第960話 ラグナの主
年の瀬も迫る冥暗の月13日。
魔王クロノと黒竜大公ヴィンセントの会談は驚くほどの短期間で開催されることとなった。
リリィとガーヴィエラの決闘騒ぎに端を発したことで、かえって話が早く進んだとも言えよう。本来ならラグナ側が高圧的に迫れる立場であったが、ガーヴィエラがぐぅの音も出ないほどリリィに惨敗したことで、ラグナ公国はエルロード帝国へと譲歩せねばならぬ立場へと大きく傾いてしまった。
その結果、事の重大性を鑑みたクロノが、一刻も早く話をつけるべきと望めば、それをヴィンセントも断るわけにはいかない。何より、魔王を名乗る男が直々に会いに来ることは、本来の目的を達せられるに等しい。
それはそれとして、思った以上に横暴な態度でやらかした上に、黒竜のくせに決闘で負けるという大失態を冒したガーヴィエラには厳しい処罰が必要であるとはラグナの全黒竜の総意であるが。
ともかく、両者の思惑が一致したことで、クロノがダマスクより帰還した僅か三日後に帝国と公国の首脳会談が催されることとなったのだ。
場所はラグナ公国の南にある国境線。
ここはヴィンセントの方が帝国まで足を運ぶのが筋ではあるが、黒竜としての事情をすでに聞いているクロノは自ら公国へ出向くことをすぐに決めた。基本的に玉座よりも最前線にいる方が多い魔王様だが、流石に揉めた相手国のど真ん中へ行くわけにもいかない。
公国の中心地である首都ではなく、会談場所はヴィンセントもギリギリ出張って来れる国境線と定められた。
帝国ベルドリア領からラグナ公国へ至るまでの間は、二か国の領土を通行する形となる。帝国が友好関係にない国へ一方的に通行を求めれば俄かに開戦の火種になりかねない緊張状態と化すが、大使ガーヴィエラが我が物顔で帝国までやって来たように、この両国はラグナの傘下にある。
黒竜という最強戦力を抱えながらも不動を貫くラグナ公国と接する周辺諸国は、ラグナを盟主と立てた同盟を結ぶことで安全保障としている。国の防衛を半ば以上ラグナに依存しているため、同盟国はラグナ公国に頭は上がらない。
よって黒竜大使ガーヴィエラが帝国より魔王様御一行を連れて通る、と言えば両国は「はい喜んで!」と従うより他はないのである。
他国を通行することに問題はないが、クロノが何を使って公国まで行くかについては、また別の問題が発生した。
「シャングリラで行こ?」
戦力的にも速度としても最高の古代兵器。
ついこの間、ヴァルナで反乱劇にあったことを思えば、当然の備えであり対応であると、幼女リリィでも分かり切っての発言である。
「む、むりぃ……」
だがこの一言で白目を剥いて倒れたのは魔導開発局長シモン。
ラグナ公国に行くから、明日の朝一番でシャングリラを飛ばしたい————その要望には「無理」の一言しか返せない。
もう大規模改修始めてんだよ。ピースフルハートに突っ込んでブチ折れた『アヴェンジャー』を筆頭に、色んな所を装甲引っぺがして、今すぐ飛べるような状況じゃねぇのは一目見りゃ分かんだろ……という正論を叫ぶ気力もなく、シモンは倒れたのだ。
「ラグナには馬車で行こう」
「ええー、危ないよ、シャングリラに乗った方がいいよ」
「大丈夫だ、問題ない」
倒れたシモンをそっと寝かせて、クロノは爽やかな微笑みで言い切った。
かくして魔王陛下の強い要望によって、ラグナ公国へは馬車で向かうことに。その分、足は速く、それでいて最精鋭を護衛として急ぎ招集した。
暗黒騎士団と第一突撃大隊を中心にして編成された千名を引き連れ、クロノはラグナ公国へと向かったのだ。
道中は何の問題もないどころか、すれ違う隊商の一つもなく、実にスムーズに進んで行った。通過する両国も、万が一にでも自国で問題が起これば、下手すれば滅びかねない。帝国と公国の双方から糾弾されれば、それだけで国王は泡を吹いてぶっ倒れるだろう。
万難を排して帝国と公国を繋ぐのは、半ば当然の対応でもあった。
かくして冥暗の月13日の夕刻には、公国の南端、何の変哲もない平原に流れる川辺にて、魔王クロノと黒竜大公ヴィンセントが、ついに対面を果たすこととなった。
なだらかに続く緑の平原の向こうに、遥か遠くに聳える山影。平原には点々と林が広がり、穏やかなせせらぎが響く。
絵本に描かれるような牧歌的な光景が夕陽に沈みゆく中、俺はラグナ公国を統べる黒竜達と相対していた。
「ヴィンセント・ゲネレイル・ラグナ」
「クロノだ」
お互いに名前だけを名乗り合う。王侯貴族にありがちな、迂遠な挨拶は省く。
この場において俺も大公も目的は一致している。無用なお喋りに割く時間がもったいないと感じるのは共通認識だが、両国にとっては非常に緊張した間柄に見えるかもしれない。
というか、実際そう見えている。
あまりにも素っ気ない自己紹介。和気藹々どころか、形式的な最低限の礼儀もすっ飛ばしてお互いのトップが睨み合っているのだ。後ろに控える者達は、次の瞬間には魔王VS黒竜大公が始まるか、と身構えているのがありありと感じられる。
「俺が真に魔王を名乗るに相応しいか、見極めたいのだろう」
「うむ。如何にして示してくれる」
黒竜大公ヴィンセントは、小柄な老人だ。煌びやかな衣装に着飾ることもなく、俺の『悪魔の抱擁』と似たシンプルな黒ローブにその身を包んでいる。
俺を見上げる、生気を失ったようにくすんだ赤い瞳。世を儚んで消えゆく老人そのものである目だが、その奥には黒竜としての絶大な力が宿っていることを薄っすらと感じる。
この人も待っていたのだろう。ベルと同じように。
いや、彼だけではない。大公の後ろに控える、同じく黒ローブを纏った者達は、全員が同じく黒竜。遥か古の命令に縛られ続ける、生体兵器なのだ。
「ああ、今すぐ証明して見せよう————ベル」
「はい、主様」
一歩進んで、俺の隣に並ぶのは、きっちりと巫女の白衣紅袴を着込んだベルである。
彼女が同じ黒竜であることはすぐに察したように大公は一瞥したが、どうやら見るだけでは分からないようだった。
ベルが小さく息を吸って、吐いたのは言葉ではなく、ドラゴンの咆哮。真の姿である、黒竜へと変身する。
「————帝都アヴァロンを守護する帝国の翼、皇帝直下の戦竜機ローゼンシリーズ最後の一騎、黒竜ベルクローゼンである!」
二足で立ち上がり50メートル近い巨躯と化したベルが、平原を震わせる大声量で名乗りを上げる。
と同時に、俺もベルの頭へと登る。足元にいたら恰好つかないからな。
「妾は魔王の加護を持つ者と、真なる契約を結んだ。エルロード帝国軍令に基づき、契約者クロノを『古の魔王ミア・エルロード』の正統後継者と認定。現在、皇位継承権を持つ唯一の存在として、エルロード帝国皇帝に即位することを承認する」
堂々としたベルの宣言に、大公も他の黒竜達も口を挟まない。
反論できるはずがないのだ。これは自分達を縛る古代の命令と同じルールに則っているのだから。
ベル曰く、古代においてもミアの加護は特別な扱いをされていた。もしも本物のミアの加護を得る者が現れれば、皇族の血筋でなくとも皇位継承権を得る、とわざわざ法律に記してあるほど。
そして黒竜にとって魔王の加護の証明は、現代のパンドラ神殿による鑑定よりも、ベルのような黒竜と契約できるか否か、で確かめるのが最も信じられる方法。
「エルロード帝国第十三黒竜戦団ラグナ大隊に告ぐ。皇帝陛下の御前ぞ、統帥権に伏せ」
魔王クロノは自称ではなく、正統後継者であるとベルが言い切った。
対して、ラグナ側の反応は、
ォオオオオオオオオ……
竜の唸り声が響く。
最初は俺の前に立つ大公が。ベルと同じ二足二腕の両翼を生やした黒竜と化して吠える。
それに続いて、続々と黒竜達が真の姿へと転じて、声を上げる。
グォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!
大地を揺らし、天を衝くほどの咆哮。
全員が黒竜と化して、一斉に吠えたことで帝国側は俄かに緊張が走るが、俺は安心した。
どうやら、ちゃんと通じたようだと。
「————ああ、ついに我らの前にお出で下さったのですね、皇帝陛下」
ヴィンセントが震える声でそう言えば、黒竜達は全員その場でひれ伏した。
ラグナ公国の首都に、城壁はない。黒竜の巣にちょっかいをかける愚か者は、モンスターにもいないからだ。
都市を囲う壁が必要ないお陰で街並みは広々としており、行き交う人々も日々の平穏を信じ切っているように、どこかのんびりと大らかな雰囲気が漂っているように感じた。
黒竜のお膝元で平和を謳歌する人々を一望するように、首都を見下ろす山の上に建つのが黒竜大公の座す竜王宮。
外観は古代遺跡の神殿をベースに、国の主にして守り神でもある黒竜を模った装飾が随所になされている。王宮というよりも、黒竜を祀った神殿のようだ。いや、実際に黒竜の真意など知る由もない人々にとって、その庇護が得られることを祈っているのだから、神殿としての役割を果たしているだろう。
だが、それはラグナの民が知る表向きの顔でしかない。
山頂にある神殿はただのカムフラージュ。竜王宮はカーラマーラ大迷宮と同じ、古代のシェルターなのだ。
「魔王陛下、こちらがハイデンベルグのオリジナルモノリスとなります」
竜王宮の最深部。三竜公しか立ち入ることの許されない最重要区画に、俺はヴィンセントに案内されてやって来た。
暗い広間の中央に聳え立つ巨大な石板は、間違いなくオリジナルモノリス。俺が黒化をするまでもなく、漆黒の光沢を放っている。
なるほど、ミアがラグナ公国のオリジナルモノリスについて一切言及しなかったのは、すでに黒竜が確保していたからだ。
十字軍もここだけは簡単に手出しは出来ない。古代から生き続けている彼らは、オリジナルモノリスの重要性を理解しているのだから、上手く取り入ることも無理なら、武力で侵攻するのも難しい。恐らくここを手中に収めようとするなら、十字軍はパンドラ大陸征服の最後にするだろう。
「今まで、よくここを守り抜いてくれた」
「そのお言葉だけで、二百年の苦労が報われます」
ヴィンセントが目覚めてラグナ公国を興して、おおよそ二百年ほど。現在のパンドラ大陸においては、十分に古い歴史を持つ方に入る。これより歴史が長い国となれば、アヴァロンやファーレンといった極一部に限られる。
古代文明が滅びて長らく暗黒時代に突入し、ようやく歴史に残る記録がされるようになった頃でも、パンドラ大陸は群雄割拠の戦国時代。数多の国が興っては、滅び去って行った。そんな時代を経て、百年以上の歴史を持つ国というのは少数派なのだ。
「……だが、二百年の太平を俺が壊すことになる」
「とんでもございません、これこそ我らが夢に見た悲願。主を待つという使命はすでに果たされました。どうか、新たなる命をお与えください」
二百年もの間、一国の平和を維持してきた偉大な君主に、俺はたまたま持ちえた命令権を行使しているに過ぎない。全く以て、反吐が出るような行いだ。
「お前達の忠誠を、嬉しく思う。ベルクローゼンと共に、絶大なる黒竜の力を俺に貸してくれ」
「ははぁ! 魔王陛下の仰せのままに!」
だが、俺もすでに覚悟は決めている。パンドラ大陸全土を戦争の地獄に巻き込むことを。
許されないのだ、十字軍の侵略が進む一方で、黒竜という庇護を得たここだけ平和に過ごすことなど。パンドラの全てが蹂躙された後に、黒竜すら打ち倒すほどの凄まじい総戦力をもって十字軍に攻め込まれるその時まで、平和のぬるま湯につかり続けることなど、決してあってはならないのだ。
遥か古の軍令に従って、黒竜が俺にひれ伏すと言うのなら、その力はパンドラ大陸全ての平和のために尽くしてもらう。
ラグナ公国の民にとっては、俺は平穏を破る悪魔だろう。けれど彼らの恨みつらみで、俺が足を止めることは決してない。パンドラから十字軍を駆逐する勝利を掴む瞬間まで、俺は止まらず進み続ける。
「よし、これで転移が開通したな」
帰りは転移でひとっ飛びだ。次に来る時も、大仰に千人も連れて練り歩かなくて済む。
しかし、ベルの言った通りに全て上手く行ったな。
黒竜で編成されたラグナ大隊は、眠りについていた基地を守り続ける命令を忠実に守り続けている。黒竜は新たな命令が下るのを待ち望んでいるし、その時が来るまで可能な限り基地の機能を維持し続けているのだと。
ヴィンセントに聞けば、やはりその通りの事情であった。
ラグナ大隊に下された正確な任務は、『ハイデンベルグ市の防衛、及び周辺領域での龍災防止』というらしい。
ハイデンベルグ市というのが当時の地名であり、ラグナ大隊が駐屯する基地兼シェルターのある都市だった。
ラグナ大隊は、正式には『エルロード帝国第十三黒竜戦団ラグナ大隊』という。
大陸全土が怒り狂った龍に襲われる、通称『龍災』に対応するため、当時は幾つもの黒竜戦団が編成された。
しかし圧倒的な龍の力には及ばず、勝利を重ねる一方で、それ以上の敗北が積み重なっていった。
ヴィンセントがハイデンベルグ基地へやって来た時は、それまでの戦いでラグナ大隊は自分を含めて僅か三人しか残されていなかった。
大隊長ヴィンセントが黒竜大公に。部下のダリアニスとグラナートが、それぞれルフト公爵・ラント公爵となり、ラグナ公国の三竜公となる。
残された貴重な黒竜として、戦力の再編が計画され、それまでは温存するため一時的な休眠状態とすることとなったが……ハイデンベルグ市が龍に滅ぼされたその時、幸か不幸か誰も起こすのに間に合わなかったようだ。
そして山の中に隠されたシェルターだけが残り、ようやく龍の怒りも治まり大陸に再び平和が訪れてから幾星霜。ヴィンセントが目覚めた時、古代をとうに過ぎ去った暗黒時代も末期となっていた。
「ラグナ大隊の正規隊員がヴィンセント達三人だけだとすると、ガーヴィエラのような他の黒竜は、ここで新たに生まれたのか?」
古代の昔話も気になるが、最も気になるのはそこである。
三人しか生き残らなかった黒竜が増えている。少なくとも黒竜単独で増えたりしないのは、ヴィンセントよりも先に目覚めていたベルが独り身だったことで明らかだ。
ならば当然、増えた分はこのハイデンベルグ基地に備わっている黒竜の生産設備によって生まれたのではないかと思われる。
「はい、全て我らの子、あるいは孫にございます。ですが、我らと同等の力を持つ個体はおりません」
「……基地の機能が不完全だからか」
「お察しの通り。龍災で受けた損傷と長き時による消耗によって、このハイデンベルグ基地の機能は当時の半分以下にまで落ち込んでおります。たとえ万全であったとしても、ここには黒竜の生産設備そのものが不足しておりました」
なるほど、元からしてフルスペックの黒竜を生み出すことは無理だったワケか。
恐らくこのハイデンベルグ基地も、龍災による滅びが目前に迫ったことで急ピッチで建設されたのだろう。そんな末期の基地に、充実した設備など望めるはずもない。
「我らの任務には、可能な限りの戦力保持も含まれておりましたので、一騎でも多くの黒竜を生み出せるよう尽力しましたが————完璧な性能を持つ個体は、たったの一人しか」
「一人だけでもいるのか」
「魔王陛下は、竜王ガーヴィナルの名に聞き覚えは」
「ダイダロスの竜王……リリィから、ガーヴィエラの父親だと聞いたが」
「私の不詳の息子にございます。大変申し訳ございません。今となっては、四肢を引きちぎってでも、引き留めておけばと悔いております」
息子さんを殺したの、この扉のすぐ外で俺の護衛についてる娘なんですよ————なんて、冗談でも言えないな。
サリエルのことは、機を見て話すこととしよう。