第928話 シャングリラVSピースフルハート(2)
「ピースフルハートに、衝角攻撃を仕掛ける」
クロノの言葉に、シモンは白目を剥かんばかりの衝撃を覚えた。
「……お兄さん、正気?」
「シモン、俺は本気だ」
明らかに狼狽えるシモンに、ぐっと体を乗り出して真剣に迫るクロノ。傍から見れば怪しい雰囲気の漂う構図だが、話の内容そのものは一級の軍事機密である。
「はぁ……どうしても、なんだね」
「ああ、ピースフルハートに確実に打撃を与えるためには、これしかない」
天空戦艦シャングリラで、天空母艦ピースフルハートへ衝角攻撃を敢行する。とても古代文明の兵器を使っているとは思えない、敵艦への体当たりという原始的な船の戦い方が大真面目に立案された。
なんて馬鹿な真似を、というのは言い出しっぺのクロノとて重々承知。だがしかし、クロノもリリィと協議の上、これ以外に絶対確実な方法はないと決断を下したのだ。
「ピースフルハートの防御結界は、シャングリラ以上だ」
「でも火力では勝っていると思うけど。向こうは大砲、ついてないでしょ?」
「確かに火力は上だ。けど、それで破れる保障がないから、衝角が必要なんだ」
シャングリラの砲火にピースフルハートが耐えられた場合、確実にこちらの方が不利になる。首尾よくミサを『アンチクロス』で討ち取れたとしても、シャングリラが大破してしまっては後の戦いに響く。
最悪の場合、シャングリラだけ落ちてミサとピースフルハートを取り逃がす、ということも十分にあり得るのだ。
何としてでも、ここで両方を落とさなければならない。元よりシャングリラを賭けた一大空中決戦となる以上は、徹底的にやるべき。
シャングリラに衝角を備えることで、主砲を超える圧倒的な物理攻撃力でもって、どれほど強固な防御結界も打ち砕くのだ。
「————うん、分かったよ。それじゃあ、シャングリラが衝角攻撃出来るように改装しないとね」
「ああ、頼むシモン」
そうして、対ピースフルハート用の決戦装備たる衝角が、シャングリラに取り付けられることとなった。
同格の空飛ぶ古代兵器を相手にするための切り札。それが今まさに、怨敵ミサの前へと付きつけられようとしていた。
「————偽装船首、解除」
第一次攻撃隊から帰還し、再び司令部へと戻ったリリィは艦長席で切り札の決戦装備を晒す命令を下す。
艦を直接突っ込ませて攻撃するなど、馬鹿げた作戦だが、万に一つでも敵に悟られるわけにはいかない。敵が接近を嫌って逃げの一手を打たれれば、こちらが不利を強いられる。
先制攻撃の第一次攻撃隊は、通常攻撃がどこまで有効か確認すると共に、常識的な攻め方をすることで、これから突っ込んでくるとは思わせないためのブラフでもある。その上、即座に撤退することで、相手の空中戦力は恐れるに足りない、こちらが有利、今が攻め時、という判断を誘発させられる。まして相手の指揮は直情的なミサであれば、こちらの弱みを見せれば、躊躇なく襲い掛かって来るに違いない。
案の定、ピースフルハートはシャングリラへと真っ直ぐ襲い掛かって来るような進路を取った。この時点で、リリィは必殺の衝角攻撃に踏み切る。
空を飛んでいても、船は船。その巨体が故に機敏な動きは出来るはずもない。
リリィはシャングリラを基にピースフルハートの機動力を想定。進路と相対速度から、ここで仕掛ければ回避不能と冷静に見極めた上での決断だ。
「総員、衝撃に備えなさい」
艦内に響き渡るリリィの命に、乗員は慌ただしく配置について行く。
すでにクリスティーナの竜騎士団は第二次攻撃隊として発艦済み。リリィ以外の空を飛べる者は全て出撃させている。
艦に残る者は対ショック用の設備と、待機させていた魔術師による防御魔法によって守られる。もっとも、実際にシャングリラをぶつけて艦を揺るがすには本番以外には出来ないので、どこまで守り切れるかはもう、黒き神々に祈るより他はない。
「衝突までのカウントダウン開始」
艦長席に座したまま、より一層に強く『妖精結界』を輝かせて、リリィはいよいよ秒読みを始める。
「この瞬間を、一緒に見られなくて残念だわ、クロノ」
シャングリラに増設された衝角は、ただの鋭い金属ではない。それは正に巨大な刃。暗黒物質合金製の漆黒の刀身に浮かぶのは、真紅に輝くエーテルの刃文。
硬く重工な刃に灼熱の光刃を纏った特別製の衝角は、帝国の魔法技術の結晶たる決戦兵器に相応しい。
その銘は『復讐者』。
「アルザスの因縁は、私が断ち切ってあげる」
かくて復讐の刃は、怨敵の牙城へと突き立つ————
「————ッ!!」
途轍もない衝撃に、使徒であるミサでも思わずその場に膝を屈した。
大きな地震に襲われたような、いいや、空飛ぶ船であるがために、左右だけでなく上下にも大きく揺れるのは、空間を丸ごと振り回されたかのように激烈なものだ。
耳をつんざく轟音。展開していた投影映像は乱れ、雑音をがなり立てている。
長い、嫌になるほどの長い衝撃がようやく過ぎ去り、最初に立ち上がったのはやはりミサであった。
「ホントにぶつかりやがってぇ……」
映像の途絶えた司令部では、外の様子は伺い知れない。だが、巨大な質量同士がぶつかり合った衝撃をこれ以上なく体感している以上、確認する必要性すらない。
そもそも最後に映ったのは、漆黒の刀身と真紅の刃文を浮かべた衝角がピースフルハートの強固な防御結界を一息に切り裂き、突き破る最悪の光景だったのだ。
「どうなってんのよ……私のピースフルハートは、どうなってんのよぉ!!」
ミサが怒りのままに叫びを上げれば、主の命に応えるように再び投影映像が浮かび上がる。天空母艦の機能として、艦長として承認されているミサへと、必要な情報を的確に表示するのだ。
前面には大きな画面と、側面には別々の場所を映し出したサブモニターが展開。そこに映し出されたのは、悪夢としか言いようがない光景であった。
「くっ、クソがぁあああああああああああ!!」
発狂したような怒号を上げて、ミサは忌々しい光景を映すメインモニターに力の限りに拳を振り下ろす。無論、ただの投影映像でしかない画面に当たることはなく、ただ素通り。怒りの拳は、目の前にあった卓を叩き粉微塵にする八つ当たりにしかならなかった。
「壊れたぁ! 私のピースフルハートッ、壊れちゃったじゃないのよぉおおおおおお!!」
シャングリラの衝角攻撃は、ピースフルハートの左舷前方から命中した。真正面からぶつかり合わなかったのは、寸前になって慌てて回避行動をとったため。だが全てが遅きに失した指示は、僅かに正面からズラす程度の結果にしかならなかった。
画面には濛々と立ち昇る黒煙と、その向こう側に広大なピースフルハートの甲板を断ち切るように突っ込んだシャングリラの船首が映る。
黒き衝角には、すでにエーテルの輝きである真紅の光は消え失せている。同格の古代兵器を破壊するため、頑強に作ったであろう黒い刀身もメキメキと亀裂が入り、根元の方ではほとんど折れ曲がっていた。
流石に空飛ぶ巨艦同士のぶつかり合いには耐えきれなかったようだが、その刃は確かに防御結界を容易く切り裂き、天空母艦の巨大な船体に深く突き刺さった。その途轍もない破壊の跡を眺めれば、このままピースフルハートは真っ二つに裂けてしまうのでは、という不吉な予感が駆け巡るが、
「お、落ちないわよね……私の城がっ、落ちるワケない!」
ミサを囲むように次々と点灯する、赤色のアラート、アラート、アラート……無数の異常と重大な損傷を報告する表示が浮かび上がるが、
「エーテルリアクターは生きてる……コアブロックも無傷だし、浮力もまだ維持できる……ちっ、結界は全損か。修復まで————はあっ、何で12時間もかかんのよ!?」
この役立たずっ!! と怒鳴ったところで、一気に防御結界が破られた反動により、再展開には長時間を要するのはシステムの限界である。
最早この一戦で、再びピースフルハートが防御結界を纏うことはないだろう。それだけの時間があれば、後はもうどちらかが撃沈するか、あるいは両方沈むか。いずれかの未来へと先に辿り着く。
「ああぁ、もう、メチャクチャじゃない……何でこんなコトにぃ……」
余裕が一転、ピースフルハートが沈みかねない最悪の状況へと傾いてしまった。
だが、まだ落ちてはいない。乾坤一擲のシャングリラによる衝角攻撃も、一撃で天空母艦を撃沈させるには至らなかったのだ。
ピースフルハートは、まだ沈まない。
「魔族共が、どこまでも舐めた真似を……よくも私の城を傷つけやがって、先にお前らの船を叩き落してやる!!」
ギリギリと怨嗟の歯ぎしりを上げながら、ミサは武装聖典『比翼連理』を握りしめた。
「ルーデル、いつまで寝てんのよアンタ! さっさと起きなさい!!」
「うっ、ううぅ……」
すぐ傍でひっくり返っていた少年大司教をミサは叩き起こす。
ひ弱なルーデルだからこそ、大司教を守るために数々の護身用魔法具が持たされている。激しい衝撃によって天井に叩きつけられ、床の上を二度三度バウンドして目を回してはいるものの、種々の結界によって体は無傷であった。
「い、一体、どうなったのですか……」
「私は今からあのシャングリラをぶっ潰しに行ってくるわ」
「え……ええっ!?」
「アンタはここで、私の城を守る指揮を執りなさい」
「そ、そんな、僕にはそんなこと……」
「宮殿の聖堂結界は破られてないんだから、ビビってんじゃねーわよ」
不幸中の幸いと言うべきか、衝角は宮殿にまで届いてはいなかった。
あと十数メートルという僅かな距離で、衝角の先端は止まっており、展開されていた聖堂結界にも当たらなかった。
もしもここまで命中していれば、聖堂結界でも莫大な破壊力に耐えられなかったかもしれない。
シャングリラの衝角攻撃は甚大な被害を与えたが、ピースフルハートはまだ空を飛ぶ能力を維持し、本丸である宮殿も守られている。ここから先は真っ向勝負で押し返せばいいだけ。
そして使徒である自分がいる限り、正面きっての白兵戦で敗北はない。
「奴らもこれから、こっちに乗り込んでくるわよ。アンタは適当に兵をまとめて、守りに徹していりゃあいいんだから、簡単でしょ」
「は、はい、分かりました……力の限りを尽くします」
「そう、それでいいのよ」
弱気ながらも奮い立つルーデルに、ミサは満足気に頷く。
ただ怒りに任せて後先考えずに飛び出す短慮を抑えられているのは、この頼りない少年大司教がいるからであろう。自分が世話を焼いてやらないといけないか弱い存在が、今のミサに理性を失わせていないのだと、自ら気づくことはないのだが。
「こっちにはまだ聖堂結界と聖堂騎士もいるんだから。アンタは安心して私の帰りを待ってなさい、いいわね?」
「はい、第十一使徒ミサ卿、どうぞご武運を。神のご加護がありますように」
「ふん、加護はとっくに貰ってんのよ」
そうして、ミサが『比翼連理』を肩に担いで司令部より出撃せんとした、その時である。
「————あん? なによアイツ」
投影されているメインモニターには、甲板に突っ込んだシャングリラの衝角が映っているが、その濛々と粉塵が煙る光景の中に、一つの人影が浮かび上がる。
雄たけびを上げて兵士達が雪崩れ込んで来れば、ついに突入を敢行したと分かるが、そこにいるのは一人きり。この時、この場所において、偶然に迷い込んだなどということはありえない。
何者だ、と想像を巡らせるよりも前に、その人物は風を纏って粉塵を散らし、堂々たる歩みでその姿を露わにした。
「アイツは確か……ネロの妹じゃない」
ネロやマリアベルと共に、まだアヴァロン王城に居座っていた頃に、その女を見かけたことがある。
その妹にネロは随分とご執心であったようだが、ミサには興味の欠片もない、どうでもいい相手。本来なら女の顔も名前も覚えることはないのだが……それでも一目見ただけでも印象に残るほどの清楚な美貌。そして何より、天使の如くその背に翻る美しい純白の翼を持つ姫君の姿は、そう簡単に忘れられないインパクトと共に刻まれていた。
「ただの甘ったれたお姫様が、一人でのこのこ出て来て何しようってのよ」
そう、ミサはネルの美貌を覚えているだけで、その力については全く知り及んではいなかった。もっとも、たとえネル自身が本物のランク5冒険者だと知っていたとしても、今のミサに止めることはできない。
凄腕の治癒術士ではなく、正しく達人の腕前を誇る古流柔術の使い手たる戦巫女として、ネルは砕けた衝角の上を駆けだした。
白翼が大きく羽ばたけば、麗しの姫君に道を開けるように噴煙が散って行くと共に、その歩みを一気に加速させる。瓦礫がゴロゴロと転がる足場の悪さなどものともせず、ネルは一直線に突き進む。
シャングリラが突っ込んで来た甲板には、防衛の兵などいるはずもない。逃げ遅れた間抜けがいたとしても、転がる瓦礫と同じ末路を辿っている。
飛ぶように駆け抜けるネルを邪魔する者は誰一人としておらず、その行く先は本丸たる白亜の宮殿。目と鼻の先まで突き刺さった衝角から駆け出したネルの前に立ち塞がるのは、宮殿を守る唯一にして最大の守りである、聖堂結界ただ一枚きり。
そのたった一枚の結界で、想定されるあらゆる攻撃を寄せ付けない無敵の聖なる守りはしかし————すでにアヴァロンにて砕かれていることを、ミサは知らない。
「————『聖堂崩し』」
真っ直ぐ来て、殴り飛ばす。
戦いの駆け引きも何もない、その単純な攻めの一手によって、宮殿の全てを覆い尽くす巨大な聖堂結界が揺れた。否、聖なる光に確かな綻びが走り抜けていった。
「なっ!?」
僅か一撃。たった一人の、拳による一撃で、聖堂結界が破れようとしている事実を目の当たりに、ようやくミサも危機感を覚えた。
見るからに結界へと亀裂が走っている様子はモニターだけでも明らか。さらには使徒としての鋭い第六感が、急激な負荷によって聖堂結界が一気に崩壊寸前まで追いやられたことを察知できてしまう。
だが、分かったところでミサに手の打ちようはない。彼女に与えられた特化能力は『魅了』。即座に強力な結界を展開する、守りの力ではないのだ。
「なんで、ありえない……聖堂結界が、こんな簡単に破られるワケ……」
慄くミサを他所に、ネルはゆっくりと繰り出した必殺の拳を戻した。
たったの一撃でコレだ。次にもう一度、同じ攻撃が叩き込まれればどうなるかなど、考えるまでもない。
しかし、ネルはそのまま深呼吸と共に、構えを解いた。
あまりにも強大な威力を放つために、一撃が限界なのか。いいや、ただもう一発殴る必要性などないだけ。
なぜなら、すでに聖堂結界は破れているのだから。
ズドォオオオオオオオオオオオオオオオンッ!!!
轟く爆音によって、聖堂結界が砕け散った際に放つ音はかき消された。
盛大にガラスの破片が飛び散ったかのように、キラキラと輝く光の結界の欠片は迸る爆炎によってのみ込まれてゆく。
大いに揺らいだ聖堂結界を砕くのに、もうネルの手は必要なかった。この場にいるのは彼女一人ではなく、その後ろにあるのは帝国軍が誇る古代兵器シャングリラ。
現代の魔法技術の粋を集め、錬金術師と職人が蘇らせた立派な主砲がそこにあるのだ。敵艦を討つのに、お姫様一人だけに任せておくものかと叫ぶように、シャングリラの主砲は『聖堂崩し』の直後に続いて発射されたのだ。
ほとんどゼロ距離といってもいい間合いで放たれた主砲は、結界の破壊に特化した専用弾頭をぶっ放し、ここに見事、宮殿を守る聖堂結界の全てを破砕しきったのであった。