第948話 青き森発、ダマスク行き
「————もうっ、また一人で戦ったの!?」
「ベヘモスコングはちょうどいい相手だったから。ちゃんと悪食を使う練習にもなったし」
黒化が完了したモノリスを目いっぱいに私用で使えるのは、魔王様の特権である。高さ3メートルほどの大きな石板の表面には、通信相手である幼女リリィの顔が映し出されている。
ランク5モンスターとサシで戦ったことを聞いて、頬を膨らませているが、俺のワガママだからそう怒らないで欲しい。
「むぅー、やっぱり私もそっちに行こうかしら」
「大丈夫だって。俺よりリリィの仕事の方が大変だろう」
「それはそうだけどぉー」
「今回のダマスク攻略はフィオナに任せて、こっちのことは気にするな」
「その肝心のフィオナは何してるの?」
「青き森の恵みをたらふく食べて、満足して寝た」
「……やっぱり行こうかしら」
「だ、大丈夫だって」
まだフィオナが表立って何かやるような段階にないというだけで、決してサボっているワケではないのだ。
ベヘモスコング討伐は完全に俺の勝手でやったようなものだし、本命の線路工事も現場はデインさんが仕切っているので、フィオナがあえて口出しする必要もない。
天才魔女様の本番は、線路がダマスクまで開通してからだ。
「それに、青き森の民も無事に帝国へ下ってくれた。ひとまず最初の問題はクリアだ」
討伐を終えた後は、かなりスムーズに帝国入りが決定した。
長老会という各集落の長による合議制が青き森での最高意思決定機関となっているが、大長老オルベールの影響は思っていた以上に強かったようである。彼の鶴の一声で、ほとんど反対意見が出ることなく、長老会での決は取られた。
やはり分かりやすく戦力を見せるのは効果的だ。帝国軍の力を自分達への脅しととるか、頼れる防衛力ととるか、というのは相手次第ではあるが。日本がアメリカの核の傘に入っているように、青き森のエルフ達には万に一つも帝国軍の力が自分達に向くことなく、森を守ってくれる存在だと認識してくれるようになるのが、最も平和的に収まる。
そういう点でも、魔王である俺が一人でベヘモスコングと戦ったのは、デモンストレーションとしても効果的だったんじゃないだろうか、という言い訳である。
「いくら引き籠りがちな森のエルフでも、魔王を名乗る意味は分かっているでしょうから」
「でも大角の反乱みたいなのは、もう御免だからな」
だからちゃんと信頼関係を結んでおかなくてはならない。ベヘモスコングという脅威がこのタイミングで現れてくれたことは、俺達にとっては非常に都合が良かった。俺の糧にも帝国の利にもなってくれたコング君には感謝しかない。
「で、そのヴァルナの獣人達は、ちゃんと良い子にしているのかしら?」
「今週中には線路がアダマントリア領に入る。彼らの出番はそこからだろう」
すでにアダマントリア全域をローゲンタリア軍が占領している。それに加えてヴァルナで敗走した大遠征軍の残党が帰還しつつある。敗残兵とはいえ、大角から撤収した奴らはそれほどの損害はないし、元々こっちの方からやって来た連中はピースフルハートが落ちて早々に引き上げている。俺達がキッチリ壊滅させられたのは、サラウィンに集結していた奴らだけだ。
結果的に大遠征軍には、数だけで見ればそれなり以上が残っている。
それに加えて、ダマスクを中心に万全の防衛体制を整えたローゲンタリア軍がアダマントリアに居座っているワケだ。
潤沢な兵力が駐留している領地へ、これ見よがしに侵入などすればどうなるかというのは、火を見るよりも明らか。
「それなら、精々頑張ってもらいましょう。クロノも、あんまりみんなの活躍を奪ったらダメなんだからね?」
「分かってるって、ここからは大人しくしているつもりだから」
そう、あくまで「つもり」である。だからちょっとくらい戦場に出張ってもセーフ。
「それじゃあ、何かあったらすぐに呼んでね。今度は私が飛んで行くから」
「ああ、転移を通したこの神殿は絶対に抑えておくから」
お互い明日も朝が早いことだし、今日はこの辺で、といった雰囲気を醸したその時、
「あっ、ちょっとリリィさん! なに勝手に切ろうとしているんですか!?」
リリィの横から慌てた様子のネルがいきなり飛び出して来た。
画面の中で、幼女リリィと翼をバタつかせたネルが揉み合う。
「うるさいわね……もう話は終わったからいいじゃない」
「良くないですぅ! 私もクロノくんとお喋りしたいですよっ!!」
「これは仕事のお話だから。モノリス通信を私用で使うなんて、とんでもないことよ」
「最初の方めちゃくちゃ雑談してましたよね?」
「ただの挨拶よ」
「クロノくぅーん!!」
「分かった分かった、ネルも少し話そうか。そっちも色々あっただろう、聞かせてくれよ」
苦笑しながらそう言えば、パァアアっと顔を明るくするネル。一方のリリィはやや不満顔だが、大切な婚約者と寝る前に通話でお喋りするくらいはいいだろう。
こういうの、なんか高校生の頃たまに友人と携帯で馬鹿話をしながら寝落ちしたりするのを思い出す————なんて気分に浸っていたら、思いのほか長話になって全然寝れなかったのは、まぁしょうがないことだろう。
ゴゴゴゴ————と大地を揺るがすような轟音の中で、俺は叫んだ。
「ロードローラーだっ!!」
「ゴーレムですけど」
さらに続けて、ドドドド————と爆音を響く方へ振り向き叫ぶ。
「タンクローリーだっ!!」
「あれもゴーレムですよ」
ゴゴゴ、ドドド、と騒音が響き渡るここは勿論、ダマスク攻略作戦のための線路工事現場である。
アダマントリアのドワーフを中心に、大量の人足と種々のゴーレムが忙しなく行き交う。ここら周囲一帯には木造家屋の一つもないただの野山が広がっている。西側には天を衝かんばかりに聳え立つ峻険なバルログの山々。
この雄大な大自然の中を、人の手による鉄の道を敷く作業が延々と続いて行く————というのを、俺は邪魔にならないよう、フィオナと一緒に高みの現場視察中なのである。
先日までベヘモスコング討伐に出張っていたので、この目で実際に工事現場を見るのは初めてだ。そして地球出身の男の子なら、異世界でこの光景を見てテンションが上がってしまうのは仕方がないことだろう。
まずはゴゴゴのロードローラーだが、コイツは鋼鉄の巨大ローラーで地面を均すゴーレムだ。構造的にはロードローラーと全く同様である。
だがローラー表面には青白く輝くエーテルの光が文様として浮かび上がり、その重量でもって転圧する以上の効果を発揮しているようだ。
多少の凹凸や樹木程度ならば、ものともせずにそのまま整地してみせる。コイツが一度通っただけで、綺麗な平坦な道の出来上がりだ。
次いでドドドのタンクローリーだが、こっちはエーテル補給用のタンクを背負ったゴーレムだ。巨大な円筒形のエーテルタンクに、大きな四輪がついた車両型ゴーレムは、ほとんどタンクローリーままの外観。やはり運搬車両とはこの形状がベストなのだろう。
今回は早さが勝負の突貫工事のため、フィオナは『魔女工房』で扱っている作業用ゴーレムを惜しげなく投入している。だが当然のことながら、ゴーレムの動力源は全てエーテル。
エーテル補給が出来るモノリス周辺であれば問題ないが、そこから離れた場所で作業させるためには、別な方法でエーテルを供給してやらなければならない。大切な補給線を担う内の一つが、このタンクローリーである。
「しかし、ロードローラーとタンクローリーですか。良い名前ですね。以後アレらはそう呼ぶことにしましょう」
「逆に今までは何て呼んでたんだよ」
「平らにするヤツと運ぶヤツ」
名づけって大事なことだと思うの。あんまり雑に扱っていると、アイツらも恨んで呪いの重機になるかもしれないぞ。
「ひとまず工事の方は順調なようだな」
「ええ、魔術師も沢山いますし」
巨大な地下空間を短期間で作り出したゴーレムの力は凄まじい。だがタンクローリー含めたエーテル補給体制を整えても、フルタイムにフルスペックで動かすことは出来ない。どうしたってゴーレム重機が使えなくなるタイミングは存在してしまう。
そこを補うのが、元々こういった工兵作業に従事する魔術師部隊である。
主力は土魔術師。彼らが地面そのものを操作して整地をしていく。パンドラの歴史上では、優秀な土魔術師が一夜にして侵入路を切り開き奇襲を成功させた、という戦果が幾つも残されている。あまり表立って目立つ働きではないが、一軍を率いる将ならば是が非でも配下にしたい存在だ。
逆に土魔術師を軽んじたせいで、鉄壁の要塞に籠っておきながら、あっけなく地下トンネルを開通させられて一瞬で陥落した、なんて事例も残っている。敵を殲滅するド派手な攻撃魔法部隊を重用する気持ちも分かるが、戦争は大砲だけで勝てるわけではない。
「リリィが手配すれば、ざっとこんなもんだよ」
派遣された土魔術師工兵部隊は、ジン・アトラス王国を筆頭に大砂漠諸国から集結させた精鋭かつ、かなりの大部隊となっている。
ベルドリア攻略では、アトラス艦隊の揚陸艇から速やかに上陸するために土魔術師が活躍していたように、元々砂漠の国で鍛えられていた彼らはこういう時にも頼りになる。
これほどの工兵部隊が迅速に編成され送り込んでくれたのも、全てリリィのお陰だ。
本来ならシャングリラの修理を待った上で、万全の態勢を整えた正攻法で行きたいとリリィは考えていたが、それでも最速でダマスク攻略できるフィオナの作戦を試したいという俺の気持ちを汲んでくれた結果である。
こういうところで、意見が食い違った結果、いがみ合って足の引っ張り合い、なんてのは最悪だからな。今回はリリィが協力姿勢を見せてくれたことで、非常にスムーズに作戦実行にこぎつけることができた。
本当は魔王である俺が人を動かすべきなのだが……カーラマーラのオリジナルモノリスがある白百合の玉座で、帝国中の情報をリアルタイムで収集しつつ、あらゆる部署からの報告も同時に聞ける演算力を持つリリィに、管理監督能力で敵うはずもない。正に帝国の頭脳である。所詮、俺はお飾りの魔王。帝国という顔の上っ面だけの存在だ。
「クロノさん、そろそろ次の便が来ますけど、戻りますか?」
「もうアダマントリア領に入って三日経つ。そろそろだと思うから、出来れば現場に留まりたいんだが……」
ボォオオオオ! と汽笛を鳴らして、魔導機関車がやって来る。
線路工事の途中だが、すでに敷き終わった線路は走れるのは当然のこと。資材や物資の運搬にエーテルタンク、交代要員などなど、列車のお陰で多くのヒトとモノを運ぶことができる。
今回ここで走らせている魔導機関車は、すぐに現場で使えるよう簡略化した構造のタイプらしい。魔女工房で走っているのが本物で、ドワーフ的にはコイツは大きいだけのトロッコという扱いなのだとか。
確かにシンプルな長方形に煙突が生えただけの機関車は、如何にも最低限走ればそれでいいという思いがそのまま形になったかのようで、ロマンは感じられない。
だが物流の要として活躍しているのは事実。帝国はどんどん領土が拡大する一方なので、早いところ主要都市を結ぶ線路網を構築したいところである。
「いえ、現場は任せて、今日はこれで戻りましょう。ここで夜を過ごすのは、ちょっと」
「……そうだったな。ダマスクに辿り着くまでは、任せよう」
渋々、というワケではないのだが、俺がそう頷けば、フィオナはすっと手を伸ばして、指を絡ませてくる。
「そうですよ。だからその時まで、クロノさんは私を沢山、愛してくださいね」
「……あーあ、来ちゃったよ、魔王軍」
正確には、もう見て見ぬフリは出来ない所まで来てしまった、と言うべきか。
与えられた執務室のデスクにて、頭を抱えるのはローゲンタリア軍でアダマントリア占領の大隊長を務めるハロルドという男だ。
絵に描いたようなくたびれた中年男。半端に固めた髪、無精ひげの目立つ口元に咥え煙草で唸る姿は、延々と終わらない書類仕事で徹夜した文官のよう。
しかし最前線で大隊長を務める以上、その体は鍛え上げられ引き締まり、新兵から叩き上げでここまで来た戦歴の中で刻んで来た、幾つもの傷跡が顔にも体にもある。それでも、そろそろ若い奴らと真っ向勝負するのが苦しくなってきた、残念なお年頃でもある。
「速やかにこれを討つべし、か……ったく、公爵閣下も無茶を仰る」
幸いにもまだ薄くなる気配はないものの、灰色が目立ち始めた濃紺の頭をかきながら、机に広がる命令書を再び読み返す。
首尾よくアダマントリアの占領を果たしたローゲンタリアは、ついでとばかりに青き森の民にまで手を伸ばそうとしていた。あそこは小国と呼ぶべきかどうかも微妙な、森のエルフ集落が幾つか寄り合っただけの弱小勢力に過ぎない。
総司令官たるベラドンナ・メラルージュ公爵は青き森の民など全く眼中にはなく、ダマスクで大勢のドワーフを働かせるのに夢中。それをいいことに、ローゲンタリアの戦力を背景に、ちょっと脅せばすぐに降伏するだろう。そして先んじて占領すれば、そのまま自分の手柄と領地になるだろう————そんな先走った奴らが、半ば勝手に使者を送ったりしたようだが、そこまでならハロルドには関係のない話だ。
問題は、青き森に魔王軍が現れたことである。
「野心だけいっちょ前のビビリ共が……調子に乗ってお前らだけで戦っとけよ、チクショウめ」
使者を送った者達が自分達で魔王軍に挑んでいれば、無様な返り討ちに遭ってアダマントリア南西部の兵力が減じる。そうすると、強大な魔王軍に対抗すべく、今自分が任されている街を退いてより戦力が充実した防衛線まで下がることが許されただろう。
だが、そうはならなかった。魔王軍がいる、と気づいた奴らは、ビビり散らして隣接する街に駐留している大隊長の自分に応援をと声をかけ、あまつさえ「魔王軍発見せり!」とさも自分達の熱心な偵察の成果であるかのようにダマスクの公爵へと報告までしていた。
その結果がこれだ。アダマントリア南西部を制するハロルド大隊を中核として、進軍してきた魔王軍を攻撃せよ、とのお達しがついに来てしまったのだ。
「どいつもこいつも、余計なことばっかりしやがってぇ……」
最初に青き森にちょっかいかけた奴ら、魔王軍を討てと簡単に命令を出す公爵、よりによって自分の傍を進軍ルートにした魔王軍。どうしてこう、自分の周りではすぐに戦わなければならない環境ばかり整っていくのか。
本当はどっか田舎にでも配属されて、たまーに盗賊やモンスターを討伐するだけの、緩い兵士生活を夢見て軍に入ったのだが、何かにつけて巻き起こる戦いに有無を言わさず駆り出され、気づけばそれなりの戦功が重なって騎士の叙任を受け、いつの間にやら叩き上げのベテラン大隊長。
何が「戦闘経験豊富な貴殿には、アダマントリアの最前線で存分にその力を揮ってもらいたい」だ。アダマントリア征服に自分を推薦した将軍を心底恨んでいる。
「はぁ……けど、命令が出た以上、逆らうワケにはいかないのが騎士の辛いところってな」
偵察報告は何度も読んだし、つい先日、自分の目でも進行中の魔王軍を確かめて来た。
何故か魔王軍は街道を利用せず、何もない野山を切り開いて進軍ルートを自ら作っていた。報告で聞くだけならば、道が出来るまで何年かかるやら、魔王陛下は随分と気の長いお方であらせられる、と笑い飛ばしていただろう。
道を作るのは大変な事業だ。王侯貴族でも簡単に手は出さない。田舎貴族では自分の館までの道すらロクに整備されていない、なんてこともあり得る。
大軍が通れるだけの道を敷くのは、ヒトモノカネ、そして時間、多大なコストがかかる一大事業だというのをハロルドは理解している。だからこそ、この目で見た光景がいまだに信じられない。
「奴ら、あっという間に峠に道を通しやがった……ワケが分からん」
何だか分からんデカいゴーレムが唸りを上げて道を均し、見たことない数で編成された土魔術師の大部隊が地形を操っていた。
そしてドワーフ共が懸命に道へと打ち込んでいた、謎の鉄骨。
どんな魔法の仕掛けがあるのか、その鉄骨の上を馬も地竜もナシで巨大な荷車がガタゴト動いて走っていた。
常識的な範囲での工兵作業しか知らない自分では、何が何だか分からない、理解の及ばない光景であったが————魔王軍がとんでもない速度で道を作り出し、さらにその上を莫大な輸送量を誇る巨大な貨車を行き来させられる、ということは理解できた。
圧倒的な魔法技術の差を、まざまざと見せつけられた気分である。神の御業としか思えない、あの巨大な空中要塞さえ真っ向勝負で魔王軍が撃ち落とした、という噂話も信憑性が増すというもの。
「あんなもん、俺らだけで何とかなるワケねぇだろが……」
はぁ、と重々しく煙草の煙と共に溜息を吐き出す。
無理は百も承知。だが後には引けない。上が戦えと言えば、戦わねばならぬのだ。
「一発かまして、あの貨車を破壊できりゃあ上出来ってとこかぁ」
それなりの防衛戦力が警戒しているようだった。だがこちらが繰り出せる全軍をもってすれば、勝負は出来るだろう。
噂の黒い機甲鎧を着た、魔王直属の精鋭部隊の姿は確認されていない。偵察で捉えられたのは、帝国軍の一般的な黒い軍装の歩兵と、ヴァルナ森海から連れて来たであろう獣人の戦士達のみ。
使徒と真っ向勝負できるという魔王軍幹部『アンチクロス』と呼ばれる怪物連中は勿論、精鋭部隊もいないのであれば、何とかやってやるしかないだろう。
「頼むから、魔王様ご本人登場なんて、勘弁してくれよな……」