第946話 青き森の大鬼猿退治(1)
「————いやぁ、久しぶりにギルドでクエスト受けたな!」
「受付嬢、半泣きでしたけど」
懐かしの冒険者気分でウキウキの俺に、フィオナが言う。
確かに、いきなりゾロゾロとランク5冒険者がやって来ては緊急クエストを受けに来るのは、アルザス並みの田舎ギルドではこれまでに一度もないことだろう。余計なプレッシャーを与えてしまったかもしれない。
「まぁ、細かいことはいいじゃないか」
「ご機嫌ですね、クロノさん」
「やっぱり俺、冒険者の方が向いてると思うんだよな。だからこのまま————」
「クロノさん、こんな私でもとうとう人の上に立つ立場になってしまったのです」
今更お前だけ自由の身になるなんて許されねぇよなぁ? と言わんばかりの圧を感じる。これまで一番自由だったフィオナにそう言われてしまっては、仕方がない。
でも大変なの魔王業って……絶対リリィの方が向いてると思うの……
「よう、クロノ! なんだかおもしれー事になってるじゃねぇか!」
ひとまず臨時拠点として集落外れに設営した天幕で待っていると、早速カイがやって来た。
「来たな、カイ。お前ちゃんと今でもギルドカード持ってるよな?」
「当ったり前だろ! きっちり緊急クエスト、受けて来てやったぜ」
弾けるような爽やか笑顔のカイと、がっちりと握手を交わす。
最近はずっと帝国の騎士として、部下たちを率いてきたカイである。やはり俺と同じように、自由な冒険者稼業に対する未練はたらたらなのだ。
「そもそも、何故クエスト形式にする必要があるのですか?」
「その方が楽しいからだろ」
「確かにこっちの方が楽しいが、ちゃんと意味はある」
冒険者。それはある日突然異世界召喚された俺でも、サキュバスに転生してダンジョンから出てきたピンクでも、ギルドの受付に申請すれば即日でなれる、この世で最も就職が簡単な職業である。
冒険者ギルドから規約違反として除名などの措置を受けない限り、たとえ犯罪者であってもギルドカードに書かれた通りの冒険者の身分は残る。
つまり、俺は魔王になっても、ランク5冒険者のままなのだ。
だから帝国軍に所属する兵士、騎士となっても冒険者の身分は変わらない。実戦経験の一環として騎士に一定期間冒険者活動をさせることを義務付けている国も多い。スパーダやアヴァロンなんて、騎士どころか王侯貴族も冒険者活動やってるくらいだからな。
「青き森の民は、帝国に臣従もしていなければ、同盟も結んでいない。そんな赤の他人国で、堂々と帝国軍を動かすのは非常によろしくない」
「でも結局、堂々と森で戦うのに変わりはないのでは」
「建前ってのは大事なんだよ、フィオナ。今の俺達はあくまで、ただの冒険者として緊急クエストを受けて戦う。この体面でいれば、エルフ達も多少は安心ってワケだ」
「そんな事より、早くクエスト行こうぜ!」
「まぁ待て、落ち着けよカイ。まだ他のみんなも準備してるんだから————その間に、作戦会議でもしようぜ」
「おおぉー、そういうのも久しぶりだぜぇー!」
そうして俺とフィオナとカイは、三人で卓上に広げた森の地図と、ギルドから拝借したモンスター情報を見ながら、在りし日のように語り合うのだった。
ベヘモスコング討伐隊は、第一突撃大隊を中心として編成することとなった。
理由は簡単、彼ら全員が元高ランク冒険者だからだ。実力と経験、そしてこれまでの戦績も十分。頼れる精鋭兵達である。
「早速、始まっているようだな」
麗らかな木漏れ日が漏れる美しい青き森。なるほど、確かにこれはエルフでも住んでいそうと思える幻想的な森の奥からは、激しい爆発音と怒号、そしてやかましい猿の断末魔が響き渡って来る。
カイの第一突撃大隊は露払いとして、俺よりも先行して進んでいる。彼らには地元のエルフ冒険者達が付き、案内役とさせている。
如何に強くとも、道に迷ってしまえばどうしようもない。見知らぬ土地には、やはりそこに詳しい案内人が必要だというのは、アヴァロン、ファーレン、と戦ってきてしみじみ感じている。
「フィオナはこっちについて来て良かったのか?」
「ええ、工事の方はデインさんに任せておけば大丈夫ですよ」
てっきりフィオナは線路工事の陣頭指揮に立つかと思ったが、やはりそんな面倒なことはさらさら御免といった態度である。
今回は俺達がモンスター討伐、ドワーフ達が工事、といきなり二手に分かれることとなっているが、それでも十分な戦力を連れてきている。
まずベヘモスコング討伐隊はカイの第一突撃大隊の他にも、前回同様しっかり暗黒騎士団が俺の護衛についている。サリエルは勿論のこと、セリスとファルキウスもランク5冒険者だ。ホムンクルスのアイン達も大半は冒険者としての活動実績がある。
強いて未経験者といえばプリムくらいだが、今更の話だ。パンデモニウムでは普通に大迷宮に潜って実戦訓練してるしな。
「ふふん、今日は妾がついておるから安心じゃぞ? 地面を走るしか能がない生意気な馬と違ってな!」
そしてこれも前回の反省を活かして、黒竜ベルクローゼンも同行している。いざという時、飛んで逃げられる、というのは俺というより、他の人にとって安心できるらしい。まぁ、本当にいざとなったら、どうせ逃げないだろうけどな。
他のメンバー、リリィはヴァルナ空中決戦を終えたシャングリラの修理を含めて、パンデモニウムで仕事が山積みである。ゼノンガルトの『混沌騎士団』はピースフルハート突入隊だった。前回の戦いでは最も損害が大きかったので、今は休養と再編をさせている。
そしてネルは俺と同行することを強く希望していたが、やはり前の戦いで傷ついた者達が山のようにいるため、むしろ戦っている最中よりも彼女は忙しい。
そういうワケで『アンチクロス』フルメンバーではないが、ただのモンスター退治をこなすくらいなら余裕だろう。
ドワーフ達の線路工事の方も、護衛戦力はしっかりと用意してある。前の戦いではシャングリラとピースフルハートでの空中戦が最も激しかったので、当初想定されていた地上戦はそれほどでもなかった。お陰でほとんど無傷の帝国軍歩兵部隊に、大角の氏族の件で汚名返上を誓うヴァルナの戦士団がやって来ている。
昨晩の内に転移を開通させ、工事に必要な資材がじゃんじゃん運び込まれると共に、更なる戦力を送り込むこともできる。転移が維持される限り、いざとなればリリィ達だって飛んで来るだろうし、それほど心配はしていない。
「マスター、道が開けました」
のんびりピクニック気分で歩いている内に、伝令役のサリエルが戻って来た。
「よし、それじゃあ一気に行くか————『精霊推進』点火」
ウボォオオァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!
ブースターに火を入れると共に、森を揺るがすけたたましい咆哮が響く。音としての振動だけでなく、第六感をビリビリと刺激する強い魔力の気配も伴っている。
その咆哮だけで、理解するには十分だ。
カイ達によって切り開かれた道を一気に駆け抜け、奴らの塒へと躍り出る。
そこは森の中にある大きな湖だ。青々とした草地が広がっているが、さらに周辺一帯の木々が薙ぎ倒されていた。自分が住みやすいよう、広く均したのだろう。
自然の美しさと破壊の跡が同居する湖の畔に、その巨躯が堂々と立っていた。
「————なるほど、アイツがベヘモスコングか」
白い体毛に鮮やかな紫色の甲殻を鎧兜のように纏った姿。伊達にベヘモスとついてないな、デカさだけならラースプンを超えるだろう。ずんぐりとした巨躯に、特に発達した両腕は、ゴリラをさらにマッシブにしたようなシルエットである。
ボスの居座る本丸は、すでに冒険者達に攻め込まれている。深緑色の毛皮を持つ通常のオーガコングの群れと、そこかしこで戦いが繰り広げられていた。
「おいクロノ! 道は開けてやったんだ、さっさとやっちまえ!」
「ありがとな、カイ。助かるよ」
普段ならこんな美味しいとこどりのような真似はしないのだが、今回はランク5モンスターという獲物を譲って欲しい理由がある。
「フィオナ、サリエル、掩護はいらない。雑魚に邪魔だけさせないようにしてくれ」
「はい、マスター」
「それなら私の出番はなさそうですね」
ベヘモスコングとは俺が一対一でやらせてもらう。その指示だけを徹底させて、俺は単独で飛び出す。
プリム達、暗黒騎士の掩護射撃によってオーガコングの一匹も近寄ることはない。激しい乱戦と化しているフィールドを、最奥に陣取るボスに向かって駆け抜ける。
「これだけデカい相手なら、お前の腹も満たしてやれるだろう————」
呪いが解けた、真っ白い大太刀。その銘は『大噛太刀「天獄悪食」』。
純粋に牙の刀身のみとなったので、俺はすぐにレギンさんに頼んで鍔と柄を拵えてもらった。
そうして見事に純和風な仕上がりの、それはもう立派な神々しい大太刀となったのである。以前の荒々しい大きな牙の大剣とは思えないほど、細く美しい長大な刀身。金属光沢とは異なる独特の質感と滑らかな純白の色合いは、博物館に飾られるための美術品か、あるいは由緒正しい神社に奉納されるべき神器といった印象を抱く。
だがしかし、この美しい見た目に騙されてはいけない。コイツは、とんでもない大喰らいの狂犬だ。
「うぉおお……痛ってぇ……」
パンデモニウムに帰ってすぐ、第五階層にていつものデウス神像を練習相手に試し切りをした結果が、この有様である。
より鋭さを増した切れ味によって、スパーンと見事にデウス神像の太い腕を一本斬り飛ばしたが、刀を振るった俺の腕も切り裂かれてしまったのだ。
勿論、今更に長い刀身を持て余し誤って自分の体を斬りつける、なんて間抜けをしたワケでは断じてない。俺の腕を切ったのは刃ではなく、そこに渦巻く赤いオーラだ。
風属性を付加したように、血霞のようなオーラが刀身に薄っすらと渦巻いている。魔力を喰らう悪食能力は、どうやらこのオーラにも発生しているようで、下手な魔法なら刃に届く前に霧散するほど。
そして悪食のオーラは、切れ味鋭い斬撃にもなるようだ。
風属性の範囲攻撃魔法を喰らったように、刀を握る腕がズタズタにされてしまった。まるで自分を縛る戒めを食い千切ろうとするかのように。
「なるほど……どうやらコイツは、俺に素直に従う気はないようだな」
牙の太刀という武器となっても尚、自ら孤高の獣であるかのような振る舞いだ。この刃の前に立つ者は全て切り裂き食い尽くし、柄を握って従えようとする者には牙を剥いて逆らう————これはこれで、もう立派な呪いの武器なのでは?
「今まではヴァルカンの怨念があったからこそ、素直に力を貸してくれてたってことか」
悪食が呪いの武器となった時点で、恐らくは大元の混沌魔獣としての思念もあったのだろう。だが長らく使い手であったヴァルカンの怨念の方が強かったから、魔獣の意思が表に出ることはなかった。
俺が今まで当たり前のように悪食を使いこなせていたのは、そうなるよう手助けがあったからなのかと、ヴァルカンがいなくなって初めて気づかされてしまった。
そして後に残ったのは、敵にも主人にも牙を剥く、ただひたすら狂暴な魔獣の刃。
「今更、戻って来いなんて言えないしな」
「ふっふっふ、ご主人様、犬の躾はこのヒツギ、どうぞこのメイド長ヒツギにお任せください!」
自分の腕を黒魔法で雑に治癒していると、影の中からヒツギが自信満々に登場して来る。
確かに、悪食はよくヒツギが鎖に繋いで使うことも多かった。ガラハド戦争でリィンフェルトを生け捕りにしたように、相手の死角や虚を突くのには、ちょうどいい技だ。
「……じゃあ、試してみるか?」
「ふふーん、さぁヒツギの言う事を大人しく聞くですよワンちゃぁあああああああああああああああああああああああああああっ!!」
ドヤ顔を浮かべてジャラジャラと自前の鎖を天獄悪食に巻き付け始めた瞬間、ブワァーっと赤い悪食オーラが逆巻き、瞬時に鎖を粉微塵にし、さらにはヒツギ自慢の黒髪もザクザク切り裂かれていく。
「ひぎゃぁあああああああああ!! ひっ、ヒツギの髪がぁっ!? やめるです、このバカ犬ぅ! やっ、やめるぁああああああああああああああああああああああああ!!」
天獄悪食に逆らわれて、ギャン泣きするヒツギを眺めながら、俺は心の底から思った。
コイツを飼いならすのは苦労する————けれど、使いこなせれば、今まで以上の力となると。
そういうワケでベヘモスコングには、俺が天獄悪食を使いこなすための練習相手となってもらう。
「これだけデカい相手なら、お前の腹も満たしてやれるだろう————」
青き森へと来るまでの間は、コイツを使うための鍛錬に集中していた。まだ短い期間だが、それでも色々と試行錯誤した結果、分かったこともある。
まず一番重要なのは、コイツをただの武器だと思わないこと。ただ一本の牙、一振りの刃に過ぎなくとも、コイツは獣だ。強烈な捕食本能を持つ、血に飢えた魔獣。
つまり、獲物は血肉の通った生物がいい。
そりゃあ、目覚めていきなり喰わされたのが、無味乾燥なゴーレムの腕じゃあ腹も立つよな?
ようやくお前に、ちょうどいい獲物を食わせてやれそうだ。握った柄から、大きな獲物を前に歓喜に震えるような気配が何となく感じられる。
早く喰わせろ。魔獣がそう俺を急かしている。
ああ、コイツが人の味を覚えるのが、楽しみでもあり、恐ろしくもある。
「————さぁ、喰らいつくせ、『天獄悪食』」