第980話 レーベリア会戦・突破口(1)
「敵左翼に穴が開いたな」
テレパシー通信によって送られてくるリアルタイムの情報によって、俺は現地の光景も確認した上で、そう判断する。
これまでは敵の両翼共に大きく攻勢を仕掛けてきていたが、こちらが塹壕線まで後退が完了し反撃に転じると、目に見えてその圧力は減って行った。最初は怯んで足が止まった程度であったが、時間が経過するにつれて、敵左翼は明確に兵を退き始めた。
一旦こちらの射線から逃れ、体勢を立て直してから再攻撃に移るかと思われたが、敵左翼の軍団が丸ごと動き始めたのだ。
「正面を避けて、東側を攻める迂回戦術かもしれません」
「それなら、動くとしても半分程度だろう」
左翼全軍が動いてしまったら、前線に大穴が開く。そこからこっちが侵攻すれば、そのまま本陣を狙うなり、迂回部隊、あるいは前線部隊を包囲することも出来るようになってしまう。
相手の側面を突くならば、自分もまた脇腹を刺されないよう、最低限の防備は残さなければならない。
あんな左翼全軍が動き出すのは、撤退する以外に適切な理由はないのだ。
セリスとて、それを分かった上での発言だろう。あくまで可能性の一つを提示しているだけ。
突破口が開かれることを承知で、全軍での側面攻撃を敢行するという博打を相手が打ってきた、という可能性はゼロではないのだから。
「敵左翼を構成するのは、確か十字軍の増援部隊だったな」
「ええ、有力な大貴族はおらず、下級貴族の寄せ集めのようです。最初に逃げ出してもおかしくはない連中ですね」
元公爵令嬢のセリスからすると、その辺の機微もよく分かるのだろう。
絶対的な命令権を持つトップがいない、ほぼ同格の下級貴族連合軍となるならば、ちょっと旗色が悪くなればすぐに保身に走って逃げ出すだろうとのこと。
まして所属が十字軍であれば、彼らにはまだ帰る場所があるのだ。ネロが討たれようが、大遠征軍が壊滅しようが、十字軍である自分達に直接的には関係ない。
「大方、迂回戦術をとるフリをしつつ、戦場の趨勢を見て動く腹積もりでしょう」
「ということは、こっちが劣勢にならない限りは、奴らは動かないと」
「つかず離れずの距離を維持し、遠巻きに眺めるだけかと」
つまり敵左翼は丸ごと戦線離脱したと考えてもいいわけだ。無論、こっちも側面を手薄にしたりはしないが。塹壕は全周囲に囲ってあるから、重騎士部隊がちょっと突撃しただけで容易く破れるような箇所はない。
「よし、これでようやくこっちも反撃に移れるな――――右翼より攻勢をかける。第一突撃大隊、出撃用意」
「へへっ、やっと出番が来やがったか。待っていたぜぇ!」
「予定通り、ライラの四脚戦車部隊をつける。それから、ケイのパルティア騎兵部隊も援護に回そう」
敵左翼丸ごと抜けてくれたお陰で、こっちが猛攻をかけて突破口を開く必要がなくなった。安全な道が開けているならば、軽装で速度に優れるパルティア騎兵も一緒に出した方が有効だ。流石に塹壕戦でケンタウロスの巨体は相性が悪いしな。
それから万一、本当に敵左翼が全軍で側面攻撃を仕掛ける気合の入った連中だった場合に備えて、パルティア騎兵の一部を監視につけておきたい。監視の目があれば、いざという時も即座に側面防御につける。
「カイ、ほどなく敵左翼に大穴が開く。敵が慌てて埋めに来るよりも前に、速やかに前線を突破せよ」
「抜けたら、そのまま本陣まで一直線でいいんだよな?」
「勿論だ、俺達もそれに合わせて出る」
「それでは、マスター。『暗黒騎士団』も出撃準備に入ります」
「頼む、サリエル」
右翼側からの侵攻は、第一突撃大隊が主力となる。
だが俺達、暗黒騎士団は堂々と中央突破を狙う。
本陣に向けて攻勢をかける敵部隊は綺麗に右翼と左翼に分かれている。それは当然、現在進行形で黒竜陸戦隊と機甲巨兵部隊がぶつかり合う怪獣大決戦を繰り広げているからだ。
スケールのデカすぎる戦場に、ただの歩兵部隊など配置しても邪魔にしかならない。歩兵だって踏み潰されるアリの気分を自ら味わいたいとは思わないしな。
そういうワケで戦場のど真ん中はデカい奴らの専用リングと化しているのだが――――俺達はあえて、ここを突っ切って敵陣正面から攻勢をかける。
中央突破の主力は俺の『暗黒騎士団』とエメリア将軍の『テンペスト』。機動力と打撃力に優れた、重騎兵軍団だ。帝国軍でも精鋭中の精鋭たるこの両部隊ならば、巨竜と巨人の戦場も突っ切れるはずだ。
「それじゃあ、本陣は任せたぞ、ゼノンガルト」
「御意」
と素直には言うものの、彼の視線はそれなりの不満を訴えてはいた。
まぁ、この状況下になれば本陣の守りなどそれほど重要ではない。こっちが攻め込めば、大遠征軍の攻勢も鈍るだろうし。本陣の防衛はすでに峠を超えたと言ってもいい。そもそも総大将の俺がいないのに、何が本陣なのかという問題も。
だからと言って、本陣を手薄にするのは危険すぎる。最低限でも、『混沌騎士団』が残るくらいはしてくれないと、こっちも安心して攻撃できないからな。
「危険な中央突破はリリィに先を越されてしまったが……俺もすぐに続くぞ」
そう気合を入れたのだが、その決意を直後に翻すことになるとは、流石にこの時の俺には予測も出来なかった……
「しゃあっ、行くぞぉお前らぁ!!」
ウォオオオオオオオオオオオオオオ――――
威勢のいい大隊長カイの大声に応えて、鯨波を轟かせる帝国軍右翼の突撃軍団。愛馬たる二角獣に跨ったカイは、大剣を振り上げ先陣を切って駆け出した。
第一突撃大隊は全員が高ランク冒険者である。馬に乗れない者は一人もいない。必要とあらば、すぐにでも全員が騎兵と化す。
それに随伴するのが獅子獣人の若き才媛ライラ率いる四脚戦車ティガ部隊である。ヴァルナ森海でクロノ救援に向かった際にも同行し、すでに実戦を共にしている。互いに実力は十分に把握しており、連携においても不安はない。
さらに彼らへ追従するのは、故国奪還に燃えるケンタウルスの軍勢。これまでの成り行きでパルティア残党軍のトップに立つこととなってしまった、ケイオンタスが彼らを率いる。
草原のケンタウルスは地上を走る機動力では最高峰。第一突撃大隊と四脚戦車にも、遅れをとることは決してない。メインの装備となる弓も、敵陣に突っ込む突撃大隊の援護をするには相性も良かった。
かくして、意気軒昂に打って出てきた右翼突撃軍団に対し、敵左翼の反応は、
「急げぇー! 魔王軍が出てきたぞ!」
「真っすぐ突っ込んで来やがる!」
「さっさと逃げろ! 俺達が相手をする義理はねぇ!!」
慌ただしく背を向けて、少しでも距離を稼ぐべく一目散に逃走してゆく。
「おのれ、ここまで来ておきながら逃げ出すなどと」
「放っとけよ、あんな奴ら。俺らの本命は、あっちだぜ」
無様に逃げの一手を打つだけの敵軍をケイオンタスは恨めし気に睨みつけるのを、カイが笑って諭す。
自分を含めて突撃バカだが、突っ込む先を間違えたりはしない。
元より士気の低い十字軍の増援部隊になど、構っている暇はないのだ。討つべき敵は、まだまだ沢山残っている。
「ははっ、綺麗に道が開けたな!」
敵の潔い退却のお陰で、右翼突撃軍団を妨げる者はいなくなった。草原に刻まれた、敵軍の進軍跡が土の道と化して、そのまま敵陣へと伸びている。
中央でのデカブツ対決を大きく迂回しているので、まだ多少の距離はあるものの、このまま駆け抜ければあっという間に到達するだろう。
敵陣では急に左翼が抜けたことで、慌てて新たな防衛線を構築しようと動き出している気配を感じるが、大人しく隊列が整うまで待ってやる道理はカイ達にはない。
「よっしゃあ、このまま一気に行くぜぇ!!」
敵陣に一番槍だ、と気炎を上げたその時であった。
「ちいっ、矢が来るぞっ!」
鋭い直感によって、矢の雨が降って来る寸前にカイは叫びを上げた。警告としては、それで十分。精鋭たる突撃大隊員は各々、回避行動か防御に入った。
直後に飛来する、大量の矢。大半は通常の弓矢だが、ちらほらと火や氷の攻撃魔法も入り混じっており、中にはただの石礫もあった。
統一された装備の部隊による一斉攻撃ではない。射手は多いが、他の魔術師やら何やらも入り混じった、妙な混成部隊だ――――と矢の雨を凌ぎながらカイは怪訝に思った。
敵左翼の逃亡に合わせて出てきたにしては、動きがやけに早い。このタイミングで動いてくるなら、大遠征軍の正規部隊よりも、独立して動ける傭兵団か、と考えたが、自らそれは違うと答えを見つける。
今、攻撃を仕掛けてきた連中は、大遠征軍でも傭兵団でもない。漂ってくるその魔力の気配は、よく知っていると肌で実感したからだ。
「ここで出てくるか、サフィ」
「相変わらずの突撃バカね、カイ」
まだ大きく距離は開いているが、互いを認識したタイミングは同じであった。
「……サフィが来たのね」
「ああ」
並走するカイに囁きかけるのは、この決戦のために第一突撃大隊へと移籍してきたスパーダ第三王女、いいや、『ウイングロード』のメンバーと言うべき、シャルロットである。
彼女もカイと同様に、馴染み深いパーティメンバーの魔力の気配を即座に察知していた。
袂を別ったのは、サフィールもまた同様。この期に及んで、説得などする気は毛頭ない……それでも、彼女の名を呟くシャルロットの声音には、僅かな悲哀が宿っていた。
「気をつけろ、今まで感じたことがねぇほど強烈な魔力だ。こりゃあサフィの奴も、聖痕とやらで強化しているかもしれねぇな」
「そうみたいね。あんな数の屍軍団、見たことないもの」
彼我の距離は縮まり、行く手を阻む敵の姿が見えてきた。
遮蔽物のない草原で、忽然と姿を現したように見えるのは、それらが一人の術者によって今この場で召喚された使い魔だからだ。
スパーダ四大貴族ハイドラ家の天才的な屍霊術師、サフィール・マーヤ・ハイドラ。
寒気が走るような冷たい魔力の気配を吹雪のように迸らせ、凄まじい数の軍団がカイ達の前に立ち塞がっていた。
「あ、あれはまさか……我らが同胞達、なのか……」
まず目につくのは、弓を手に整然と行進するケンタウルスの大軍。その中に見知った顔もあれば、各部族で名のある戦士の姿を見て、ケイオンタスは戦慄する。
「アイツ、ついに人まで屍霊術にかけやがったか」
苦々しくカイは呟いた。
当然のことながら、屍霊術師が人の死体を下僕化するのは、どこの国でも禁止とされている。外道のイメージが強い屍霊術師ではあるが、実際、その術を収めていれば手軽に死体を操れる以上、道を踏み外しやすいのも確かだ。
モンスターだろうが人だろうが、死ねば等しく屍となる。そこに人としての知性も自我もない。単なる血の通わぬ肉体が残るだけ。屍霊術で操るにあたっては、人と魔物には一切の区別などないのだ。
そこで自ら区別できるかどうかが、屍霊術師の善悪が問われる。
少なくともサフィールは冒険者としても貴族としても、後ろ暗いことは一切なく、使役するのはモンスターのみと適切に屍霊術を使いこなしていたが――――最早、今の彼女に常識的な倫理観など通用しないのだろう。
あるいは、十字教の教えに則れば、魔族は人ではないので何ら悪にもならないと言うべきか。
どちらにせよ、サフィールがパルティア侵攻で犠牲になった多数のパルティア戦士を、下僕として利用しているのは一見して明らかであった。
「それだけじゃないわ。あの数は、もう手あたり次第に下僕化しているみたい」
距離が縮まるにつれて、サフィールの屍軍団の全容も明らかとなって来る。
恐らくは、これまで大遠征軍が倒してきた敵兵であろう、ゴブリンやオーク、様々な種類の獣人が、生前の兵装そのままに立ち並んでいる。ローブ姿のエルフやダークエルフは、そのまま魔術師としての力を発揮するだろう。
屍の歩兵と並び立つのは、本来使役していたモンスターも同様である。とにかく数を揃えやすいスケルトンやゾンビ、狼型のウィンドル、地竜型のラプター、といった低ランクの群れるタイプのモンスターも相応の数が揃っており、中にはゴブリンやスケルトンを乗せて騎兵化しているのも見えた。
さらに軍団の数を増すのに貢献しているのが、『バグズブリゲード』の構成モンスターである。付近に巣でもあったのか、ポーンアントとナイトマンティスの群れも軍団の一角を成している。
しかし主力を担うのは、より強くより大きな中型以上のモンスターであろう。
鼻息荒く突き進むマンモスのようなモンスター、ドルトスはその背にゴブリンの射手を満載し、さながら西方の大国にあるという象兵の如き武装。
ルークスパイダーも同じように、歩兵を乗せてその名の通り動く砦と化していた。
気性の荒い中型地竜グリムゴアや、石化の魔眼を持つコカトリス、猛毒を発するバジリスクなどなど、単体で危険な力を誇るモンスターも揃っている。
多様な国と種族を抱える魔王軍よりも、雑多な人とモンスターの混成軍団を率いる術者の姿は、空にあった。
ハーピィとビショップビー、種々の鳥型モンスターを引きつれ、自ら跨るのは三つ首キメラと化した火竜。
それぞれ火と雷と毒を吐く首を継ぎ接ぎされた異形のキメラドラゴンの上に堂々と立ちながら、サフィールはついに戦場にて見えたかつての戦友を見下ろした。
「久しぶりね、カイ、シャル」
街中でばったり再会でも果たしたかのように、気軽に声をかけてきたサフィールを前に、カイは進軍停止を命じて止まった。
この軍団を相手に勢いだけで突っ込むのは危険と判断。対抗できるよう隊列変更を副官エリウッドに指示を出しながら、カイは頭上に立つサフィールを見上げた。
「私はネロのように甘くはないから、今更、見逃してやる気はないわよ?」
「その言葉、そっくり返すぜ、サフィ」
スパーダを裏切り、ネロについた。それがサフィールの選択であると、とうにカイは理解している。
だから問わない。立ち塞がるならば、この剣でもって応えるのみ。
「サフィ、どうして……」
けれど、シャルロットは問うた。
問わずにはいられない。それで彼女の決意が翻ることはないと分かっていても。
「はぁ……シャル、人の気も知らないで。貴女は自分の気持ちばかりね」
これ見よがしに溜息を吐きながら、サフィールは怜悧な紫紺の瞳に嘲りの色を映して見下ろした。かつて友と呼んだ少女を。けれど、一度たりとも心を許したことなどない、忌まわしい女を。
「そういうところ、大嫌いだったわ」