第974話 大会戦の幕開け
曙光の月31日。
草原に色濃く漂う朝靄が晴れ行き、レーベリアの地に集った大軍勢の姿が露わとなる。
北側に陣取るは、第十三使徒ネロ率いる大遠征軍。
自身が選抜したネオ・アヴァロン軍を中核として、大遠征軍残党や周辺国からさらに徴発した増援が加わっている。パンドラに武名を轟かせるヴェーダ法国の最高戦力を集結させた唯天ゾア率いるヴェーダ傭兵団を筆頭に、金に飽かせてありったけの冒険者と傭兵も雇い入れた。
そして魔王討伐の使命を果たすべく、十字軍も大軍を派遣。
頭上に浮かぶ飛行船は、百に届かんばかりの数に及ぶ。さながら空を行く大船団は、雲の代わりに地上に大きな影を落としていた。
総数10万を超える大軍団に、大空に広がる飛行船団。正しくパンドラの天地全てを征服せんが如き威容を誇る。
クォオオオオオオオオオオオオオオオン――――
朝焼けから澄み渡る青色に変わった頃、甲高い不気味な音を響かせて、一筋の赤い流星がレーベリアの空を横切ってゆく。
十字軍の飛行船団が油断なく主砲のエーテル大砲を並べる中、悠々と旋回している。まるで天空の支配者たるドラゴンのように、たった一人で堂々と飛ぶ。
ソレは飛行船主砲の有効射程を見切っているかのように、ギリギリのラインを挑発的に飛び回ってから、真紅の軌跡を引いて真っすぐに戻ってゆく。
その動きに釣られるように、大遠征軍の兵達は赤い流星の飛び去る先へと視線を向けて――――そこで、見た。
分厚い白雲の内より、ゆっくりと降下しながら姿を現す、漆黒の巨艦。
帝国軍最大の戦略級古代兵器、天空戦艦『シャングリラ』――――否、
「こちらシャングリラ級天空戦艦一番艦、旗艦『エルドラド』、到着したわ」
「時間通りだ、リリィ。間に合って良かった」
自ら強攻偵察を務めたリリィが、着艦しながらクロノへと通信を送る。
到着したのは正に見た通りであるが、改修を経てシャングリラからエルドラドへと名を替えた新たな姿を目にしたのは、クロノも今が初めてとなる。
「コイツは、また随分と気合を入れて改造したな……」
クロノも思わずそんな呟きが、兜の内側で漏れる。
元より巨大であった天空戦艦だが、今はさらに一回りは大きくなって見える。事実、それは気のせいなどではない。
最初はただのイメージカラーとして黒塗りに塗装していただけであったが、暗黒物質合金の増設装甲を全面に追加されている。
さらに、今度こそ折れぬとばかりに船首より突き出るのは、衝角『復讐者』。怨敵ミサを討っても尚、十字軍への恨みは忘れぬと黒光りする巨大な刀身がギラついている。
威圧的な漆黒の装甲を纏った船体を彩るのは、輝くような黄金の装飾。隅々まで施された宮殿のように優美なデザインはしかし、ただの飾りではない。精緻に刻み込まれた術式に、内に仕込まれたエーテルラインによって、防御魔法による恒常的な船体強化に、緊急時には二枚目のサブシールドとしても機能する。
防御を増すと共に、魔王が乗るに相応しい威容を誇るのが、このエルドラドである。
しかし艦長席には、ブラブラ短い足を揺らして幼いリリィが座る。
『ヴィーナス』から下りて戻ってきたリリィは、幼女状態に戻って開戦の時を待つだけ。魔王クロノのための旗艦だが、それを操るのは右腕たる女王リリィ。
今回の決戦では、エルドラドに乗るリリィが空中戦の全てを任されている。
「――――これで全ての戦力が揃った」
地上に置かれた本陣にて、クロノは整然と立ち並ぶ黒き軍勢を眺めた。
総数およそ六万。大遠征軍には明確に数で劣る。しかしここに、数合わせの者など一人たりとていはしない。
すでに魔王と共に戦場を駆け、数々の戦功を上げた精鋭達は言わずもがな。今回が初陣となるライフル歩兵隊の新兵も、まだ復興もままならないアダマントリアから来たドワーフの工兵も、全員が覚悟をもってここに立っている。
自ら戦うと決めた。命を賭けて、大切なモノを守るために。
今にも雄たけびを上げて突撃でも始めそうなほどに、戦意の高まっている軍勢を眼下にしながらも、魔王の口より号令は発せられない。
「ネル、本当にいいんだな?」
「はい」
漆黒の愛騎メリーに跨ったクロノの隣に、白馬に乗った巫女装束のネルが静かに答える。
出来れば、今になって怖気づいた、と泣き言でも言って欲しい。そうすれば、無かったことにできるから。
けれど、ネルの決意に一切の揺らぎはない。
「必ず私が、ネロを止めて参ります」
「……すまない、頼んだ」
この期に及んでは、最早引き留める言葉はない。
クロノは兜を開くと、ネルにキスを一つだけ落とす。いまだに初々しく恥ずかしそうに頬を赤らめて、ネルは白馬に鞭を入れて駆け出した。
文字通りに一触即発、という表現以外にはない、戦意に満ちた両軍勢が対峙する間を、ネルは白い疾風のように真っすぐに駆けてゆく。
両軍の睨み合う中で、たった一人で前に進み出る者といえば、使者以外には有り得ない。開戦前に互いに使者を出し合い、自らの正当性を主張し相手を非難する、というのはパンドラ大陸では今でもありうる儀式だ。
しかし互いの存亡を賭けた不倶戴天の関係上、魔王軍と十字軍でそういう儀式はありえない。
だが今回の相手は大遠征軍。総大将は十字軍司令官ではなく、アヴァロンを背負うことを選んだ聖王ネロである。
立ち並ぶ大遠征軍の真ん中が俄かに割れると、そこから一騎の白い影が出でる。
ペガサスに跨り、純白の古代鎧を身に纏うのは、他でもない、ネロであった。
「――――久しぶりだな、ネル。ようやく、俺の下へ帰る気になったか?」
最愛の妹との再開、とネロとて素直には思うまい。
皮肉気な笑みを浮かべて問えば、ネルは凛々しい表情で応えた。
「お兄様、降伏してください。貴方にクロノくんは倒せません」
「ほう?」
「今すぐ降伏すれば、お兄様の命はありませんが、大勢の将兵の命は保障します。アヴァロン王家の端くれとして僅かでも誇りがあるのなら、魔王に挑む愚を止め、一人でも多くの臣民の命を守る選択をなさるべきでしょう」
「ネル、生真面目なところはお前の良いところだが、この期に及んで余計な前口上はいらねぇだろう」
すでに袂を別ったことはお互い承知。降伏の呼びかけ一つで、下るはずなどありえない。
そしてネロは、わざわざ格式ばった儀式をするためだけに、ネルを寄こしたわけではないと悟っている。
本題はここから。さっさと切り出せ。
ネルは静かに頷いて、冷たい眼差しを兄に向けて言い放った。
「決闘を申し込みます」
「お前が、俺に? 本気か?」
「いいえ、私ではありません――――クロノ魔王陛下は、第十三使徒ネロ、貴方との一騎討ちを望んでいます」
ネルの言葉に、ネロは虚を突かれたような表情を浮かべた。
が、それも一瞬のこと。
「ふっ、はははっ! 俺とクロノが決闘、なるほど、そう来たか」
「まさか、逃げたりはしないでしょうね」
「くだらねぇ、安い挑発だな……だが、乗ってやる」
乗らざるを得ない。
今ここでネルが拡声魔法を使って、両軍に大将同士の一騎討ちを申し込み、ネロがそれを断ったと広めれば――――士気がどちらに傾くかは明白。
ましてネロはただの国王や将軍ではない。使徒だ。その神の加護を賜った、超越的な強さをもってして、崇め奉られる存在である。
その使徒が決闘を断るなど、あってはならない。
そう、ネロが自ら使者として前へ出来てた時点で、ネルの策は成功したも同然であった。
「クロノとの決闘を受けよう。ネル、お前が立会人だ」
「無論、そのつもりです。お兄様の最期、私が看取りましょう」
「だが、いきなり始めるのも面白くねぇ。お互い、ゾロゾロと大勢引きつれてこんなトコまで来てんだ。クロノが俺の前まで来れたら、決闘をしてやる。どうだ?」
「いいでしょう」
どの道、これほどの軍勢が揃い踏みしているのだ。大将同士の一騎討ちとはいえ、それだけで終われるはずもない。
「お前は俺と来い」
「ええ、お兄様が逃げないよう、私が傍で見ていなければなりませんからね」
「やっぱりな、お前を人質に出して、俺の動きを封じるつもりか――――クソみてぇな策を弄しやがって」
だが、ネロはそれに乗った。乗らざるを得ない。士気の問題ではなく、彼自身のプライドとして。
すでに策は成った以上、これを言い出したのは自分だとわざわざ伝える義理もない。
「本当にクロノくんのことを、何も理解していないのですね」
もし、ネロがクロノの真意を理解できていれば。少しだけでも打ち解けることが、認めることができれば。こんなことには……と、そんな話は、今更何の意味もない。
最早ネロにとってクロノは、魔王を騙る卑劣で冷酷な野心家でなくてはならないのだ。
だって、そうでなければ自分の行動は全て、あまりにも愚かな道化となってしまうのだから。
「これで話は決まりですね」
「ああ、行くぞネル」
自分を引き連れ、あまりにも堂々と歩を進める兄の背中を、ネルは僅かに憐れむような視線で見つめた。
「――――ネルは上手くやったようね」
「ああ」
エルドラドからも、ネルの様子はよく見えただろう。淡々としたリリィの声に、俺は頷いた。
ネロと共に大遠征軍の陣地へと向かうネルの後ろ姿が、彼女の策は成功したことを伝えてくれる。
ネルは使者として開戦前にネロと会うことで、俺との一騎討ちを持ちかけた。他の者が使者であれば、ネロは顔も見せないだろうが、ネルが来れば自ら出ざるを得ない。妹への対応を人に任せるはずがないからな。
そしてネロの性格上、必ずこの決闘を受けるし、受ければ俺との決闘が始まるまで自ら戦いに出ることはない。
そうすることで、戦場でネロがいつどこに出張って来るか分からない、というイレギュラー要素を排除したのだ。いわばネル一人で、ネロを本陣から動かさないよう封印している状態といっていい。
これによって、俺たちはネロという使徒の出現を気にせず、大遠征軍と真っ向勝負を挑めるのだ。
常識的に考えればありえない選択。だがネロは使徒として自分の力に絶対の自信を持っている。本当に大遠征軍が突破されて、俺が目の前に現れたとしても、奴は一切慌てることなく、決闘を始めるだろう。
どれだけ自軍が劣勢になろうとも、決闘で俺を討ち取り、後は残党を自ら始末すればいい。そういう考えだ。
奴にとっては大遠征軍も十字軍の増援も、好きにやらせただけの結果で、自分で集めた気もないのだろう。全て配下が勝手にやったことであり、それで上手くいけば良し、ダメなら自分でカタをつけるだけ。
ネロの余裕は徹頭徹尾、自分が最強である、という一点で成立している。
その慢心をネルが突いたのだ。
とは言え、ネルをたった一人で敵陣に送ったことは事実。人質以外の何者でもない。
これではダキアで、ネロが覚醒した時とそう変わりはない。俺としては二度とこんな真似をさせるつもりはなかったが……
「私一人の危険を恐れて、何百何千もの兵の犠牲を受け入れろと言うのですか」
ネロが戦場に現れた際の犠牲を量る天秤に、ネルは自ら乗ったのだ。
戦術的に、ネロが動かない、ということの価値がどれほど大きいか、俺も分かっているつもりだ。ソレが可能ならば、しない理由はない。なんとしてでもするべき。
「だからクロノくん、魔王として、ただ私に命じてください」
ネロを止めろ、と俺は魔王の名をもってそう命令を下した。
これが俺の選択。ネルを使ってネロの動きを封じる。この決戦における一手目は、すでに打たれてしまった。
ならばもう、引き返すことなどできはしない。始めよう、レーベリア会戦を。
「帝国の興廃、この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ――――」
願掛けとして選んだ故郷の言葉を、開戦の合図とする。
短いながらも、そこに込められた意味は確かに帝国軍へと伝わった。
ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――――
大草原を揺るがす鬨の声。
神の軍勢を滅すべく、魔王軍が今、動き出す。
「攻撃開始」
ここから先は事前に決められた通りに動き出す。リリィのエルドラドに空は任せ、こちらは地上戦に集中する。
整然と立ち並んだ両軍は、ほとんど同じタイミングで前進を開始し、少しずつ距離を詰めてゆく。
見たところ、大遠征軍の最前列は大盾を構えた重騎士だ。よくもこれだけ数を揃えた、と思えるほどに、白銀の装甲に煌めく重装甲の騎士達が整然と歩を進めてゆく。
重騎士を全面に立てて前進するのは、非常にオーソドックスな戦法。この世界での基本戦術と言ってもいい。機動力こそないが、固い防御に強力な武技を繰り出す重騎士を止められるだけの力が無ければ、そのまま正面突破されて蹂躙されるだけ。俺もアルザスの頃はコイツらを食い止めるために四苦八苦したワケだ。
だがしかし、今や重騎士部隊の突撃など恐れるには足りない。ここにいるのは寄せ集めの冒険者が百人ばかりじゃない。帝国が集めた戦力がここにある。
「黒竜陸戦隊、前へ」
「御意」
そう返答をするのは、ラグナ公国の三竜公が一人、グラナート・ラント公爵。
ラグナ大隊において、最も数が多い地竜型の黒竜を統べる陸戦隊隊長だ。
最前列のライフル歩兵隊が停止すると、彼らを追い越して僅か二十人の黒ローブを纏った者だけが歩みを進めてゆく。
横一列に整列した彼らは、そのまま50メートルほど先に行ったところで、
グォァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!
爆ぜるような黒色魔力の強大な気配と共に、二十もの黒竜がその場に顕現する。
地竜型の黒竜は、二足で直立する怪獣のような体型をしている。巨体を支える脚は大木どころか、黒鉄の塔のよう。そこから伸びる長い尾は城壁がそのまま動き出したかのようなサイズ感を誇る。
立ち上がった時の体高は30メートルを超える。グリードゴアが立ち上がったような高さだ。隊長騎たるグラナートはさらに大きく、40メートルに届くだろう。
天翔ける翼を持たないが、どっしりと大地に立つ黒き地竜は、動く要塞そのもの。
重騎士など、どれだけ並べたところで、この圧倒的な質量を前にすれば成す術はない――――
「やはり、ただの歩兵だけでは無かったか」
前進を停止した敵の重騎士軍団。その背後で、俄かに青白い光が瞬く。
その輝きと、何よりここまで漂ってくる強い白色魔力の気配が、先んじてその正体を俺に教えてくれる。
「『タウルス』、ではない……新型か」
大地を制する黒地竜の群れに真っ向から対抗するように現れたのは、白銀の巨人。
ガラハド戦争で見た攻城用の巨大ゴーレム。重機『タウルス』とよく似たシルエットの、鋼鉄の人型がずらずらと立ち並ぶ。
その数はざっと40ほど。単純にこちらの黒地竜の倍だ。
「向こうもデカブツを出してきた。アレの相手が出来るのは、お前たちしかいない」
「はい、魔王陛下。どうぞご命令を」
「真っ向勝負で叩き潰してやれ」
返答は大地に轟く咆哮と、迸る魔力の気配。
立ち並んだ黒地竜の口腔に、赤い光が宿る。出し惜しみはしない。最初から全力でブレスをぶっ放していくようだ。
対する十字軍の新型ゴーレムも、その一つ目から青い輝きを放ちながら、魔力を収束させてゆく。
こちらも向こうも、初手で自慢の大型兵器を前面に立てての正面対決。レーベリア会戦は開幕からド派手なぶつかり合いになるな――――そう思いながら、草原を焼き尽くすような真紅と蒼白の閃光が交差する破滅的な光景を眺めた。