第955話 爆心地に残ったモノ
「うわぁ……」
「おわぁ……」
揃ってドン引きした声を漏らしてしまう、俺とベルである。
それも仕方がない事だろう。マジで王城が消し飛んだのだから。
フィオナからは列車砲『獄炎装甲列車砲アルゴノート』がどういう魔法兵器なのか、聞いてはいた。フィオナは以前にダマスクで炎龍を操ったという実績もあるし、バルログに眠る炎龍の力を利用してぶつける、というのは非常に効果的な方法だと納得もできた。
だがしかし、あの時の俺は廃鉱を彷徨っていただけで炎龍を直接目にしていない。火山噴火と同列に扱われる災害級のランク5モンスター、という程度の認識しかなかった。
それが甘かった。正直に言って、舐めていたと言ってもいいだろう。
なんだあの化け物は。同じランク5モンスターといっても、これまで倒して来た試練のモンスターよりも確かに格上だ。今更ながら、ランク5が最上級ということは、強さの上限が存在しないということでもある。
「あんなの怒らせたら、そりゃ古代文明滅びるわ」
古代文明は龍によって滅ぼされた。すなわち、龍の怒りを買ったのだ。
炎龍だけではない。大陸各地、それぞれの土地に住まう龍の全てが、人類の文明を明確に敵と定めて襲い掛かって来たという————炎龍クラスが大陸全土で一斉に大暴れしたら、ベルみたいな黒竜が兵器として存在していても、勝てるはずがない。
「どうやら、あの魔女のやり方は古式ゆかしい精霊憑依系の術じゃ。あれならば同じ轍を踏むことはないと思うが……」
古代出身のベルをして古式ゆかしい、などと言うとは。
遥か古代でも、そして現代においても、炎龍のように自然災害と同義の龍については、万が一にも暴れた時に、少しでも早くその怒りが静まるよう儀式を行う専用の神官や御子が存在している。魔法のない地球では、原始的なシャーマニズム、ただのお祷りに過ぎない行為であるが、この魔法の異世界においては精霊術の一環として「どうか怒りを鎮め給え」と多少なりとも伝えられる確かな効果がある。
それでも、あまりにも強大な存在に対してはお祷り程度の効果しか見込めないのが普通だが……
「本物の龍を目にして心がざわつくのは、妾の本能に過ぎぬが……最も気をつけねばならぬのは、あれほどまでに炎龍と同化できる術者が存在することよ。主様、もしまかり間違ってあの魔女が龍を暴走させようものなら、この程度では済まぬ。文字通り、帝国そのものが火の海に沈むであろう」
「確かに、これは思った以上に危険な力だ」
俺はベルに乗って空を飛んでいたため、上空からよく見えた。
噴火と共に姿を現した八岐大蛇が如き八首を備えた炎龍。怒涛の火砕流を纏い、溶岩の大河と化してダマスクへと雪崩れ込み、瞬く間に防壁を溶かして街を縦断し、王城へと迫って行った。
だが敵もさる者、シャングリラの相手を想定しただろう、非常に強力な炎の広域結界を展開し抵抗を始める。火砕流とマグマの侵入を完全に防ぎきり、さらには炎龍が直接巻き付いても凌ぎ続けていた。さらには王城の兵器フル稼働による反撃まで。
想定以上の防衛力を揃えて来た。シャングリラ込みの正攻法でも、苦戦は免れないだろう。
だが炎龍はその想定以上をさらに超えた火力を発揮した。
炎龍の首の一つが、フィオナの姿へと変わってラミアのような形態になった直後のことだ。
炎龍サイズのデカいフィオナの体が、王城に渦巻く火炎ごと抱きしめるように両手を伸ばすと————天を衝く巨大な、あまりにも巨大な火柱と化して全てを焼き尽くし始めた。大地に突き立つ堅固な王城も、星の瞬く夜空までも。
つい先ほどまで、再び昼へと戻ったかのように、煌々と白熱の輝きが周囲を照らし続けていた。そしてようやく光が収まり、闇が静寂と共に戻って来ると、後には延々と噴き出し続ける濃密な黒煙だけが残された。
黒々とした煙幕の向こうには、ドロドロと溶岩の海が広がっているのが垣間見える。火口でもないのに、この場で噴火したかのような有様だ。
王城の姿はすでに消え去り、煮え滾るマグマへと還った。少なくとも、王城一帯のマグマが冷えるまでは、ダマスクへ立ち入ることはできないな。
「本当によくやってくれた。流石はフィオナだ」
ダマスク攻略は成った。これ以上ないほど最短最速、それでいて最小限の犠牲で。
これほどの大戦果を前に、危険過ぎるという理由で叱責など出来ようはずもない。
「だが、あまりに大きな力は、フィオナ自身にも危険をもたらすだろう。だから、次は使わせないようにするさ」
「ふむ、まぁ、それがいいじゃろう」
どれほど強力だろうと、自爆技みたいなのは御免だ。自分が使うならまだしも、他人に強いるようになったらお終いだぞ。
どの道、フィオナもこの技は相性のいい炎龍が住まうバルログ山脈でしか使えない。再び使う機会は二度とないだろう。
「というワケで、フィオナが心配だ。列車砲のところまで頼む」
列車砲の中で倒れたりしてたら大変だしな。
陣取っていた場所は、すぐ傍に炎龍が降りて来る溶岩大河が通っているので、おいそれと救護部隊も近づけない。
だが俺とベルなら、多少の高熱でも問題ない。いざという時は、すぐにフィオナを搬送する手筈だ。
そうして戻って来た列車砲陣地は、サウナを軽く超える灼熱地獄と化している。人間が生身でいたら普通に死ねるレベル。余裕で火砕流も煙ってるし、毒ガスだけでも死ぬ。
そんな中を一応、『暴君の鎧』の兜まで被って降り立つ。
後部車両の方から車内へと入り、狭い中を鎧の棘をちょっとぶつけたりしながら進み、
「フィオナ、大丈夫か? 入るぞ」
「どうぞ」
いつもの素っ気ない彼女の声が聞こえて来て、安心する。どうやら全く問題はないようだ。
ホッとしながら扉を開くと、
「ピザ美味しいです」
「いっぱい焼いたから、クロノ様の分もあるの」
フィオナとウルスラがピザパーティーを開催していた。
とろけるチーズがミョーンと伸びて美味しそう、じゃなくて、
「何やってんだ……」
「ピザを食べています」
「終わったら、どうせお腹が空くと思って用意していたの」
「ウルスラ準備良すぎだろ。っていうか、お前も残っていたのか。危ないだろう」
「大丈夫なの」
「大丈夫ですよ、弟子なので」
確かに、気が付けば随分とフィオナはウルスラの世話を焼いていたようだった。イヴラームの加護も教え、現代魔法の扱い方も教えていると。
我が道を行くマイペースなフィオナだが、こと魔法に関して妥協は一切ない。そんな彼女がウルスラを、ただの賑やかしで傍に置いておくはずがない。一端の力になる、そう判断したからこそ。
「そうか、心配はむしろ失礼だったな。ありがとうウルスラ、よくフィオナを支えてくれた」
「で、弟子として、当然なの……」
もじもじ照れながら言う可愛らしく初々しい弟子の様子など欠片も気にせず、ピザを食う手は止めない師匠である。これはもう、世話を焼いているのはウルスラの方になってるな。
「クロノさんもどうですか、美味しいですよ」
「いや美味しそうではあるけど……」
いいのか、こんなことしてて。
いやいいワケないよな、総大将だぞ俺。
「いいじゃないですか、どうせ朝までダマスクには入れませんよ」
「クロノ様も、今の内に休んでおいた方がいいの」
くっ、魔女の誘惑が……しかし俺には仕事が……
「焼き立て、美味しいですよ」
「いただきます」
ピザは焼き立ての内に食べないと勿体ないよなぁ!
すまないサリエル、カイ、後は任せた。ちょっとだけ、ちょっと食べたら戻るから。
月は替わり、冥暗の月1日。
「こんばんは、帝国軍報道官エリナ・メイトリクスです」
すっかり帝国軍の顔として定着したエリナの番組が、今日も帝国中へと放送される。
冥暗の月の澄んだ寒空の下には、黒々とした荒野が広がっているように見えるが……この場所は紛れもなく、アダマントリアの首都ダマスクの中心部。
「ご覧ください、私の後ろに広がるのは、かつてダマスク王城があった場所です」
いたましい、とでも言いたげな表情で、エリナは王城跡地へと歩み寄って行く。
「ここにかの有名な王城があったとは、とても信じられません。周囲は黒く冷え固まった溶岩に覆われています。何もかも、全てが溶けて大地へと飲み込まれてしまったかのような有様です」
事実として、王城に居た者、在った物、全ては灼熱の業火に溶けてマグマの下へと沈んで行った。膨大な量の溶岩がそのまま市街地へと溢れ出て行かなかったのは、ここから地中へと戻るようフィオナが制御したからこそ。
破滅的な光景ではあるが、フィオナは見事に炎龍を御しきり、消滅させたのは王城の建つ一帯だけに留めたのだった。
「王城が丸ごと消滅してしまうほどの、激しい破壊の跡。これは帝国軍が極秘に開発した魔導兵器によるものです。軍事機密に付き詳細を語ることはできませんが、恐ろしい破壊力を秘めていることは、誰の目にも明らかでしょう」
そうしてエリナは見たままの状況と、最低限開示すべき情報を淡々と伝えて行く。
これまでのように帝国軍大勝利、魔王陛下万歳、と派手に騒ぐような演出になっていないのは、どう言い繕ってもアダマントリアの象徴でもあった王城が無に帰した衝撃は免れ得ないから。
映像がなければ、ただ敵の大軍が守る要塞を僅か一夜にして、ほとんど犠牲もなく陥落させた大勝利という、誰も文句はつけられない結果だけを伝えることは出来る。しかしながら、ダマスクの様子を軽く映すだけで、ぽっかりと空き地が広がる中心部の様子は隠しようがない。
この光景を見れば、大半の人々は恐怖を覚えるだろう。ただ燃えただけでこうはならない。火山が噴火する威力を、ここの一点だけに集中させたかのよう。フィオナの叩き出した破壊力は、あまりにも想像を絶してしまっていたのだ、
これをそのまま華々しい勝利として報じれば、帝国軍の不審に繋がりかねない。こちらの伝えたいことだけを無理に押し付ければ、必ず視聴者の反感を買うことになる、とはクロノの弁である。
報道官として加速度的に支持を増しつつあるエリナは、ヴィジョン放送による情報配信の影響力を誰よりも実感している。あまりにも急激に発言力が強まったことで、まるで自分の言ったことが全て正しい、と思い込みそうにもなってしまった矢先に、魔王直々に釘を刺されたような気分であった。
大本営発表と言われるようになったらお終いだ、と呟いていたクロノの言葉の意味は分からなかったが、何を言いたいかは十分すぎるほど伝わった。
そうしてエリナは当初の方針を大きく変えて、あまりにも大きな戦の爪痕が刻まれたダマスクを悼むような方向性にすることと決めたのだった。
「本日は特別に、この度アダマントリア総督に就任されたカール・バルログ・アダマントリア閣下をお招きしております」
ファーレンでブリギットが演説したように、今回も同様に解放された国の代表者を呼んでいる。
帝国軍の報道官として、エリナがこの戦いの結末を語るよりも、国を代表する者の方が相応しい。
「オール・フォー・エルロード」
忠誠の言葉と共に、アダマントリアの第三王子にして、総督としてこの地を治めることとなったカールが現れる。
その姿はアダマントリア国王である父親と同じ。王冠と王錫を備え、鮮やかな赤いローブと鎧を纏っている。
しかしここには座るべき玉座もなく、従える騎士もいない。王に相応しい装いをしているからこそ、この黒い荒野にただ一人で立つカールの姿はただただ虚しさだけが漂っていた。
これでは、まるで見世物だ。これからアダマントリアを治めなければならない人物ならば、その権威を知らしめるために玉座の間に代わる場所で祝福されるべき……しかしこの虚しい孤独の王の姿こそ、カールがあらゆるモノを失ったアダマントリア国民に見せたい姿なのだ。
「まずは、我らが祖国アダマントリアを取り戻していただいた、クロノ魔王陛下へ最大限の感謝の意と、そして心からの忠誠を捧げます」
敬礼。
不動の姿勢でそれを維持することしばし、カールはローブを翻して、ゆっくりと歩き出す。生まれ育った王城の面影など、一切が失われた無人の地を。
「ご覧の通り、酷い有様です。私は多くを、あまりにも多くのモノを失いました。家族を失い、臣を失い、民を失い……この国を、全てを奪われてしまった。私だけではありません、アダマントリアに住まう全ての者が、奪われ、失ったのです。生活を、誇りを、命さえも」
悲痛な声音。心底悔いているような、震えた言葉。
けれどカールの目に、最も気弱な王子の目に涙は浮かばない。
「全ては、国を守り切れなかったアダマントリア王家の不徳と致すところ。おめおめと一人生き残った私などが、今更出てきても、と思う方も多いでしょう。もしも私一人の命で全てを取り戻すことが出来るのなら、喜んでバルログの火口にこの身を捧げます。しかしそんなことで、戻るものなど何一つありはしない。だからこそ私は、一刻も早く、一つでも多くを取り戻すための方法を選んだ————たとえ王城が消滅することになっても構わぬと、魔王陛下へ願ったのは私です。この光景は私が選び、私が望んだものに相違ありません」
惨状の全ての責は自分にある。カールはそう訴える。
「このダマスクで、王城が如何にして消え去ったか、その一部始終を目撃した誰もが恐れおののいたことでしょう。アダマントリアに住んで、あれほど絶望的で破滅的な光景はありません。ですが、私でなくとも、ドワーフならば必ず選びます。これで侵略者を、あの悪しき者共を全て焼き尽くせるならば」
アダマントリアのドワーフ全てが奴隷となってしまう悪夢を終わらせられるなら、炎龍の怒りさえ我々は受け入れる。確信をもってそう言い切った。
「恐ろしく、いたましい。ですが、この光景を喜びましょう。ここは悪夢の焼け跡。憎き侵略者の全てを抱えて、王城が、散って行った英霊たちが、消し去ってくれたのだと。我々は確かに、アダマントリアを取り戻したのです!」
その結果は何物にも代えがたい。
カールは腕を振るい、強く訴える。
「アダマントリアは蘇る! これは終わりではなく、始まりなのです! このバルログの地に再び築き上げましょう、我らドワーフの王道楽土を。エルロード帝国の名の下に」
スクラップ&ビルド。壊れたならば、もう一度作り出せばいい。
アダマントリアのドワーフこそ、パンドラ一の技術力を誇る。我らに作れぬモノはない。
王城を、街を、失ったから何だと言うのだ。ならば次はもっとより良い城下を築き上げて見せよう。
「そしてこの、全てが失われたように見える王城跡ですが、ここには一つだけ残されたモノがあります」
歩みを進めてきたカールの足は、ついに止まる。
そこでようやく、カメラはカールの前にある「唯一この場に残ったモノ」を映し出した。
「『鉄血塔』。王城が建設されるよりも遥か昔、古代よりこの場所に建ち続けている塔です」
栄華を極め、強欲と傲慢に溺れ滅んで行ったと伝わる古のドワーフ王国。その唯一といっていい名残である鉄血塔の存在はアダマントリアでも有名だ。
古代遺跡だからこそ、炎龍が荒れ狂った灼熱の大破壊の中でも原型を保って残っていた。
「ご存知の通り、この鉄血塔の地下深くには、大地の底へと沈んだ古の都へと通じる扉があります。決して開かれることのない、封じられた扉ですが————」
アダマントリアのドワーフ達が望んだ、鉄血塔最下層の扉の開放。当時の姿をそのまま残す地底都市へ通じる夢の扉。
だが現代よりも遥かに進んだ古代の魔法技術によって厳重に閉ざされた扉を、開くことも破壊することも叶わず、ただ小さな小窓から眺めることしか許されなかった未知の領域は、
「————今、開かれました」
扉は開いた。
フィオナが開いたのだ。
リリィに先んじて鉄血塔のオリジナルモノリスへとアクセスしたフィオナは、瞬く間にプロテクトとロックを解除し、開かずの扉を開いてみせたのだった。
「ついに我々は、偉大なる先人達の技術に触れることが、出来るようになりました」
すでに地底都市の調査隊は送り出されている。
この冒険者全盛期と言ってもいい現代のパンドラ大陸において、全く手つかずの広大な古代遺跡、それも原型を保った状態で残っているものなどほとんど存在しない。あったとしても、それは『神滅領域アヴァロン』のように、あまりにも危険なものばかり。
だがこの地底都市は違う。少なくとも今のところは、あらゆる加護が消えるほどの制約もなく、古の守護竜が居座ってもいない。
そこは正しく宝の山。いいや、滅びさった古代ドワーフ王国から、滅びの寸前にある現代のドワーフ王国へと継承された、遺産と言うべきであろう。
「多くを失ったと、嘆いている暇はありません! ドワーフよ、職人よ、冒険者よ、ダマスクへと集え! これより我々は古代の技術を蘇らせる!」
目の前に積み上げられた莫大な遺産。欲のままにこれを貪るがいい。
人がいる。沢山いる。一つでも多く、一秒でも早く、失われた古の技術を、遺物を、取り戻すのだ。
「始めましょう、我らの新しい国を、新しい時代を。そしてもう二度と、何者にも負けぬよう、誰にも奪われぬよう。このバルログの地だけではない、パンドラ全土を制するエルロード帝国を築き上げるのです!!」
みすぼらしい黒焦げの塔を前に、王は虚しく一人で叫ぶ。
けれどこの瞬間、アダマントリア中のモノリスに映し出されたカールの演説と、地底都市解放の一報を聞いたドワーフ達は、歓喜の声を上げたのだった。
鉄血塔、最下層。
そこは巨大な円形広場となっており、中央に巨大なオリジナルモノリスが、薄暗闇の中を妖しくエーテルの輝きを発して鎮座しているだけ————というのは、つい先日までの話だ。
今やこの場は24時間、煌々と広場の隅々まで照らし出され、大量の物資が山となって積まれている。開かれた地底都市を探索するための準備が、着々と進められていた。
「フィオナ」
「ようこそ、リリィさん」
真夜中、人払いを済ませたこの場に、転移の輝きと共に現れたのはリリィ女王陛下。
それを迎える、魔女フィオナ。
オリジナルモノリスの前に、ただ二人の少女が対峙する。
「……流石、と言うべきかしらね」
すでに変身して少女の姿と化しているリリィは、まずは開け放たれた鉄血塔の扉を見て、探索準備が進む周囲を眺め、そして最後に転移を開通させて完璧に制御されたオリジナルモノリスを見つめて、そう口にした。
そんなリリィの姿をぼんやり見ながら、そういえば今夜は満月だったか、とフィオナは思うだけだった。
「上手くいって良かったですよ」
「ダマスクを攻略したこと? それとも、オリジナルモノリスを手に入れたこと?」
「どっちもですね。ダマスクを早く取り戻すと、皆さんと約束してしまいましたし。オリジナルモノリスは、私も一つは欲しいと思っていたので」
「帝国を二つに割るつもり」
鋭いリリィの眼光が、真っ直ぐにフィオナを射抜く。
すでにして妖精の女王の恐ろしさは広く伝わる帝国にあって、リリィに睨まれれば誰もが卒倒するか、伏して許しを請うだろう。
だがフィオナは殺気交じりの視線を、静かな湖面のような瞳で真っ直ぐに見つめ返す。
「私はリリィさんの、ライバルですから」
ダマスク攻略の顛末と鉄血塔の掌握。その詳細を聞き届けたリリィは戦慄すると同時に、後悔した。
「広大なエルロード帝国を上手く治めるためには、リリィさんでなければいけません」
それはフィオナには決して出来ないこと。人を治める。支配者として君臨し、統治するなど、最も苦手なことだ。才能の欠片もないという自覚がある。
「けれど、備えは必要ですから」
「もう一度、私と戦う?」
「リリィさんがその気にならない限りは」
フィオナが欲したのは、リリィと対等に戦う力。
それだけ。ただその力を持っていればいい。そうすれば、自分はリリィのライバルとして並び立つ資格を持ち続けることが出来る————それはきっと、フィオナなりの友情の形。
リリィはライバルであり、親友だからこそ、対等であり続けたい。
そして何よりも、最後の最後に力によってクロノを奪われないための抑止力でもある。
「女王陛下と煽てられて、私にも驕りがあったのかしらね……」
リリィの支配力を成立させる、絶対的な力の均衡が崩された。
パンデモニウムにおいて、リリィの力は絶大である。それはクロノをしても、真っ向から戦っても勝ち目がないほど。
オリジナルモノリスを掌握し、カーラマーラの古代遺跡の機能を全て扱うリリィにとって、パンデモニウムは自分の領域。砂漠に大津波さえ引き起こす『アトラスの怒り』は、自然を操る神の権能に近い。
だがフィオナはその絶対的な力に、明確な楔を打ち込んだ。
もしもフィオナが、パンデモニウムのど真ん中に炎龍を呼び出すことが出来るなら————それは正しく、古代文明崩壊の再来。
「リリィさんには、負けられませんから」
ただ純粋な言葉通りの意思をテレパシーで受け取ってしまえば、リリィとて深く溜息を吐くより他はなかった。
自分が嫉妬に狂いさえしなければ、フィオナは親友であり、頼れる『エレメントマスター』の仲間なのだから。
「分かったわ、アダマントリアは貴女の好きにしなさい」
「はい、好きにします」
その方が必ず帝国の、いいや、クロノのための力になる。
リリィはそう信じて、渋々ながらも奔放な親友に自由を許したのだった。
「ところでリリィさん、シャングリラってここまで持って来れます?」
「ついこの間、パンデモニウムに戻したばかりよ。今はシモン達が死ぬ気で修理してるから、無理」
「天空戦艦の船渠を見つけました。専用設備も揃って、全て稼働できます」
開かれた扉の向こうを指して言うフィオナの言葉に、リリィも思わず息を吞んだ。
「次は第十三使徒ネロを討つのでしょう。いい加減にあの男も、早く始末した方がいいのではありませんか」
2023年11月10日
次回で第45章は完結です。