第978話 レーベリア会戦・空中戦(1)
「――――始まったわね」
地上で黒竜陸戦隊とグリゴール部隊との戦いが始まった様子を、リリィは旗艦『エルドラド』から眺めていた。
遥か上空に浮かぶ天空戦艦からは、下の戦況はよく見える。南北に陣取って向かい合う両軍の動きを、妖精通信によってリアルタイムでクロノの座す本陣へと届けている。
「けれど、あまりゆっくり観戦している暇はなさそうね」
地上戦はクロノの指揮に任せ、自分はこのレーベリアの空を制するために、雲海に浮かぶ十字軍飛行船団を睨む。
「リリィよ、この妾を主様から離して来たのだ。分かっておるだろうな?」
「ええ、勿論。杞憂で済んだなら、すぐにでもクロノの元に戻ってちょうだい」
幼い姿の妖精女王の隣には、これもまた小さな童女の姿をした黒竜が立つ。
実に愛らしい二人組はしかし、エルロード帝国において最強の機動兵器も同然の存在。二枚の切り札が、エルドラドに集まっているのだ。
決して嫌がらせなどでベルクローゼンを呼んだのではない。リリィとしても、因縁の相手となったネロが総大将ということもあって、クロノが無茶をしそうな可能性が高いため、魔王騎ベルクローゼンは傍に着けておきたかった。
それでも彼女を自分の隣に立つよう頼んだのは、大遠征軍の航空戦力に一つの懸念があったからだ。
「――――早速出てきたわね、『ドラゴンハート』」
アヴァロンが誇る最強の竜騎士団『ドラゴンハート』。その勇名はスパーダにも轟いているのだが、天空戦艦を保有し、さらには本物の黒竜の軍団を支配下においた今のエルロード帝国軍の相手になるとは、誰も思いはしなかった。
当然であろう、幾ら強いといえども、ただの飛竜に乗った竜騎士の戦力は知れている。普通の竜騎士団で対抗できるならば、ベルドリアは帝国に負けてはいない。
精強かつ強大なベルドリアの竜騎士団さえも完封して見せた帝国軍が、今更、竜騎士団一つに何を恐れるのか――――口にこそ出さないが、リリィの采配を疑問視する者も少なくなかった。
それをテレパシーで全て読んだ上で、リリィは何も咎めたりはしなかった。これで、ただの自分の心配し過ぎであった、というなら甘んじて臆病者の誹りを受けても構いはしない。
「クリスティーナ」
「はい、女王陛下、ここに」
リリィが呼べば、栄光の『帝国竜騎士団』を勝手に名乗る団長クリスティーナ・ダムド・スパイラルホーンは、自慢の金髪巨大縦ロールを揺らし、優雅に応える。
「アレがドラゴンハートの団長で、間違いない?」
ブリッジのメインモニターに、いまだ遥か遠くの空を飛ぶ竜騎士の影を、拡大させた映像が表示される。
白い飛竜に乗った純白の竜騎士。真っ白い髪と肌は、サリエルのようなホムンクルスを思わせる無機質さを漂わせていた。
「はい、あの白竜に跨った男こそ、ドラゴンハートを率いるアヴァロン最強の竜騎士、ローラン・エクスキアに相違ありませんわ」
クリスティーナは元ドラゴンハート副団長。団長たるローランのことは、よくよく見知っている……とはいえ、徹底してプライベートというものを持たない、実直を超えたローランの働きぶりから、彼の素顔らしき面は一度も目にしたことはなかった。
そしてそれはクリスティーナだけでなく、恐らく他の団員の誰もが同様であろう。
この天空戦艦エルドラドに黒竜まで抱えた帝国軍航空部隊を前にしても、その石膏像のような白く整った容貌には、いささかの躊躇は見えなかった。
「ローランに続く者達も、彼が直卒する最精鋭の面々。あの数からしても、ドラゴンハートは全騎出撃しているようですわね」
「ふぅむ、出し惜しみはナシと言うことかの」
クリスティーナの説明に、ベルクローゼンと揃ってリリィは頷いた。
「他の竜騎士や天馬騎士は、飛行船団の護衛についているようね」
「まるで、自分達だけで妾達の相手は十分とでも言いたげじゃなぁ」
「ローランは己の手柄には固執しない、冷静に戦況を見極めて動ける男でしたわ。自信過剰で無謀な攻めを行うとは、思えないのですけれど――――」
「やっぱり、あの男にはあるのよ。天空戦艦と黒竜を同時に相手をしても、勝てるだけの算段がね」
嫌な予感が的中した、と言いたげに重苦しい溜息をリリィが吐き出したと同時に、ブリッジに警報が響く。
「高エーテル反応を感知」
「波形パターンは白色魔力です」
「エーテル反応、急速に増大中」
訓練されたホムンクルスのクルーが次々と報告の声を上げるのを、すでに自前の第六感で嫌というほど察していたリリィは、忌々し気にモニターの向こうで眩い輝きを放ち始めた白き竜騎士の姿を見た。
ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――――
青い空を真白に焼き尽くすかのような閃光が迸ると共に、ドラゴンの咆哮が高らかに響き渡る。
それは地上で吠える黒地竜とは異なる。けれど同等以上の威圧を秘めた声。
「ま、まさか、彼奴らは――――」
白竜。
ただ白い体色をした飛竜を指す言葉ではない。
黒竜に対する白竜。モンスターの頂点に君臨する、ドラゴンに相応しい巨躯と威容を誇る姿が、モニターには映し出されている。
大空に羽ばたく巨大な両翼。純白に輝く鱗は真珠の如き色合いでありながらも、頑強極まる重装甲だと思わせる存在感を放つ。
前脚の先に備えた鋭い爪は、さながら魔を断つ光の剣。長大な尻尾は邪悪を防ぐ城壁か、あるいは無慈悲に叩き潰す正義の鉄槌といったところか。
両翼と四肢を備えた、ベルクローゼンと同じ古龍型の骨格を持つ巨大な白竜へと、ローランの愛騎はその姿を変えていた。
「戦竜機『エーデルヴァイス』シリーズ……まだ生きておったのか、あの裏切者めがぁっ!!」
白竜の姿を目にした瞬間、ベルクローゼンが隠すこともない殺気を放ちながら叫んだ。
今にもブリッジで黒竜化しそうなほどの激昂ぶりに、間近でテレパシーを受けるリリィは耳をふさぎたくなるほどだった。
「どうやら、アレの正体に心当たりがありそうね?」
「うむ……彼奴らは妾達と同じ、戦竜機の一種。だが配備された戦線から戦わずして姿を消したせいで、帝国滅亡の一因となった、許されざる裏切り者よ」
「なるほど、体よく隠れ十字教徒に持ち逃げされたってこと」
あるいは、最初からそうなるよう仕込まれていたか。
龍災によってパンドラが滅ぶかどうかの瀬戸際であったとしても、当時から根強く隠れ潜んでいたであろう十字教徒が、これ幸いと暗躍をしてもおかしくはない時代背景だ。
黒竜と同等の古代兵器を、隠れ十字教徒であったアヴァロン貴族が持ち続けていたということは、後の聖戦に備えていたことは明らかだろう。
「けど、これでネロがピースフルハートを失っても余裕だったワケが分かったわね」
使徒でも無策で天空戦艦に頭上を取られるのは厳しいだろう。唯一対抗可能なのは、同等の古代兵器である天空母艦ピースフルハートのみ。
ミサの敗北によってソレも失われた以上、ネロは魔王軍と決戦するにあたって、必ず天空戦艦対策の航空兵器を求めるはず――――だったが、方々から集まってきた勢力をそのまま取り込むだけで、これといって目立った航空兵力の再編成は見られなかった。
てっきり、十字軍の新兵器たる飛行船団をアテにしていただけかとも思ったが、どうしようもなくリリィは嫌な予感を拭い切れなかった。
もしかすればネロは、本当に天空戦艦と黒竜の混成部隊を真っ向から相手にできるだけの航空戦力を持っているのではないかと。隠れ十字教徒の騎士が、聖痕という万能強化の加護を使うように、竜騎士を飛躍的に強化させる能力でも隠しているのではないかと予想はしていたが……
「ベル、ヴィンセントと共に黒竜空戦隊、全機出撃よ」
「無論じゃ、あの裏切者共には、今日ここで報いを受けさせてくれよう」
ローランの白竜を先頭に、後続には同様の古龍型が四機、そして飛竜型も二十機が続いている。奇しくも、あるいは必然か、ラグナ大隊の保有する戦力と同等規模であった。
相手も黒竜に匹敵する古代の生物兵器であるならば、こちらも最早、余裕はない。装甲強化を果たしたエルドラドであっても、本物の古代兵器たる白竜ならば、十分に撃沈させられるだけの火力も持つだろう。
「ごめんなさい、クロノ。空の上は敵白竜部隊との交戦に集中するわ。地上への支援は出来ない」
「――――了解した。こっちは任せろ。空を頼むぞ、リリィ」
全幅の信頼を寄せたクロノの解答に、リリィは幼子らしい微笑みを浮かべてから、子供の姿を捨てることにした。
「私も出るわ。奴らの隠し玉は、きっと白竜だけじゃないでしょうから」
十字軍飛行船団を率いる旗艦『セントパウラ』のブリッジに、派遣部隊の司令官たるリュクロムは座す。
本来ならば軍を動かす指揮官は一つの司令部に集まるものだが、魔王軍がクロノとリリィで分かれたのと同様に、大遠征軍もまた地上にネロ、上空にリュクロム、という空陸での分散配置となっていた。
もっとも魔王軍はテレパシー通信によって空陸との連携は密であるのに対し、大遠征軍は一応の連絡はつくという程度に留まっている。ネロは大遠征軍の指揮権を持つが、応援に来た十字軍に対しては命令権は持たない。
グリゴールに飛行船、大量のブラスターという大遠征軍の中核を担う戦力を持ちながらも、ソレに対して直接的な命令権を持たないのであれば、全体的な指揮に乱れが出るのは当然のこと。真っ当な指揮官ならば、どんな媚を売ってでも迅速な協力体制がとれるよう根回しなりするものだが……そもそもネロ本人に、軍を指揮する気はないことが、リュクロムの頭を悩ませていた。
「私も多くの戦場で、無能な指揮官という者を何人も見てきたが、あの男は間違いなく最悪だ。最高指揮官が利敵行為を働くなど、俄かに信じがたい」
そんな愚痴を、思わず副官に零してしまうほどには、開幕早々に悪い報告が相次いだ。
最愛の妹であるらしいネル王女を使者として派遣したのは、明らかに魔王軍の策略である。使徒という最強の戦略兵器を封じるための一手であると、リュクロムは白馬に乗って単身やって来たネルの姿を見た瞬間に悟った。
何を言われても決して乗るな、と助言を送ったものの、時すでに遅し。
ネロは喜んで魔王との決闘を承諾し、妹を連れて司令部へと帰ってきた。
ありえない。魔王と決闘があるから、それまでは戦場に出ないなど。まして、魔王の婚約者という明確に敵対立場にいる女を、当たり前のように最高指揮官たる自分の横に立たせるなど。
テレパシー通信の脅威はとうに知られているというのに、妖精ほどではないがテレパシー能力を持つネルが、司令部のど真ん中にいるのだ。リアルタイムでこちらの情報が敵方に筒抜けになるかもしれない、という最悪のリスクを抱えることを、信じられないことにあの男は認識してすらいないらしい。
今からでも遅くないから、敵軍の使者であるネルは司令部から隔離して抑留すべき、と送っても「俺のやり方にケチつける気か? テメェから沈められてぇか」とチンピラ並みの威嚇しか返ってこないのだから、もう始末に負えない。
「大司教、ここは大遠征軍を見捨てるという選択も考えねばならぬのでは」
「残念ながら、そういうワケにはいかない。最悪の無能とはいえ、使徒となった王の元に、これほどの大軍が集っているのだ。ここで魔王軍に少しでも打撃を与えなければ、我らとて危うい」
地上で始まったグリゴール部隊と黒竜陸戦隊とのド派手な大乱戦を見るだけで、容易に退ける戦場ではないと思い知る。
あの巨大な黒竜の群れが、今度は自分達十字軍に差し向けられることを思うだけでも、出来る限り大遠征軍を利用して削らなければならないという危機感に襲われる。魔王の元に集った戦力は、これ以上放置するには、あまりにも危険なものばかりとなっている。
「それにネロが抱えている、古代兵器も本物だ。見よ、白竜が出るぞ」
幸い、事前の作戦通りネロは自慢の『ドラゴンハート』を初手で繰り出した。
天空戦艦含む魔王軍航空部隊への対処、その主力こそがドラゴンハートである。よって、自分たちの飛行船団はあくまで地上への援護がメイン。むしろアイツラの邪魔をするな、とでも言いたげなほどの様子であった。
それがただの自信過剰ではないことを、ドラゴンハートの正体を知るリュクロムは理解している。
「ああ、本当に惜しい。あの白竜部隊が、我らの麾下にあれば……」
先陣を切って空を行くドラゴンハートは、いよいよ天空戦艦の射程に入る寸前といったタイミングで、真の姿を解き放つ。
現れたのは純白の巨躯を誇るドラゴン。
パンドラ最強と謳われる、恐ろしき黒竜の軍団と真っ向から対峙しても見劣りしない、正しく同格の古代兵器である。
戦竜機、と名づけられる古代の生物兵器。これが互いに相争えば、まだまだ発展途上の航空兵器でしかない飛行船や、従来通りの天馬騎士と竜騎士では、間に割って入ることなど出来はしない。
白竜部隊の襲来を前に、魔王軍の天空戦艦より迎撃の黒竜部隊が即座に飛んできた。
両者は雲海の上で、しばしの睨み合い。古代からの因縁でもあるのか、何か話しているような雰囲気も感じられた。
だが、白き神のために作られた聖なる白竜が、邪悪の化身たる黒竜に組することなどありはしない。
グォオァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!
これ以上ないほど怒り狂った咆哮を轟かせ、ついにドラゴン同士の戦いが始まった。
「凄まじいな……これが古代の戦争か」
明滅する赤と青のブレス。交錯する白黒の巨躯。
地上での戦いも相当な規模だが、こちらは想像を絶する空中戦である。あのゴルドランの丘で、第七使徒サリエルが竜王ガーヴィナルと一騎打ちしたのを、人の立ち入る領域ではないと思ったものだが――――今、目の前に繰り広げられるドラゴン同士の頂上決戦は、正に神々の戦いに等しい。
「なればこそ、我々は我々の戦をしなければ。飛行船団、降下を開始せよ。これより、地上部隊を援護する」
「了解!」
飛行船団は雲の上に、さながら海に浮かぶ船のように待機させていた。
これは雲に濃密な風属性魔力が含まれ、風精霊の動きも活発化するので、雲の上に浮かぶような配置が最も飛行船の速度を出せる場となる。
魔王軍の出方次第で、そのまま空中戦を始めるか地上支援をするか、と行動を決めることになるので、最初は最も動ける雲の上に陣取っていたのだ。
そして今、地上では激しい戦いが巻き起こり、空の上では白竜がドラゴン同士の激戦を始めた。おおよそ戦局の方向性が定まったところで、飛行船団は行動を開始する。
ドラゴンの空中戦に介入できないのであれば、地上戦を支援して、こちらを速やかに制圧することが最も勝利への近道となる、と判断したリュクロムはそう命を下したのであった。
「天空戦艦の動きは?」
「巡航速度を維持。中央の空戦領域を避けるよう、迂回し始めた模様」
当然だ、如何に天空戦艦とはいえ、ドラゴンがぶつかり合う激戦地に突入するなど絶対に御免であろう。
なにせ飛んでくるのは矢や弾丸ではなく、ドラゴンブレスである。そうでなくても、白竜に優先的に狙われれば、撃墜の危険性も高い。
虎の子の空中兵器だ。これを失うリスクは絶対に避けるはず――――
「敵艦、回頭! 速度急上昇……真っすぐこちらへ向かってきます!?」
「馬鹿な……」
降下を開始し始めたところで、急遽、天空戦艦の動きが変わった。
ドラゴンの戦いを避けるように動いていたはずが、そこを堂々と横断するかのような針路へと変更。速度を加速させ、そのまま突っ込んでくる構えを見せた。
「ブラフか……いいや、この距離にこの速度、本気で中央突破するつもりか!」
こちらの動きを阻害させるためのハッタリ突撃かとも思ったが、どうやっても後には引けない距離と速さが出ている。
これで白竜が天空戦艦を撃沈させれば、労せず敵の戦略兵器を沈めて大戦果が得られる。
だがしかし、十分な戦闘能力を残したまま激戦地を突破されれば、降下を始めた自分達の真上に陣取られることとなる。
飛行船の方が圧倒的に数が多いとはいえ、とても本物の古代兵器を相手に対等な戦いができるとは思っていない。天空戦艦に接近されるのは危険だ。
「降下中止、全艦、雲へ浮上せよ。天空戦艦の襲来に備える」
無防備な頭の上につかれることだけは避けねばならない。相対するならば、せめて最大の機動力を得られる雲海でなければ。
真っ向勝負を避けて、逃げるように動き回って時間稼ぎと敵の消耗に徹する――――この状況下では、それが最善だとリュクロムは即断し、降下命令を撤回した。
「ここで正面突破を選ぶとは、敵指揮官はとんでもない博打を打つものだ……」
あまりにも思い切った敵の動きに、やはり容易な相手ではないとリュクロムは重苦しい溜息を吐き出すのだった。