第917話 百獣を従えろ
蒼月の月3日。
俺とリリィは決戦準備を任せて、一足先にヴァルナ森海へとやって来た。転移した先は勿論、オリジナルモノリスのある『メテオフォール』だ。
ヴァルナの密林を支配する百獣同盟は、帝国と同盟を結んだだけで下ったわけではない。よって、こちらが好きに転移を開通するわけにもいかず、ここへ通じる転移はいまだに『メテオフォール』だけである。
ファーレンとアダマントリアは、その絶大な利便性と商業利用も見越して、他の地域への転移開通にも積極的であったが、基本的には部族単位の生活が中心のヴァルナでは広がらなかった。良くも悪くも閉鎖的な面が強い。少々の利を説くだけでは、帝国に下ることはないだろう。
まだ存亡の危機にまで追い詰められてもいない彼らに臣従を求めるのは難しい、というのはゼノンガルトが懸念した通り。最悪の場合、リリィに脅してもらうことになってしまうが……あくまで最終手段。まずは外交努力を尽くさなければならない。
そのためにエルロード皇帝である俺とパンデモニウムの女王リリィ、帝国のツートップがやって来たわけだ。
「我こそは、ヴァルナの百獣王、『大牙の氏族』が族長、ライオネル・レオガイガーである————よくぞ参ってくれた、魔王クロノ、リリィ女王。帝国の躍進著しいこと、遠くなったワシの耳にも届いておるぞ」
帝国と百獣同盟の顔役となっているライオネルは、今日も獅子獣人に相応しい豪放な笑みを浮かべて、出迎えてくれた。
俺は久しぶりの再会に固く握手を交わし、リリィは抱っこされて、ライオネルのタテガミを触って喜んでいた。
「百獣同盟の代表者は、集まっているのか?」
「すまんな、何分、急なことだったので、まだ半分ほどしか集まっておらんのだ。だから一本は転移を通しておけと言ったのだがなぁ」
「いや、構わないさ。先に俺達で話しておきたいこともあるしな」
「ほどなく、件の大遠征軍とやらがやって来るのだろう」
ライオン顔でもハッキリ分かるほどに顔をしかめて、ライオネルが言う。恐らく、このヴァルナで事の重大さを最も理解できているのが彼だろう。
次々と行く先の国を滅ぼして来た大軍が、ついにここへ攻め込んでくるというのだから。
「すでにして、サラウィンの方も相当にきな臭い動きをしておるのだ」
「やっぱりあそこも十字教勢力だったか」
「こちらも交渉を試みたが、アレは完全にクロじゃな。いや、奴らのことはシロと言うべきか……なんにせよ、サラウィンには方々から大量の物資が運び込まれておる。おまけに、冒険者や傭兵のフリをした先遣隊と思しき連中も続々とな」
ライオネルの話によれば、帝国との同盟に引き込めないかとサラウィンに話を持ちかけはしたが、向こうは自主独立を主張して全く聞き耳を持たなかったという。十字軍の脅威について問えば、我々は商業都市であり、誰であろうと対等に商売をするだけ、というスタンスを貫くと議会でも全会一致の意見となっているそうだ。
勿論、彼らは本気で公正明大な商人魂を燃やしているワケではなく、自分達は十字教徒だから、むしろ十字軍の到来を待ちわびているだけのこと。隠れ十字教徒は元からパンドラにいた勢力である。シンクレアから来た十字軍よりも、ネロの大遠征軍に与するのが彼らとしてはより安心で信頼できるといったところだろうか。
コナハト解放戦で捕らえた十字軍を尋問した結果、やはりシンクレアの十字軍とネロの大遠征軍とは、完全な連携がとれているワケではなく、互いに不干渉程度の関係性に留まっているのが実際のところのようだ。魔王を名乗る俺を筆頭とした魔族を殲滅させるまでは敵対することはないが、その後は大陸の覇権をかけて争い合うに違いない、潜在的ライバルだという認識が、遠征に参加したシンクレア貴族の基本である。
それはパンドラの十字教勢力も同様だろう。サラウィンは大遠征軍に全面協力することで、この機会にヴァルナの支配権を狙う腹積もりに違いない。
「いっそのこと、今の内からサラウィンを叩くのはどうだ?」
「まだ百獣同盟との話もつけていないのに、勝手に動くワケにはいかないだろう」
ライオネルの提案にも一理はある。どうせこのまま放っておけば、兵と物資を集めて大遠征軍に合流し、戦力拡大を果たすだけ。
ならば単独の内にさっさと潰してしまえば、相手の戦力増強を防ぐことが出来る。
「自分達がまだ敵だと表明しないために偽装しているんだろう。たとえバレバレでもな」
「サラウィンとは長年の付き合いがあるからな、同盟内でも明確に敵でもないのに、こちらから攻めるとなれば反対する者の方が多いであろう」
反対されるだけならまだいいが、こちらの足を引っ張ったり、相手に利する行為を働いたりする危険性があるからな。攻める側は、常に大義名分が必要なのだ。
「それに、先にサラウィンを潰してしまえば、大遠征軍がどう動くか分からなくなる。こっちはヴァルナの密林で万全の態勢で迎え撃ちたい。敵は正面からまとまって攻めて来てくれなければ、困るんだ」
現時点でサラウィンを攻めない最大の理由は戦略上の都合である。
そこからヴァルナ森海に入る最大の玄関口であり、メテオフォールまで続く街道も広く、ほぼ最短のよく整備されたルートになっている。けれどヴァルナに入るための道は幾つもあるのだ。
大軍を進めやすいルートを潰す、妨害する、というのは戦術的には正解だが、今回の場合では敵戦力が固まっていること、そして何より進行ルートを一か所に確定させることが重要である。
ミサがどっから飛んで来るか分からない。あるいは、大遠征軍を何分割もしてそれぞれ別なルートで攻め込んでくる、となると非常に厄介だ。
だが同時に、大遠征軍としてもサラウィンルートを使わずに、整備されていない細く険しい道から進軍したいとは思わない。下手をすれば、自分のところにだけ待ち伏せされて全滅しかねない。
奴らにとっても分散することなく、鬱蒼とした密林で迷う心配もない最短ルートで全軍進撃をしたいはずだ。ミサの性格的にも、その作戦以外は許さないだろうし、面倒臭いから。
「うむ、なるほどな。ならば今の内に、サラウィンから同胞を退避させるに留めておくくらいが精々か」
「ああ、あの町に獣人が残っていれば、どうなるか分かったもんじゃないからな。『審判の矢』よりも酷いことになるぞ」
大遠征軍と合流を果たし、もう中立の建前も必要なくなった時、奴らは真っ先に魔族への弾圧を始めるに決まっている。シンクレアだろうがパンドラだろうが、どこでも十字教徒は同じことをやるからな。
「ねぇねぇ、ライラはー?」
俺達の話などつまらない、とでも言いたげな様子で、幼女状態のリリィは空気を読まずにライオネルに問いかけた。
「ライラなら研究所におるだろう。全く、あれ以来あの子はずっと籠り切りでなぁ」
などと困った顔で言うライオネルである。
ライラは彼の末娘であり、リリィは『審判の矢』に捕らえられていた彼女を助けたことで、縁がある。あの一件が終わった後には、随分と懐かれていたように見えたが。
「じゃあ、リリィはライラと遊んで来るね」
「ああ、夕飯までには帰って来るんだぞ」
「はーい!」
と言って、リリィは飛び跳ねて走りながら退室していった。
「あの奔放な妖精が女王様とはな。いまだに信じられぬ」
「ああ、ライオネルはまだ本気出したリリィのこと見てないからな……」
今回の百獣同盟との交渉次第では、恐れおののくことになると思うが、そうならないことを祈っている。
獣人誘拐で大いにヴァルナを騒がせたカルト教団『審判の矢』。古代魔法に精通する教祖によって復活させられた古代の隠し砦を本拠点としていたが、ランク5冒険者パーティ『エレメントマスター』の活躍によって、教団ごとあえなく壊滅した。
事件の後、この隠し砦は二度と悪用されないよう百獣同盟で管理されることとなり、そのための人員としてリリィは数人のホムンクルスを派遣している。そうして、首尾よく実質的な砦の支配権を握っていたリリィは、ここをただ放置していたワケではなかった。
「おおおぉー! リリィさん、久しぶりなのだ!!」
「久しぶりね、ライラ。相変わらず元気そうで、何よりだわ」
隠し砦へと一人でやって来たリリィを出迎えたのは、ライオネルの娘ライラ。
如何にも獅子獣人の女戦士といった、美しい白銀の毛並みと凛々しい風貌の彼女だが……今はその身に纏うのは鎧ではなく、白衣。その目には大きな丸いレンズがヴィジョンとなって映像を映し出す、古代の遺物であるゴーグルがかけられていた。その格好は、魔導開発局に務める研究員の出で立ちに近い。
「しばらく顔を出せずに、ごめんなさいね。でも、貴女の話は聞いていたわ。随分と古代魔法に詳しくなったようね」
「なぁに、私なんて知らないことだからけの未熟者さ————リリィさんから管理権を奪い返すには、まだまだ程遠い」
隠し砦を管理する表向きの代表者は、このライラである。若くとも、元族長の愛娘であり、何より事件の当事者でもあったため、特に反対はなかった。
そうして誘拐された獣人たちが生贄に捧げられていた忌まわしい場所であると同時に、大いなる力をもたらす古代遺跡を、今度は自分達のモノとするべくライラは派遣されたホムンクルスの指導の下、非常に熱心に古代魔法の勉強と研究に打ち込んだのだった。
今の彼女は教祖と同程度には隠し砦を操作することを覚えており、ここに務める獣人達の中では図抜けた実力を身に着けるに至っていた。だからこそ、リリィがあの時、わざと隠蔽結界を起動させたこと、いまだに隠し砦の管理者がリリィに設定されていることに、気づくことができたのだった。
「うふふ、そこまで分かっているならば、今度こそ本当に貴方達へ管理権を返してもいいわよ」
「騙された、とは思っていない。私はリリィさんを心から尊敬しているし、その力に敬服している……故に、どうか我ら『大牙の氏族』を救うために、力をお貸しください、女王陛下」
帝国式の最敬礼で、小さなリリィの前にライラは跪いた。
古代魔法を学んだからこそ、彼女は理解している。これを操るエルロード帝国がどれほど強大な力を誇っているか。そして帝国に匹敵する技術力と、残忍極まる大軍に絶大な神の加護を得た使徒を擁する十字軍が、本当に大陸を征服しかねない最悪の敵対勢力であることを。
「頭を上げなさい、ライラ。クロノはとっても優しいから、決して貴方達を見捨てたりはしない。そして貴女は私にとって友人だもの、助けてみせるわ」
「ありがとう、リリィさん……」
微笑むリリィが、ひれ伏すライラをそっと抱きしめる。
クロノのためならあらゆる犠牲を強い、女王としてどんな非道も成し遂げるリリィだが、それでも妖精の性か。ライラのように純粋に慕ってくれる相手に対しては、情をかけたくなるものだ。
折角、クロノが一大決心をしてヴァルナの獣人達を犠牲にしないよう戦略を転換したのだ。その意に沿うのは勿論、この数少ない友人を守ろうとリリィは素直に思えた。
「それじゃあ、貴女の研究成果を見せてもらおうかしら」
「うむ! リリィさんに見せたいモノが、沢山あるのだ!」
リリィを抱っこしたライラは、意気揚々と自らの古代魔法研究所と化した砦の案内を始めるのだった。
蒼月の月6日。ヴァルナへ来て、すでに三日が経過している。
ミサ率いる大遠征軍本隊はいよいよダマスクを出発し、こちらへ向かってゆっくり進軍を始めた、という確定情報が届いている。
俺達がカーラマーラを目指して大陸縦断の旅をしていた時、ダマスクからサラウィンまではおよそ8日間の日程であった。足の遅い歩兵を大勢引き連れて進む大軍となれば、これの倍、あるいは三倍以上かかってもおかしくはない。
決戦はどんなに早くても月の中頃、真っ当に攻め込むなら月末まではかかるだろう。しかし、ミサの気が変わってピースフルハートですぐにでも飛んで来る、という可能性も捨てきれないのが恐ろしいところだ。
流石にネロと別れ、単独となったミサが敵の本丸に一人で乗り込んでくるとは思えないが。その時は『アンチクロス』総出でお出迎えしてやるだけだ。どこからでもかかって来い。
そんな気持ちで、こちらは出来る限りの準備を進めている。
帝国軍は続々とメテオフォールへと現地入りし、ここの防備を固める工事を急ピッチで行っているところだ。
また、あの隠し砦を前線基地として利用するべく、そちらにも結構な人数を派遣している。隠蔽結界で守られている古代の砦は、密林を進軍してくる敵を襲うのに格好の拠点となる。奇襲を終えた後、砦へ戻ればそれだけで簡単に敵の追跡を振り切れるのだ。
発見されたとしても、小さくとも古代の砦である。防衛設備フル稼働で籠城すればかなり堅牢だし、向こうだってこんな森の中で大々的に包囲しての攻城戦を続けるのは難しい。こっちの本丸はメテオフォールだからな。
ひとまずのところ、予定通りに戦準備を進めていることは出来ているが、
「やっぱり、帝国へ下るのは消極的なようね」
「ああ、残念ながらゼノンガルトの言う通りになっている」
メテオフォールの神殿内にあてがわれた部屋で、俺はリリィとここ三日の成果を話し合う。
大勢の帝国軍を引き入れ、迎撃準備を進めることへの同意を得ることは出来たが、傘下に入ることを百獣同盟はいまだによしとはしていなかった。そりゃそうだ、としか言いようがないけど。
俺自身がヴァルナを救いたいと望んでいる以上、百獣同盟の協力を断られたって、勝手に防衛戦をするのだ。余計に恩を感じて、譲歩する必要は向こうにはない。
「だが、流石にそこまで恩知らずではないようだ」
「と言うと?」
「せめてヴァルナを滅ぼすに足る大遠征軍を確認してから、帝国へ加わると表明したいと」
こちらが不安を煽ってホラを吹いている、という疑いもある。
勿論、ここ数日で一気にサラウィンでの戦争準備の動きが露骨に活発化しているため、大きな戦が起こりそうだという雰囲気は、百獣同盟の族長達も理解はしている。
だがしかし、大遠征軍が本当に自分達だけで倒し切れない相手かどうかまでは分からない。奴らの動向を探る諜報の手を伸ばしているのは俺達であり、その帝国から提供された情報だけを鵜呑みにするわけにもいかないだろう。
だからこそ、帝国に下って守ってもらわなければやむを得ない、と誰もが納得できるほどの巨大な敵を自分達の目で確認するまでは、という話である。
「ふーん、あんまり猶予はないのだけれど」
「その代わり、迎撃準備にケチはつけてこない」
「確かに、獣人達の納得なんて後回しでも構わないわね」
元より、彼らの戦力などアテにはしていない、とリリィはどこまでも冷めた顔で言い切った。
こういうところ、本当にドライだよなリリィは。
俺としては、密林の中で大遠征軍を襲うならば、ここに詳しい獣人達の協力は是が非でも欲しいところだ。何しろ、アヴァロンでもファーレンでも、現地の協力者がいたからこそスムーズに作戦を遂行できたのだから。この辺は本当に経験だよ。
「それから、魔王である俺には、是非とも各部族の集落を一度は訪問して欲しいと言われた」
「魔王を呼びつけるなんて、舐めてるんじゃないの?」
ライフライン止めて分からせてやろうかしら、と言い出すリリィを俺はひとまず宥める。
「いいんだ、俺が始めた戦争だからな」
これは俺にとっても、誠意のようなものだ。十字軍が来ればどの道、小さな集落だろうと残さず殲滅されると分かってはいるが、それでも奴らとの戦いに彼らを巻き込むのは俺の意思によるものに違いはない。
地獄のパンドラ大戦へ引き込むその土地と人々を、一度も見ずに進み続けるのは、礼に失する……いや、俺自身がその内に目を背けてしまうかもしれない。
だから、機会があるならば俺はそれをするべきなのだ。
「それに、出向いた先でモノリスも解放して来るさ」
「もう、クロノがそんな使い走りみたいなこと、しなくてもいいのに。必要なら私が飛んで行くわよ」
「何言ってんだ、迎撃準備はリリィの方が忙しいだろう。今の俺に出来ることは、こういうパフォーマンスだけなんだから、任せておいてくれよ」
隠し砦を前線基地として最大限に利用するためには、やはりリリィが手を加えるのが一番だ。他にも本丸として機能するメテオフォールには、帝国軍の指揮権を握るリリィがいてくれなければ困る。今回はベルドリア攻略に次ぐ、大軍の動員になるし。
「うーん……クロノがそこまで言うなら、分かったわ」
「苦労をかけて済まない」
「いいのよ、クロノのためだもん」
かくして、リリィのお許しも出たことで、俺は翌日から広大なヴァルナ森海の各地に点在する、獣人部族の集落を巡ることとなった。