第982話 レーベリア会戦・怨念交差(1)
その昔、雷神の加護を授かった剣士がいた。青き神の雷を宿す、雷鳴剣と雷光剣。この双剣を振るえば、天を裂き、地を割り、戦場で無双の活躍を果たす。
その英雄が使った二振りは今、東西の国境に別たれた、次代の剣士の手に委ねられた。
東国の辺境伯、その一人娘が雷鳴剣を。
西国の侯爵が見出した、一人の少年に雷光剣が。
二人は共に、この伝説的な雷剣の使い手に相応しい才能を有していた。どちらも同じく、瞬く間にその国一の剣士と謳われるようになり、
「――――どうだっ、これで私の100勝だ!」
「いいえ、99勝1分です」
二人は惹かれ合うように、刃を交えるようになった。
場所は東西の国境線の接する荒野。どちらも領地を巡って相争う間柄だが、正面切っての戦争は避けたい。様々な思惑の果てに、両国は代表となる剣士同士の一騎打ちをこの場でさせることで、一時的な膠着状態を継続することとなった。
二人の剣士は、どちらも相応の立場にあり、愛国心も誇りもある。けれど、そんなことは全て些細なことと思えるほど、一騎打ちに熱中した。
互いの剣技は実力伯仲。一勝したところで、次の一勝が取れない。一戦ごとに、いいや、一戦の最中により剣筋は鋭く、雷撃は激しく。どんな修行より、どんな相手より、この同じ英雄の刃を持つライバルこそが、自分の剣をより高みへと導いてくれる。
週に一度と定められた試合の日を、互いに待ち侘びた。それはまるで、愛しい恋人との逢瀬に思いを馳せるが如く……いいや、それがただの比喩ではなくなるのに、それほど時間はかからなかった。
「父上、私の100勝をもって、彼に婚約を申し込みます」
雷鳴剣の主たる娘は、辺境伯の父にそう直訴した。
自分の伴侶は、彼を於いて他にいない。他の男など、考えたくもない。
敵国を代表する剣士だが、だからこそこちらに取り込めば、その戦力的な利益は計り知れない。なにより、古の英雄が振るった双剣が揃う。そうなれば正しく伝説の再来、向かうところ敵なしであろう。
「――――残念だが、お遊びはもう終わりなのだ。かの国へ攻め入る算段がようやくついた。各国との同盟が成立し、すでに包囲網は形成されている。雪が降る前に、すぐにでも侵攻を開始すると、王命が下された」
記念すべき100勝をかけた試合の前に、戦争が始まった。
いつもの荒野に、彼は来ない。西国最強の剣士として、即座に最前線へ彼は送り出された。
そしてそれは、東国最強の剣士である彼女も同様。
最大のライバル、雷光剣の使い手たる彼を倒さなければ進めないはずの国境荒野を、彼女は易々と超えた。彼のいないこの場所に、最早なんの意味もない。
そのまま雷鳴剣を振るい続け、彼女が西の王都に辿り着いた時、戦争は終わった。複数の国に同時に攻め入られ、あっけないほどに西国は滅び去る。
「流石は我が国一の剣士、雷鳴剣の使い手よ! 此度の働き、真に大義であった。褒美として――――この雷光剣を賜る」
かくして、再び双剣が一人の下に揃う。
伝説の英雄再来。彼女は国でそう祭り上げられ、讃えられた。
「違う……雷光剣の使い手は……」
全ての賛辞が耳を通り抜けていく。この剣の使い手は自分ではない。
どんな名剣も、使い手がいなければただの飾り。自分も同じだ。どれほど英雄と持て囃されようとも、彼がいなければ、私は――――しかしどんなに探せど、彼の行方は知れなかった。
それから何年かの月日が経つ。
父親から当主の座を継ぎ辺境伯となった彼女は、国一番と豪語する奴隷商より接待を受ける機会があった。興味など欠片もない。ただの下らない雑務の一環で、そうなっただけのこと。
けれど、そこで彼女はようやく見つけた。
「どうして……」
何故、と問われれば、それは敗残兵の末路としては、ありふれたものの一つだからだろう。
若く健康な肉体に、それなりに整った容姿。その場で殺すには惜しい。故に、売られた。それだけのこと。
「……幾らだ」
「ええっ、このような中古品、辺境伯閣下に相応しくありませんぞ。どうぞ、こちらに我が商会で最高の商品を揃えて――――」
「言い値で買うと言っているのだ。今すぐ、彼を寄こせっ!!」
やっと見つけた彼を保護し、一目散に城へと戻る。
中古奴隷として雑にひとまとめにされて汚れ切っていた彼を、丁重に扱うよう申し付け、自分もまた念入りにめかし込んだ。時間は経ってしまったが、感動の再会。
これでようやく、全てが手に入る。いや、あるべき形に戻るのだ。雷鳴剣と雷光剣が、再び双剣として戻ったように。
私と彼も、あの日の続きを――――
「私をお買い上げいただき、誠にありがとうございます。誠心誠意、ご主人様にお仕えいたします」
「な、何を言っている……ふざけているのか」
「申し訳ございません。私はご主人様にお仕えする、忠実な奴隷でございます。何なりとお申し付けくださいませ」
「違うっ! お前は奴隷なんかじゃ――――」
全てが遅きに失した。彼は最早、雷光剣の使い手ではなく、ただの奴隷となってしまった。
すでに剣は握れない体。刻まれた呪印が、彼の天才的な雷属性の力も封じている。もしも聖なる癒しの神の奇跡によって、健康な肉体を取り戻したとしても……彼は剣の振り方さえ、もう覚えてはいなかった。
強力な薬物か精神魔法の影響か。自分が何者かも忘れ、曖昧な自我のまま、ただ主へ奉仕を行う人形と化している。
「こんな、こんなはずじゃあ……」
怒るべきか、悲しむべきか。彼の身に起きた悲劇に涙することも、彼を壊した者を探して復讐することも、彼女はなかった。ただただ、どうしようもない絶望感と全てが手遅れだったという虚しさだけが渦巻く。
けれど、せめて取り戻した彼の体だけは、もう二度と手放さないと固く誓った。
「ああ、いいんだ……もう、これでいい……」
もう心はここにないけれど、体は、温もりは確かにある。彼が生きて、自分の隣にいる。それだけでいいじゃないか。
空虚な絶望を、そう思うことで彼女は目を背ける。恭しく跪いて、奴隷として尽くす彼に甘えた。
このままでいい。こうしていれば、もう失うことはないのだと、現実逃避の安堵に身をゆだね続けた。
そうして彼の体に溺れるだけの怠惰な生活を続けていた、ある日のこと。
「緊急クエスト、か……面倒くさい……」
領内に緊急クエストを発行するほどの非常事態が発生。出現したランク5モンスターへの対処のために、彼女は最強の剣士として、久方ぶりに自ら剣を執ることとなった。
戦争を終えてから、一度も袖を通さなかった鎧兜を纏い、王より賜りついに揃った伝説の二振りを携え、初めての出陣となる。
雷鳴剣と雷光剣をそれぞれ両腰から下げ、城を出る前に愛しの彼の元へと向かう。モンスターなどすぐに片づけて、今日の内には帰って来るつもりだが、それでもほんの一時であっても彼と離れるのが惜しい。
「ご主人様」
「すまないが、少し出かけてくる、いい子で待っていてくれ」
子供かペットでも可愛がるように、頭を撫でて微笑めば――――彼は、その場で両膝を屈した。
「ああ、ご主人様、どうかその雷鳴剣を、持ち主に返していただけませんか」
何を言っているのか、分からなかった。
「雷鳴剣の使い手は、東国一の剣士にございます。その剣は、その剣だけは、どうか彼女の元に――――」
自分の名前も、剣の振り方も、とうに忘れてしまったというのに。
どうして、よりによって、私のことだけ覚えているのか。
「わ、私を、覚えているのか……?」
「強く、美しく、気高い……ああ、彼女と、もう一度だけ……」
彼の目に映るのは、在りし日の自分だけだった。
今の自分は、彼にとっての彼女じゃない。彼が認めた、雷鳴剣の使い手では、とうになくなっていたのだ。
そう、彼を奴隷として『使った』時点で、自分は彼を壊してきた連中と同じになった。
彼が本当に自分を見つめてくれることは、もう二度とないだろう。
「はっ、はは……あはは……こんな馬鹿な話があるか……」
諦められない。諦めたくない。
壊れた彼を前にして抱いた空虚な絶望を塗りつぶすほどの、濃密な憎悪が湧きだす。
他でもない、この自分自身に対する。
「そうか、ならば思い出させてやる。この私が雷鳴剣の――――」
否、双剣は二つで一つ。彼と私も二人で一つ。
決して別れてはならない。離れてはならない。常に一つ。永遠に一つ。死をも二人を別てない。
「雷鳴と雷光を統べる――――この『蒼穹双雷』の使い手だと、証明してやる」
「――――はっ、いい剣持ってるじゃねぇか!」
正しく雷光の如き速さと鋭さで振るわれる双剣を弾き、かわし、時に装甲で受けながら、その刃に宿る呪いの意志を読んでいく。
珍しい、これは二つで一つ、双剣としてのワンセットで呪いの武器となっている。片方ずつ持つだけだと力は発揮されず、相棒の元へと戻ろうとする意志のみが強く働くことだろう。
そして二つが揃えば、元より強力な雷の魔剣としての性能を遺憾なく発揮する。
刀身の長い両刃の『雷鳴剣』、やや刀身の短い片刃の『雷光剣』、この二振りを合わせて『蒼穹双雷』という銘だ。
バリバリバリ――――ドォンッ!!
けたたましい音を立てて、ド派手な雷撃が雷鳴剣より放たれる。
刃が長い方の雷鳴剣は、正に強力な魔法剣のお手本みたいな性能だ。ただ一振りするだけで雷が落ちる。
雷撃、落雷、とおおよそ雷属性魔法で出来ることは何でも出来そうな能力。威力、範囲、共に上級魔法に及び、恐らくは何かしらの大技も持っていることだろう。
ただこの雷鳴剣を振り回されるだけで、大抵の奴は近づくことも出来ずに雷に打たれて消し炭と化す。まして、この使い手は全うに剣術を修めているし、何より雷の魔剣を使い慣れている。
この雷鳴剣一本だけでも十分過ぎるほど脅威なのだが……真に警戒するべきは、雷光剣の方だ。
キィン――――
その剣閃、正しく雷光。速く、鋭い、剣士として理想的な一太刀が飛んでくる。
雷光剣は、バリバリと派手な雷撃を放ったりはしない。ただ静かに刀身へ蒼い稲光を宿し、斬る。あるいは、突く。相対した敵は、斬られた後に輝く雷剣の軌跡を見るだろう。
雷鳴剣の激しい雷撃の嵐の中で、その名の通りに雷光と化した斬撃に狙われる。多少、腕に覚えがある程度では、とても凌ぎきれない凶悪な攻撃だ。俺も黒魔法をぶっ放して、呪いの武器で斬りに行くのが基本だからな、その強さはよく分かる。
だが厄介なのは、それだけではない。
「おっと、コイツは大技だな」
雷光剣を逆手に持つ構えをワイス君がとれば、強い輝きと魔力が刀身に宿る――――と察した直後に、雷鳴剣から四方八方に雷撃を乱れ撃ちながら一気に突っ込んでくる。
ただの突進じゃない、その身は高速回転を始め、雷撃は渦を巻き、さらに雷光剣の軌跡が無数に閃く。
「『黒土大盾』」
雷を防ぐに有効な属性は土。なのだが、俺が即席で立てた黒土の防御魔法は、吹き荒れる雷と刃の嵐を前にあえなく崩れ去る。
仕方なく、目前まで迫った回転攻撃をエングレイブドゥームで凌ぐが、グイグイと押されてゆく。傍から見れば、完全に俺が押し込まれているように思えるだろう。
「こういう相手には『天獄悪食』がいいんだが……」
影の中から出てこない。出てきたとしても、その力を発揮しないだろうことが、容易に想像がついてしまう。
これは悪食だけがヘソを曲げている、というワケではない。首断でさえ、今ばかりは俺の手に握られようとはしなかった。
呪いの武器が使えない。『獄門鍵エングレイブドゥーム』を使うことしか許されないのだ。
正直、ワイス君のような相手にエングレイブドゥームは相性が悪い。
小柄で素早いスピード剣士で雷魔法も連発。長柄武器である薙刀だと、どうしても懐に入られると弱い。雷を相殺したり、相手の速度を殺すような、相性のいい効果もない。本来なら首断と悪食の二刀流でこっちが圧倒するのが最適解。
エングレイブドゥームの特殊能力である歌による『亡者復活』だが、よりによって相手は軍団全員が最初からアンデッドである。それも屍霊術師謹製の下僕であり、少々の悪霊が集った程度では制御を奪うことは出来ない。
一方こっちは生きた兵士達だ。死した彼らだけが、ゾンビとして蘇って暴れ出してもデメリットしかないだろう。
元から尖った性能だから、それを活かせる状況でなければ基本的には墓守に歌わせることはできない。後は振動によって切れ味を増幅させる『共鳴怨叉』と、純粋に強力な薙刀としての性能があるだけ。
しかし、それにしたって因縁あるワイス君はただ殺したい憎い相手ではないようで、どうにも薙刀の刃も鈍い。純粋な殺意が向かない呪いの武器は、とんだ鈍と化してしまう。
よって今のエングレイブドゥームはかなりイマイチな武器相性に武器性能、というなかなか酷い状態と化してしまった。
それでも因縁の相手だから、コイツが出張って来るのは当然ではあるが……まさか他の奴らまで引っ込むとは思わなかった。
複数の呪いの武器を使ってて、初めての経験。こんなことがあるとは知らなかった。なんで誰も教えてくれない、と理不尽に思ったが、そもそも先人がいないのだから、これも当たり前か。
呪いの武器は、ただの道具ではない。意志のある存在だ。ならば、たまにはこういうこともあるのだと、受け入れてやるのが使い手の度量というもの。
制限がかかっているのは呪いの武器だけで、黒魔法の行使や『ザ・グリード』などの通常の武器は問題なく使えるから全然マシだ。強いて言えば魔法生命として自我に目覚めているらしいヒツギは動けるようだが……
「分かってるさ、墓守。これで上手いこと倒せばいいんだろう」
『虚砲』でも撃ってさっさと終わらせれば、それでいい話ではない。ちゃんとお前が納得する決着をつけよう。
それが出来なきゃ、お前を握る資格はないからな。
「おおっ――――らぁあ!!」
振り降ろされたカイの大剣が、立ち塞がるサイクロプスの巨体を一刀両断する。
本来の巨躯に加えて、頑強な地竜の甲殻を纏った改造された死体だったが、圧倒的な威力の剣技を前にあえなく地に沈む。
「降りてきやがれっ、サフィ!」
「素直に降りる馬鹿がいるわけないでしょ」
自分の足元まで迫り来るカイを冷めた目で見下ろしながら、サフィが軽く手を振れば、彼女が乗る三つ首のサラマンダーがそれぞれの口からブレスを吐き出す。
火炎の渦と雷撃の束、そして毒液の奔流。
「ちいっ、上から撃ちやがって、面倒くせぇ!」
上空からの攻撃を、縦横無尽に動き回り、ブレスをそこら中にいる敵へと押し付ける。中型以上の大きなモンスターなんかは、いい壁となってくれた。
「――――『雷鳴震電っ!』」
ひとしきりブレスを凌いだ後に反撃として飛んできたのは、シャルロットの放った上級範囲攻撃魔法。バリバリと拡散された雷撃は、サフィールの乗る飛竜の他にも、周囲に飛び回る飛行型モンスターを撃った。
「カイ、私が落とすわ!」
「頼んだぜ、シャル!」
「それじゃあ、シャルから先に死んでもらおうかしら――――行きなさい、ターちゃん」
「させっかよぉ!!」
サフィールが繰り出すエースたる精鋭騎士の屍『タキオン』が真っすぐシャルロットの元へ落ちてゆく。
その行く手をモンスターの背を踏み台にして飛びあがったカイが迎え撃つ。
勢いの乗った一撃だが、元より高性能な屍はしっかりと受ける。
「ちっ、流石に一発じゃ倒せねぇか」
相対する姿に、隙はない。今の自分なら余裕をもって倒せるが、ここはサフィールの懐。敵はタキオン一体だけではない。
制御は甘いが、十分な戦闘力を持つアンデッドモンスターが続々とカイ達の下に集まって来る。シャルロットも自分の周りを防御魔法を駆使して上手く捌いているが、それでも限界はある。
敵の物量に飲み込まれる前に、せめてサフィールだけでも地に落とさなければ。
「無駄よ、今の私にはターちゃんだけじゃないもの」
サフィールが魔導書を撫でると、濃密な魔力を放つ魔法陣が四つ展開される。
そこより出でるのは、タキオンと同格の性能を宿した、四体の屍。
半裸の鎧兜を纏ったスパーダの剣闘士。アダマントリアで捕獲した、フレイムオークの将。ファーレンのドルイド。そして十字教司祭。
サフィールという主の元、人とモンスター、そして進行する神の区別もなく、等しく死を以て仲間となった屍のパーティだ。
「うおっ、アレはちょっとヤバぇ――――」
「ターちゃん、そのままカイを止めてなさい」
「くそっ!?」
シャルロット目掛けて降下する四体。駆け付けようとするカイをタキオンと周囲の屍が共同で足止めを行う。
多少の手傷を食らう覚悟で強引に突破を選んで、背を向けようとしたその時、
「ダァーイ!!」
二筋の剣閃が、剣闘士とオークを退ける。
「いや、もう死んでるから」
冷めた少女の声音と共に、ドルイドと司祭から放たれた攻撃魔法が、白い霧に包まれ消え失せる。
シャルロットの下に、同じくらい小さな二人の少女が降り立った。
「レキ! ウルスラ!」
「手伝ってやるデスよ、隊長!」
「隊長、さっさとあの根暗女と決着をつけるの」