防いだように『聖堂結界』の広域展開はされないようだ。これがあれば如何に重騎兵の突撃といえども、突破は不可能。一方的に反撃し、敵の主力級部隊に大打撃を与えられるのだが、聖女様にその気がないならどうしようもない。
敵騎兵はもう目前まで迫り来ており、悠長に上申している余裕などありはしない。早々に割り切って、まずは敵を止めるための防御魔法を展開させた。
「――――『大嵐城壁』」
「――――『大山城壁』」
「――――『凍結長槍』」
まずは敵の勢いを削ぎ、遠距離攻撃を逸らすための風の上級範囲防御魔法。轟々と乱気流が中央一体を吹き荒れる。
次いで青々とした草原を割って突き立つのは、巨大な岩壁。文字通りに城壁サイズの高さと厚さを誇っており、騎兵ではとても一足飛びに超えることはできないだろう。
その堅牢な土魔法の城壁をさらに覆うように発生するのは、巨大な氷柱の列だ。ビキビキと音を立てながら無骨な岩肌が氷で覆われてゆき、さながらファランクスの如く長く鋭い氷の槍が林立する。
防御魔法ではなく、あえて攻撃魔法を発射前に完結させることで、素早くこの攻撃的な形状を作り出すことができる。騎兵突撃を食い止めるための防御壁を作り出す魔術師部隊の、テクニックの一つだ。
今ここには潤沢な魔術師部隊が揃っている。風、土、氷、と三種の魔法によって強固な防御が瞬く間に築き上げられた。
「さぁ、どう来る魔王軍」
これだけの魔法防御を前にしても、勢いに任せて突っ込んでくるか。それとも、とても正面突破は出来ないと矛先を両翼のいずれかに逸らすか。
相手もただの騎兵部隊ではなく、機甲騎士を含む最精鋭。この防御さえも突破口を開いて来るかもしれない。だがその時こそ、万の軍勢が構えた弓と槍が一斉に牙を剥く。
すでに高い壁によって視界を遮られた以上、向こう側の様子は伺い知れない。それでも攻めてくるか、避けるか、誰もがその気配を探るのに集中した時――――不意に感じたのは、肌を焼き焦がすような、強い炎の魔力だった。
ゴオッ! ビキキキキ――――
轟音が響いたのは、部隊の正面ど真ん中。
敵の攻撃魔法が防御壁を叩いたのだと、新兵でも理解できるほど強い衝撃と魔力の気配が迸る。
防御魔法の突破としては正攻法。想像以上に強烈な攻撃を叩きつけられたのも、相手が精鋭と思えば納得せざるを得ない。しかし、それでも一息に壁の全てが消し飛ぶようなことはない。
どれほど攻撃を集中させても、真っすぐ突撃するまでの間に出来ることは精々、一か所切り崩して僅かな突破口を開くことくらい。侵入路が制限されれば、強力な騎兵とてそこで一網打尽だ。それは二か所、三か所、と増えたところで、こちらも相応の数がいるので対応は可能。
そっちが攻める気なら、いつでも出てこい。その気概をもって、敵の先陣が壁を超えてくるのを、攻撃命令を下す寸前で構えながら待ち構えていた。
ドッドッ……ゴォオオオオオオ……
そして、ついに敵は現れる。
堅牢な岩の壁を溶岩へと変えて、ドロドロに溶け出した灼熱の突破口から顔を出したのは、漆黒の装甲を纏う魔王軍の騎士ではなかった。
それは、炎の蛇だ。火山のダンジョンで遭遇すれば、死を覚悟する、巨大な溶岩の体を持つ燃え盛る大蛇。
「え、炎龍だ……」
化け物の相手など御免。せめて兵士と戦いたい。どうやらその祈りを、白き神は聞き届けるつもりはないようだった。
戦場のど真ん中を真っすぐに突っ切る『暗黒騎士団』と『テンペスト』による中央突撃軍団の先頭を走るのは、魔王クロノに代わり、暗黒騎士団長サリエルであった。
跨るのは愛馬の天馬シロ。帝国軍らしい黒い馬鎧を纏い、地を駆けるような超低空飛行でサリエルは飛ばしている。
「どうやら、聖堂結界は使わないようですね」
そして通常の防御魔法が多重展開される大遠征軍の対応を見て、サリエルの後ろに相乗りしているフィオナが呟いた。
「黒竜に備えていると思われる」
「ただの騎兵突撃には勿体ないと」
舐められている、とは言うまい。リィンフェルトの聖堂結界は最大の防御だ。そして魔王軍には天空戦艦と黒竜軍団がいる以上、敵の最大火力に備えるのは当然の対応。
だが、彼らは知る由もない。帝国軍の最大火力は、今ここにいることを。
「それでは、私がほどほどの道を開きますので」
「はい、お願いします、フィオナ様」
こっくりと頷いて、フィオナは『ワルプルギス』を構えた。
相手が展開した防御魔法は、流石に大軍を動員しているだけあってかなり堅牢なものだ。強風は広範囲に渦巻き、土の壁は高く、鋭く尖った氷の槍が騎兵突撃を粉砕すべく突き出されている。
並大抵の攻撃魔法をぶつけても、ビクともしないだろう。かといって、『黄金太陽』で吹き飛ばすのは、自分達が直後にそこへ突っ込むことを考えれば、あまりよろしくない。
この状況下で最適な魔法は、
「بعد اللهب الأفعى المصاحبة للحياة――『炎龍砲』」
放たれるのは、その名に違わず炎龍そのもの。
マグマの巨躯を持つ大蛇は、その身を灼熱の奔流と化して一直線に飛んで行く。
ゴオッ! ビキキキキ――――
吹き荒れる嵐などものともせず、突き立つ氷の槍を溶かし、城壁へ炎の牙を突き立てる。
「んんっ、流石に厚くて硬いですね。ちょっとかかりますよ」
着弾面を瞬時に赤熱化させて、炎龍の頭がズブズブと沈み込んで行く。氷など僅かな間も形を保てるはずもない。岩を溶岩へと変える膨大な熱量を減衰することなく放ち続け、十数秒の後に、『炎龍砲』は岩の城壁を貫いた――――そして、その先は正しく灼熱地獄と化す。
「ギャァアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ――――」
人間が生きたまま焼かれる断末魔の多重奏。ただの盾と鎧しか身を守るものがない人間が、マグマの化け物と戦えるはずもない。
近づくだけで焼き焦がされる灼熱の巨大モンスターが、大勢がひしめき合うただ中に解き放たれたのだ。即座に散開して間合いを開けることすらままならず、どれだけの密集陣形が丸ごと炎に消え去っただろう。
その惨状は壁の向こう側で、フィオナが直接目にすることはない。
「……より炎龍に近い存在となっている」
「ダマスクでの経験が活きましたね」
元より『炎龍砲』は、攻撃魔法ではなく、火精霊を解き放つ召喚術だ。あくまで炎龍を模したものであり、作り出した精霊がある程度自律的に動くことで、フィオナの苦手とするコントロールを補う、というコンセプトの魔法だ。
発射時には怒涛の勢いで放たれるビームのような攻撃として。その後は自ら小型の炎龍と化して暴れ回る、範囲攻撃となるのだ。
その性能は確かに意図した通りの効果をもたらしているが、サリエルは壁の向こうで荒れ狂う偽物のはずの大蛇に、ダマスク王城を灰燼に帰した本物の面影を見た。
あれは最早、ただ炎龍を模しただけの火精霊などではない。長ずれば本物と化すことも出来得る、原型なのではないかとサリエルは思った。
「もう一発くらい追加しておきます?」
「その必要はありません。この距離ならば、突入後の備えを」
「了解です」
向こうが大混乱で矢の一本も飛んでこないことで、フィオナが呑気に追撃を尋ねるが、サリエルは断る。小型サイズとはいえ、本物同然の炎龍がさらにもう一匹暴れ出せば、突っ込んだ後の自分達も困りそうだ。
サリエルは振り替えることなく、ただ手にした槍を振り上げ合図を送る。我に続け、と。
ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――――
背中を押すように力強い鬨の声が轟く。
気合を入れて迫り来る騎兵突撃が目前に迫っても、すでに敵前衛にまとまって迎撃できるだけの余裕はない。炎龍はいまだに暴れ回っており、離れた位置にいる部隊から散発的な攻撃が飛んでくる程度に留まっている。
最早この突撃を止められるモノは何もない。炎龍砲で穴が開いただけで、いまだ大部分を残している魔法の防壁があったとしても。
「セリス」
「はい、団長」
壁が目の前まで迫った時、サリエル騎に並んだのはセリスだ。
由緒正しき騎士らしい鎧に身を包み、赤いマントを翻して馬に跨る姿は正に近衛に相応しい凛々しさと威風が漂う。しかしその身に迸るのは、不気味な紫に輝く燐光。
「大地は乱れ塔は沈む、空を逆さに月を落とす――『天元龍・グラムハイド』」
美しいエメラルドの瞳は龍の眼へ。なびく銀髪からはメキメキと歪に捻じれた角が二本。
古代文明を終わらせた龍災を担う一角、龍の神の力がセリスに顕現する。
「『重力結界』展開――――位相・天」
重力を操る魔法は、非常に珍しい。そもそも重力という概念すら、そこまで広まっているとも言い難い。
木からリンゴが落ちるという、当たり前の光景に見出された真実は、物理法則の深き深淵へと誘う。それの全てを理解するには、いまだ人の身には困難を極めるだろう。
だがしかし、体験すれば誰でも理解できる。
重力が軽くなると、どうなるか。
それはさながら、水の中にいるかのように。けれど、より軽やかに。重力の軛から僅かに解放されただけで、自分の体は舞い踊る羽のようになるのだと、人は知る。
ならば武芸と馬術を極めた最精鋭たる重騎兵が、この軽減された重力の中で跳躍すればどうなるか。十分な加速、人馬共に宿した武技、そして何より敵を撃滅せんとする意志。
目の前の壁は高い。だが、今は自分達も高く跳べる。
すなわち、セリスの領域においてただの騎兵は城壁を飛び越えられるのだ。
「行きます――――」
先頭を駆け抜けるサリエルの天馬が翼を広げて飛ぶ。
続いて、飛翔能力はない馬に跨ったセリス騎が同じように天を駆けた。
その跳躍は軽々と、聳え立つ魔法の城壁を超えていく。
「団長へ続け」
「遅れるなよ、飛べ!」
機甲鎧に身を包む暗黒騎士はブースターを吹かせて、『テンペスト』の重騎兵はセリスに倣って全力で跳躍を敢行。
グラムハイドの重力圏にて、突撃軍団全騎が空を舞った。