第940話 剥がれ落ちた仮面
『混沌騎士団』の大隊長ピンクは、誰よりも先んじて天空母艦ピースフルハート内部へと潜入を果たしていた。
「ちょっと、そんなガラクタ捨てなさい! 高値のモノを瞬時に見分けられないと、戦場で命はないわよ!!」
「はいっ、申し訳ありません、大隊長殿!」
「流石はピンクさん。こんな状況でも厳しい指導を実践するとは」
「略奪の指導はいらねぇんだよなぁ……」
ピンク大隊はお宝を独占するため、ではなく、ピースフルハートを速やかに制圧するための戦力である。シャングリラに満載してきた精鋭部隊が続々と乗り込んできているが、鬼気迫る勢いと、多少の古代遺跡のギミックを解除する腕前を誇るピンクは、閉鎖されている艦内の扉やハッチを次々と開放し、ぶっちぎりの侵攻速度を誇っていた。
「なにっ、もうこんなところまで敵が!?」
「ええい、聖堂騎士団は一体何をしておるのだ!」
「絶対にここを通すな! これ以上先は————」
甲板上の宮殿ではなく、ピースフルハート艦内に陣取っていた敵兵は、まさかこんなに早く奥まで侵入を許すとは思わなかったようだ。
中途半端な防衛線しか構築できていないところへ、欲望に忠実な、もとい、任務に忠実なピンク大隊は怒涛の如く襲い掛かる。
「ある、絶対この先に、凄いお宝が待ってるわ! さぁ、死ぬ気で私について来なさい、正義は我にアリ!!」
「オール・フォー・エルロードッ!!」
「どうしてこんな奴が魔王陛下に許されてんだよ……」
高い士気に加え、無駄に実力だけはあるピンク大隊は敵防衛隊を蹴散らして、奥へ奥へと突き進む。
その途中、突如としてピースフルハート艦内に大きな声が響き渡る。
「私は大遠征軍総司令官、大司教ルーデルです。今をもって、大遠征軍はエルロード帝国軍へ降伏します。総員、直ちに武装解除し、速やかに投降せよ。繰り返します、大遠征軍は降伏します————」
ついに使徒を倒したのか、それとも大司教を捕らえたか。敵軍の降伏宣言が大々的に放送されている。
だが本物の戦場を知るピンクは、これで戦いが今すぐ終わるとは思っていない。まだしばらくは、そこかしこで降伏を認めず交戦する部隊が多いだろう。まして大司教ルーデルはただの神輿。そんなトップの一声では、全軍の動きを抑えるのは無理であろう。
「けど、まずいわね。さらに時間がなくなってきたわ」
戦いはすぐには終わらないが、それでも終結に向けて加速しているのは事実。この戦の趨勢自体はすでに決してしまった。
大遠征軍の抵抗がなくなれば、すぐにでも艦内全域を制圧すべく、他の帝国軍も押し寄せて来る。そうなると流石にお宝を漁るのは不可能だ。
まだ戦闘が続くこの時間が、お宝ゲットのタイムリミットなのである。
「お、おい、止まれ、我々は降伏する! 放送を聞いていただろう!」
「すでに武装も解除した。だから我らを丁重に————」
途中、なんか敵のお偉いさんっぽい集団が降伏を求めて来た気がするが……
「おい、どうするよ。マジで投降してきたぞ。捕らえるのか?」
「……おのれ、卑劣な十字教徒め! 降伏を装って罠を張るとは許せない!!」
「えっ」
という敵からも味方からも上がる疑問の声は、ピンクには聞こえない。
何故なら、これは罠だから。罠に違いない。罠ということにする。
「よくも降伏を許した女王陛下の慈悲を無碍にしたわね! 突撃! 帝国に逆らう奴らはみんな蹴散らすのよーっ!!」
「ま、待ってくれ、我々は本当に降ふ————」
やはりアレは、交戦の意思を持つ敵守備隊だった。最後まで諦めずに戦い抜く、魔族を滅ぼせ! って叫んでいたに違いない。
ピンク大隊は正義の軍隊。降伏を求めて武装解除した者を攻撃することは決してしない。だが抵抗するなら容赦はしない。
揃いも揃って武器を手放していたが、拳を握って徒手格闘を挑もうとする気合の入った連中だったので、情け容赦なく武技と魔法をぶち込み宣言通りに蹴散らしてやった。正義執行。
そうして、さらに進軍速度を上げたピンク大隊だったが……ほどなくすると急激に敵兵の気配がなくなった。
「うん、間違いない……ここが中枢区画のようね」
普通なら、最も重要な場所として最大の防衛兵力で守らせるだろう。
だが伝え聞く第十一使徒ミサの性格からして、かえって誰も立ち入らないようにするのが自然だと思えた。使徒である自分しか信じていないということは、他の誰も信用していないということでもある。
ハズレでもなければ、罠でもない。それに自身の勘と、確かな位置感覚が、今いる場所がピースフルハートの中央部分であると教えてくれる。
そして何より、最後にアクセスしてきた扉からは、明らかに他の区画とはレベルが異なるロックがかけられていた。
それでも本来のセキュリティが働いているわけではない。膨大な数のセキュリティ機能がオフになっているのを察したピンクは、ミサがリリィほど古代魔法に精通していなくて助かったと、心底思った。
つまり、運は確実に自分へと向いている。ツイてる時は、イケイケどんどん。それがピンクの信条である。
「さぁて、ここからが本番よ————」
これぞ、と思った扉だけを選んで、ロックを解除して開け放ってゆく。
「ハズレ……ここもハズレ……」
艦の扉を開けられるスキルを持つのはピンクのみ。
大隊員は警戒態勢を取りつつ、固唾をのんで隊長のピッキングを見守った。
「またハズレ……いや、焦るな……まだ慌てるような時間じゃない」
艦内にはいまだに、大司教ルーデルの降伏勧告が続いている。
最速で敵中突破してきた時間的アドバンテージがどんどん失われていく実感を覚えながらも、ピンクは焦らず慎重に、自分が出来る最大のポテンシャルを発揮してロック解除に挑み続けた。
そして、ついにその時が訪れる。
「おおっ、こ、これは————」
開かれた扉の先にあったのは、キラキラ輝く宝飾品の山。
通路と同じ照明に照らされているはずなのに、これほどまでに煌びやかに輝いて見えるのは、色とりどりの宝石、貴金属が綺麗にディスプレイされているからこそ。数百、あるいは数千点にも上るかもしれない。
無数に思えるほどの膨大な数の宝飾品はしかし、どれ一つとして同じモノはなく、全て職人が心血注いで作り上げた一品である。
ここは正に、文字通りの宝の山————正確には、ミサ秘蔵のドレスルームであった。
「急いで運び出しなさい! 絶対に傷つけるんじゃないわよ!!」
「了解!」
「レッドとブルーは、ここから一番高そうなのを選びなさい。あまり時間がないわ、全ては持ち出せないかもしれない」
「どうぞ私にお任せください、ピンクさん」
「オメーはどうすんだよ」
副官たるレッドが、こんな宝の山を前にして自分は一番のお宝探しをせずに任せて来たことを不審に思って訪ねる。
「私は……さらなるお宝を探しに行くわ」
フルフェイスマスクの向こうで、絶対にキメ顔して言ってるな、とレッドは思いながら、好きにしろとだけ言い残して、立ち去った。
「私の勘が囁いている……ここじゃない、もっと大事な場所が、他にもあるってね」
それを確かめるために、危険を承知でピンクは単独行動に移った。
迅速かつ的確にお宝を運び出す頼れる大隊員の気配しかない、この中枢区画を再び神経を研ぎ澄ませて探し歩く。
どこだ。一体、どこが自分を呼んでいるのかと。
「……ここね」
そうして辿り着いたのは、両開きの扉。
他にもっと大きな扉もあったし、似たような扉は幾つもあった。けれど、ここだという確信が何故かあった。
「うふふ、この扉の向こうに、何が待っているのかしら」
これは過去最大の収穫の予感、と信じて扉の解除に挑む。
ピンクの勘の正しさを証明するように、実に三重ものプロテクトがかけられている。
「だ、ダメだ……最後のロックがどうしても解けない!?」
見たことがない形式だ。
古代遺跡へのアクセスには、テレパシーが重要だということをピンクは知っている。リリィが自由自在に古代魔法を操っているのは、誰よりも強大なテレパシー能力を誇っているからだ。
妖精には及ばないが、淫魔として多少のテレパシースキルを持つピンクは、それを駆使して扉にアクセスしているのだが……自分の実力では限界だと、嫌でも悟ってしまうほど強固な壁にぶち当たってしまった。
刻一刻と迫る見えないタイムリミットの中、この扉を前にして撤退も考え始めた時————天才的な閃きが過る。
「……私って、ミサに似てるんだったわよね」
もしかして、と思いながらピンクは自分の命がかからない限りは、決して人前で外すことはないフルフェイスマスクに手をかけた。
一応、右を見て、左を見て、誰もいないことを確認。
そしてマスクを外し、サキュバスに相応しい美貌を露わにして、真っ直ぐに扉へと向く。
「私は第十一使徒ミサ。だから顔パスでいいよわね?」
ニコっと微笑んだ瞬間、ガキンと音を立てて固く扉を閉ざしていた鍵が外れる。
ピンクの顔認証が、通った瞬間であった。
「しゃあっ! プロテクト解除キターァ!! さぁーって、私のお宝ちゃんとご対面よー!!」
かくして、扉は開かれる。
果たして、その向こうでピンクを待っていたのは、
「……嘘、ミサちゃん……?」
第十一使徒ミサが、そこにいた。
「……え、なに、聞こえなーい」
聞こえないフリをしながら、手に持ったマスクを再び被ろうとした瞬間、
「ミサちゃん! ミサちゃんだっ、本物のぉ!?」
「ぎゃぁああああああああああああああああああああああ!!??」
悪名高き十字軍最高戦力たる使徒の強襲に、流石のピンクも哀れな叫び声を上げざるを得ない。
逆立ちしたって使徒には勝てないということは、第五次ガラハド戦争で無謀にも第七使徒サリエルに挑んだ時で思い知っている。
デカいお宝の気配を信じてやって来たが、最早、自分の命運もこれまでか、とピンクは二度目の人生の終焉を覚悟したが、
「ああ、ああぁ……ミサちゃん、良かった……生きて、たんだね……」
「う、うーん、そっすねぇ……」
何故だか第十一使徒ミサは、ピンクを指して「ミサ」と呼び、感極まったように滂沱の涙を流して抱き着いている。
絶対に離さないとばかりにガッシリと抱き着いているが、右手が斬り落とされているのが普通に怖い。その傷口に漂う微かな呪いの気配を感じ、ピンクは魔王の帰還を察した。
そして状況を理解する。
どうやら第十一使徒ミサは、無事に帰還したクロノ魔王陛下を筆頭に、集結した『アンチクロス』によってバチクソにボコられ、転移で司令室まで這う這うの体で逃げたのだと。
チラっと開かれた扉の向こうを見れば、一度だけ見たことがあるシャングリラの司令室と似たような内装であることが確認できる。間違いなく、ここがピースフルハートの司令室だ。
「凄い、奇跡だよ……ミサちゃんは、どうやって……ううん、理由なんて、どうでもいいよね。私、ミサちゃんと会えて、それだけで……」
「うんうん、私も会えて、嬉しいよ」
いや誰だよ、お前なんか知らねぇ初対面だよ完全に、と内心で思いながらも、どうにも誰かと勘違いして、再会を泣いて喜んでいるらしいミサの言葉に、ピンクはひとまず合わせることにした。
「私ね、頑張ったんだよ……ミサちゃんになれるように」
「そっかぁ、頑張ったね」
「もっとキレイになるよう努力した。沢山の男を従えた。神様にだって認めてもらえるように、使徒としていっぱい、魔族を殺したよ————でも、無駄だった。全部、無駄なことだったんだね」
無駄と言いながらも、ミサの顔にはどこまでも晴れ晴れとした済み切った笑顔が浮かぶ。
「本物のミサちゃんが、一番キレイだよ」
言うと同時に、忌まわしい顔の傷を覆い隠す半分の仮面が割れた。
砕けた仮面がバラバラと崩れ落ちると、その下に隠していたはずの傷跡が露わとなる。
呪いの刃によって刻み付けられた傷口からは、鮮血が吹き上がるような勢いで、白銀に煌めくオーラが放出されていた。
「うわっ、アンタ、顔が……」
「うん、だって、もう私が演じる必要ないもんね」
溶け出す。濃密な白色魔力のオーラが。いいや、ミサの顔そのものが溶けてゆく。
ショッキングピンクに煌めく美しい瞳が浮かぶパッチリとした二重の目は、腫れぼったい一重瞼の細目となる。薄っすらと朱の差した白い頬は、ソバカスの散る黄色がかった荒れた肌へと変わった。
綺麗にルージュの引かれた瑞々しい紅の唇は、カサカサに乾いてひび割れた口元へと。
キラキラ輝いて波打つ桃色の長髪も、くせ毛に跳ねる焦げ茶色の髪へと塗り替わって行く。
メッキが剥がれ落ちるように、彼女が纏っていた美しい本物のミサの美貌が、オーラと共に次々と溶け出してゆく。
その身から流れ出てゆくのは、美貌だけではなく、白き神より与えられた無限の力も。
「やっぱり私なんかじゃあ、本物のミサちゃんには全然、敵わなかったよ。下手糞な演技で、ごめんね」
「あっ、アンタ、もしかして……」
ピンクを見上げるミサの顔は、もう半分が溶け落ちた。
本来の容姿に戻った半分の顔を見て、ピンクはようやく思い出す。
その昔、サキュバスに転生するよりもさらに前————かつてミサという名前であった、無力な人間の少女だった頃を。
「ペトラ……?」
「わあっ、嬉しいよ……私の名前、覚えててくれたんだね」
すっかりモノクロとなって色褪せた前世の記憶。とんでもない間抜けを晒して死んだ、思い出したくもない無様な過去。
淫魔転生を果たしたことで、もう二度と関わることのない前世の存在だと思っていたが————幸か不幸か、ピンクは思い出してしまった。
ペトラという、後輩だった一人の少女のことを。
あるいは、彼女だからこそ思い出せたのだろう。よく考えてみても、ペトラの他に、ミサだった頃に出会った人々の名前なんて、一人も思い出せはしないのだから。
「バァーカじゃないのぉ! アンタ、死んだ私の真似してたの!? はぁ、キモっ、引くわぁっ!!」
瞬間的に全ての真実を悟ったピンクの第一声は、どこまでも純粋な罵倒であった。
バカ、キモい、引く。全て心からの言葉である。
「えへへ……そうだよね、ごめんね、ミサちゃん」
けれどミサは、いや、ペトラへと戻った彼女は満面の笑みを浮かべて受け止めた。
ああ、そうだ。これだ。これこそがミサ。
目の前で憧れの存在を失い、どれほどの絶望に突き落とされたか。神の奇跡に縋って、自ら第十一使徒ミサを演じるという、終わらない現実逃避の日々をどれだけ重ねてきたことか。
その苦難も苦悩も、何一つとして省みることのない、どストレートの罵倒。
実にミサらしい。本物でしかありえない反応に、ペトラは心の底から満足して、
「————『闇凪』」
呪いの刃が、その瞬間に無力な少女へと戻ったペトラへと牙を剥いた。