第975話 レーベリア会戦・地上戦(1)
「こ、黒竜だ……」
草原のど真ん中に立ち並ぶ黒き地竜の群れは、突如として目の前に要塞が現れたような威圧感を発している。
ざっと見るだけで黒竜の数は二十。悪夢の如き光景にエリートたる重騎士でも、戦々恐々とした声を漏らしてしまう。
「恐れるな、デカブツはこっちにもある――――前進停止!」
隊長の号令に重騎士団が停止すると同時に、最前列を務める彼らの背後で濃密な白色魔力が爆ぜるような気配を発する。
青白い輝きと共に現れるのは、黒竜に勝るとも劣らない体躯を誇る巨大ゴーレム。十字軍の新兵器、機甲巨兵『グリゴール』であった。
「よし、中央は『グリゴール』部隊に任せる。我々は予定通り、右翼と左翼にそれぞれ合流する」
魔王軍が黒竜を出そうが出すまいが、あらかじめ正面はグリゴール部隊に任されていた。重騎士団を最前列に並べていたのは、出来る限り近い位置で召喚するための護衛に過ぎない。
本命であるグリゴール部隊の展開が完了すれば、もうこの場で自分達の役目はない。騎兵に次ぐ戦場の花形ともなる重騎士だが、彼らも黒竜と巨人のぶつかり合いに巻き込まれるのは御免であった。
最前列を務める重騎士団は速やかに左右へ分かれるように移動を開始し――――その最中に、眩いほどの砲火が交わされた。
「ブレスっ、来るぞぉっ!!」
立ち並ぶ黒竜の口腔より放たれる、恐ろしきドラゴンブレス。初弾はグリゴールに集中したが、一撃では倒せないと見るや、何体かは右翼と左翼の歩兵部隊に狙いを定めていた。
少々の砲撃ならば魔術師部隊の防御魔法だけで凌げるが、黒竜のブレスとなれば幾ら何でも厳しい。
直撃を許せば、従来通りの密集陣形を基本としている歩兵部隊はまとめて蒸発させられる……だが、そうはならない。
「白き神よ、どうか聖戦にその身を捧げる兵達に光のご加護を――――『聖堂結界』」
聖なる神の守りが、ドラゴンブレスを防ぐ。
本陣に陣取るリィンフェエルトを中心として、各部隊に配置された司祭と儀式祭壇によって、全軍を守るほどの大規模な『聖堂結界』の広域展開を可能としている。
本来は天空戦艦シャングリラによる砲撃を防ぐための手段であるが、黒竜の群れにブレスを撃ちかけられるならば、その脅威に大差はない。
「ったく、いきなり働かせるんじゃないわよ……」
初っ端から出番が来たことに、内心でそう悪態をつきながらもリィンフェエルトは大遠征軍を守るべく、その力を行使し、見事に役目を全うしていた。
「よくやった、リン」
「アンタも働きなさいよ、ネロ!」
「悪いな、今は配下の戦いを見守るのが仕事なんだ」
割と本気で言ったものの、意地の悪い笑みを浮かべてふんぞり返っているネロは、どうやら本当に動くつもりはないようだ。
いきなり黒竜の群れを繰り出してきた魔王軍を前に、リィンフェエルトの内心はとても穏やかではない。さっさとネロが本気を出して、目ぼしい敵を始末し勝利を確実なものにして欲しいところなのだが、
「ちっ、目障りな小姑じゃないの……」
間違いなくネロを動く気分にさせない原因は、すぐ傍で澄まし顔で立っている実の妹、ネルのせいであるとリィンフェルトは気づいている。
クロノとの決闘を持ち掛けられたせいで、ネロは本人が目の前に現れるか、こちらが敵本陣を陥落させるか、という状況にでもならない限り、自ら戦いに出る気がない。
下らない男のプライド。けれど人質同然にネルを連れてきた以上、それを守るしかない。ネロからすれば、安全確実に妹を取り戻せたし、大遠征軍としても魔王の婚約者でありアヴァロン第一王女の身柄を確保したことは大いに意味がある。決闘の約束一つを取り付けるためだけに、むざむざ重要人物を敵に引き渡した魔王の失策だと、司令部に詰める幹部連中はしたり顔で言っていたが……クロノが出てくるまでネロを戦う気にさせない上に、すぐ傍にネルという監視役がつく、というのは大遠征軍にとっては大きな枷となることに、気づいているのは恐らく自分だけだろう、とリィンフェルトは思っていた。
妹の前でカッコつけて、油断と慢心を全開にしてんじゃない。もし魔王軍が黒竜の群れを超えるトンデモ戦力を投入してきたらどうする。戦況が覆せなくなってからじゃあ、手遅れなんだよ――――思いながらも、それをそのまま言ったところで、ネロが素直に聞くワケもないだろうというのは、リィンフェルトも短いようで長い付き合いとなったことで理解している。
それとなく早く動くよう言ってみても、案の定、聞き入れるつもりは毛頭ない模様。
こうなってしまっては致し方ない。せめて自分の力で、大遠征軍が致命的なまでに傾かないよう、頑張って兵士の命を守ってやるより他はない。
そうヤケクソ気味な覚悟を決めて、リィンフェルトは『聖堂結界』を張り続けた。
「おお、これが聖女様のご加護!」
「凄い、黒竜のブレスを完全に防いでいる」
「聖女様万歳!」
リィンフェエルトの本心など知らぬ兵士達は、その聖なる結界の絶大な守りの力に興奮している。
広域結界によって大遠征軍には目立った被害は及んでいないが、それは敵である魔王軍も同様であった。
数に勝るグリゴールは、搭載された主砲たるエーテル大砲を魔王軍の陣地に向けても撃ち込んでいる。当然のことながら、少々の砲撃に晒されても巨大な黒竜は揺るぎもしないが、四十もの砲口全てからその身を盾にして自陣を守れるワケではない。
そうして聖堂結界でもなければ容易には防げない、何発ものエーテルの砲弾が魔王軍の歩兵部隊にも襲い掛かるが、
「――――『紅蓮城郭』」
真紅の光が、黒竜の背後で瞬く。
それは薄紅に輝く半透明の巨大な防壁と化すと同時に、瞬時に火が付いたように轟々と火炎を纏った。
グリゴールの射線を遮るほど高く、長く、そして広く展開された強大な炎の防御魔法。だが、どうやらそれはただの火属性防御魔法ではなく、味方側からの魔法はそのまま通す一方的な透過性を有しているようだ。
エーテル砲弾をかき消す炎の壁の向こうからは、砲撃を受ける黒竜に向けて数々の治癒魔法が飛んでいることが確認された。
「やはり、いい魔法ですねコレは」
リィンフェエルトと同様に、砲撃を防ぐ広域結界を展開させたフィオナは、満開にさせた『ワルプルギス』を片手にそう呟いた。
『アンチクロス』第一位の特務大佐として、フィオナはクロノの座す本陣で共に待機していたが、グリゴールの砲撃を見るや即座に用意しておいた儀式用魔法陣の上に立ち、防御魔法を発動させた。
この『紅蓮城郭』という防御魔法は、ダマスク攻略の際に相手をしたローゲンタリアの敵将、ベラドンナ・メラルージュ公爵が王城に施したものだ。
シャングリラ対策のための強固かつ広域の効果範囲に加えて、こちら側からの対空砲火を通すための透過性も有している。何より火属性というのが、フィオナにとっては相性が抜群だ。
王城を蒸発させた炎龍フィオナは勿論、ベラドンナから『紅蓮城郭』の教えを聞いたワケではない。ただ一方的に火力で消滅させた結果ではあったが……炎龍と一体化して、全ての感覚が同調、拡大していたフィオナは、意図せずとも王城に施された『紅蓮城郭』の術式を正確に記憶した。
そしてその非常に完成度の高い、天才的と言ってもいい炎の防御魔法を、フィオナは己のモノとすることにしたのだ。
魔法は研鑽あるのみ、とは彼女がベラドンナ本人に語った通り。いい魔法は取り入れる、その貪欲な姿勢と、素晴らしい完成度の術式に敬意を払って、彼女の名をつけた『紅蓮城郭』をフィオナは習得した。
「クロノさん、どうします? 私がゴーレム撃ちに行きましょうか?」
単独で全軍を守るほどの防御魔法を行使しながらも、相変わらずの涼しい顔でクロノに攻撃参加をフィオナは問う。
「機甲巨兵『グリゴール』というらしい。タウルスと違って、本物の古代兵器ではなく、完全に自前で作った機体だ」
遥か上空にいるリリィから、妖精のテレパシーによって前線の敵兵から読み取ったことで得た情報が、クロノに報告されている。
最強の地上戦力たる黒竜陸戦隊に対抗しうる存在を、現行の魔法技術のみで成し遂げた十字軍の技術力にはクロノも舌打ちしたくなるほどだ。
「それは凄いですね。先に戦闘用巨大ゴーレムを実戦投入されてしまうとは」
「『白の秘蹟』……奴らの脅威は、いつまでも付き纏うものだな」
重苦しい溜息を吐きながら、クロノはどうすべきか考える。
全力を上げて早々にグリゴール部隊を叩き潰すべきか。だがあのビームまで撃つ巨躯を相手に乱戦となれば、どこまで被害が出るか分からない。
判断を下しかねている最中に、リリィよりさらに情報が届いたことで、方針は決まった。
「黒竜陸戦隊はそのままグリゴール部隊の相手を。歩兵部隊は戦線を下げる」
「いいんですか?」
消極的な指示に、フィオナが問えばクロノは大きく頷く。
「敵の両翼が中央の怪獣決戦を避けながら、こっちに進んできている」
「あちらから向かって来るなら、この場で迎撃した方が良いのでは?」
退けばその分だけ隙を晒すこととなる。だが今ここに陣取っている場所で迎撃態勢を取れば、最も無駄なく迎え撃てるだろう。
「奴らも銃を持っている」
リリィの報告には、ただ敵の両翼が進軍を始めた、ということに加えて、その先鋒となる部隊が全員、銃らしき装備を抱えていることが含まれていた。
「槍と弓の従来編成の敵が相手ならいいが、向こうも銃を撃てるなら話は別だ。銃撃戦で有利を取るために戦線を下げる。殿は『巨獣戦団』に任せる」
エルドラドから送られる情報通信を元に、卓上にはホログラムの戦況が表示されており、クロノの指示する後退地点が追加される。
それらを元に、本陣から前線へと速やかに妖精のテレパシー通信を用いて伝達されてゆく。
そしてレーベリアの戦場を描くホログラムは、地上だけではなく空中の状況も教えてくれる。
白い飛竜を象った敵竜騎士団を示すユニットが動き出すのを、クロノは鋭い目で睨む。
「空中戦も奴らの方から仕掛けてきたな。あまり空中支援は期待できそうもないか……」
やはり空の戦いはリリィに任せ、こちらは地上部隊だけで戦局を打開する必要がありそうだ――――クロノはそう心得て、進軍する敵主力歩兵部隊を迎え撃つための策を通達させる。
かくして魔王軍、大遠征軍、共に指令が下り戦況が大きく動き出し始めた。
轟く黒竜の咆哮と爆音。眩いほどに閃く閃光が交差する度に、巨大な黒煙が濛々と吹き上がって行く。
「まるで世界の終わりだな、こりゃあ」
そんな破滅的な光景を遠巻きに眺めながら、とある歩兵大隊を任されているハロルドは、どこか他人事のようにそう呟いた。
ただ自由学園という洗脳地獄に送られたくない一心で媚を売った結果、あれよあれよと大隊長になったのは奇跡的な抜擢であったが、伝説の黒竜が群れを成して大暴れするような戦場に放り出されては、叩き上げのベテラン騎士のハロルドとしても堪ったものではない。こんな戦いにはついていけそうもない、頼むからあそこへの突撃命令だけは出ないでくれ、とひたすら保身を祈っていた。
「おいハロルド、魔王様から命令が出たぜ」
肩に留まった伝令役の妖精が、無遠慮に兜の面頬をベシベシと叩いて教えてくれる。
「魔王様はなんて仰せで?」
「テメーで聞きな」
葉っぱを口にくわえ、錆びたナイフのような目つきで妙にやさぐれた風貌の妖精だが、その身に宿すテレパシー能力に陰りはない。輝く羽をヒラヒラ動かすと、ハロルドの脳内に直接テレパシー通信が届く。
「――――後退命令? まぁ、こっちとしちゃありがたいが」
指定のラインまで後退せよ、とのお達しに首をかしげる。てっきり、この場で敵を迎え撃て、という当たり前の命令が良いとこだと思っていた。
まだ主力歩兵が一度も刃を交えてもいない頃から前線を下げるなど、随分と臆病な判断、と思いかけるが、
「こんなところまで下がって、大丈夫なんでしょうか。本陣の目と鼻の先ですよ」
副官が簡易マップに指示の合った地点を示してくれると、確かにその通りの配置になる。
通常、一軍を率いる将軍閣下にお偉い幹部連中が詰める本陣は、前線から相応の距離を置いた後方に設置されるものだ。たとえ前線が破られても、自分たちは逃げられるように。
本陣の間近まで前線が迫るというのは、よっぽど後がない戦いくらいだ。まだ本格的な地上戦が始まってもいないのに、総大将の近くでドンパチやるのを許すはずもないのだが、
「あの魔王様だ、いざって時は自分で何とかするくらいの気でいるんだろ」
ダマスク攻略戦の際、王城を灰燼に帰した炎龍のインパクトに忘れがちになるが、当たり前のように敵天馬騎士団の迎撃に魔王が単騎で出て行ったのも、かなりイカれた所業である。
総大将として信じがたい行動だが、史上初の本物の魔王の加護を授かった男だ。机上の空論を振りかざす凡百の将と一緒にするべきではない、とハロルドは思い直した。
「ハロルド大隊、後退命令、了解しました。後方より順じ指定地点までの後退を開始いたします!」
「ハロルドうるせぇ。そんな大声で叫ばなくても、聞こえてるっての」
「おっと、すまんな。戦場じゃ大声張り上げないと誰も聞いちゃくれねぇからよ」
こちらも妖精を通しての返答を行えば、やさぐれ妖精からクレームが飛んでくる。ハロルドは笑いながら指先で妖精を突いてから、大隊に命令を下す。
「後退命令が出たが、俺達ぁ一番最後だ。ついて来い」
「了解!」
まるで精鋭のように揃った兵士達の返事を聞いてから、ハロルドは大隊を前進させた。
「こんな前に出て行って、いいんですか?」
「全ての歩兵が下がるんだ、あそこに突っ立って順番待ちしてるだけで邪魔だろ」
これは命令違反ではなく、円滑に命令を遂行するための裁量の内である、としたり顔でハロルドは副官に講釈を垂れる。
本当にいいのかよ、とあまり納得はしてなさそうな副官を「お前の若さじゃ、まだ分からんか」などと言いながら、後退する味方歩兵達を後目に、ハロルド大隊は前へと移動する。
そうして進んだ先に見えてきたのは、文字通りに大きな背中――――殿を任された『巨獣戦団』であった。
「おーい、レクスの旦那ぁ」
「むっ、貴様は」
ハロルドの気安い呼びかけに、本物の地竜と見紛う巨躯のリザードマンが振り返る。
巨獣戦団の団長は、勝手な略称で呼ぶ人間相手にその目を細めた。
「アダマントリアで降伏した奴だな」
「帝国軍504歩兵大隊長、ハロルド少佐であります!」
敬礼付きで騎士の名乗りを、ひとまずは黙って団長は聞いた。
「何をしに来た。これより我らは、歩兵部隊後退のための殿を務めねばならん。邪魔だてするようならば、容赦はせん」
「とんでもない、俺達の大隊は最後に退くことになってますんで。それまで援護射撃の一つくらいは出来るかと思いまして」
「いらぬ、余計な真似はするな」
フン、と鼻息を一つ吐いて、団長は言葉を続ける。
「敵から寝返った貴様が功を焦るのは分かるが、そのために我らを利用する気ならば許さんぞ」
殺気。身の丈3メートルに迫る巨躯に、牙を剝き出しに威嚇されれば、兵士であっても気絶してもおかしくないほどの威圧感が発せられる。
だがハロルドは団長の威嚇を前にしても、平然とその目を見返して答えた。
「旦那、俺の後ろにいる兵隊連中がどういう奴らか、ご存じで?」
「人間ばかりで集まって……むっ、妙な気配だ……」
てっきり投降した兵士の人間だけでつるんでいる部隊かと思ってギロリと視線を向ければ、すぐに彼らの異様な気配に気が付いた。
それは、とても戦場に立つ兵士の雰囲気ではない。ライフルを携えた歩兵達はまるで、待望の遠足にやって来た子供達のように浮足立った気配を漂わせているのだ。
「アイツらは自由学園の卒業生、って奴らなんですがね」
「むぅ……話には、聞いたことがある」
曰く、どのような重犯罪者や凶悪犯、あるいは白き神を信仰する敬虔な十字教徒であっても、ソコに入れられればたちまち改心させられる――――エルロード帝国の闇。だが強い統治には必要不可欠な、洗脳施設。それが『自由学園』だと、団長も噂程度には聞き及んでいた。
「隊長は俺のような寝返り野郎。兵士は洗脳済みの哀れな罪人。帝国軍の中で、俺達の命が一番安い……だから、俺らは価値を示さにゃならんのです」
リリィが頼んだハロルドの仕事が、コレである。
洗脳を完了させた者を兵士として使う。彼らを率いる優秀な隊長が欲しかったのだ。
これで運用実績が出来れば、自由学園は一定の兵士供給力が期待できる。帝国のために、否、クロノのために、費やせる命が増えるのだ。
リリィはハロルドのような男ならば、卒業生を上手く使えるだろうと見込んで、大隊長の職を与えたのだった。
「ちんけな保身で言ってんじゃあない。アンタらと違って、俺達には名誉も誇りも何もありゃあしないんで……どうか哀れな立場と思って、共に轡を並べるくらいは、許しちゃあくれんでしょうか」
深々と頭を下げるハロルドに、団長は太い腕を組んで唸った。
それとなく左右へ視線を走らせれば、幹部も団員も、何も言わない。判断は全て団長に任せると、その目で訴えていた。
そんな様子に一つ頷いてから、団長は口を開いた。
「情報によれば、敵も銃を抱えているようだ。貴殿らの援護射撃が有効になるかもしれん。後退が始まるまでの間、頼む」
「ありがとうございます!!」
かくして、ハロルド大隊を加えた巨獣戦団は、いよいよ両翼より迫って来る大遠征軍へと立ち塞がることとなる。