第934話 堕天使(2)
「出て来い、魔王クロノ! アルザスで取り逃がした貴様の首、このノールズが今度こそ討ち取ってくれようぞっ!!」
やはりここにいたか、ノールズ。
アルザスでは面白いようにこちらの策にかかり続ける、力押しだけの脳筋指揮官という印象だったが、今の奴は大角の氏族と密かに通じ、俺を孤立させる罠を仕掛けてきた。
ジャングルでの追撃も執拗にして的確。俺達を補足し続け、取り逃すことなくここまで追い立てた。
そして最後の最後に、俺が突破を図る地点を見抜き、自らそこに陣取っている。
これが偶然ではなく、全てノールズの指揮によるものならば、大した手腕だ。
俺はアルザスで一生背負うほどの屈辱を味わった。だがその一方で、たかだか百の冒険者を相手に苦戦を強いられたノールズもまた、指揮官として大いに責任を負わされただろう。
因縁があるのは向こうも同じ、か。
これほどの大勝負を仕掛けてくるとは、凄まじい執念である。
「まずいな、アイツが出張って来たせいで、隙がなくなった」
向こう側の橋のたもと、そのど真ん中に堂々と仁王立ちするスキンヘッドの大男の姿が遠目に見える。
奴自身も司祭だから、聖なる光魔法はお手の物。円柱のような白い大きなメイスを掲げ、広い橋の幅を全てカバーするほど広範囲の結界を発動させているようだ。
恐らくはアンデッド特攻の浄化結界。ただの人間なら素通りだが、闇属性魔力で動くアンデッドモンスターを容赦なく焼き尽くすだろう。
俺のけしかけたゾンビ軍団が敵中へと突っ込み乱戦に持ち込むよりも前に、しっかり対策されてしまっては、期待した効果は見込めない。下手すれば折角のゾンビ軍団が一方的に殲滅されてしまう。
「ここで勝負を仕掛けるか……」
対岸の敵本陣へとゾンビ軍団と共に突入してからが本番だと思っていたが、今ここが突破口を開くための山場だ。
ノールズは自ら前に出ることで早々に混乱を収めて体勢を立て直したが、同時に大将が前線へ立つリスクを負っている。いっつも最前線にいる俺が言うのも何だが、大将がそんな簡単に敵の前に出てくるのは感心しないな。
己の力に自信もあるだろう。そして何より、恨みのある俺を自らの手で討ち取りたいという、強い動機もある。
それでもお前は、ここまで俺を的確に追い詰めた戦術を信じて、最後まで自分は指揮に徹するのが最善の判断だ。
最後に挑まれるのが力勝負ならば、負ける気はしない。
「行くぞ、メリー」
決断を下した俺の意を汲んで、メリーは橋へ向けて駆けだす。
周囲の大半はゾンビと化しているが、逃げ遅れたり、どうしようもなくなって儚い抵抗を続ける兵士もいる。
俺はそれらを撥ね飛ばしながら、一直線に橋へと突き進む。
「ノールズ! 魔王はここにいるぞ、かかって来るがいい!!」
挑発に挑発で返す。高々と『獄門鍵エングレイブドゥーム』を振り上げ、俺はここだとアピール。
周囲はゾンビと逃げ遅れた兵士とで大混乱の様相だが、ただでさえデカい馬体のメリーに跨っている上に、俺自身も鎧込みでデカいので、はっきり見えるだろう。
「ここに神命は下された! 今ここで、我々に魔王を討ち滅ぼせと白き神は望まれている!」
大きく両腕を掲げながら、ノールズが前進を開始する。
奴の口上に、本陣の軍勢が大いに沸き立つ。一騎討ちのような流れにしながらも、兵の鼓舞も忘れないとは、抜け目がないな。
少なくとも、怨敵たる俺を目前にして、怒りで我を忘れてはいないようだ。
「今日この日、魔王を討ち果たし、我らは勇者となろう! 願わくば、魔を滅ぼす聖なる加護の力を、どうか我らに!」
「神のご加護を!」
「神のご加護をっ!!」
加護の大合唱に背を押されるように、ズンズンと橋の上を突き進んでくるノールズは、いよいよ先頭を走るゾンビ集団と接触する。
案の定、強力な結界が展開されており、その光り輝く範囲に踏み込んだ瞬間から、ゾンビの肉体はボロボロと灰と化して崩れ落ちて行く。
「さぁ、見せてやろう、魔王クロノ。貴様を討つために授かった、奇跡の力を————『聖痕』解放っ!!」
橋の中央、光の結界でゾンビを無に帰しながらノールズが吠えれば、その身から使徒の如き濃密な白色魔力のオーラが渦巻く。
うわ、マジかコイツ、本当に白き神から加護の力を授かっているのか。これは間違いなく、俺達を追跡してきた聖堂騎士よりも、強力な聖痕だ。
俺の予想を証明するように、俄かに眩い輝きにノールズは包まれ、その身に宿した力の全てが解き放たれた。
「『八識聖痕』」
重厚な白銀の機甲鎧を纏っていても、青白く発光する聖痕が浮かび上がって見える。
両手両足、それから腹部と胸元。これで六つ。
だが『八識聖痕』は通常、天使の羽を生やすが如く両肩に宿ると聞いていたが……七つ目と八つ目の聖痕は、スキンヘッドの頭部を左右から覆い、頭頂部で重なり合って光り輝いていた。
つま先から頭の先まで、眩しいほどの光に包まれながら、俄かにノールズのシルエットが拡大してゆく。
「我、聖域を守る守護者とならん————『ローゼリア島の聖堂巨人』」
その姿は、正しく巨人。全長20メートルはあろうかという、白銀に輝くギリシャ彫刻のような巨躯だ。
筋骨隆々の逞しい男の肉体は、本物の巨人のように精緻な造りだが、メタリックに輝く金属光沢から生物感は皆無である。だが生きているかのように滑らかに動く様は、非常に不気味だ。
カーラマーラ大迷宮のラスボスにして、今では貴重な鍛錬用の相手となっている、デウス神像と似ている。恐らくは、どちらも同じような原理で動いているだろう。黒と白の性質こそ異なるが、共に莫大なエーテルを基にしてその巨人の体を構築しているはず。
「まったく、使徒でもないくせに、これほどの力を授かるとはな」
これが神の理を捻じ曲げている成果と言うべきか。
白き神は単独で、黒き神々の全てが授けている加護に匹敵する力を信者へと与えている。十二人の使徒だけでも規格外なのに、その上さらに無数の司祭には種々の光魔法を授け、信仰と鍛錬を極めた聖堂騎士のようなエリートには『聖痕』という万能強化がある。
これだけの力を現世に与えた結果、この世界にどういう影響が及んでいるかは黒き神々しか与り知らないところであるが、現実で相手にするこっちとしては堪ったもんじゃない。
「うぉおおおおおおおおおおおおおおお!」
「凄ぇ、なんだあの光の巨人は!?」
「き、奇跡だ……神の奇跡が起こった……」
目に見えて強大な力を発揮したノールズの姿に、大遠征軍の熱狂は最高潮といったところ。事実、あの巨大な姿は見掛け倒しなどでは決してない。
神の奇跡。確かに、聖書にも描かれている伝説になぞらえた巨人化能力ではあるようだ。
ローゼリア島の聖堂巨人。
俺が開拓村でニセ司祭を演じるために、サリエルから聖書の講釈を受けていた時に見た覚えのある伝説だ。
シンクレア共和国の古くからある領地に、ローゼリア島という小さな島がある。
これといって目立つものもない、平和で長閑な島だが、その立地は海の向こうからやって来る凶悪な蛮族バルバトスの海上侵攻ルートにあった。彼らが侵略に来る時、まずこの島から襲われる……対馬みたいな立地というワケだ。
幾度も戦火に晒され、島民が虐殺の憂き目にあったのも一度や二度ではない。
だがある時、ナントカ言う聖人が島に巨大な彫像を建てた。
そしてバイキングの如き凶暴なバルバトスの船団が襲来した時、神の奇跡によって巨大象は動き出し、島を守るために戦った————と、伝わっている。
今でもローゼリア島には観光資源よろしく、馬鹿デカい彫像が建っているし、奇跡に頼らなくても守れるようガチガチの要塞化も完了しているそうで、もう伝説の巨人が動き出すことはない。そもそも勇者アベルによって、バルバトスの脅威そのものが消滅しているしな。
ともかく、広く浅くの強制詰め込み教育で聖書を学んだ俺でも覚えている、有名なエピソードである。
本物の聖堂巨人はもういないとしても、その伝説になぞらえた力を得られる。
それがノールズの『ローゼリア島の聖堂巨人』だ。
「ふん、見掛け倒しのハリボテだな。そんな図体だけの木偶の坊で、この魔王を倒せると思っているのか」
「無論、これぞ神が与え給うた奇跡の力」
注意を引くためだけの俺の安い挑発に、ノールズは20メートルも上から俺を見下ろして応えた。
「ああ、聞こえる、聞こえるぞ。神は言っている————この力で、魔王を叩き潰せとっ!!」
グォオオオ、と唸りを上げて、光り輝く巨大な拳が振り上げられる。
どうやら舌戦で稼げる時間もここまでのようだ。
それじゃあ、覚悟を決めて俺も勝負をかけるとしよう。
「いいだろう、正々堂々、この魔王クロノが相手になってやる! ローゼリア島を守る巨人伝説など、魔王の前には無力と知るがいい!!」
メリーを急加速させて発進。
右手には『獄門鍵エングレイブドゥーム』を握りしめ、左手は手綱を離し空けている。
空いた左手に武器は何も握らない。だが、何も握っていないワケではない。この手には、すでに完成された必殺技がある。
「————『虚砲』」
漆黒の球体が掌に浮かぶ。
あらゆる物を抉り取るように消滅させる、俺の黒魔法の奥義。
鍛錬で幾度もデウス神像と戦う中で、楽に倒すためにはこの『虚砲』を上手く当てるのが重要だと悟った。
デカブツは見た目通りにタフだ。生半可な威力では揺るぎもせず、大きく傷跡を刻み付けても平気で動き続ける。
そしてサイクロプスの目玉のように、分かりやすい弱点が外部に露出もしていない。大抵、中枢器官は大きく頑丈な肉体の奥にある。
『虚砲』は巨躯という盾を貫通し、弱点をそのまま突くのに最も適した技なのだ。
デウス神像は頭部と胸部に、それぞれコアが存在している。分かりやすいが、最も堅い守りの配置でもある。手足の先にあったりすれば、切り離せばそれでお終いだからな。
そして見たところ、『ローゼリア島の聖堂巨人』と化したノールズ本体の位置は……胸元だな。
コックピットのような位置にいるノールズへとピンポイントで直撃させられれば、見るからに硬質な分厚い胸板ごとぶち抜いて、一撃で倒すことができるだろう。
「ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
雄叫びと共に、轟々と巨大な拳が降って来る。
騎乗状態にあり、大きいとはいえ橋の上。小回りを利かせて回避というのも難しい。
「メリー、一気に跳ぶぞ————『嵐の魔王』」
加護によってメリーごと超加速。からの大跳躍。
すぐ脇を巨人の鉄拳が通り過ぎて行く。超質量の巨大パンチに、自ら超高速移動で突っ込んで行っている形だ。万が一正面衝突すれば一瞬でシミと化すだろう。かするだけでも、体勢を崩して撃墜されかねない。
安全をとって、やや余裕をもって交差してゆくが、それでも強烈な圧を間近に感じた。
すれ違う瞬間、俺の前には大木のようなサイズ感の腕があり、弱点たる胸元への射線は丸ごと全て塞がれている。
ここで撃っても腕を抉るだけで、胸まで届くことはない。
そうして一瞬の内に通り過ぎて行けば、もう巨人の背後へと抜けている。だが、俺に背中を撃つ気はなかった。
いいや、そもそも『虚砲』でノールズを狙ってなどいないのだ。
「突破口は俺が開く。だから————」
真正面に向けて、『虚砲』を放つ。
一直線に飛んで行く漆黒の球体は瞬く間に橋の上を駆け抜け、その先に立ち塞がる最後の関門たる大遠征軍の本陣……そこを守る、多重展開された結界へ衝突した。
着弾の瞬間に、黒々とした球形の消滅領域が音もなく広がる。
幸いと言うべきか、『聖堂結界』は張られていない。あったとしても、俺一人が通り抜けられる程度の穴くらいは空けられるだろう。
そう、穴を開けることはできるが、砕くことはできない。ネルはマジでどうやってるんだろう。なんでパンチ一発で割れるんだ。
ともかく、突破口は開かれた。
俺の前には綺麗な円形に抉られ、ぽっかりと口の空いた多層の光の結界と、その向こうで間抜けな面を並べている兵士共が見える。
ゾンビ軍団が止められたなら、本陣の真っ只中でまたゾンビ軍団を湧かせてやろう。結界を展開させている司祭共か魔術師部隊を始末すれば、後続のゾンビも抑えきれなくなり、十分に混乱を狙える。
けれど、それをするためにはノールズが邪魔だ。コイツを抑えておかなければ、俺が敵中で暴れることはできない。
つまり、ハナから俺はノールズを相手にする気も無かったのだ。
「————後は任せたぞ、サリエル」
「うわっ、何よあのデッカいの!?」
「あれは、ローゼリア島の聖堂巨人」
単騎駆けを敢行したクロノを見送り、戦端が開かれて間もなく。
橋の上に出現した光の巨人を目にして、連絡役の妖精ネネカが驚愕するのに、サリエルが律儀に答えていた。
クロノのようなにわか知識とは違い、サリエルはより正確で詳細なローゼリア島の巨人伝説について知っている。使徒時代には現地を訪れ、本物……とされている、巨大彫像を見たこともあった。
「ちょっと、大丈夫なの……?」
「問題ない」
むしろ、あれほど大きく目立つターゲットが現れてくれた方が、やりやすい。
この力は、リリィやフィオナのように大勢の相手を一気に殲滅するのに向いているワケではない。
「んん! あー、魔王様が、あのデカいのを任せるって」
「了解」
クロノなら、必ず任せてくれると思った。
若干、不安げなネネカの報告を聞いて、サリエルはいつものように無感情に頷く。サリエルにとっては、メイドの仕事も、騎士としての戦闘も、等しく同じ労働に過ぎない。己の成すべきことを成す。ただそれだけで、これと言って感情を動かすことはない。
けれど、今は少しばかり気持ちが高ぶっていた。
新たな加護の力に、浮かれているワケではない。
終ぞ人間らしい感情を取り戻すことはできなかったサリエルでも、分かるのだ。この力の強さは、証なのだ。
クロノが愛してくれた、証。
愛という目に見えない感情ではなく、明確に実感できる力と言う名の証明が、サリエルに自負を与える。
「『أبدأ حساب البالستية(弾道演算開始)』」
命令は下された。とっくに配置も済んでいる。
サリエルもまたクロノと同じく、街道の上に堂々と姿を現している。もっとも、先んじて突撃を果たしたクロノがゾンビと共に大暴れしているせいで、やや後方にひっそりと現れたサリエルに気づける者もいなければ、気づいたとしても対処しようもない。
故に、悠々と路上に術式を書き込んで仕込みをすることもできている。
基本構成は使徒時代に愛用していたものとそう変わりはない。より速く、より遠く、より正確に、投げるための投擲用のサポート術式だ。
使い慣れた力の作用が、大きく、強く、そして繊細に、握りしめた『反逆十字槍』へと集約されてゆく。
「『إعداد الغايات النار(発射準備完了)————『天雷槍』」
放たれた槍は一文字に黒雷の尾で空を割いて飛んで行く。
この距離で、あれほどの巨大な的。外すはずもない。サリエルの手より放たれた次の瞬間には、すでに槍は命中している。
ゴォオオオオオオオオオオオオオオオン————
奇しくも教会の鐘によく似た音が轟く。
その音色は主従の愛を祝福するものか。あるいは、これから死にゆく一人の司祭へ向けられる葬送か。
サリエルはただ命中の手ごたえを感じた直後に、次の行動へと移っていた。
「『تحقق إحداثيات الفضاء(空間座標確認)』————『逆召喚』」
それは武装聖典『聖十字槍』に組み込まれていた、槍の元へ自身を呼び出す機能。ガラハド戦争において第七使徒サリエルが、遠いアルザス要塞からガラハドまで瞬時に転移した際に使った能力だ。
物体である槍本体の召喚は使えたが、生身の装備者を転移させるのはより高度な能力であるためか、使徒の力を失ってからは使えなかった。けれど、今は再びその召喚能力は機能を取り戻している。
閃く黒い雷光と共に姿を消したサリエルは、瞬時に投げた槍の元へと呼び出される。
視界が切り替わると、眼下にはこちらを見上げる光の巨人の無機質な目があった。
「ぐぉおおお……き、貴様は……」
会った覚えはない。けれど、向こうはこちらの顔を知っているのだろう。
巨人の胸元の奥深くにいるノールズが、さぞ恨みがましい目で自分を見ているだろうと、サリエルでも容易に想像がついた。
ならば、この姿をよく目に焼き付けるといい。
「私はもう、使徒ではない」
哀れな神の下僕へ、この上なく分かりやすく示す。
「けれど、私は使徒と同じ力を授かった————」
身に纏うのは純白の法衣ではなく、漆黒の軍装。
そして天使と称えられたかつての第七使徒、その背中に白翼が翻ることはない。彼女が背負うのは、黒い翼。
禍々しい赤黒い雷光を散らす、暗く重い、黒鉄の翼だ。
その姿、正しく堕天使。
「永久不滅の忠誠を誓う、黒き槍――『暗黒騎士・フリーシア』」
唱えた神言と神名に続いて、サリエルは進化した加護の力を口にした。
「『黒魔装』」