第959話 地底王国
「————まずい、ボスが逃げたぞっ!」
ヌメった野太い芋虫のような胴体を『首断』で切り裂きながら、俺は叫んだ。
視界の端で、いつの間にか開かれていた扉から通路へと滑り込んで行く巨体を捉える。
「それでは、私が」
「爆発はやめろよフィオナ!」
「クロノさんは心配しすぎですよ————『氷砲』」
いまだ広間の中に何匹も這いまわっている敵をヒョイヒョイと飛び避けながら、ボスが逃げ込んで行った通路へ向かえば、フィオナは手にした水色の短杖を一振り。
広間のど真ん中で大立ち回りをしている俺でもヒヤっと感じるほどの冷気をぶっ放していた。
どうやら、ボスはフィオナの氷魔法を受けて止まったようだ。寒さに弱いのか、それとも足元が凍り付いたか。どちらであっても、今がチャンス。
「頼んだサリエル! ここは俺が食い止める!」
「はい、マスター」
いつものように平坦な返事を置き去りにして、槍を携えたサリエルが軍装である黒コートの裾を翻して通路へと飛び込む。
ギシャァアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!
おぞましいモンスターの断末魔が耳に届くと同時に、俺が捉えていたボスの気配も消えて行った。
流石はサリエル、きっちり仕留めてくれたようだ。
「クロノさん、こっちは終わりましたけど、掩護いります?」
「大丈夫だ、こっちももう片付く」
「でも本当は?」
「ホントにすぐ片づけるから範囲攻撃魔法はやめて!」
やけに魔法を撃ちたがるフィオナを抑えながら、俺はさっさと残りを殲滅するために気合を入れ直して大鉈を振るうのだった。
「————ふぅ、とりあえず無事確保だな」
ようやくモンスターの群れを始末し、戦いは終わった。
広間のあちこちで俺に切り捨てられ緑色の血の海に沈んでいるモンスターは、『グラトンクロウラー』というランク3モンスターである。
ラミアのような、と形容すると本物のラミア族に怒られそうだが、形状はおおよそその通り。だが下半身は蛇ではなく芋虫のようなワーム型で、上半身も両腕を備えた人型ではあるものの、頭部は目がなく丸い大口を備え、両手は伸縮性で鋭い鉤爪を生やした、化け物然とした不気味な姿をしている。
小型のクロウラーは腐肉漁りをしているが、中型以上になると積極的に捕食を行う。そして一際大きな体と脳が肥大化して膨らんだ頭部を持つボスは、力と知恵をつけてクロウラーの群れを率いるようになる。
この知能が発達したボスに率いられるようになると、例によって危険度ランクも一段階上がる。今回、俺達が倒したのは間違いなくボス個体が統率する群れだった。
「これは……まだ見たことがないタイプのゴーレムですね」
「設備は半壊。ですが、まだ生きている機能は残っているようです」
この広間はグラトンクロウラーの巣と化していたが、元々は沢山のゴーレムが稼働している工場らしい。結構な敷地面積に建つ、複数の大型の建築物は無骨な長方形で飾り気というものが見当たらない。
かつて栄華を誇ったドワーフ王国では、人に見せる、あるいは多くが集まる場所は非常に豪華な装飾が施されているものだ。そういった装飾が見受けられない建築物となれば、少なくとも不特定多数の人が訪れるものでもなければ、住居でもない。工場や倉庫といった施設である可能性が高い。
「それは良かった。ここまで足を延ばした甲斐があったな」
俺達がいるこの場所は、つい先日奪還を果たしたアダマントリアの首都ダマスク————その遥か地下深くに眠る、古代のドワーフ地底王国である。
八岐大蛇みたいな特大の炎龍をけしかけて、王城ごとローゲンタリア軍を文字通りに殲滅したインパクトが強いせいで忘れがちになるが、ダマスク制圧後にフィオナがしれっと鉄血塔の封印された扉を開いたのも、アダマントリアの歴史に残る一大事だ。
目の前に存在していることだけは確認できる、手つかずの古代都市遺跡。建造物の大半は原型を保ち、大きく荒れた様子も見られない。冒険者なら誰もが夢見る宝の山が広がっている。
だが強固に閉ざされた古代の扉によって、そこへの立ち入りは封じられていたが————オリジナルモノリスの制御法を覚えたフィオナによって、あまりにもあっけなく解放された。
この地底都市を利用しない手はない。
エリナの番組で、カール王子、もといアダマントリア総督が大々的に地底都市の解放宣言をしたものだから、アダマントリア中からドワーフ達が集まり始めている。あまりにも勢い込んで人々が押し寄せたものだから、色々と大変なことにはなっていたが。
よく大規模なダンジョンが新たに発見されると、冒険者と商人が一斉に集まってすぐに町が出来る、という話を聞いたことはあったが、正しくその通りの状況を目にした。やはり人は、目の前に宝の山を見せられると、凄まじいバイタリティを発揮するものだ。
などと他人事のように思えるのも、地上で大勢の人々を上手く捌くのは実際、俺の仕事ではないからだ。俺の仕事と言われても、経験も実績もない以上、上手く出来るはずもないし。
その辺は全てアダマントリア総督であるカールに任せてある。
面倒な仕事を新人に押し付けて、俺は何をしているのかと言えば、ご覧の通り。楽しい楽しい、ダンジョン探索である。
「いやぁ、やっぱダンジョン探索は楽しいな」
「そうですね、冒険者をやっているのが一番性に合っていると感じます」
一戦を終えてグラトンクロウラーの巣から撤収した俺達は、地底都市攻略の前線拠点の一つである神殿へと戻って、ゆっくりランチをとっている。
エルロード帝国において古代文明の技術と遺物は、国力・戦力のどちらにおいても欠かすことのできない基盤だ。これらの発見、発展、次第によっては飛躍的に戦力増強が出来る、いわばボーナスアイテムのようなもの。
そのため、これほど収穫の期待できる大規模な古代都市ともなれば、その探索の優先度もかなり高い。そもそもアダマントリア解放が、本来ありえない急ピッチで進められたのだ。次の戦いを始めるにしても、ここで少々無理をした分のしわ寄せが来てしまう。シャングリラだって、まだ修理完了していないのだから。
そういうワケで、未知なる地底都市の探索も優先的に行うべき、としてひとまずは現地の戦力で探索を開始した。
何といっても『エレメントマスター』である俺達がほとんど揃っているし、元高ランク冒険者で編成されたカイの第一突撃大隊もいるのだ。青き森でトロルコングを緊急クエスト扱いで討伐した時と同様に、実にスムーズに冒険者活動を始めることが出来た。
そしていざ始めてみれば……これが楽しいこと、楽しいこと……
今日はフィオナとサリエルの『エレメントマスター』メンバーのみで探索したが、日によってメンバーと人数も変わって来る。カイ達と組むこともあれば、フィオナがレキとウルスラを連れて行くこともある。面子は欠けてるものの、カイとセリスとファルキウスで『ブレイドマスター』を再結成したりも。
大規模な施設に挑む時は、さながらレイド戦のように複数パーティが集まることもあった。
一冒険者としてダンジョン探索をすることで、エルロード帝国という巨大な責任を背負った魔王の立場を忘れられたのも、心が軽くなった要因だろう。やはりリフレッシュ休暇って大事だなと。
そんな事を思うほどには、魔王の責任を忘れて冒険者やっていたここ一週間なのだが、まぁその分だけ収穫も沢山あったから許して欲しい。
地底都市はまだまだ広大だ。さて、次はどこを攻略しに行こうか————と書きかけの簡易マップを覗き込んだところであった。
「失礼いたします。緊急のご報告が、陛下」
「アインか、どうした」
やって来た副官アインの声に、顔を上げる。緊急ってことは、あんまりいい予感はしないが。
「ラグナ公国より大使団が到着いたしました」
「ああ、もう来たのか」
その話だけは聞いている。
パンドラでも最強国家と名高いラグナ公国。基本的にどこの国にも不干渉を貫く、孤高の永世中立国という認識だったが、帝国に接触してきた。
まさかオルエンがラグナの諜報員だったとは。何か秘密がありそうだな、とは記憶の無いあの頃にも思っていたが……ともかく、十字教勢力でなければ問題はない。
それで、ラグナ公国との交渉のために一応は魔王である俺にも顔を出して欲しいとか、そんなところだろうと予測したが、
「リリィ女王陛下が大使である黒竜伯ガーヴィエラと決闘を行いました」
「んんっ!?」
全く予想外の情報に、本当にコーヒー吹き出しそうになっちまった。
「なんでリリィと黒竜が決闘してんだよ!」
「今すぐ魔王陛下を出さねば開戦も辞さない、と想定以上の強硬な態度で迫られ、やむなくといったようです」
「リリィは」
「決闘は、間もなく始まるようです」
リリィが決めたことだ。恐らくラグナと全面戦争を起こすくらいなら、まずは一対一の決闘で事を治められるかもしれない可能性に賭けたのだろう。
本気でラグナ公国が帝国と敵対するつもりならどうしようもないが、それならそれで、黒竜一頭を今この場で仕留めておくだけでも意義はある。
他でもないリリィならば、黒竜と本気の一騎討ちをしても大丈夫だと思うのだが……
「急いでパンデモニウムに戻る」
「決闘場所はベルドリア沖ですので、転移準備を整えておきます」
「頼む」
「イエス、マイロード」
アインが即座に行動開始。俺も渋々ながら、席を立つ。
「行ってらっしゃい、クロノさん」
「フィオナは戻らないのか?」
「リリィさんの心配など無用ですから。私はしばらく、ここに残ります」
「確かに、フィオナは残った方がいいだろうな」
何せフィオナはアダマントリア解放の英雄だ。それもただの神輿ではなく、古代の魔法技術にも精通したプロでもある。
この古代ドワーフ王国の技術を蘇らせるなら、必ずフィオナの力が必要だ。それに『魔女工房』として、すでにデインさんを筆頭とした超一流のドワーフ職人達を束ねる立場にもある。フィオナがいれば、存分に彼らの力を現場で発揮させてくれるだろう。
「それじゃあ、アダマントリアは任せたぞ」
「はい」
後のことはフィオナに託し、俺はサリエルをお供につけて急ぎ帰還することと相成った。
ダマスクから最短でベルドリアまで飛ぶには、鉄血塔のオリジナルモノリスからパンデモニウムへ戻り、そこからベルドリア王宮という流れになる。
ベルドリアのモノリスは王宮内にある大きな中庭だ。元からあるモノリスを活かした王宮に相応しい瀟洒な庭であったが、転移による人の出入りが発生するようになったので、現在はパンデモニウム中心部に倣って妖精広場仕様となっている。
ついさっきまで地底都市のダンジョン探索に勤しんでいたところから、転移であっという間に王宮の妖精広場まで飛んで来ると、本当に距離感がバグるというか、妙な気分になるのだが……そんなことが気にならないほどの光景を、この場へ飛んだ瞬間に見せつけられた。
「うっ、うぅ……おーるふぉーえるろーどぉ……」
「あっ、クロノ! おかえりー」
『ヴィーナス』に乗って浮いてる幼女リリィと、そこから女の子が一人吊るされている。
黒髪ツインテールの美少女だが、竜の角と翼、そして尻尾を生やした如何にも竜人というべき姿をしているが、
『私は妖精に負けたトカゲです』
と書かれた垂れ幕も一緒に括りつけられていた。
俺は今まさに、絵に描いたような無様な敗北者を体現した光景を見せつけられている。
どうやら心配は杞憂で済み、リリィは余裕の勝利で決闘を終えたようだ。
「リリィ、とりあえず下ろしてやりなさい。流石にこの扱いは可哀想だろう」
「ええー、でもガーヴィエラは悪い子だから、ちゃんと反省させないと」
「そんな状態じゃあ、ロクに話もできないから」
「しょうがないなぁ……ほら、下ろしてあげるんだから、ちゃんとクロノに感謝しなさい!」
「ま、魔王陛下の御慈悲に、感謝いたしますぅ……」
情けない声と共に、雑に下ろされた竜人少女が「ぐぇー」と声を上げて地面へと這いつくばった。
「気になることは色々あるが、まずはリリィが無事で本当に良かった」
「えへへ」
着陸するなりボールのように飛び跳ねて俺の胸へと収まるリリィを抱きしめる。
「怪我もないようだな」
「————うん、でも余計な消耗はさせられてしまったわ」
俺を見上げたリリィの瞳に、知性の光が灯る。
消耗、か。魔力的な意味というよりも、装備的な意味だろう。
リリィも最大の弱点である時間制限を克服する『ヴィーナス』はお気に入りだし、その強化には力を入れている。『星屑の鉄槌』に続いて、搭載できる新兵器の開発を進めているようだが……恐らく今回の決闘でそれらを大放出したのだろう。
「いいんだ、リリィの無事には替えられない」
「でも、シモンが……」
「そこは何とかする」
シャングリラの修理で大忙しのシモンに、また試作兵器もヨロシクね、と余計な仕事を頼むわけにはいかない。
消耗してしまった試作兵器は、今のところは諦めよう。黒竜相手に無傷で勝てたのだから、十分すぎるほど役に立ったと言う事で納得する。
さて、何はともあれリリィの無事と勝利が確認できたなら、話は次の段階に進む。
「それで結局、ラグナはどういうつもりで喧嘩を吹っ掛けて来たんだ?」
「————その件については、どうか私の口から説明させてはいただけないでしょうか」
そこで声を上げたのは、どこか見覚えのある藍色の狼耳。
「いいわ、面を上げなさい」
俺よりも遥かに魔王然として堂々と言い放つリリィの命によって、伏せられた顔が上げられた。
「ああ、オルエン。久しぶりだな」
「私の名を覚えておいでで、光栄にございますクロノ魔王陛下」
ラグナの諜報員と正体が割れた今となっては、以前のように接するのは無理のある話か。
いいや、それもこれからのラグナ公国の出方次第だろう。
オルエンには世話になった恩義もある。出来る限りは報いてやりたいし、敵対したいとも思わない。
「分かった、まずは話を聞こうじゃないか」
「じゃがのう、主様よ。この底抜けの阿呆には、言葉を交わすだけの価値などないぞ」
と、初めて聞くほど冷え切った声音で言うのは、一緒にダマスクから戻って来たベルである。
同じ黒竜として、今回の一件に無関係ではいられないようだ。
「なんだ貴様は……むっ、この気配、まさか————」
「そのまさかよっ、この愚か者めがぁ!」
縛られてミノムシ状態で転がされたままだったガーヴィエラへとズンズンと近づいて行ったベルは、その胸倉を掴み上げて雷が落ちたような怒声を上げた。
「我ら黒竜が千年の果てに待ち望んだ主様を前に、よくもかような無礼を働いてくれおったなぁっ!!」
文字通りに怒りが爆発した、と思うほどにベルの体が膨れ上がり、瞬時に真の姿たる黒竜形態へと変わる。
その手に竜人少女を握りしめたまま、大きく翼を羽ばたかせると、
「この妾が直々に懲罰をくれてやる! 覚悟せいっ、小娘!!」
「うわっ、あっ、ぎゃああああああああああああああああああああああああああ!!」
という叫び声を木霊させながら、黒竜ベルクローゼンは砂漠へと飛び立っていった。
「それじゃあ、行きましょうか」
「ええぇ、いいのかよアレで……」
「どうぞお構いなく、魔王陛下。黒竜伯の処罰としては、あれでもまだ手緩いほどですから」
リリィもオルエンも当然といった態度で、飛び去って行く彼女達を見送っている。
実際、あそこまで飛んで行ったら俺が騒いだところで、もうどうにもならないが……とりあえず、詳しい事情をオルエンから聞くことにしよう。