第966話 パルティア戦線(2)
パルティア南東部の、とある町。
大草原でも端の方に近いこの町は、特に栄えているワケではない、パルティアでは各地に点在している田舎町だ。周辺一帯は遊牧生活を営む部族の小さな集落ばかりで、この町は彼らが通りがかりに寄って行くだけの、これといって発展性もない、けれど静かで長閑な場所だった。
だがしかし、今はこの町には続々と遊牧民達が集まって来ている。
それは顔馴染みの周辺部族だけでなく、名前しか聞いたことがない北部や中央部で暮らす部族の者達も混じっていた。
この町に、何かがあるワケではない。彼らが示し合わせてこの場所を目指したワケでもない。
ただ彼らは残虐な侵略者に追い立てられた結果、この場所へ逃げ込むしかなかっただけのこと。
町を築いて以来、これほど人が集まったことはない。しかし活気とは無縁な、どんよりとした重苦しい空気が町全体を包み込んでいる。
新たに町へやって来る者がもたらす情報には、一切の希望はなく、新たな絶望を知らせるものだけ。あの部族が滅びた、集落丸ごと奪われた、侵略者はどんどんこちらへと近づいてきている。悲報ばかりが飛び交う町にあって、明るい話題など一つもありはしなかった。
しかし最も絶望的な気配に包まれているのは、町の中心部。各地からかき集めた残存戦力を率いてきた、若い将官しか残っていない臨時の司令部である。
「————おい、ケイ。どうすんだよ。これ以上はもう逃げ場もねぇぞ」
「分かっているさ、ギャリソン……」
冒険者ギルドの一室を借りた執務室に、二人のケンタウルスの青年が額を突き合わせて卓に広げた地図を睨んでいる。
一人はケイオンタス・ハイラム。
パルティアの首都バビロニカにほど近い、ハイラムという街の領主の息子————否、父親が亡き今、ハイラム領主はケイオンタスである。もっとも、ハイラムそのものが残っているかどうかも分からないが。
パルティア大王ボルグモア率いる、大遠征軍との一大決戦にケイオンタスも参加していた。この時、すでに騎士の訓練課程を全て終え、精鋭部隊の一員として故国存亡の危機において剣を執ったが、結果は知っての通り惨敗。
潰走し混乱する中、上官も仲間も見失い、ただ命からがら戦場を離脱するだけで精一杯であった。
それからは近場の有力部族の下へ向かい、戦力を再編して侵攻を続ける大遠征軍に対して決死の抵抗を試みたが……決戦に敗れた時点で二度とまとまった戦力を集めることもできず、出来ることと言えば嫌がらせのように敵の荷馬車を襲う程度。やっていることは盗賊と同じレベルである。
全く大遠征軍へ損害を与えることもできず、一方的に狩り立てられるだけ。再編した部隊もすぐに壊滅してしまう。
そうして戦いとも言えない儚い抵抗を続けながら、南へと逃げ延びて行くだけの日々。
その中で出会ったのが、今ここで共に地図を睨んでいるもう一人、ギャリソンである。
「いよいよ腹ぁくくる時が来たってことかよ」
ギャリソン・ライバック。暴走賊『雷電撃団』の三代目総長だった男。
ケイオンタスの故郷ハイラムの町を、『アリア修道会』と手を組んで襲った凶悪な賊徒であり、ランク5冒険者パーティ『エレメントマスター』のクロノとリリィによって捕縛された後は、処刑を待つだけの身であった。
伊達に有名な賊を率いていたわけではないギャリソンは、騎士団に捕まった後は様々な犯罪に関わる情報を絞るために、過酷な尋問の日々を送っていた。絞れる情報がある分だけ、処刑までの日は伸びたが、ついに執行日が決まってしまう。
しかし処刑は執行されることはなかった。処刑する騎士が一人もいなくなったから。
収容所のある町が大遠征軍に襲われた日、混乱の最中でギャリソンは上手く逃げ出すことに成功した。
だが逃げたところで、もうこの草原に自由がないことをすぐに理解させられた。
自分達が草原で最強の暴走賊だ、などと調子に乗っていられたのは、パルティアの平和があってこそ。大草原は今、自分達ケンタウルスから、人間へ奪われようとしている。いや、すでにその大半が奪われてしまっていることを、目の当たりにしてきた。
悔い改めたワケではない。暴走賊としての矜持もある。
だがコイツらは、この残忍極まる人間の侵略者だけは許せない。許してはおけない。
パルティアをケンタウルスの手に取り戻さなければならない————今はただ、その一心で戦いに身を投じていた。
その思いは、ケイオンタスもまた同様。すでに精鋭騎士やベテラン戦士が失われた現状、ギャリソンのような元暴走賊は貴重な戦力である。過去の遺恨を全て水に流したワケではないが、それでも今は、このパルティア存亡の危機において、手を組んで強大な敵へと立ち向かう仲間として、共に肩を並べているのだった。
「いいや、ダメだ。そんな玉砕覚悟のような作戦は許可できない」
「じゃあどうするってんだよ。ここはもう南の端、いよいよ逃げ場はねぇんだぞ」
ここから百キロも進まない内に、草原の終わりである未開の森林と険しい山々が連なる地へと出る。森と山ならば、多少は敵から身を隠すこともできるだろう。
だがしかし、ケンタウルスは草原の民。深い森や高い山で暮らす術はない。そんな場所に追い込まれれば、敵が来なくとも生活もままならず滅びの道を辿るのみ。
「いや、まだ逃げ場はある」
重苦しい溜息を吐きながら、ケイオンタスは地図のある一点を指し示す。
そこはパルティア南端、アダマントリアと接する国境線の町であった。
「馬鹿野郎、ここはとっくに奴らに占領されちまってんだろうが! ガッチリ要塞化までしてるってぇ話じゃねぇか」
その話は聞いているし、パルティアを通過してアダマントリアへ進軍していった大遠征軍の動きからして、ここを拠点化するのも当然であろう。
「国境を突破して、アダマントリアへ亡命しよう」
「テメぇ、パルティアを捨てるつもりかぁっ!!」
いきり立ったギャリソンはケイオンタスの胸倉を掴み上げるが、その拳が振るわれることはなかった。
「明日、玉砕して全滅するのと、亡命してでも生き延びて祖国奪還を諦めないのと、お前はどっちがいい?」
「くっ、それは……」
「もしもここで戦って死んだ方がいい。そう言う奴の方が多ければ、私はそれでも構わない」
「クソォっ!!」
ケイオンタスを突き放すと、代わりに近くにあった木箱を蹴る。強靭な馬の脚力で蹴り飛ばされた木箱は砕け散り、ガランと残骸が転がる音が無為に響いた。
「ここにはもう、戦える奴より、パンピーのが多いだろが」
覚悟の決まった野郎共だけなら、意気揚々と玉砕することもできよう。
しかしこの町には、子供を抱えた母親や、なんとか歩けるくらいの老人。若い男がいても、その大半は負傷している。一体誰が、彼らに戦って死んでくれ、と言えるのか。
「国境超えをしても、どんだけ死ぬか分かんねぇぞ……」
「それでも全員死ぬよりはマシだろう」
果たしてそれを、希望と呼んで良いものか。
「大遠征軍がアダマントリアに居座ってたら、逃げたところでお終いだぜ」
「ああ、その可能性も十分にあるだろうな」
希望を信じて進んだ先に、更なる絶望が待っていることが、ありありと想像できてしまう。
ならばいっそ、ここで全てを終わらせる方が……そんな思いは、二人共抱えているが、ついに口に出すことはなかった。
「なぁ、ギャリソン」
「なんだよ」
「クロノ様を覚えているか」
「忘れられるワケねぇだろ」
ケイオンタスにとっては、快く自分のクエストを引き受けてくれた上に、ハイラムの町を救ってくれた英雄。
ギャリソンにとっては、『雷電撃団』をあっけなく壊滅させ、自分を易々と生け捕りにした仇敵。
どちらにとっても、生涯忘れられない男であろう。
「エルロード帝国は、クロノ様が興した国だ。思えば、私の依頼を引き受けてくれたあの時から、すでに十字教という敵を見据えて動いていたのだろう」
「……そうだな、野郎は俺らなんかよりも『修道会』を気にしてたからな」
「噂によれば、帝国はヴァルナ森海で大遠征軍と一大決戦をしたらしい」
「どうなったかは知らねぇけどな」
そこで勝とうが負けようが、パルティアの情勢に今すぐ影響はない。少なくとも、もう目前まで迫っていている敵が退いて行く理由になるとは思えなかった。
「帝国の勝利で決着がついていたならば、アダマントリアの開放もすでに成し遂げている可能性もあるのではないか」
「馬鹿が、期待しすぎだっての。そんな都合のいいことあるかよ。あのダマスクで籠城なんかすれば、一年でも二年でも耐えられるだろが」
パルティアの長い歴史において、アダマントリアへ侵攻したことも幾度かあった。そしてどんな騎兵の大軍団をけしかけても、首都ダマスクの大防壁は決して破れなかったと伝わっている。
クロノのエルロード帝国がどれほど強力な軍備を整えているのかは知らないが、そう易々と敵が立て籠もるダマスクを奪還するのはどう考えても不可能。ここを攻略するなら、年単位で時間をかけるだけの準備と覚悟がいるだろう。
「それでも、帝国軍がダマスクを包囲している状況であれば、私達の亡命を受け入れられるだけの余地はあるだろう」
「その前に、奴らに見つかって潰されなきゃいいけどな」
ギャリソンはガシガシと頭を、もうバッチリ決めたリーゼントにするだけの余裕もない、伸ばしっぱなしの金髪をかきながら、渋々ながらも決めた。
「分かったよ、いいぜ。ちょっくらアダマントリアまで、死出の旅路と行こうじゃねぇか」
「あっ、ガーちゃんがケンタウルスの群れを見つけたって」
「群れとか言うな」
肩に留まった通信役の妖精ネネカが、偵察に出たガーヴィエラからの報告をリアルタイムで伝えてくれた。
決戦に向けて黒竜の力は温存することとしているが、ガーヴィエラ一人を飛ばすくらいは問題ない。いざという時にブリギット達の護衛も出来れば、想定以上の敵戦力と相対した場合でも本気を出せば対抗できる。充実した戦力があると、様々な戦況に対処できるので余裕が違ってくるな。
俺は不死馬メリーに跨り、後ろにベルを乗せて、騎兵軍団と共に大草原を行軍中。目的地は数多くの避難民と抵抗勢力が集まって来ている、と噂されている地方の町なのだが、そこへの道半ばというところで、この報告である。
「なんか敵もいっぱい来てるって、ブリが言ってるけどー」
「そりゃあまずい、急がないと」
より詳しい空中偵察の報告が上がって来ると、非常に微妙なタイミングであることが明らかとなった。
まずケンタウルスの群れ、とやらは結構な規模の避難民らしい。護衛としてそれなりの戦士が周辺警戒を行っているが、彼らだけでは守り切れないほどの人数が列を成して続いている。
襲撃を受ければ、たとえ撃退できたとしても多大な犠牲が強いられるだろう。
一方の敵は、やはりこの辺一帯まで侵攻してきている『ブライハン騎馬団』と呼ばれる連中に間違いない。
サリエルによれば、彼らはレキやウルスラと同様に二等神民と見下される扱いを受けている遊牧民族だという。恐らくは十字軍のパンドラ遠征に参加することで、このパルティアの草原を自分達の新天地として獲得するつもりだろうとも。
十字教に敗北したことで屈辱の支配を受けることになったのは、大いに同情するし、帝国軍に受け入れる余地もあったが……
「魔王陛下、どうか我ら『テンペスト』に雪辱を果たす機会をお与えください」
隣に並んで来たのは、シモンの姉貴である元スパーダの将軍エメリア・フリードリヒ・バルディエル。
今では唯一生き残ったスパーダの将軍は非常に貴重な人材であり、戦力でもある。帝国軍でも騎馬軍団を率いる将軍として即採用だ。
しかし、俺もメリーもデカいのだが、並んでも見劣りしないほどのデカさをエメリア将軍は誇っている。
彼女自身、俺を超えるほどの長身であること。重厚な鎧兜にデカくてゴツいハルバードと大盾を持つエメリア将軍を乗せる愛馬は、スパーダでも選りすぐりの巨大馬となる二角獣だ。普通の騎兵と比べて、二回りくらい大きく見えるだろう。
そんな俺達が並ぶと凄まじい威圧感だと、テンペストでは好評である。
「そうか、エメリア将軍はファーレンで奴らと戦ったことがあったのか」
「ええ、敗走する我らの背後を執拗に狙い続けた連中です」
ブライハン騎馬団はファーレン侵攻を主導したウェリントン伯爵に傭兵として雇われ、首都ネヴァン陥落まで戦場を荒らしまわった奴らだ。やはり日常的に馬に乗っている遊牧民族の騎兵というのは、この異世界においても非常に強力となるらしい。
神や魔法、モンスターといった存在がいなければ、モンゴルのように大陸の覇者となっていてもおかしくない奴らである。
ともかく、ただでさえ精強な騎馬軍団であるブライハンは、新天地を欲するという野望も相まって、ファーレンからパルティアと猛威を振るい続けている。
「報告によれば、ブライハンはかなりの規模で迫って来ていると言う。恐らくは本隊だろう」
「奴らの長は、赤い馬に乗った若い女です」
「ネネカ、どうだ?」
「あー、うん……赤いのに乗った姉ちゃんが先頭を突っ走ってるのを見たって」
「陛下、間違いありません。ブライハン騎馬団の団長スラーハです」
「よし、奴らはここで潰そう。決戦の前に、敵の強力な騎馬軍団は排除しておきたい」
「御意」
さて、思っていたよりも大きな戦いになりそうだ。だがチャンスでもある。
懸念すべきは、奴らがこれから襲い掛かろうとしている避難民だが、
「クロノくん、私もブリギットと共に向かいます」
「ああ、頼んだぞ、ネル」
「お任せください」
馬上にあって、そうニッコリと微笑むネルは正しく理想のお姫様然としており、つい目が奪われそうになるほど絵になっている。
ついこの間まで、ベッドの上でズタボロになって転がり、ブリギットに煽られていた姿が嘘のようである。
「避難民はかなりの数がいるようだ。ブリギットのグリフォン部隊と、とにかく防衛に専念してくれ」
ここ最近は『聖堂結界』破りの攻城兵器みたいな活躍ばかり目立つネルだが、元々は多くの人々を癒し、守る、清く正しい治癒術士である。
イスキア古城でグリードゴアのプラズマブレスを、防御魔法で凌いでくれたことは今でも鮮明に覚えている。
ネルは治癒魔法と強化魔法、そしてその次に防御魔法が得意なのだ。彼女ならば、千人規模の民を守る盾となれるだろう。
それにブリギットの連れて来たグリフォンナイトも、全員がファーレンの精霊術を行使できる。多彩な結界にウッドゴーレムなどの召喚獣も数多く繰り出せる。数こそ少ないが、防御に徹すれば部隊規模の何倍もの働きをしてくれる。
「サリエルはネルについててくれ」
「……はい、マスター」
一瞬の間は若干の不服の証か。
しかし後ろに続く暗黒騎士団とテンペストを一瞥すると、俺がどういう意図かはすぐに察してくれた。
「しょうがないのう、妾もネルについていってやるとするか」
「そうだな、頼むよ、ベル」
「もう、子供のお守りなんていりませんよー」
過保護気味な対応に頬を膨らませているネルを他所に、さっさと彼女の騎馬へとベルは飛び移った。
「サリエル、ベル、いざという時だけ頼む」
「はい」
「ガーヴィエラもこっちに呼び戻しておくぞ」
「ああ、避難民の護衛に専念してくれ」
黒竜二人にグリフォンナイト、サリエルとネル。人数こそ少ないが十分な戦力だ。これに加えてケンタウロスの戦士が防御に徹すれば、多少の敵が抜けて来ても対処できるだろう。
「あとは俺の指揮次第だな」
これほど大規模な騎馬軍団同士の戦いは、俺も初めてだ。そもそも騎兵部隊を指揮する経験も豊富というほどではない。
今回の決戦においては、多くの騎兵部隊を上手く動かすことも重要になってくるはず。貴重な戦訓となってもらおう。
「ブライハン族の立場に同情はするが、容赦する気はない————残虐非道な侵略者を殲滅する」