第949話 巨獣戦団
「————とうとう来たか」
ローゲンタリア軍が工事を襲うべく動いた、との情報はフィオナと一緒に優雅な朝食をとっていた時のことである。
線路はとうにアダマントリア領に入り込んでおり、日々順調に伸ばしている。街道から離れた場所とはいえ、これだけの大人数を投入し、重機ゴーレム達が轟音を上げて作業する大規模な工事現場だ。どんな無能でも、俺達を見つけることだろう。
遠からず、工事を妨害すべく襲撃があるだろうと思っていたが……敵の指揮官はかなりの慎重派らしい。俺達を見つけ次第すぐに襲い掛かって来ることはなく、明らかに自分達が攻めるのに都合が良い場所まで来るのを待ってから動いている。
「通常兵力のみで襲撃をかけるなら、今の地点が理想的」
「やっぱり、サリエルもそう思うか」
「このお肉、ちょっと焦げてません?」
今はちょうど線路が大きな街の傍を通るような場所まで来ている。その街には周辺一帯に睨みを利かせるローゲンタリア軍の大隊が駐留していることは、すでに判明していた。
それなりの兵力が居座るすぐ傍を通るのは、単純に線路を通すのにこのルートが最適というのが第一。そしてこの程度の兵力ならば、襲撃されても十分に対処可能だという自信があったからこそ。
これが二個大隊だったら迷わず迂回していたが、ローゲンタリアの戦力はやはりダマスクに集中させている。お陰でこの辺の地方は最低限といった戦力配置だ。どうも奴らは、首都でドワーフの反乱を相当に恐れているらしい。
「念のために、索敵範囲を広げておいて良かったな」
「はい、地上と空中、どちらも非常に優秀な偵察部隊です」
「でもこの焦げが美味しいんですよ」
これまで空中偵察は竜騎士頼みであったが、空を飛べるのは飛竜だけではない。ヴァルナ森海には様々なハーピィがおり、より飛行能力に長けた種族もいる。
今回はクリスの『帝国竜騎士団』には休んでもらって、代わりにハーピィの空中偵察部隊に頑張ってもらうことにした。
勿論、地上での偵察においても、鼻の利く犬系、狼系の獣人は人間などより遥かに優秀。兎獣人は耳が良いし、あのリス獣人も小ささを活かした隠密性を発揮している、らしい。
「早めに見つけられたお陰で、十分に間に合いそうだな」
「マスター、やはり出るのですか」
「ごちそうさまでした————それでは行きましょうか、クロノさん、サリエル」
流石に作戦の言い出しっぺだけあって、珍しくフィオナもヤル気である。
サリエルはあまり出て欲しくなさそうな顔をしているが、現場にはデインさん筆頭に、これからの帝国の工業を支えてくれるだろうドワーフ達が大勢いる。一人たりとも、こんなところで犠牲など出させない。
偵察報告によれば、敵もまだ街から出発したばかりの模様。
俺達は要所に設けておいた前線拠点にいる。ここから簡易貨車に乗り込めば、現場まですぐに到着する。防衛線を展開し、作業員を避難させるだけの時間は十分に確保できるだろう。
「カイの第一突撃大隊に後詰を頼む」
「では、暗黒騎士団が」
「いいや、『巨獣戦団』で行く————」
「————バカ野郎ぉ! 敵に獣人共がいるのは分かり切ってたコトだろうが! ハーピィの空中偵察に気をつけろって、あんだけ言ったよなぁっ!?」
作戦開始早々、ローゲンタリア軍大隊長ハロルドは伝令兵に怒鳴り声を上げていた。
「も、申し訳ございません……敵の防備が手薄と見て、今こそ好機と中隊長が……」
「これだから貴族のボンボンはっ!!」
ガツーン、と八つ当たりで木箱を蹴飛ばす。頭の血管が切れそうなほどの怒りだが、ハロルドには目の前の伝令兵を殴らない程度には正気を保っていた。
「ええい、こうなりゃやるしかねぇ————全軍、中隊へ続くぞ、前進!」
敵に発見されてしまった以上、もう引っ込みはつかない。
本当ならこの時点で撤退して仕切り直したいくらいだが、一度も敵と矛を交えず退いたとなれば、自分の首が物理的に飛んでもおかしくない叱責を喰らうこともありうる。
そして何より、こちらが仕掛けるのに最も都合がいい場所まで魔王軍が進んでくるのを待っていたのだ。ここを逃せば、集結した戦力をまとめてぶつけられるようなポイントはない。
「こっからは早さが勝負だ! 騎兵突撃を仕掛ける。全騎、俺に続け!」
危険は承知だが、敵が防衛体制を整えるよりも前に、最速で騎兵突撃をかけてできる限りの損害を与える。
何も敵を殲滅する必要はない。最低限ちょっかいをかけられればそれでいい。相手への損害は軽微だろうが、こちらも被害も抑える。それでいて勇猛果敢に敵陣へ騎兵突撃を自ら敢行した、という事実があれば上からケチもつかないであろう。
そういった諸々の思惑込みで、ハロルドはそう決断を下した。
実際、今の自分の立場と戦力で出来る最適解であろう。
先行させていた間抜けな歩兵中隊を追い抜き、ハロルド率いる大隊の中核戦力たる騎兵部隊は疾風のように荒れた草地を駆けて行く。
この辺一帯は完全な荒野というワケでもなく、かといって鬱蒼と木々が生い茂る森というほどでもない。荒地と草地が入り混じり、点々と林が広がっている。
森の中には及ばないが、それでも慎重に進めば身を隠して進むことは出来る。それでいて、いざとなればこうして騎兵を走らせられるほどには開けていた。進むにも退くにも程よい地形の上に、駐留する街からも近い。ここを置いて他に理想的な襲撃地点はなかった。
早々にハーピィの空中偵察に引っかかるというポカをやらかされても、まだ取り返しはつく。俺は最善手を打っている。そう自分に言い聞かせながら馬を走らせていたのだが、
「————クソぉ! 間に合わなかったか」
いよいよ敵の現場が見えて来る、といったところまで距離を詰めて来れば、視界に映るのは辺り一面に広がる壁であった。
ゴロゴロと岩の入り混じった、かなり荒い作りの土の壁である。土属性の下級範囲防御魔法『石壁』に過ぎないが、とにかく展開された範囲が広い。
突けば崩れる程度の防御力だが、それでも騎兵突撃の勢いを殺すには十分。
「ただの工兵のくせに、対応が早過ぎんだろ……」
最速で動いた自信がある。それにも関わらず、相手は冷静に僅かな持ち時間で防衛体制を整えた。道路工事をやらされる、単なる工兵や土木作業員ではこうはならない。
立派に実戦経験を経たベテラン級の土魔術師部隊が投入されていることは、ハロルドとしても想定外。そして守勢に徹する土魔術師は厄介だ。
「先に壁を立てられちまったらダメだ、一旦退け! 退けぇーっ!!」
騎兵突撃にこだわらず、さっさと転身。
後続の歩兵部隊と合流し、最大の戦力を集中させて攻めるべき、とハロルドは方針を転換させた。
そのコロコロ変わる判断にケチの一つでもつけようかと副官が思った矢先、チュィンッ! と嫌な擦過音がすぐ傍を過って行った。
「お前らさっさと下がれ! 帝国軍は銃を連発してくるぞっ!!」
ハロルドが恐れているのは壁そのものよりも、壁に守られた射手である。
射手と言っても弓兵ではない。もっと恐ろしい殺傷力と射程、そして何よりも発射速度を誇る銃兵がいることだ。
エルロード帝国軍の歩兵には、ライフルと呼ばれる新型の銃が採用されていることは聞き及んでいる。だが銃という存在については、ローゲンタリア軍に所属するからこそハロルドはすでに知っていた。
なにせ隣国がパンドラ一の工業国家アダマントリアである。最新鋭の魔法武器や先鋭的な兵器は、次から次へと出て来る。無論、その全てが使えるかどうかは別なのだが。
その中に、銃はマイナーながらも確かに存在する武器の一種であった。アダマントリアで作られていた銃は、基本的には攻撃魔法を撃ちだす魔法の杖の延長のような扱い。魔力の無い者でも殺傷力のある攻撃魔法を簡単に放てる、というのは脅威的ではあるものの、魔法の武器だけあって高価だ。
そしてロクに魔法も扱えない新米魔術師や新人冒険者のような者が、そんな高価な武器を持てるはずもなく……大量に揃えれば強力だが、その金で同じ数の魔術師を雇う方が遥かにマシという、コストに見合わぬマイナー武器。それが銃という存在のはずだった。
「チクショウめ、あんな下っ端の奴らでも銃を持ってやがるのか……カーラマーラの黄金伝説ってのはマジだったのかよ」
無尽蔵の黄金がある、なんていう伝説も本当に思えるほど金をかけていやがる、とライフルを射かけられながらハロルドは心中で悪態を吐きっぱなしであった。
「はぁ……損害は?」
「負傷者が少々。脱落者はいません」
「な? 俺の判断が早くて助かっただろ」
ぐぬぬ、と表情を歪める副官を笑って、ハロルドは再び後続の本隊と合流を果たす。
すでに騎兵突撃による速攻を止められた形だ。次はもう多少の時間をかけてでも、こちらの戦力を万全にした上で仕掛けることにする。
当然、相手も猶予の分だけ防備を固める。あるいは、速やかに撤収していくか。
出来れば一旦、逃げ帰ってくれないか……と神様にお祈りしながら、攻撃体勢が整うのを待った。
「やっぱ逃げてはくれなかったか」
再び現場を目視できる距離にまで進んで来れば、より高く厚い壁が築き上げられていた。
「ですが、思ったほど防備が増強されたようには見えません」
副官の言う通り、最初に土壁を築いた魔術師部隊が、もう少し時間をかけて強化した、という程度にしか見えない。てっきり、岩の要塞でも築き上げているかと思っていたが、少々拍子抜けする陣容である。
「あちらさんも増援はなかったか……?」
銃の威力を過信し、あの程度の防備で十分に対処できると踏んでいるのか。実際、このまま攻め込めばそれなりの犠牲は出るだろう。
だが、それだけで負けることはない程度には戦力が揃っている。こちらは大隊に加えて、ヘマをやらかした奴らも可能な限りの戦力を集めてきているのだ。
今ここには、アダマントリア南西部の占領部隊、ほとんどその総力が結集していると言っても良い。
「……よし、やるか」
残念ながら、ここで撤退を決断させるだけの要素が見当たらない。
土壁に囲われ、不気味な沈黙を保つ敵陣へ向けて、ハロルドはついに号令を下した。
「突撃ぃーっ!!」
盾を構えた歩兵部隊が、魔術師部隊の防御魔法の掩護を受けながら前進を開始する。
上空に出来る限り広範囲に風属性範囲防御魔法『風壁』を展開。飛来する矢を逸らす風の守りも、鉛の銃弾にどこまで効果があるかは疑問だが、無いよりはずっとマシだと信じて使わせている。
幸い、今のところ銃撃によって倒れる兵は一人もいない。
「何故、撃って来ない……?」
「もしや、すでに敵は退いているのでは」
独特の渇いた射撃音が聞こえず、迫り来る歩兵部隊を前に全く反撃のない敵陣の様子に、副官の言葉を肯定しそうになった矢先、ガラガラと土の防壁が突如として崩れた。
無論、こちらが破ったのではない。勝手に崩れたのだ。
術者がいなくなって自壊した————否。
魔術師部隊は、自ら壁を崩したのだ。
ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!!
大地を揺るがす咆哮が轟く。一つではなく、幾つも。
一体、どれほどの猛獣が吠えていると言うのか。その疑問はハロルド達の前に現れた巨大な影によって即座に示される。
「なっ、な、なんだよアイツらは……」
崩れた壁の向こうから現れたのは獣人戦士であった。
ただの獣人ではない。デカい。揃いも揃って、とにかくデカい。
その脅威は最早、説明不要。
「今こそ、我らヴァルナの戦士の力を示す時!」
「クロノ魔王陛下、どうぞ大いなる獣の力をご覧あれ!」
「黒き神々よ、牙と爪の加護を与え給え」
「イィイイヤァアアアアアハァアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
平均身長余裕の2メートル越え。多種多様な獣人が住まうヴァルナ森海の中でも、特に大柄な種族のみで編成された大戦士の集団。ヴァルナ百獣同盟が誇る最大最強の地上戦力、それが『巨獣戦団』である。
堂々と先頭に立つのは、身の丈3メートルを超す最大級の四人。
牙を剥き出しにして一際巨大な咆哮を上げるのは、『巨獣戦団』を率いる団長。リザードマン、と言うには逸脱した巨体だ。その姿は正しく竜の末裔を称するに相応しい、大きな牙と爪、頑強な甲殻と長大な尻尾を備えている。
古代地竜の血を色濃く引く、ヴァルナでも極少数しか存在しない希少種ダイナレクス種。生まれながらの頂点捕食者たる戦闘力に、無数の実戦と弛まぬ鍛錬の果てに鍛え上げられた、正しくヴァルナが誇る英雄だ。
その団長の隣に並び立つのは、茶褐色の長大な毛皮に包まれた象獣人の大戦士。ヴァルナにおいて巨躯の代名詞たる象獣人の中でも抜きんでた巨体を誇り、両手に二本のメイスを構えた姿は、正に不動。大地を踏みしめる蹄は、その超重量に沈み込んでいた。
両刃の戦斧を掲げるのは、天を衝く立派な二本角に分厚い黒毛のミノタウロス。強靭な筋肉と毛皮に覆われた巨躯は、さらに魔法効果を付加された一族でも最高の鎧兜を纏う。
先の戦いで、敵へ内通した上に反乱を起こすという最大級の失態を演じた大角の氏族、その汚名を僅かでも返上せんがために、大角一の将軍はただの戦士の一人として『巨獣戦団』へと入ったのだ。
そしてデカいウサギ。筋骨隆々、あるいは甲殻を纏った見るからに威圧感のある面々とは対照的に、その身はフワフワの柔らかそうな毛皮に包まれ、体型も着ぐるみの如く丸っこい。
しかしその身に宿る膂力と闘争心は『巨獣戦団』でも随一。温厚な大兎獣人の中でも異端の狂戦士は、並び立つ敵を前に愛用の巨大ハンマーを振り回しながら甲高いソプラノボイスで「ヒィヤァーハァー!!」と雄叫びを上げていた。
「ああ、ダメだこりゃあ……」
彼らの姿を一目見て、ハロルドの口から諦めの言葉が漏れた。
挑むべき相手ではなかった、と後悔してももう遅い。突撃命令を下し、前進し始めた歩兵部隊はすぐには止められない。まして目標はすでに目と鼻の先。
そんなタイミングで目の前に現れたのは、巨大獣人戦士の化物軍団。一方的な蹂躙が始まる。
「撤退だ。勝てるかよあんなん」
「し、しかし大隊長、このままでは敵に何の損害も……」
「お前それあのモンスター軍団の前でも同じこと言えんの?」
絶対的な戦力差は明らかだ。こんなもの、最初から勝負にならない。一矢報いる、などというのは、敗者の下らないプライドだ。
そんなものにこだわるくらいなら、素直に敗北を認めて、一人でも多く生き残れる道を誰よりも早く進むべき。命あっての物種。ハロルドの座右の銘である。
「魔術師部隊、壁でもなんでもいい、とにかく奴らを足止めしろ! 歩兵なんざあっという間に蹴散らされるぞっ!!」
前面に立てた哀れな歩兵達がメチャクチャにされている間に、せめてもの足止めと魔術師部隊と射手部隊を動かす。この状況下では、もうただの歩兵など幾ら投入しても意味がない。
最優先で歩兵部隊を下がらせつつ、自分達の撤退タイミングを計る。
「落ち着いて行け! 奴らの足は遅い、こっちが止まらなきゃ追いつかれねぇ!」
ハロルドの速やかな撤退命令の成果か、幸いにもパニックで総崩れになることなく、順次戦場から離脱するべく大隊は動き出した。
歩兵部隊を蹴散らし、踏み潰し、着々とこちらへと距離を詰めてくる『巨獣戦団』の圧に、何もかも放り出して逃げ出したくなる恐怖を必死に抑え込む。
まだか、そろそろいいんじゃないか、いやもう少し……無様な歩兵の断末魔と、荒れ狂う獣達の恐ろしい唸り声が耳に届くほどの近さまで耐え、ついにハロルドも逃げることを決断した。
「よし、俺らも離脱する。ありったけ煙幕を焚け!」
こういう事があるから、少々お高いがマジックアイテムの煙幕は常備させているし、魔術師部隊にも習得させている。
瞬く間に濛々と白煙が戦場を覆い尽くしてゆく。無論、ただの目くらましを張った程度で、敵が止まるはずもない。
だが視界を閉ざせば多少なりとも前に進む速度は落ちる。その間にどれだけ距離を稼げるか。奴らが本当に鈍足であることを祈りながら、ハロルドは騎手を返す寸前に、ソレが目に映ってしまった。
「おいおい、ウソだろお前————」
バサバサバサ、と無数の羽ばたき音が聞こえた気がした。
白煙が充満する中、さらにその煙幕を飛び越えるように幾つもの鳥影が空を舞う。
「————ハーピィの空中部隊だと!? ふざけんなっ、フツー偵察にしか使わねぇだろが!!」
ハーピィの飛行能力は唯一無二ではあるが、空を飛ぶ者の宿命としてその身は軽く脆弱だ。中には強靭な鷹の種などもいるが、一般的なハーピィは肉弾戦を得意とするほど頑強な体ではない。
よってその運用法は空中偵察に限り、出来るだけ直接戦闘は避けるといったものがパンドラ大陸ではセオリーである。精々、空から弓か投石をする程度で、魔法攻撃も出来れば精鋭といったところ。
だがハロルドはこのタイミングで仕掛けて来るハーピィの集団を目にして思った。帝国軍は歩兵にもライフルを持たせられるほどの金持ち軍隊だ。
ならハーピィにだって、銃を持たせるのでは————その推測は直後に現実のものとして示された。
「ぐわぁあああああああああああああっ!」
「クソっ、鳥共がっ! 撃ち落とせっ!!」
「おい、止まるんじゃねぇ、さっさと進めよぉ!!」
悠々と空を行くハーピィ軍団が、遥か上空から渇いた射撃音を響かせて弾丸を降らせてくる。こうなると、首尾よく先に逃がした歩兵部隊も混乱もする。
逃げるべきか、反撃するべきか。迷うのも無理はないほど、空からの銃撃は無視できない威力と恐怖があった。
最も被害を減らす方法は、無視して逃げるが正解だろう。ハーピィ軍団といえど、千も一万もいるわけではない。しかしこれ見よがしに音をたてて放たれる銃弾と、ついでのように放られた火属性魔法を炸裂させるマジックアイテムの爆撃によって、歩兵部隊の足は止まってしまった。
こうなると、もうハロルドの命令一つだけでは収拾がつかない。
「……なぁ、もう俺らだけで逃げね?」
「なに馬鹿なこと言ってんですかっ!!」
今ばかりはお堅い副官が正論であった。しかし、もうどうにもならない窮地に陥っていることは事実。
このままではハーピィの襲撃で混乱する歩兵部隊に退路を塞がれて、刻一刻と迫り来る化物軍団に追いつかれるだけ。騎兵の速度を生かす優位など、どこにもさせる余地がない。
「はぁ……とうとう俺もここまでかぁ……」
ついつい遠い目で空を見上げれば、そこには一際に大きな影が過った。
ハーピィではない。空を羽ばたくのは逞しい両翼に違いないが、それを持つのは大きな馬体。天馬だ。
けれど何よりも存在感を放つのは、純白の天馬に跨った小柄な少女。
漆黒の軍装と十字槍を手にした姿からは、雷にでも打たれたかのような凄まじい魔力の気配が叩きつけられる。
「————敵の指揮官を発見。その首、貰い受ける」
おいおいおい、死んだわ俺。
どう足掻いても勝てないと、本能でも経験でも一瞬にして悟ったハロルドは、
「永久不滅の忠誠を誓う、黒き槍ぃ! 『暗黒騎士・フリーシア』っ!!」
加護を発動させた。
パンドラの騎士において、最もポピュラーな加護である。さほど高位の加護ではない、平均的な力しか授かっていないが、それでも本物の加護。
その身からかすかな雷光と、槍の穂先に宿る紫電を掲げて、ハロルドは声の限りに叫んだ。
「俺は十字教徒じゃない! 頼む、見逃してくれぇーっ!!」