第984話 レーベリア会戦・怨念交差(3)
「あ、ありえない……どうして、こんなこと……」
飛びかけた意識が戻るなり、最悪の状況にサフィールは苦悶の声を漏らす。
カイがシャルロットの『雷紅刃』を大剣に宿した一撃は、凄まじい威力であった。
強化した飛竜の体に、周囲の雷対策用の飛行モンスターも咄嗟に動かし守備に割り込ませたが、それを全て一刀の下に叩き切った。無論、その背に乗っていたサフィールとて無事では済まない。
今こうして草原の上で目覚められたのは、自分の体に施した術のお陰。他の魔術師だったら即死していただろう。
「ぐっ、うぅ……まだ再生が追いつかないの……カイの奴、本気でぶった切ったわね……」
真紅の雷撃で焼け焦げた肌に、肉体には深々と斬撃が刻み込まれてきる。死んでもおかしくない広範囲の火傷に、致死量を超えた出血。ついでに、地上100メートルから自由落下した衝撃も加わっている。
それでもサフィールは意識を保ち、生きて動けるのは、屍霊術による再生効果があるからだ。自身の生身に適応する厳選された人間の素材と、宿主を生かすための能力を持つ寄生型モンスターの屍。これらをつぎ込んで、いざという時に致命傷を受けても肉体を修復できるようにしていた。
だが、それにも限度はある。有無を言わさぬ即死ならば術式は機能しない。今回は、辛うじて再生が命を繋げるギリギリのところであった。
しかしサフィールはその奇跡的な生存を喜んでいられるほど、呑気な状況ではない。
「くっ、なんてこと、『天使の歌声』の反応が、完全に途絶えた……負けたっていうの、ハイドラ最強の僕が……」
クロノの足止めをしていたはずのワイスの制御が切れている。この感覚は、妨害などによる制御の乱れではなく、完全に操る屍そのものが消滅した時のものだ。
ハイドラの至宝は、すでにこの世から失われたのだと理解せざるを得ない。
自分は瀕死の重傷で、最強の手駒を失った。戦況としては、正に絶望的。
「……サフィ」
「シャル……」
悲し気に自分を愛称で呼ぶ声に、サフィールは憎悪に満ちた紫紺の瞳で睨み返す。
「お願いよ、今すぐ全ての屍を止めて、降伏して。もう勝負はついたわ」
「ふふっ……降伏……?」
火傷と血濡れに、切り裂かれた肉体を無理矢理にでも繋げるために、断面から寄生モンスターの触手が伸びるボロボロの体でありながらも、サフィールの殺意は衰えない。むしろこの追い詰められた状況で、余計に煽られ怒りが湧き上がる。
「どこまで舐めてんのよっ、アンタは! この期に及んで、私を殺すのに何を躊躇するってのよ! そこまでして自分が綺麗でいたいってのっ!?」
「違う! 違うわよ、私はそんなつもりじゃ――――」
「何が違うのよ、アンタはいつもそう……ガキみたいにワガママ放題して、それを他人が叶えてくれるのが当たり前だと思ってる。生まれながらのお姫様根性ね――――ねぇ、カイ、そうやって今回も甘やかすんでしょ」
「おい、そんなズタボロんなってまで、喚いてんじゃねぇよ。らしくねぇぞ、サフィ」
シャルロットを庇うように、いまだ赤い稲妻が迸る大剣を担いだカイが立つ。
その顔には、こちらが手を出せば即座に切り捨てることも辞さないという、確かな覚悟が感じられる。
悲劇のヒロインぶった表情を浮かべるシャルロットよりはよほどマシだが……それでも、有無を言わさず敵である自分を斬らない、まだサフィールの命を完全に諦めてはいない姿勢に、腹が立った。
「ああ、バカね……本当にバカよ、アンタ達は……」
「うるせぇ、お前もつまんねぇ意地張ってんなよ。シャルのワガママなんざ、今更の話だろうが。だからさっさと諦めて、大人しく降伏しろ。ダチのよしみだ、命だけは何とかしてやっからよ」
「そう、それがアンタ達の答えってワケ……ありがとう」
やっぱり、コイツらとは相容れない。
こんなにバカで、こんなに綺麗で純粋な奴らの存在を、認めるワケにはいかない。
人とは生来、邪悪なもの。合理と秩序をもって、始めて理性が宿る、利己的な動物に過ぎない。それがサフィールの信条だ。
だから許せない。シャルロットやネルのようなお姫様が、自分の上に立つ者が真に穢れ無き清い存在であることが。同じ立場で生まれたはずのカイが、自分とは真逆の覚悟と信念で剣の道を進むことが。
けれどネロは、ネロだけは自分と同じ。彼が抱える苦悩と後悔、それを必死に見ないフリをして逃避している無様な醜さが、堪らなく愛おしい。
生まれ、容姿、才能――――恵まれた全てをもったネロであっても、こんなに醜く汚れていることに、どれほど安堵できたことか。
自分が心から安らかに眠れるのは、罪に罪を重ね続けて穢れ切った彼の腕の中だけ。
「やっぱり私、アンタ達のこと大嫌いだわ――――目覚めろ、『紫晶眼』」
これで心置きなく葬り去れる。
わざわざ降伏を呼び掛けて敵の命を拾おうとする愚かしさがために、二人は死ぬのだ。サフィールの前に立つことなく、瀕死の体に雷撃でもくれてやれば、それでケリはついたというのに。
のこのこ私の『眼』の前に出てきたことを、後悔して死ね――――そんな殺意と憎悪でギラついた、ハイドラの魔眼が目を覚ます。
今では屍霊術の大家であるハイドラ家であるが、元々は魔眼『紫晶眼』によって武功を上げて興った家だ。代々の当主には、大なり小なりこの魔眼の力が求められる。
そしてそれは、サフィールもまた同様。次なるハイドラの後継者として、サフィールもまた『紫晶眼』の力に目覚めている。
だが、この魔眼を冒険者としての活動で使ったことは、ほとんどない。まだランク5に至る前、いざという時だけ、僅かにその力の一旦を解放しただけに過ぎない――――自分がどこまで、この『紫晶眼』を使えるのか。それを仲間にさえ明らかにしないよう、意図的に秘していた。
たとえば、今日この日のような時のために。
「ちいっ、魔眼を使う気かよ!?」
流石に魔眼の存在自体は知っているため、カイとシャルロットの反応も速い。この瞳から結晶化の光が放たれるよりも前に、防御魔法が視界を塞ぐだろう。あるいは、シャルロットを担いでカイが視界外まで逃げ切るか。
だが、それはどちらも昔に見せた性能が前提の動き。ハイドラの天才児は、二人の対応を超えて貫くほどの輝きを、すでに瞳に宿している。
「さよなら、私の友達――――『紫害死線』」
閃光が瞬く。否、それは光線と化してサフィールの両目から放たれた。
『紫晶眼・紫害死線』は、結晶化の光をただ拡散させるのではなく、一点に集中させて浸食力を大幅に高めた、ハイドラの奥義である。歴代当主の中でも僅か数人しか使い手のいない、大型ドラゴンでさえ一瞬でアメジストの結晶へと変える、秘伝の必殺技。
解き放たれた結晶化光線は、突き立てられた地属性防御魔法の岩壁を瞬時に透き通った紫水晶へと変えた。そこでサフィールが瞬きを一つすれば、アメジストの壁は木端微塵に砕け散る。
キラキラと美しい紫の破片が舞い散る中、死の光線が友と呼ぶ二人の命を奪うべく飛んで行く。防御は不可能。どんな硬い盾も、城壁さえ、この『紫害死線』は貫き、砕く……はずだった。
「さぁさぁ、お仕事の時間ですよ――――目覚めよっ、『紫晶眼』!」
場違いなほどに呑気な声と共に瞬くのは、全く同じ紫色の輝き。
身を寄せ合うカイとシャルロット。その二人の前に忽然と姿を現したのは、長い黒髪を影の中まで垂らしたメイド少女。
夜道を歩く時のように、小さな両手でカンテラを抱えているが、そこから放たれるのは闇を照らす暖かな火の灯ではなく、ハイドラの魔眼の輝きそのもの。
サフィールと相対するカイとシャルロットの守りを、クロノから仰せつかったヒツギであった。
「まさか、相殺している……私の『紫害死線』を!?」
二人を結晶像へと変えるはずの光を妨げているのは、完全に同質の力。カンテラ型の封印機に納められている、呪われたサイードの『紫晶眼』を解放したのだ。
元より強力かつ厄介な結晶化の輝き。落ちこぼれであったサイードと違い、天才と謳われたサフィールならば、この『紫晶眼』もより上手く使える、あるいは何かしらの大技を隠しているだろう、とクロノは予測していた。
ネロと決着をつけるならば、彼についたサフィールとの戦闘も避けられない。そして、もしそれを自分か、あるいは近くの仲間が請け負うこととなるならば、『紫晶眼』対策が必要となる。
そうしてクロノが見つけた対策は、『紫晶眼』を防ぐには、同じ『紫晶眼』が一番だというもの。
ただの金属製の盾では、結晶化光線を防ぐ役には立たない。天空戦艦並みの分厚い装甲を歩兵用装備とするのも、現実的ではないだろう。光を拡散させられそうな様々な種類の煙幕も試したりしたが、多少の減衰効果はるものの、無効化にはほど遠かった。
実験は難航したが、ネルの『天空龍掌「蒼天」』の効果である『反射』をした際に、クロノは気づいた。反射された輝きは、カンテラ型封印機を全く結晶化していなかったことに。つまり、放たれた『紫晶眼』の光は、同じ光で相殺される。
故にサフィールが満を持して魔眼を開いた時は、同じ魔眼をぶつけることとした。
そして彼女の相手はカイとシャルロットの二人となり、クロノはヒツギに『紫晶眼』対策だけを任せたのであった。
果たして、効果は抜群だ。
サフィールとサイードの魔眼同士が見つめ合う。ハイドラ家の長い歴史の中でも、魔眼使いがお互いを睨んだことは初めてのことだろう。
才能と技量の差は明確。天才サフィールの必殺技『紫害死線』は、サイードの魔眼の輝きを遥かに勝る出力だ。このまま睨み合いを続ければ、ほどなくサフィールの光線が貫くだろう。
だがしかし、同質の光がぶつかり合ったこの瞬間、相殺現象が発生し、僅か数秒の乱れが生じる。束ねられた『紫害死線』の光が解けた。
そしてそれは、決着をつけるにはあまりにも十分な時間となった。
「――――あばよ、サフィ」
赤き雷が、再び轟いた。
ヒツギが光線を防いだ瞬間、その頭上を飛び越したカイは、振り上げた大剣をサフィールへと叩きつける。加減もなく、容赦もなく。
カイはパーティメンバーであった戦友を、自らの手で葬り去る。
最期の瞬間、魔眼に輝く瞳で見上げたサフィールが呟いた男の名前が、轟く雷鳴の中でも耳に残った。
「……終わったか」
墓守の刃に胸を貫かれた『天使の歌声』は、その身の半分が黒色魔力の粒子と化して消え、もう半分がただの灰となって崩れ去った。
魔力粒子となった部分は、エングレイブドゥームに吸収されてゆき、恐らく、墓守は愛する少年を取り戻すことが出来たのだろう。
「だが、それで全てを許す気にはならないようだな」
これで満足して成仏するか、とも思ったが、墓守の刃はさらなる力を増しただけで、怨念を消して浄化などされる気はさらさら無いらしい。これからはもっと、彼と二人で楽しく歌えると、喜んでいるような気配がする。
そもそも、呪いの経緯となった墓守がワイスを失ったことで街一つ丸ごとアンデッド化させるほどの大暴れをして、話は終わりではない。どれほど強大で凶悪な力を誇ろうとも、必ず最後は討たれる。『暴君の鎧』と同じように、墓守もまた、討たれたのだ。
街を壊滅させて住人全てを亡者に変えた狂った墓守という巨悪を討ち果たしたのは、サフィールの祖先だった。当時からすでにハイドラを名乗る貴族だったのかどうかは知らないが、少なくとも一族が『屍霊術』を修めるようになったのは、墓守と共に歌うワイスの美しさに魅了されたからだ――――と、そこまで俺が知れたのは、ワイスを吸収したからに違いない。
墓守に残る記憶だけは知り得ない情報が加わったことで、話の続きが紡がれるように、エングレイブドゥームを握る俺に伝わってきた。
もっとも、その内容は更なる悲劇の続きに過ぎない。討伐された墓守は再びワイスを奪われ、彼は囚われの身となり、ハイドラの愛玩人形として奴隷よりもおぞましい行為が代々に渡って続いた。
道理で呪いが消えないワケだ。ワイスを取り戻したから、全てハッピーエンドだと終われるはずがない。彼の苦しみを知った墓守は、更なる憎悪を燃やしているようだが……まぁ、それもいいだろう。
俺は安易に憎悪の連鎖を断ち切るべき、などと言う気はない。呪いの武器として在り続ける限り、俺はお前を振るうだけだ。
さて、決着がついたのは俺の方だけではない。
すでに周囲では戦闘が終わっている。襲い掛かってきた全てのアンデッドが、その動きを止めたからだ。主たる術者の死によって、下僕は死して尚、動く理由を失った。
「――――カイ、サフィールを斬ったか」
「ああ……俺がやった」
大剣を背負いなおし、臨戦態勢を解いたカイの背中に声をかける。少なくとも、敵将を討ち取った喜びの色は一切ない。
当然だ。かつての仲間を、自ら手にかけたのだから。
カイの足元に転がるのは、原型を留めぬ黒焦げの塊。赤い雷光が閃くのは、俺からも見えていた。シャルロットの加護との合わせ技は強力だ。それを直撃させたなら、純粋な魔術師タイプのサフィールではひとたまりもないだろう。
「ありがとな、クロノ。助かったぜ」
「気にするな。よくやったよ、カイ」
「へへっ……そんじゃあ、さっさと行くとするか!」
慰めの言葉などいらない。戦いはまだ終わっていない。ここは所詮、通過点に過ぎないのだ。
「集合! 隊列を整えろ!」
アンデッド軍団との戦闘が終わったことで、俺達は再び本陣への突撃へと向かう。
術者であるサフィールを早々に仕留められたことで、こちらの損耗も最低限で済んでいる。アンデッド軍団が全滅するまで粘られれば、こんなものじゃ済まなかっただろう。
あの冷酷そうなサフィールであっても、今回ばかりはカイ達との因縁に決着をつけることを優先したか。徹頭徹尾、合理的に動かれれば厄介だったな。
カイの号令により、ほどなく部隊が戻って来る。精鋭の突撃隊員に四脚戦車とケンタウロス戦士だ、集合するのも迅速だ。
「さて、少々足止めを食らったが、俺達はこのまま敵本陣を目指す」
「そもそも、なんでクロノこっちに来たんだよ?」
「事情はあったが、それはもう解決したから気にするな。今更、中央には戻れないから、俺はこのままカイ達と同行する」
「そうか」
総大将がフラっと一人でやって来るんだら、色々と言いたいことはあるだろうが、カイはその一言だけで納得してくれた。こういうところが、ありがたい。
「すでに『暗黒騎士団』と『テンペスト』の中央突破も始まっている。俺達も遅れるわけにはいかない。決戦はここからが本番だ、気合を入れて行くぞ」
「オール・フォー・エルロードッ!!」
「サフィ、あのバカ、無茶しやがって――――」
俄かに立ち上がったネロの言葉の意味を、瞬時に理解できたのはすぐ傍に立っている妹のネルだけであった。
寸前に、ネロの手の甲に浮かんだ光の刻印が、淡い輝きと共に弾けて消えるのが見えた。多少のテレパシー能力を持つネルには、それが他者と強く通じる系統の能力であり、ソレが今この瞬間に途切れたのだと察しもつく。
そしてネロの呟きと動揺が、何が起こったのかを明確に示していた。
「サフィは、討たれたのですね」
「……ああ」
二人の会話に、口を挟む者はいない。
ネロの座す大遠征軍本陣、その中枢たる司令部は大会戦の最中とはとても思えないほどの静寂に包まれている。ここには檄を飛ばす将の姿もなければ、慌ただしく駆ける伝令の一人もいはしない。代わりに控えているのは、給仕くらいのもの。
まるで王族が狩猟を嗜んでいる最中に利用する、休憩用の天幕のよう。穏やかで快適。それで十分。ネロは大遠征軍の総大将として指揮を執るつもりなどなく、クロノが本当に自分の前に現れるかどうかを、ただ待っているだけなのだから。
「カイ……どうしてサフィを殺した……」
「どうして? まさか、本当に分からないのですか?」
「何故、俺達が殺し合わなければならない。仲間だぞ。カイがいくらバカでも、そんなことも分からないはずがないだろう」
どうやら、カイがサフィールを討ち取ったようだ。
お互いに今更、後には退けない身だ。戦場で出会ったならば、その結末は勝って生き残るか、負けて死ぬか。至極、当然の話である。
「どんな思いでカイとシャルがサフィと戦ったか……あるいは、あのサフィが意地でも退かずに戦い抜いたのか。それすら、もう理解することは出来ないのですね」
「ちょっとネロ! 真ん中に敵が突っ込んでくるじゃない、ヤバいわよ!!」
ネルの言葉は、やかましい少女の声に上書きされた。
彼女の前ではネロも動揺した姿を見せたくはないのだろう、すぐに表情を取り繕ってから顔を向ける。
「なんだよ、もうゴーレム共が蹴散らされちまったのか?」
「まだドラゴンと戦ってるわよ! 戦ってるけど、そこを敵が突っ切って来たの!」
どうやら『暗黒騎士団』と『テンペスト』の混成部隊による中央突破が敢行されたらしい。いよいよここからは、魔王軍の反撃が始まるとネルは悟った。
「もうぶつかるわ、急いで聖堂結界を張らないと――――」
「いいや、リン、そんなことをする必要はねぇ」
「ええっ、でもこのままじゃ」
「兵は十分にいる、奴らに任せとけ。お前だって、無限に結界を使えるワケじゃねぇだろ」
「それは、そうだけど……」
「こんなことで広域展開してたら、いざって時に息切れするぞ。いいかリン、お前は自分の身を守ることを考えろ。他の連中のことなんざ、どうだっていい――――」
そう言いながら、ネロはリィンフェルトを抱きしめる。
サフィールという、大切なモノをまた一つ失ったネロにとって、リィンフェルトは最後に残った希望だ。
ネルにとってその姿は、さながら溺れた者が藁にでも縋るように見えた。