第947話 青き森の大鬼猿退治(2)
ベヘモスコングは筋肉モリモリマッシブゴリラだが、フィジカルだけではない。水と雷、という割と珍しい組み合わせの双属性モンスターだ。
乱戦の最中、ただ一人ボスの前に躍り出てきた俺を前に、巨大な野獣の瞳がギラリと光る。その眼光に油断や慢心はない。どうやら一目見て、自分を殺すに足る力を持った相手だと見抜いたようだ。
もっとも、奴が警戒しているのは俺よりも、この手に握った『天獄悪食』の方だろうけどな。
大きな獲物を前に、早く喰わせろと急かすかのように、刀身から血のように赤いオーラが色濃く渦巻いて行く。
ウゴッ! バァアアアアアアアアアアアアアアアッ!!
耳をつんざく咆哮を上げながら、紫色の分厚い甲殻に覆われた胸元を叩くドラミングを披露するベヘモスコング。
それがただの威嚇行動ではないことは、俄かに迸る濃密な魔力と、実際に顕現した水流と雷光によって示される。
ドラミングするベヘモスコングの周囲には大蛇のように太い水流が幾本もうねりながら浮かび上がる。そして水流にはバチバチと激しい紫電を散らしており、凄まじい電力がそこに宿っているに違いない。
二足で立ち上がった雄々しい巨躯に、鬼のような凶悪な面構え。そして電撃弾ける水流を羽衣のように浮かばせる姿は、風神雷神のような迫力を感じさせる。
「先手は譲ってやる、来いよ」
本来ならばとっくに『魔弾』の射程圏に入っている。だがコイツを仕留めるのに使うのは、『天獄悪食』だけと決めている。
いくら長大な大太刀とはいえ、遠距離攻撃持ちが先手を打てるのは当然だ。
バリバリとけたたましいスパークを散らしながら飛んで来たのは、帯電した水の砲弾。俺の『魔弾』と同じく、同時に発射し回避の隙間も潰すように広がっている。
だが、元より避ける気などない。
「ふっ————」
軽く太刀を振るえば、それだけで目の前に飛来してきた水雷弾は消滅した。パッと雨粒が散るように、綺麗さっぱり消え去るのだ。
人の半身ほどのサイズがある水で形成された砲弾を、ただなぞるように切るだけで、何の手ごたえもなく消し去れるのは、それだけ魔力吸収の出力が上がっているからに他ならない。
「————ったく、人の魔力もついでのように喰いやがって」
一振りするだけで、握った右腕から俺の魔力が吸われるのを実感する。そもそも、ただ握っているだけでもジワジワと魔力を吸われる。
そして刃を振るえば、その度に一口食いつくように魔力が奪われてゆくのだ。
もしも敵が神回避連発で攻撃を受けずに戦い続ければ、俺は何も出来ずに魔力切れでぶっ倒れる、という無様な結末もありえなくはない。
大剣から大太刀へと大きく形状を変えたことで、振るう時の重量は大きく減ったものの、この魔力消費のお陰で消耗速度は激増である。なんかアレだな、凄い火力は高いけど、デメリット効果もセットでついている系の武器みたいな。
「今度は水の鞭か。定番だな」
易々と水の砲弾を乗り越えれば、次に飛んで来たのは実に四本もの水流を操り、鞭のように叩きつけて来る攻撃だ。当然、その水流鞭にも電撃が宿り、少しかするだけでも大きな電気ショックを与えて来るだろう。
飛んで来る水量は先の砲弾の比じゃない。だが、この『天獄悪食』の前では容易く千切れる紐のようなもの。
「凄ぇ、このサイズでもサクサク切れる」
俺を丸呑みできるほど太く大きな水流だが、一振りするだけで数メートル近く消し飛ばす。
上と左右から挟み込むように迫る四本の水流鞭をたった二振りで切り開き、いよいよ刃が届く間合いへと踏み込んで行く。
「————『二連黒凪』」
ギャゥウンッ!!
甲高い絶叫を上げながら、慌てたようにベヘモスコングが飛び退く。思った以上に俊敏な動き。
だが、確かに武技で切り裂いた手ごたえはあった。
「なるほど、甲殻も帯電しているのか」
純白の刀身が、ベッタリと赤黒い鮮血に塗れる。
股下をすり抜けるように放った『二連黒凪』。一撃目は白い毛皮の足首を切り裂き、二撃目はあえて、脛当てのように形成されている紫の甲殻を切った。
分厚いとはいえ、毛皮程度の防御など容易く切り裂いた『天獄悪食』だが、甲殻の方もあまり抵抗を感じることなく切れた。だが甲殻に切れ目を刻み込んだ際に、バリバリと激しい放電が起こったので、下手な奴が迂闊に手を出すと痛い目を見そうだ。
もっとも、自らの魔力によって帯電しているので、刀身を伝って俺が感電することはない。伝った端から、電撃は喰い尽くされるのだから。
「うわっ、もう渇いてるし」
俺が向き直り、間合いを開いて着地したベヘモスコングと再び睨み合う頃には、刃に付着した血痕は綺麗さっぱり消え去っていた。コイツは魔力だけでなく、本物の血肉も啜るのだ。
きっとどれほどの獲物を斬り殺しても、この刃は穢れを知らないように無垢な白さのまま輝いているのだろう。
「もしかしてコイツ、『首断』よりもヤバい呪いの武器なんじゃあ……」
それが恐ろしくもあり、頼もしくもある。
さて、早くコイツを御せるだけの使い手になるため、頑張るとしよう。
「————ふぅ、流石にタフだな」
全身血濡れとなったベヘモスコングだが、それでも尚、俺の前に立ち続けていた。
延々と斬り続けた結果、決して浅くはない傷を刻み付けた。流れ出た血は戻らない。着実にダメージは通っている。
それに奴の血肉を啜ると共に、魔力も喰らっているのだ。消耗を抑えるためか、大きな四本の水流鞭を派手に振り回す攻撃はとうに止んでおり、防具のように手足に巻き付けて使うようになっていた。
体力、魔力、どちらも大きく削られ苦しいはずだ。さらには周囲の乱戦はとうに終結しており、残すはベヘモスコングと俺の大将同士の一騎打ちのみ。
相対する俺は無傷のまま。携えた『天獄悪食』は穢れ一つない真白の輝きを刃から放つ。
だがベヘモスコングはすでに満身創痍。手下のオーガコングは綺麗に掃討され、味方は一匹も残っちゃいない。
勝敗などとうに決した。知恵の回る猿型モンスターでなくとも、どうしようもなく追い詰められている状況は理解できるだろう。
ウゥゴゴゴゴ……ンバァアアアアアアアアアアアアアアアッ!!
それでも天を衝くような咆哮を上げ、衰えぬ戦意を発する。
ボスである俺さえ倒せれば、それで生き残れると信じているのか。あるいは生への執着などとうに捨て去り、誇り高き闘争本能だけを燃やしているのかもしれない。
大した奴だ。伊達にランク5モンスターではない。
「それでも、お前の腹は満たせないか」
足りぬ。まだ足りぬ。まだまだ足りぬ————そう訴えかけるかのように、握った柄から魔力が吸われてゆく。
ベヘモスコングほどの大物を追い詰めても、こんな状態だ。もしかして無限に血肉も魔力も喰い続けられるのだろうか。
けれど、だからこそ俺はコイツを使いたい。『大噛太刀「天獄悪食」』は、使徒にも通用する強力な呪いの武器だ。
次の相手は、いよいよ第十三使徒ネロになるだろう。
アイツは強い。ミサやマリアベルのような素人とは違う。最初からランク5冒険者としての実力と才能を兼ね備えている。そこに神の奇跡が加わって、果たして俺達の力がどれほど通用するのか、自信が持ち切れない。
力がいる。まだ足りない。まだまだ足りない。力への渇望は、俺もコイツと変わりはないか。
けれどそのためには、どうすればいい。どうすればもっと、お前を上手く使ってやれるんだ。
ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ————
俺が手ごたえを掴めず悩んでいる内に、どうやらベヘモスコングは切り札を使うことにしたようだ。奴の巨躯から発せられる魔力の気配が、急激に増大した。
濛々と煙る蒸気に、バチバチと静電気が周囲一帯に弾けて行く。
「ただのアーマーパージってワケじゃなさそうだな」
膨れ上がる魔力と共に吠えたベヘモスコングから、その身を覆う紫色の甲殻が弾け飛ぶ。分厚く硬いはずの甲殻は、粉々に砕け散った端から眩いほどの紫電へと変わり、オーラのようにベヘモスコングの体で弾ける。
全身の白毛を自らの出血によって赤黒い斑模様に汚しながら、激しいスパークを纏った姿は、地獄の大鬼が如き迫力と威圧感。
だがこれだけ消耗した状態から発動してきたのだ。ただの強化魔法のように、便利なパワーアップ効果ではないのだろう。
恐らくこの形態は、全身の甲殻を割ったように、文字通りに身を削って発動させている。
底の見えた体力と魔力。このまま続けても俺を仕留めるどころか、ただ完封されて負ける。ならば残った命を燃やしてでも力を増大させ、活路を見出す————
「————そうか、そうだよな。力を得るなら、まず自分の身を削るべきだよな」
追い詰められて尚も輝く純粋な生存本能と強烈な闘争心に、俺も初心を思い出したような気分になった。
あの地獄の実験施設にいた頃、機動実験で生き残るために、俺は必死に黒魔法を探求していた。何も知らず、何も教えられず、ただ目の前のモンスターと戦い続けた日々。
使えるモノは何でも使う、と死に物狂いで食らいついて行ったあの頃と比べて……きっと今の俺は、あまりにも仲間に恵まれ過ぎてしまったのかもしれない。
「ああ、だからこんな簡単なことにも、気づけなかったのか」
気づいてしまえば、なんてことはない。すでに一度、経験すらしているというのに。
それでも今この時になるまで、試そうとすら思えなかったのは、俺の怠慢か慢心か。
「ありがとう、お前と戦えて良かった」
呟いた感謝の言葉などかき消すかのように、巨大な咆哮を轟かせ、いよいよ命の雷を纏ったベヘモスコングが襲い掛かって来る。
「そして、済まなかったな、悪食。今、俺を喰わせてやる————」
でも体は困る。
腕がなければ、お前を振るえない。足がなければ獲物を追えない。目がなければ敵を探せない。五体と五感が全て揃って、俺は十全な戦闘能力を発揮できる。この体は喰わせてやれない。
だから代わりに、俺の血を啜れ。そのための力を、もう俺は持っているのだから。
「————『海の魔王』」
「ハァーッハッハッハ!!」
魔王が笑っている。
真っ赤な血の海に築かれた、ベヘモスコングの巨大な屍の上で。
「うわぁ……」
その悪夢のような光景を目に、大長老オルベールはついそんな声を漏らしてしまった。
元よりオルベールは覚悟の上で、自らベヘモスコング討伐の先陣を切ろうとしていたのだ。代わりに魔王クロノが冒険者として緊急クエストを請け負うという形になったが、これ幸いと自分は安全圏で待ち惚けなどという真似はとてもできない。
本当はそうしたいが、討伐が成功しても失敗しても、後が恐ろしいことになりそうという予感しかしない以上、仕方のない選択だ。ここは絶望的な戦力だったところが、自分含め身内から犠牲が出ることはない余裕のある戦いに変わっただけ、十分に恵まれていると思うことにした。
そうして表向きは、青き森を代表して魔王の戦いぶりを見極め、緊急クエストの行方も見届ける、という大義名分を掲げてオルベールはクロノと同行することとなったのだ。
無論、クロノはオルベールは当然として、他に参加した青き森のエルフ達を戦力としての頭数には入れていない。森の案内だけをしてくれれば、それで十分。
そうして始まった緊急クエストは、まるで狩人に成りたての少年達が小動物の狩りを競い合っているかのようであった。
元高ランク冒険者のみで構成されているという精鋭部隊は、嬉々としてオーガコングの群れを狩り始め、破竹の勢いで森を突き進んで行く。その最中、木々や蔦を利用したり、茂みや高所に潜んでの待ち伏せ・奇襲といった手を次々と繰り出してくるオーガコング達を、彼らは真正面から切り伏せ、叩き潰し、ぶっ飛ばしてく。
いっそ清々しいほどの力押しは、どちらが獣か分からない。圧倒的なパワーでオーガコングの群れを蹂躙してゆく魔王軍に、オルベールは内心で戦々恐々としていたが————
「————これで少しは腹が膨れたか、悪食」
なんでこの人、剣に話しかけてんの?
そもそも魔王で一番偉いはずなのに、何故たった一人でベヘモスコングという大ボスと戦っているのか。それを周りの騎士達も平然と受け入れているのか。
そして何で普通にベヘモスコングをソロ討伐できているのか。しかも明らかに魔法や能力を縛った状態で。少なくとも、この戦いで見せた力が魔王の全てだとは到底思えない。
「ああ、良かった。少しはお前の使い方が、分かった気がするよ」
最後に放った途轍もない斬撃で、瞬く間にベヘモスコングを文字通りに八つ裂きにした凄惨な屍の上で、年頃の少女を口説いているかのようなやたら爽やかな笑みを浮かべている姿に、オルベールはただこう思った。
「なにこの人……怖い……」
しみじみと呟いてしまう。
これほどの畏怖を覚えたのは、長い人生の中でも初めて。ランク5冒険者と会ったこともあれば、共に肩を並べて戦った経験もある。自分よりも強い者など何人も見て来たし、この世界にはまだ見ぬ強者が山ほどいることも知っている。
だが、いまだかつてこれほどの男は見たことがない。
同時に納得もする。これが僅か一年でパンドラ南部を征した、新たな魔王を名乗る男かと。
「大長老、ベヘモスコングは無事に討伐されたようですね」
「本来は諸手を上げて祝うべきことなのでしょうが……申し訳ありません、自分は素直に、あの光景を前に喜ぶことができません」
最低限の護衛として共をさせているエルフ戦士が、恐る恐るといった様子でオルベールへと話しかけた。
うん、分かる。その気持ち、すげー分かる。ワシもドン引きしておるもん。
そう頷いて賛同したいところだが、なんとか若者の前でくらいは大長老としての仮面は被り直すことにした。
「ほっほっほ、若い者には少々、刺激が強い光景だったかな」
「お、おお、流石は大長老……」
「我々など、魔王のあまりの覇気に充てられて震えが止まらぬというのに」
「やはり大長老ともなると、肝の据わり方が違いますな」
空元気も元気の内。オルベールに余裕などないが、それでも余裕ありそうな態度を見せることで、下の者達は安心できるのだ。
「皆の者、クロノ魔王陛下の戦いぶり、確かに見届けたな? 陛下は我々との約束をお守りし、見事ベヘモスコングを討伐してみせた。ならば、こちらもそれに応えるのが道理」
真面目腐った顔でそう言えば、誰もが「然り」と頷く。
これほど圧倒的な戦力と、超人的な魔王の力を見せつけられて、万が一にもケチをつけるようなアホが出ないとも限らない。
オルベールはすでに決断を下した。魔王クロノのエルロード帝国の庇護を受けるより他に、自分達がこの先生きのこる方法はないと。
「我ら青き森の民は、エルロード帝国の傘下へと下ろうぞ。長老会は必ずやワシが説得する」
さぁて、この後は血濡れで笑う狂戦士な魔王様に、どう這いつくばってご機嫌伺いをするべきか。この戦いが終わったら、今度こそ気楽なスローライフ隠居生活をするぞい、と固く決心をして、オルベールは配下と共に意気揚々と引き上げて来る魔王様のお出迎えへと向かうのだった。
2023年9月15日
第六の加護『海の魔王』ですが、多分前に発動したのが第594話『答えはここに』、2017年2月でした。6年半ぶりとか嘘だろ・・・小学生も卒業してるよ・・・
効果は治癒、というより自己再生に特化した感じです。前回はカオシックリム戦で千切れた手足を繋ぎなおして動けるようにするために使っていました。そうして治った体で嫉妬の女王リリィへ挑む、という流れ。
絶対に効果も忘れていると思うので、補足説明。
『海の魔王』の治癒力は、これまで使ってた肉体補填に比べれば遥かに高速回復が可能だが、どんな傷でも瞬時に完全回復、というほどではない、という感じで明言されています。
大体の説明は第596話『呪いとの対話』にて。『造血』という血液を再生させる専用治癒黒魔法もあります。今や当たり前に実体化しているヒツギの肉体も、疑似水属性を解放したから作れるようになっています。
大きな傷を戦闘中に治すのはリスキーだが、失った血液を補充する程度なら……つまり、呪いの武器に自分の生き血を飲ませ放題。
小太郎が使えば『無道一式』を常時全開で使える、人によっては回復スキル以上の価値にもなります。
ちなみに、小太郎が『天獄悪食』を振ったら即死しますが、クロノが『無道一式』を使っても何も起きません。
『天獄悪食』の装備ステータスを満たしているのがクロノ。『無道一式』の使用条件を満たしているのが小太郎。と、それぞれ異なる意味での専用装備といった感じになりますね。
※小太郎って誰だよ、と思った人は是非、私のもう一つの連載作品『呪術師は勇者になれない』をどうぞ。第一部完結で一気読みできます。