第952話 アルゴノート(2)
獄炎装甲列車砲アルゴノート。
ダマスク攻略用に作られた、巨砲を背負う装甲列車だ。幅は通常の貨車の倍以上、レール二本に跨る巨躯を誇る、正にモンスターマシン。
重厚な黒鋼装甲の内には、莫大な動力を生み出す煉獄炉が煌々と燃え、煙突から噴き出す黒煙を棚引きながら戦場へ向けて疾走する。
突貫工事とはいえ、故国解放の思いを込めて打ち込まれた鉄の道は軋みを上げながらも確かに漆黒の巨躯を運んだ。
ハーズ駅を経ってから、およそ半日。
最大の難所である山脈中腹へと登る急勾配も何とか乗り越え、ついに終点へと辿り着いた。
「発射準備、急げぇーっ! 何としても日が暮れる前に終わらせろっ!!」
到着早々、デインの怒号が響き渡り、現地で待機していたドワーフ達が一斉に動き出す。
現場は先乗りしていた専用車両と貨物がすでに展開されており、ここから砲台となるアルゴノートの固定、ならびに補助用の魔法陣と儀式装置への設置・接続作業も行われる。
「それでは、ウルスラ、レキ、後は頼みましたよ」
「はい、先生」
「ううぅー、あんまり自信ないデース」
ウルスラには必要なことを全て教えてある。レキは魔法こそ専門外だが、ウルスラのサポートとして十分な経験も積ませている。
後は工房長デインが全て上手く仕切ってくれるだろう。
「扉を閉めます。何があっても、決して開かないように」
そしてフィオナはただ一人、アルゴノートの中へ残る。獄炎装甲列車砲という仰々しい名を冠しているが、その本質は兵器ではない。正確には、魔女フィオナという個人が使う武器なのだ。
「原罪よりも深き悪――『黒魔女・エンディミオン』・『悪魔の存在証明』」
加護による魔人化を発動。
瞬時に伸びる青い長髪と、突き立つ二本の水晶角。手にした『ワルプルギス』はすでに満開だ。
「『煉獄炉アルゴハート』、接続経路解放」
杖を翳すと、まず開くのは光石燃料の投入口。通常、これ以上に開くことはない。あまりにも危険だから。
だが、この場には術者たるフィオナだけ。誰に気兼ねする必要もない。
投入口からエーテルラインが輝くと、人が通れる扉のサイズにまで大きく開かれた。
瞬間、炉の内に燃え盛る業火が溢れ出し、俄かに車内を灼熱で満たしてゆく。
ただの人間なら火葬同然に骨と化すだろう炎の内にあって、魔人化フィオナは平然とさらなる火焔の渦巻く煉獄炉の中へと向けて一歩を踏み出す。
そのまま炉へと踏み入ると、扉は再び閉ざされ、術者を内包した煉獄炉アルゴハートは真の力を解放すべく、その熱量を際限なく増大させてゆく————
「————なに、コレは」
正午過ぎ、王城司令部に座すベラドンナ・メラルージュ公爵は、光魔法による投影映像付きで報告を受けていた。
全容が判然としない遠景ながらも、バルログ山脈中腹にある廃坑跡地に陣取った魔王軍の姿が映っている。
「恐らく、敵の攻城兵器ではないかと」
「それ以外には考えられないわよね」
うーん、と唸りながら映像を注視するベラドンナ。
天才的な炎魔術師として、魔法にはローゲンタリアでも有数の知識を修める彼女だが、それでも映し出された黒い鋼鉄の巨躯に見覚えはなかった。
見たことも聞いたこともない兵器。しかし、その形状から如何なる攻撃を行うかは明白である。
「なるほど、例の鉄の道を走らせて、途轍もない大砲を運び込んだというワケ」
これが魔王軍の用意したダマスク攻略の秘密兵器。巨大な大砲を配置するために、わざわざ新しい道を開拓してきた、と考えれば辻褄は合う。
「この大砲は一つだけ?」
「はい、他に確認はされていません」
このサイズの大砲がズラズラと並んでいれば、流石に満を持して打って出ることもありえるが、幾ら大きいとはいえ、たったの一つではそこまでのリスクは冒せない。
「けれど、もしこれがシャングリラ級の古代兵器だとすれば……」
たった一門の砲とはいえ、この要塞都市に風穴を開けるほどの威力があってもおかしくない。
これだけでダマスクを攻略するに足る力を誇ると確信があるからこそ、大軍を動員せずにいるのだと思えば、妙に少ない魔王軍の陣地も納得がいく。
「これを放置する方が危険かもしれないわ」
「それでは、如何ほどの兵を出しますか?」
「はぁ……嫌な場所に陣取っているわね」
副官の問いに即答することができず、溜息を吐きながら地図で位置関係を確認する。
ダマスクから兵を出して廃坑跡地の大砲陣地を攻めるなら、南側から回り込まねばならない。そうなれば当然、南大門前に陣取っている魔王軍本陣と当たる。
籠城の有利を捨てて、平地で精鋭部隊が並び立つ魔王軍と戦うのは戦力を無駄に消耗するだけで終わるのは目に見えている。
かといって魔王軍を迂回して中腹の大砲陣地まで向かうとなれば、険しい山道を登る羽目になるだろう。ダマスク出身のドワーフ戦士ならば、地図にはない山道や近くまで通じている坑道なども把握しているかもしれないが、ローゲンタリア軍にそこまで地理が明るいはずもない。最悪、部隊丸ごと遭難しかねない。
ドワーフに案内させるかと思ったが、カール王子を擁する魔王軍がこんな目の前まで来ているのだ。隙を見れば即座にドワーフは反抗。そうでなくても、道案内を受けたフリして全く違う道を選ぶ、などの妨害工作に走る可能性は非常に高い。
ただ魔王軍がやって来たというだけで、すでにダマスクにいるドワーフ達に希望の光が灯ってしまっている。
「仕方ないわね……大遠征軍の残党共で奇襲部隊を編成しましょう」
「その命令を彼らが素直に従うでしょうか」
「ダマスクは私の街よ、嫌なら叩き出すまで。けれど危険な任務になるのだから、相応の褒章は出すわ。アダマントリアの一部を譲ってもいい」
「では、そのように」
「でもこっちの本命は天馬騎士よ」
「よろしいのですか? 彼女達は対空防御の要ですが」
「魔王軍に天空戦艦シャングリラはないし、空中兵力もハーピィ部隊だけ。噂の『帝国竜騎士団』もいないじゃない」
あの大砲をダマスク攻略の切り札としているからこそ、ヴァルナ決戦で傷ついた天空戦艦を持ち出して来ることはない。ならば対空防御の備えを多少切り崩してでも、新たな敵の脅威に対応すべきと、ベラドンナは判断を下した。
「確かに、敵の空中兵力は当初予想していた規模に比べれば皆無に等しいですが……それでも、黒竜に乗った魔王がいます」
「あっはっは! 魔王が単騎で出て来るワケがないでしょ」
「しかし、今朝方の降伏勧告は単独で飛んでいましたが」
「狙われるリスクを承知で、一人で飛んで来た度胸は凄いわよね。けれど実際に戦うとなれば話は違う。貴方、ウチの王様が敵の天馬騎士部隊に、一人で挑むと言い出したら止めないつもり?」
「確かに……」
本人はヤル気でも、配下が止めるに決まっている。
魔王クロノは常に最前線で戦う、典型的な自身の武力を頼みとする武闘派の将だ。一騎打ちを喜んで受ける、という話も聞いている。
しかし、だからと言って単騎で敵部隊に当たることはありえない。彼は魔王という国家元首であり、ただ兵士を率いるだけの武将ではないのだから。
たった一人で敵中に飛び込んで許されるのは、神に愛された使徒だけだ。
「天馬騎士の半分を出しなさい。けれど、無理に敵陣を落とさなくてもいい。大砲の破壊だけを狙えばいいわ。最悪、発射だけでも妨害出来ればそれでよしとしましょう」
「ははっ!」
かくして命令は下され、廃坑跡地の大砲陣地への襲撃部隊がダマスクより出撃することとなった。
「————流石に手を打って来たか」
太陽が西に傾きかけた頃、ダマスクから千人規模の敵部隊が出撃した、との報告が届いた。十中八九、フィオナの列車砲を狙っての動きだ。
「カイ」
「おう、歩兵の方は任せておけ」
撃てば響くように、大隊長カイが頷く。
勿論、ここに陣取っている全員が迎撃に動くワケではない。下手な数を動かせば、好機と見て敵本隊が打って出て来る可能性もあるからな。
これまでのローゲンタリア軍の動きを見るに、敵将は慎重で、基本的にダマスクの防備を最大限に活かそうとしている。あまり勢い込んで動くことはないだろうが、露骨に隙を晒せば突かれるに決まっている。
第一突撃大隊と巨獣戦団の精鋭を前面に押し出した魔王軍の陣容は崩さぬよう、動かすのは最小限だ。
「カイは行くんじゃないぞ」
「いいじゃねぇかよ。ここを逃したら出番なくなっちまう」
「マジで敵本隊が出てきたら困るだろ」
「ちぇー、やっぱそーだよなー」
「横腹を突っつくだけの遊撃隊だ。足の速い奴か、隠れるのが上手い奴らで頼むぞ」
「分かってるって」
こっちから出すのは、あくまで遊撃部隊。本命の迎撃は、列車砲陣地の防衛部隊だ。
これだけ目立つ大砲を担いで目の前に現れたら、絶対コイツが攻城兵器の要だと思い、何が何でも狙ってくるだろうからな。それ相応の防衛兵力を置いて来た。
「おっ、天馬騎士まで出張って来たぞ」
「それだけ警戒しているってことか」
王城のあるダマスク中心部から、次々と天馬騎士が空へと飛び立つ様子がここからでも確認できた。
魔王軍本隊と城を出てぶつかりたくはない。けれど列車砲も放置したくはない。一定数の地上部隊と、相応の天馬騎士部隊をけしかけて襲わせるのは、妥当な対応だろう。
貴重な天馬騎士をここで投入するということは、こっちにシャングリラが無い事にも勘付いているな。敵将は慎重だが、臆病ではない。
「じゃ、ちょっと行ってくる」
「クロノさぁ、俺には出るなと言っといてよぉ……」
恨みがましい目つきでカイに睨まれ、確かに自分の事を棚に上げてる感はヤバいなと思う。
「でもしょうがないじゃん、空飛べるの俺だけだし」
「ハーピィは?」
「基本偵察でガチ空中戦には出せない」
命じれば喜んで出撃しそうなほど士気は高いが、竜騎士に次ぐ貴重な空中兵力だ。わざわざ相性の悪い相手にぶつけて損耗するのは避けるに決まっている。
「……恐れながら、魔王陛下」
俺とカイが言い合っていると、巨獣戦団の団長であるティラノ型リザードマンが重々しく口を開いた。
何だろう、天馬騎士相手により良い策でもあるのか。
「魔王陛下お一人で戦うのは、あまりに危険。もしも御身に、万一のことがあれば————」
「……」
と、俺はカイと無言で顔を見合わせてしまう。
どうしよう、ここでまさか正論パンチが飛んで来るとは。
「クロノさぁ」
「いやしょうがない、これはしょうがないことなんだよ」
そう、何故ならば巨獣戦団は帝国軍においては新参だから。魔王が単独で戦うのは、ウチでは当たり前のことだというのを、まだ知らないだけなんだ。
というか、スパーダ人はレオンハルト王が最強だったから、王様が最前線に出張ったり一騎打ちするの当然じゃん、みたいな認識あるから、俺が戦場で散々出しゃばってもあんまり文句出なかった感はある。
でもそうだよな、普通は自分のとこの王様を一人で天馬騎士部隊の迎撃になんか当たらせないよな。
だがしかし、今回は仕方のないことなのだ。
シャングリラはなく、リリィもいない、竜騎士団も連れていない。だから俺がやる。
「大丈夫だ、問題ない」
黒竜の力を信じろ、と俺は団長の肩を叩く。
「は、はぁ……」
ごめん、なんか凄い困った顔してるのがティラノフェイスでもありありと分かるけど、今はこれが最善手だから。
「そんな心配しねーで、黙って見てりゃいいんだよ。これが俺らの魔王様だからな」
カイが能天気にそう言えば、もう意見は覆せないと悟ったか、団長はそのまま頭を垂れた。
「魔王陛下、どうかご武運を」
「ああ、こっちはお前達に任せたぞ」
「おうよ」
「御意」
そうしてカール王子にも一言断ってから、俺はベルに乗り込み、真っ直ぐにフィオナの元へと向かう。
険しい山道にレールを敷くのは大変な工事だったが、空を飛べば全て忘れて一直線だ。あっという間に、俺は現場へと到着した。
「マスター、ここの守りは私達だけで問題ないかと」
「そう言うな。結構な数の天馬騎士が出てきたからな」
この列車砲こそがダマスク攻略の要。よって、ここの防備にはサリエル率いる『暗黒騎士団』を丸ごと置いて来た。
土魔術師の工兵部隊には急造の壁を立てさせて簡易拠点化させている。そこに重火器フル装備の暗黒騎士団を配置しているので、歩兵の力押しは勿論、空中からの攻撃にもある程度は対応できる。
けれど列車砲に万が一があれば、今回の攻略作戦は崩壊する。天馬騎士が特攻をかけて来ないとも限らない。こっちも万全の体勢で列車砲を、いいや、フィオナを守る。
「列車砲の発射準備はそのまま続けてくれ。ここは必ず、俺達が守り切る!」
「オール・フォー・エルロードッ!!」
列車砲の周辺では、今も慌ただしくドワーフ職人が行き来している。ただデカい大砲をぶっ放すだけでも一苦労なのに、更に高度な魔法の儀式装置まで必要だ。
非常にデリケートな作業の連続。決して邪魔を入れさせるわけにはいかない。
俺もさっさと防衛配置につくとしよう。
「レキ」
「わぅ、クロノ様っ!?」
土魔法で築かれた簡易防壁の前に見知った顔を見つけて声をかける。
漆黒の機甲鎧を身に纏った暗黒騎士達の中にあって、軽装でデカい剣と斧を背負ったレキはかえって目立っていた。
「フィオナの手伝いはもういいのか?」
「もうレキに出来ることはないデース。後はウルスラにお任せデスよ」
「凄いな、立派にフィオナの弟子をやっているのか」
初めて聞いた時は驚いたが、フィオナは魔法に関して天才的であるのは紛れもない事実だ。何より、シンクレアでウルスラの故郷であるイヴラームの魔法体系にもそれなり以上の知識があるらしいフィオナは、パンドラ大陸においては二人といない師匠である。
ウルスラに固有魔法の扱いを最初に教えたのは俺だが、結局は自身の魔法の力を頼みとする魔術師の道を選んだことは……今更、俺がどうこう言う筋はない。
「だから、レキはここで先生とウルスラを守るだけデス!」
「そうだな、一緒にここを守り抜くぞ」
ヒマワリのような眩しい笑顔のレキを、ついつい撫でてしまう。
うーん、やはり懐いてくれた子犬みたいで可愛いな。
「ご、ご主人様! プリムも……プリムも頑張ります!!」
レキを撫でて癒されていると、何故かプリムもやって来た。勿論、完全武装なので『ケルベロス』を装着しており、いきなり出て来て迫られると圧が結構凄い。
いまだにこのゴツい鎧兜から、プリムの幼く愛らしい声音が聞こえて来るのにギャップを覚える。
「ああ、頼むぞ。今回は陣地の防衛が第一だからな、防壁から出たりするなよ」
誰に似たのか、プリムは割と突撃癖があるのだ。
暗黒騎士団の中でも『ケルベロス』の性能は随一だし、操縦技量も一番だが、如何せん幼さ故の経験不足が目立つ。それに本体の戦闘能力もまだまだである。プリムは非常にアンバランスな状態のまま、俺と共に最前線に立たせているから、余計に心配になってしまう。
無理に戦功を挙げる必要はない。戦場ではまず安定した立ち回りを意識してもらいたい。
「はい……」
注意されてへこんでしまったのか、返事にちょっと元気がないプリムであった。
何かもう一言フォローしようか、と思った矢先、
「マスター、来ました」
サリエルの言葉に、首都ダマスクへ目を向ければ、点々と黒い影が動き始めたのが見えた。
地上部隊の進行と合わせて、ついに天馬騎士も動き出したようだ。
「サリエル、発射まであとどれくらいかかる」
「ちょうど日が沈む頃、とのことです」
太陽の傾き具合からすれば、もうあと30分ほどで日没を迎える。少しばかり粘れば、それだけで十分。
後は主役に、出番を譲るとしよう。
「デカい花火を頼むぞ、フィオナ」