第973話 レーベリア平原
パルティア北部を占める広大なレーベリア平原。その中央部に首都バビロニカが位置しており、ネロの大遠征軍も今はここを本拠地として戦力を整えている。
ブライハン騎馬団を殲滅して以降は、南部で十字教勢力はほとんど退いているようだ。奴らも南部侵略の最先鋒であった騎馬団が壊滅したことで、即時撤退を選んだのだろう。そりゃあ、めぼしい抵抗勢力のいない広大な土地を奪い放題で乗り込んできたところに、魔王軍が現れたのだ。割に合わない、どころかウッカリ出くわせばブライハンの二の舞である。
パルティア領獲得に躍起になって草原中に散らばっていた連中も、恐れをなしてネロの元へと逃げ込んでいった。
そうしてこれといった戦闘をすることなく、俺達はパルティア中部まで進出。不自然に切り立った岩山が点々と広がる中部地方の北寄り。見渡す限りの地平線が広がるレーベリア平原を北に臨む、ジグラートと呼ばれる地を前線拠点とした。
ジグラートには巨大な古代遺跡の跡地であり、すぐ傍に立つ特徴的な綺麗な三角形の岩山がランドマークとして機能する、遊牧民にとっての中継地として利用されていた場所だ。
とはいえ、交通の要衝として発展しているワケではなく、あくまで東西南北に草原を移動する時の通過点といった程度。よって、ジグラート周辺に各々の部族が勝手に野営地を広げているだけという感じだ。
常に幾つかの部族が滞在するので、彼らに対して商売をする者たちがジグラートに定住し、ちょっとした市場と少々の集落を形成し、小さな町としては成立している。
そんなパルティアではどこにでもあるような中継地の町に、数万もの魔王軍が集結しつつあった。
「久しぶりですね、ブリギット」
「こちらこそ、お久しぶりです、フィオナさん。モリガン神殿での祝宴以来ですね」
曙光の月20日。
青き森からダマスクまでの線路工事でノウハウを蓄えたドワーフ職人が、爆速でパルティアの草原にも線路を敷き、このジグラートまで辿り着いたのがつい先日。
いくら障害物もなければ起伏も少ない草原とはいえ、相当の距離があるというのに、信じられない早さである。その素晴らしい仕事ぶりに、魔王として褒賞を賜った時、代表者の監督は「多分これが一番早いと思います」とシレっと言ってたのが印象的だ。線路敷設RTA走者かよ。
ともかく、そうして敷かれた鉄道によって、朝一でジグラート駅へとやって来た魔導機関車に乗って、ダマスクに残っていたフィオナが到着したのである。
長い列車旅を終えて来た婚約者を出迎えに行けば、開口一番これであった。
「随分とクロノさんがお世話になったようですね」
「お世話などとんでもない、私の方こそ甘えさせていただきました」
冷めたフィオナの視線とブリギットのにこやかな微笑みの間で、バチバチに火花が散っているのが見える。
ここ最近、俺の傍にいたのはブリギットとサリエルだ。しばらくファーレンにいたブリギットがここぞとばかりに迫るのも分かるし、正式に婚約者となったサリエルが夜に遠慮をすることもなくなった。
二人共に積極的なお陰で、俺は実にハーレムらしい生活を送れたワケだが――――忘れもしない、去年のクリスマスの惨劇をフィオナはいまだに気にしている。俺が二人とよろしくやっていたことに対して、思うところがあるのは理解できるが……うーん、それでも朝からこれは胃もたれしそうだなぁ……
「いつまでも、私があの頃のままだと思わないことです」
「それでクロノ様がお喜びになるのであれば、私は歓迎いたします。また一緒にご奉仕しましょう?」
たとえ敗北を突きつけられても、一歩も退かずに立ち上がるフィオナに、ブリギットは余裕の笑み。
「ここで立ち話もなんだ。司令部に行こう、フィオナ」
「その前に、ここって美味しいお店ありませんか? 朝食、まだなので」
「屋台でもいいか?」
「いいですよ」
やっぱフィオナはこうでなくちゃ、と思いながら、スパイスの効いたケバブみたいな肉料理をたらふく詰め込んでから、ジグラート前線司令部へと向かった。
「遺跡ですか……ダンジョンに続いていたりしません?」
「いや、ここはどこにも繋がってないな。俺達も来てからそれなりに探したが」
司令部は神殿のような原型を残す遺跡中央部に設置することにした。ここ以外になると、草原か岩山に野営地を拵える以外にないからな。
それにここには、モノリスもある。転移が可能なほど大きいものではないが、通信だけなら使える。それだけでここに拠点を置く価値はあるだろう。
「見たところ、これといって変わった様子はないようですが……」
ついこの間までダマスクの古代地底都市に潜っていたせいか、フィオナは普段にも増して、遺跡への観察眼が鋭いようだ。
彼女の言う通り、一見すればパンドラならどこにでもあるような、ありふれた古代遺跡である。これといった特徴的な様式ではなく、冒険者ならダンジョンで一度は見たことがあるだろう、円柱が立ち並ぶ石造りだ。
随所に刻まれた古代文字とモノリスの存在だけが、ここが間違いなく古代遺跡であることを示している。
広さは結構なものだが、フィオナが見回っても、新たに秘密の扉やら入口やら転移魔法陣やらが見つかることはなかった。まぁ、パルティアのケンタウロス達だって何百年もここを行き来しているのだ。冒険者や研究者が、何かあるかも、と幾度も調べられてきたに違いない。
もしも本当に、ここに何かがあるのだとしても、一朝一夕で簡単に見つかるとは思えないし、何かしらの解除ギミックがあるはずだ。それが分からない内は、ここは永遠にただの遺跡でしかない。
「クロノさん、恐らくこの遺跡はテメンニグルですよ」
「カーラマーラの?」
正確にはパンデモウムの中央政庁、リリィの城だ。
欲望都市カーラマーラを象徴する、都市のど真ん中に付き立つ巨大な塔であり――――その正体は、古代の超巨大コロニーの管理棟、その地表部分である。
「構造からして、同等規模の施設だったと思います」
「それじゃあ、ここの地下にも何かあるのか」
「どうでしょう……付近には点々とよくある遺跡があるだけで、目立つモノは何もありませんから。基礎工事の段階で、建設を放棄されてしまった可能性もあります」
「シェルターがそもそも龍災対策だからな。間に合わなかった、ってことは普通にありえそうだ」
思ったよりも核心に迫る推論を得られたが、かといって本格的な調査をするワケにもいかない。
ここはモノリス通信できるだけありがたいと思い、大人しく予定通りジグラートの拠点化を進めるのみだ。
そうしてフィオナと町を一回りしてから、モノリスがある神殿広間の司令部に腰を下ろす。
「それで、シャングリラの改修はどうなっている?」
「順調ですよ。順調すぎて、色々と手を出し始めているようですが」
帝国軍が誇る虎の子の戦略兵器たる天空戦艦シャングリラは、最優先で改修が進められている。
アダマントリア解放がフィオナのお陰で成功したので、シャングリラに頼らずに済んだのは良かったのだが……勢いでダマスクの地底都市も解放したことで、少し話は変わってしまった。
地底都市で天空戦艦専用の船渠が発見されたことで、ここで改修作業を進めた方が捗るのではないか、と議論になったのだ。
パンデモニウムにはない設備も数多く発見されており、効果的なことは間違いない。しかし、改修中のシャングリラを飛ばしてでも、ここまで持ってくる価値があるかどうか。そもそも地下深くのドックにどうやって入れるんだ。最悪、動力を大量消費して『緊急転送帰還』で転移させるか。
などなど、問題はあったようだが――――結果的に、シャングリラは地底都市のドックへと移設されることに。ドックから伸びる発進口が発見されたことが決め手となった。ダマスクの大防壁の外、何もない荒野の真ん中に天空戦艦でも悠々と出入り可能な巨大発進口が通じていたのだ。
「今月中には何とかなりそうなのか」
「この調子なら大丈夫でしょう。最初こそ新しい設備の扱いに四苦八苦していたようですが、今では手慣れたものですよ。アダマントリアのドワーフ達も大勢、加わりましたしね」
結果的に設備と人員の強化に繋がったことが大きいようだ。これで思うような成果が上がらなければ大失敗だったが……運が良かった、というよりもシモン達の努力の結晶によって成功にまでこぎ着けたと思う。
「決戦は曙光の月の内で?」
「そのつもりだ」
「時間はこちらだけの味方ではないというわけですね」
状況的には、シャングリラの改修強化と集めるだけ戦力を集める時間を稼ぐ分だけ、俺達の有利になるはずだった。連戦連敗で大遠征軍も疲弊しているし、そう簡単に戦力を回復させるアテもない。
だがしかし、十字軍はかなり大規模な増援をネロの元へ派遣していることが最近になって判明した。ちょうどブライハン騎馬団を壊滅させて、南部解放を終えた辺りだ。
草原で暴れる侵略者がいなくなったことで、ケイとギャリソンを中心に大規模な偵察部隊を編成させ、ネロの居座るバビロニカ周辺まで探りを入れていた。
ケイは元々、首都のエリート騎士でありハイラム領主の息子だ。確かな身分があるため、散り散りになった各部族と繋ぎを得るのに相応しい人物である。
一方のギャリソンは珍走団、もとい暴走賊『ライサンダーズ』としてそれなりに悪名を轟かせた奴だ。ただの犯罪者ではあるが、だからこそ裏社会の連中には顔が利くし、交渉も手慣れている。
パルティア滅亡の危機を前に、なりふり構わず表と裏がそれぞれ手を取って協力というワケだ。ネロによって壊滅的な打撃を食らっている以上、そうでもしなければ頭数すらロクに揃わないのだが、見事に偵察任務を遂行してくれた二人には感謝である。
「ただの増援ならいいが、どうやら十字軍は新しい航空兵器も投入しているらしい」
「まだ空中要塞を?」
「いいや、飛行船という、デカい風船で飛んでるようなヤツだ。コイツは単純な原理で飛んでいるから、古代魔法は関係ない。完全に現行の魔法技術だけで開発した新兵器だな」
「なるほど……自前で量産できる、というのは厄介ですね」
そう、それはまだ帝国軍でも実現できていないからな。
俺だってシモンに飛行船の話くらいはしたことあるが、列車と同様に、そこまで手が回るはずもない。戦力の要である古代兵器にリソースを振るのが最適解。
フィオナが勝手に列車を実用化までこぎ着けたのは、単なる天才的才能のごり押しによるものだ。
「今から作ってみます? 風の精霊を使えば飛ばしやすそうですし」
「流石に今からは無理だろ。だが終わったらそっちにも手を出さないといけなくなるかもな」
果たして奴らの飛行船がどの程度の戦力となるか。ただの張りぼてならいいが、そんな期待はできない。
こんな目立つ新兵器、恐らくは『白の秘蹟』が開発したものだろう。
「たとえ飛行船がオンボロだとしても、機甲鎧の戦力は本物だし、ガラハドみたいにタウルス軍団が出てきてもおかしくはない」
「確かに、巨大ゴーレムは厄介ですからね。それに、まだ見ぬ古代兵器を持ち出してくる可能性もありますし」
十字軍が大々的な支援の動きを見せた、というだけで警戒するには十分過ぎる。
「一番最悪なのは、新たな使徒の増援だが……」
「残る使徒は全員、シンクレアでの任務に就いているはずですが、それも私が向こうにいた頃の話ですからね」
「ああ、サリエルもそう言っていた」
伝説的な第一を除き、現役最強となる第二から第五までは、まず聖都エリュシオンから動くことはない。
それから第七使徒サリエル含む、最も活動的な実働人員が、第六から第十までの五人。その内、サリエルが裏切り、アイがパンドラに来ているので、シンクレアに残るのは三人だが……当然、アーク大陸でもシンクレアは聖なる侵略を実行中だ。基本的に残りの三人はそちらの戦線に投入されているので、そう簡単に引き抜いてはこれないような状況だという。
でも白き神が現場をガン無視して俺を殺しに行け、って言い出したらやるんだろ?
十字軍は最高意思決定が神だから、合理的な人間の思考による判断を基準にできないのが困りどころだ。
「新しい使徒がいなくとも、ルーンの海上封鎖が破られてもまずい。奴ら、そっちはそっちで出来るように、いまだに船も集めているようだしな」
決戦の構えは陽動で、本命はネロのアヴァロン帰還という可能性もある。
プライドの高いアイツがそういう真似はしたがらないだろうが、故国奪還の大義名分を掲げて優先することも十分にあり得る。
「だからこっちの地上戦力が集まり切る今月いっぱいで、すぐに仕掛けたい」
「向こうが先に打って出てくることは?」
「今のところ、その動きは見られないそうだ」
集めた兵力を最大限運用できるよう、向こうも会戦をお望みだろう。ならば俺達が来るまで、黙って待っていればいい。
速やかに前線に陣取った戦力を壊滅させられる策でもなければ、わざわざ自分から動くメリットはネロにはない。
「会戦、ですか……派手な戦になりそうですね」
フィオナのいう通りだ。
こっちは出し惜しみナシの総力戦。そして向こうも十字軍の新兵器まで加えた全力で迎え撃つ。
今回の戦いは、ガラハド戦争を超える大規模な大戦となるだろう。
それも古代兵器と新兵器が入り乱れる、新時代の戦争として――――
フィオナの到着を皮切りに、ジグラートに続々と帝国軍が集結し始めた。
日に日に万単位で膨れ上がる帝国軍の規模に、ここに定住しているケンタウロス達は驚愕していたが、あらかじめ予定されていたことなので、それほど問題は発生していない。
物資に関しても、すでに鉄道が通っていることで解決している。勿論、これからバビロニカ目指して北上するにあたって、先んじて更なる鉄道を伸ばしている。実際の決戦場がどの位置になるかは相手の出方次第ではあるが、かなり近い位置まで延伸できるはず。
場合によっては、あの『アルゴノート』も普通の列車砲として使う機会があるかもしれない。
「この司令部も少々、手狭になって来たな」
最初はサリエルの『暗黒騎士団』、ファーレンの『有翼獣騎士団』を率いるブリギット、そして『テンペスト』のエメリア将軍と、大きく三つの部隊が揃う編成だった。しかし今は集った軍団を率いる将達が詰めかけており、人数も大きく増えている。
まずは帝国軍の最先鋒、第一突撃大隊長カイ。
それに今回は副官のエリウッドだけでなく、シャルロットも同席している。
彼女の第一配属については、リリィ経由で聞いた。俺としては、彼女は関わらない方が幸せじゃないかと思ったが……覚悟の上での行動だ。それにリリィが許可を出したなら、もう俺にシャルロットを止める言葉はない。
次いで、アダマントリア解放にも参加した『巨獣戦団』。ただでさえデカいコイツらは、何人かいるだけでも占有スペースが凄い。人間サイズの部屋で正直スマンと思ってる。
ヴァルナ勢は彼らに加えて、ライラ率いる四脚戦車部隊も参加している。騎兵を超える機動力に、機甲鎧を超える重装甲と火力。そりゃ純粋な戦車がいれば強いに決まっているし、今回は遮蔽物のない開けた草原が戦場だ。四脚戦車は強力な騎兵部隊としては欠かせない。
それから、戦力を回復したゼノンガルトの『混沌騎士団』もつい昨日、ここへ到着した。シャングリラの改修が完了すれば、それに乗って来る予定もあったが、そっちはギリギリまで続けるそうなので、混沌騎士団だけで先乗りというワケだ。
ゼノンガルトもシモンからお願いされれば、聞かざるを得ないようである。というか、何気にアイツらって仲良くなってんだよなぁ……なんかちょっと嫉妬心のようなものが、ないわけでもない気がする。
特筆すべき精鋭戦力はこの辺で、他にはパンデモニウムで養成してきた通常戦力、ライフルを装備した大勢の歩兵が加わる。帝国軍としては彼らの方が主力なので、それを率いる隊長や将の数も必然的に増えるわけで。
この辺になってくると、流石に俺も全ての顔と名前までは覚えきれない。最近は、ミリアが気を利かせて兜のディスプレイに相手の顔と名前と所属を表示してくれる機能に、お世話になりっぱなしだ。
そのせいで、顔見知り以外の集まりで素顔を晒す機会が減っている。このままでは魔王の顔は『暴君の鎧』のドクロフェイスで認知されそうだ。
「お待たせ致しました、魔王陛下――――『エルロード帝国第十三黒竜戦団ラグナ大隊』、現着にございます」
「よく来てくれた。待っていたぞ、ヴィンセント」
そして今、この場へ現れたのは黒竜大公ヴィンセント。出会った時と同じ、目立たない地味な黒ローブに身を包んだ小柄な老人だが、ここに居並ぶ者に凡人は一人たりともいない。
「ほう、あれがラグナの」
「黒竜を従えたとは、真であったか……」
パンドラ最強とも謳われるラグナ公国の長を前に、誰もが息を吞んでいる。
ラグナが帝国に下ったことは大々的に公表されているが、ヴィンセントが人前に出てきたのは今回が初めてのようなものだ。いざ本物を前にすれば、こんな反応にもなるか。
「さて、これでようやく揃ったな」
ジグラートに集合予定の帝国軍の地上戦力が集結完了した。これ以上、もうこの地で踏みとどまる理由はなくなった。
後はシャングリラだけだが、空を飛ぶ天空戦艦は後追いで十分に追いつける。航空部隊とは、現地で合流予定となる。
「出陣だ――――レーベリア平原で、大遠征軍と第十三使徒ネロを討つ」