第929話 明けの明星
「————これで、全ての守りは破れましたね」
至近で炸裂した爆風をものともせず、ネルは泰然とその場に立ちながら砕け散ってゆく聖堂結界の輝く破片を眺めていた。
渾身の衝角攻撃『復讐者』が宮殿を守る聖堂結界に届かなかった場合、もう一つの結界破りの手段として採用されたのがネルである。
今作戦においてネルは医療大隊を率いる軍医総監ではなく、『アンチクロス』第四位に座す戦巫女として参戦しているのだ。
よってその衣装は癒しの象徴である純白のプリーストローブではなく、古式ゆかしい紅白の袴姿である。
次元魔法さえ砕いてみせるその力を余すところなく発揮し、ネルは見事に二度目の『聖堂崩し』を成功させたのだった。
「目的を達したとはいえ、一撃で破れなかったのは、まだまだ未熟ということですね」
今しがた放った『聖堂崩し』は、シャングリラの魔術師部隊からありったけの強化魔法を受けた上で、さらに入念に力を溜めたから放った、実現しうる最大威力であった。
それでも一撃で木っ端微塵に粉砕されなかったのは、アヴァロン王城の時よりも術者の腕も人数も上回る強度の聖堂結界であったからに他ならない。しかしながら、結界を多少なりとも揺るがすことが出来れば、さらなる攻撃を叩き込めば押し切れる。
聖堂結界が修復されるよりも早く、ネルが『聖堂崩し』を放った直後に、間髪入れず主砲を撃ち込む手筈となっていた。
爆発力よりも貫通力を重視した結界破壊用の砲弾は、見事に崩壊寸前まで揺らいだ聖堂結界にトドメを刺し、今ここに空中要塞を守る全ての結界は消え去った。
「あとは、使徒の首を獲れば————」
いよいよ敵の本丸へと乗り込まんと一歩を踏み出したネルへ、その瞬間に無数の光の矢が降り注ぐ。
ただの魔術師部隊の反撃ではない、というのは光の矢の輝きと鋭さ、そして何より込められた殺意によって瞬時に察した。まるでリリィが放ったかのように強力な光魔法の攻撃だ。
「ふっ」
鋭い呼気と共に、ネルの両腕が閃く。
清楚可憐なお姫様には似つかわしくないが、白龍の甲殻によって作られた手甲『天空龍掌「蒼天」「紅夜」』は降り注ぐ攻撃魔法を容易く跳ね除ける。
右手に装着された真紅の宝玉が輝く『紅夜』は、宿した『反射』の能力によってそっと撫でるだけで光矢の軌道を逸らす。
左手の蒼白に煌めく『蒼天』は『吸収』によって、正確に急所を射抜く本命の一撃を瞬時に喰らい付くした。
回避の隙間を全て潰すように放たれた光り輝く矢の雨だが、ネルにとってはその場を一歩も動くことなく対処できる程度の攻撃であった。
「無駄ですよ。その程度の攻撃魔法では————」
ドドォン!!
と激しく炸裂した白光が閃光と爆風を迸らせる。刺し貫く矢では届かぬならば、その身を諸共に吹き飛ばす灼熱の爆発を喰らわせようと、光の範囲攻撃魔法を幾重にも重ねて放たれた。遮蔽物のない開けた甲板の上に立っていただけのネルを、瞬く間に光の爆発が広範囲に渡って爆ぜるが、
「————私を止められませんよ」
まるで庭先を散歩するかのように、優雅に紅色の袴の裾を揺らしてネルは爆炎の中より歩み出て来る。
その優雅な足取りの前に、幾つもの人影が立ちはだかった。
「どうやら、そのようだな」
「アヴァロンの姫君、ネル・ユリウス・エルロード。よもや、これほどの実力者とは」
白銀の鎧兜に身を包んだ騎士達である。
声を上げる二人と、その一歩後ろには十人ほどの盾持ちの騎士が横一列に立ち並ぶ。そこからやや距離を置いて、後衛として弓か杖を持つ騎士達も見えた。
「ただの騎士ではなさそうですね」
間違いなく、先ほどの攻撃を仕掛けて来たのは彼らである。重厚な鎧兜を身に纏いながらも、精鋭魔術師と同等以上の激しい攻撃魔法を難なく放つことから、剣と魔法どちらも非常に高い水準で修めていることを示している。
特に前衛として立ち並ぶ者達からは、アヴァロンの騎士団でも感じたことがないほどの鋭い気配を放っている。
使徒の他にも、これほどの実力者が揃っているとは。一人でこの二十人以上もの最精鋭と思われる騎士を相手にすれば、厳しい戦いになるとネルは気を引き締めて相対した。
「————『火焔長槍』」
直後、前衛騎士の列に巨大な火炎の竜巻が突き立つ。轟々と燃え盛る激しい炎は、騎士達だけでなく、距離を置いて向かい合うネルまで巻き込まんばかりの巨大さで渦巻く。
「ええ、ただの騎士ではありません。ソレが聖堂騎士です」
「ちょっと、フィオナさん! 危ないじゃないですかっ!?」
余裕で味方を巻き込みかねない攻撃をぶっ放しておきながら、平然とシンクレア知識をひけらかすフィオナに、ネルも思わず怒りの声を上げる。
「当たってないから大丈夫じゃないですか」
「そもそも当たりそうな攻撃は止めてもらえませんかねぇ!」
「そういえば、ネルと組むのも久しぶりですから。リリィさん殺しに行った時以来ですか」
「あの頃も大して連携をとれていたとは言えませんけれど」
嫉妬の女王と化したリリィを討ちに行ったのが、フィオナとネルが同じパーティを組んだこれまで唯一の事例である。
しかしながら、すでにして二人は同じ帝国軍に所属する。こうして肩を並べて戦う機会もめぐって来るものだ。
「————裏切りの魔女フィオナ・ソレイユだな」
「私は別に誰も裏切ってませんけど」
「これは、想定以上の火力だ」
「どうもありがとうございます」
「何で律儀に答えてるんですか……」
「だって、話しかけてくるから」
ネルと言い合っている内に収まった『火焔長槍』。甲板に黒々とついた焦げ跡の上には、無傷の騎士達が堂々と立ち続けている。
隊長格と思われる二人は不動の姿勢だが、それを囲うように十人の前衛騎士達は盾を構えた体勢であった。瞬時に防御陣形を組み、フィオナの上級攻撃魔法を見事に凌ぎきったのだ。
「ともかく、アレが聖堂騎士です。シンクレアにおいて名実共に最強の騎士団ですよ」
「そのような騎士が出張って来るということは、やはり追い詰められているようですね」
「どうでしょうね。彼らが大人しくミサの指揮に従うとは思えませんから……大方、第五使徒ヨハネスから、魔王軍に探りを入れろと命じられて来ているのではありませんか」
「如何にも、我らは団長命令にてパンドラまで参った」
「魔王軍の戦力、特に貴様達のような特筆すべき力を持つ者を検めるが、我らの任務」
「随分とあっさり言うのですね」
「正々堂々、相手をすることでその力、見極めさせてもらう」
「総員、『聖痕』の解放を許可する」
何を言ったところで、死人に口なし。探りを入れるどころか、どうやら向こうは本気で魔王軍幹部の首を獲りに来ているのだ————と察しているのはネルだけで、フィオナはあんまり話を聞いてはいなかった。
「はぁ、死んだら調査の報告も出来ないと思うんですけどね」
死人に口なしは、こちらとて同じこと。
正々堂々の勝負を挑んだ時点で、聖堂騎士ほどの強敵は一人残らず撃滅しなければならない。二十人以上もの最強騎士団員を相手にしても、フィオナに負ける気は毛頭ない。ネルという頼れる前衛もいるのだから、尚更に。
「あれが『聖痕』という能力ですか」
「おお、私も四つ以上は初めて見ましたね」
聖堂騎士が纏う白銀の装甲には、複数の文様が浮かび上がっていた。
後衛の騎士達には両手の甲に二つ。あるいは右足の甲にも浮かび、三つを持つ。
前衛騎士達は両手と両足で四つ。
そして隊長格の二人は、両手両足に加えてさらに腹部に浮かび上がって、五つもの聖痕を輝かせていた。
「『聖痕』の加護を宿す者は数いれど、最低でも二つ持たねば聖堂騎士にはなれぬ」
「我らとてまだまだ未熟、天へと至るには程遠いが……貴様達を相手にするには十分」
使徒のように白色魔力のオーラを漲らせる、聖痕解放を果たし全力の姿となった聖堂騎士を指さして、フィオナはネルへ懇切丁寧に説明する。
「最大十個で天使になれるそうですよ。二つで『双聖痕』、三つで『三合聖痕』、四つで『四核聖痕』」
聖痕を一つ宿すだけでも、司祭としても騎士としても精鋭を名乗れる。それが複数となれば、さらにその力も位階も上がる。
シンクレア本土では、いくら常識知らずの天然魔女フィオナであっても、『四核聖痕』以上の数を誇る聖痕持ちに喧嘩を売ることは控えていた。
しかし、ここは黒き神々のパンドラ大陸。魔王軍幹部として、何よりも魔王の伴侶として、今のフィオナに相手が使徒だろうが天使だろうが、遠慮をする必要性は欠片もありはしない。
「『五極聖痕』と戦うのは初めてですが、ちょうどいい相手ですね」
五つの聖痕を輝かせて、ゆっくりと剣を抜く隊長格の二人と合わせるように、フィオナも満開と化した愛杖『ワルプルギス』を構えた。
「ネル、適当に掩護するので、適当に止めてもらえますか。試したいことがあるので」
「そんな指示を信じろと?」
「失敗しても相手が消し炭になることに変わりはありませんので。よろしくお願いします」
「私は消し炭になりませんよね?」
「よろしくお願いします」
どこまでも不安になる物言いのフィオナであるが、次の瞬間には斬りかかってきそうな聖堂騎士の圧力を前に、ネルは渋々、頷くこととした。
「はぁ……仕方ありませんね」
「————女王陛下万歳!!」
万歳三唱を背に、リリィは再び空へと出撃する。
シャングリラとピースフルハートがぶつかり合った空では、すでに竜騎士と天馬騎士が入り乱れた激しい空中戦が繰り広げられている。
大砲などの兵器がないピースフルハートは火力面では劣る。その分だけ多くの魔術師部隊や十字教司祭を乗せて補っているが、衝角攻撃によってその防衛網も大きく乱れていた。
対して始めから突撃体勢を万全にしていたシャングリラは、衝角攻撃成功後から素早く整然と追撃を開始している。
シャングリラに備えられた種々の火砲による掩護を受けた竜騎士団は、そのまま天馬騎士団を打ち破るだろう。しかし、不利を悟っていながらも退く場所などない天馬騎士も、決死の反撃を続け、勝負はまだしばらくつきそうもない状態であった。
「女王リリィだ!」
「コイツさえ討ち取ればっ————」
「邪魔」
目ざとく出撃直後のリリィを発見し、一発逆転をかけて襲い掛かって来た天馬騎士を流星剣で斬り捨てる。
『ヴィーナス』に乗ったリリィは天馬騎士の相手は竜騎士に任せ、自分はピースフルハートへとこのまま乗り込むつもりであった。
クロノとサリエル、二人の戦力を欠いているものの、残った『アンチクロス』だけでも第十一使徒ミサを倒せるだけの戦力は揃っているとリリィは判断した。
先んじてネルとフィオナが甲板へ踏み込み、すぐ後にはピースフルハートを制圧するための『混沌騎士団』を率いたゼノンガルトも突入をかける。
そして『ヴィーナス』を装備した自分が加わり、ミサが大暴れするよりも前に速やかに討伐する作戦だ。
「ミサはどこにいるんだろう」
ピースフルハートの頭上を旋回するように、ミサを探して飛ぶ。
甲板では早くも激しい戦いが始まったようだが、まだ使徒の発する強烈な白色魔力の気配は掴めない。
まだ宮殿の奥に引き篭もっているのだろうか、と幼い頭で考えたその矢先であった。
「無垢なる者は縄を結え。信ずる者は輝くレンガを積み上げよ。罪人は繋がれ、咎人は閉ざされる。聖なる法の下、全ての邪悪に重罰の枷を————『西方大聖堂の光牢』」
リリィの前に突如として突き立つ、巨大な光の柱。
慌てて回避に動くが、その先も、さらにその先にも次々と同様の柱が現れる。
「うわわっ、囲まれちゃった!」
気づいた時には、煌々と輝く白光の巨大な牢獄が完成していた。聖堂結界とは異なるが、非常に高度な結界であることに変わりはない。外からの攻撃を防ぐのではなく、内に閉じ込めた者を逃がさぬ構造。
ペガサスやワイバーンを凌駕する脅威の空中機動を見せるリリィを相手に、巨大な結界で閉じ込めるというのは、対応としては最適解であると言えよう。
「むぅ、リリィの邪魔しないでよ!」
一息に突っ込んで破れる結界ではないと察し、一旦その場で止まって浮遊するリリィは、ヴィーナスの上で怒りの仁王立ちとなって、眼下に立ち並ぶ術者達を見下ろした。
「本当にあんな幼子が、魔王に次ぐ帝国の支配者、女王リリィなのか?」
「あの空飛ぶ兵器を乗り回しているのだから、間違いあるまい」
「はっ、間違いねぇんなら、ソレでいいじゃあねぇかよ。パンドラまで来た甲斐があるってもんだ————おい妖精女ぁ、さっさと変身してかかって来いや!」
威勢よく叫ぶ騎士が、どうやら隊長であるらしい。
幼いリリィでも、彼らが聖堂騎士と呼ばれるシンクレアで最強と名高い騎士団として、一線を画す実力者であることは理解している。
だが、リリィが次の瞬間に意識を切り替えたのは、相手が強敵であることが理由ではない。
「クロノって野郎じゃなくて、オメーが真の魔王だって噂もあるが、まぁどっちだっていい。この俺がどっちも討ち取ってやるんだからよぉ————『聖痕』解放!!」
妖精女王を討つべく、光の牢の内に集った聖堂騎士。その数は優に三十を超えている。
半数は『双聖痕』で、もう半分は『三合聖痕』と『四核聖痕』。僅かながらも『五極聖痕』もいる。
そして威勢のいい隊長は、胸元に六つ目の聖痕の輝きを発する、『六道聖痕』を発動させていた。
「————あら、そう。十字軍ではそんな風に伝わっているのね」
無邪気に輝く妖精幼女の目の色は、どこまでも無慈悲に冷酷な光へと染まり、神の威光を借りただけの愚者を見下す。
「心外だし、不愉快だわ。魔王はクロノただ一人」
クロノの代わりに自分が魔王となる、そんな野心など欠片もありはしない。リリィにとって、世界全てを支配することになどまるで魅力を感じない。
求めるものは常に一つ。これまでも、これからも、それは決して変わることはない。
「私はリリィ、クロノに最も愛される魔王の伴侶。そう、あの世で神に会ったら伝えておきなさい————『ヴィーナス』逆光変形」
リリィは変身の輝きに包まれながら、『ヴィーナス』より飛び降りる。
手足が伸び、妖精の羽が広がり、フワリと浮遊するようにゆっくりと降下するリリィの背後で、『ヴィーナス』もまたその姿を変化させた。
垂直に立ち上がると、五芒星の形状は時計が回るようにグルりと回転。ガキン、と歯車がかみ合う音が響けば、その形は六芒星へと変わっている。六つの頂点はさらに可動し、一段階その長さを伸ばす。
スライドして伸びた箇所にはびっしりと精緻な古代魔法陣が刻まれ、莫大なエーテルが流れ込み不気味な赤い輝きを放つ。
そうしてリリィが美しい少女の姿へと変身を終えると同時に、禍々しい真紅の六芒星へと変貌を遂げた機甲鎧は、正しくその機能を発揮するように、妖精の羽が輝く背中へと装着されてゆく。
一体化を果たした瞬間、六芒星から三対六枚の真っ赤に輝く大きな光の翼が広がる。女神『妖精女王イリス』と同じ数の羽を備えた神々しい姿でもって、変身合体を終えたリリィが降臨する。
「————『ルシフェル』、反転起動完了」
これこそが全ての力を解放したリリィ専用機甲鎧。
『ヴィーナス』は幼い状態でも安定的な運用を可能とする、出力も戦闘能力も抑えた形態である。
しかしリリィが真の姿へと変身を果たしたならば、機甲鎧もまた力を抑える必要はない。本気を出したリリィへ、さらに強力な力を与える恐るべき機動兵器。そのあまりにも強大な破壊力と眩い輝きから、クロノをして『ルシフェル』の名を授けるに相応しいと言わしめた。
美しき金星は転じて、明けの明星となりさらに強く、大きく、光り輝く。
白き神ではなく、妖精の女神の威光と、己の全てである永遠不変の愛によって力強く輝くその姿に、聖堂騎士は戦慄と共に呟いた。
「こ、これが……真の魔王の力……」